親友って、歌いながら腰を抱いてくるものだっけ?
いきなり何の話だって思うよな。でも僕にとっては重大問題だ。
今は放課後。場所は学校にある防音室。
うちの高校は、軽音楽部だけ妙に強い。過去に何度も大会で入賞しているおかげで、校舎の一角に本格的な練習用の部屋まで造ってもらっている。
壁には吸音材、天井には音響用のパネル。アンプもドラムセットも揃っていて、おまけに一面が鏡張りだ。演奏中の立ち位置や動きを確認するためらしい。
とはいえ、軽音楽部には複数のバンドが所属している。いつでも好きに使えるわけじゃなく、一日ごとの交代制だ。
そして今日は、僕たち『リーインカーネーション』の練習日だった。
「じゃあ、頭から合わせます」
ドラム担当の仁科つばめが、スティックを鳴らして合図を出す。
つばめは一年生で、小柄なうえに普段はかなりおとなしい。だけどドラムを叩き始めた瞬間、どこにそんな力を隠していたんだと言いたくなるほど音がでかい。
その隣では、ベース担当の長谷部創が銀縁眼鏡を押し上げ、足元のエフェクターを確認している。こっちは僕と律と同じ二年生。何を考えているのかわかりにくいけど、演奏の乱れには誰より早く気づく、僕にとってはありがたくも恐ろしい存在だ。
つばめのカウントに合わせ、創のベースが低く響く。
僕もピックを握り直して、ギターを重ねた。
最後に律の歌声が入る。
防音室はライブハウスよりずっと狭い。それだけに、律の低く掠れた声が、すぐ近くから体の中に流れ込んでくるように聞こえる。
それだけでも十分危険なのに、今日の律は妙に動き回っていた。
マイクをスタンドから外し、鏡の前を歩きながら歌っている。ライブを意識した練習なんだろう。長い金色の髪を揺らしながら歌う姿は、制服姿じゃなければ高校生には見えない。
いや、制服姿でもあんまり高校生には見えないんだけどさ。
僕が見とれている場合じゃないとギターに意識を戻した、その直後だった。
いきなり右肩が重くなる。
律が歌いながら僕の隣まで来て、当然のように腕を回してきたのだ。
顔を上げれば、すぐ横に律がいる。
近い。とにかく近い。
マイクに向けている唇も、長い睫毛も、汗で頬に張りついた髪も、見なくていいところまで鮮明に見える。
しかも僕の耳のすぐそばで、あの声が響いている。
念のため言っておくけど、律に深い意味はない。
こいつは昔から、親友に対する距離感が完全に壊れてるんだ。眠ければ僕の肩や膝を枕にして寝るし、スマホをのぞくときは頬が触れそうなほど近づいてくる。寒いと言って背中に抱きつかれたことだって、一度や二度じゃない。
つまり律にとって、これはいつものこと。
僕だけが勝手にドキドキしてる。
頭ではちゃんとわかってるんだよ。だけど、心臓に理屈を説明したところで聞いてくれると思う?
案の定、ピックが弾くはずの弦を外れた。
ぺぎゃん、と情けない音が鳴る。
創が眼鏡越しにこちらを見たけれど、演奏は止めなかった。見逃してくれたらしい。いや、たぶんあとで指摘するために記憶しただけだな。
落ち着け、僕。
ただ肩を組まれているだけだ。男同士ならよくある。たぶんある。あることにしてくれ。
そう自分に言い聞かせながら、何気なく正面を見た。
そこで思い出した。
この部屋、一面が鏡張りだった。
鏡の中では、長身の律が僕の肩を抱き、頬を寄せるような距離で歌っている。それに寄り添ってギターを弾く僕は、照明もないのに顔だけやたら赤い。
待ってほしい。
これ、バンドの練習風景に見える?
僕にはどう見ても、恋人同士が出演しているミュージックビデオの一場面にしか見えない。鏡の中の僕に「違います、付き合ってません」と説明しても、鼻で笑われる自信がある。
いや、付き合ってないのは僕がいちばん知ってるけどさ。
そんなことを考えてるうちに、律の腕がやっと肩から離れた。
助かった、と思ったのも一瞬だった。
今度はその腕を腰に回された。
そのまま、ぐいっと引き寄せられる。
僕の肩が律の胸元に触れ、鏡の中の僕たちは、さっきよりさらに言い逃れのできない姿になった。
律は何事もなかったように歌い続けている。
僕は何事もなかったようにギターを弾かなきゃいけない。
無理じゃない?
左手が見事に押さえる場所を間違え、今度はアンプから派手な不協和音が飛び出した。
つばめのドラムが止まる。創のベースも途切れ、防音室に僕の失敗だけが虚しく残った。
つばめはスティックを握ったまま、律をまっすぐ見上げた。
「遠野先輩、篠宮先輩の腰を抱いて歌うの、やめてください。ギターがさっきから二回死んでます」
今にもため息を吐きそうな顔で言う。
「へ? なんで?」
律はキョトンとして首を傾げる。
僕は慌てて声を張り上げた。
「そんなに絡みつかれたら邪魔で集中できないじゃん!」
「そうなん?」
「そうだよ! だから演奏中はやめて?」
あー、鏡に映ってる僕の顔、真っ赤。
これ、もしかしてバレちゃう? 僕の律への気持ち。
そう思ったけど。
「そっか、確かに動きづらいよな。ごめんな、めぐ。もうやんないから」
律はなんでもないように、いつものほわほわした笑顔でそう言った。
この顔は、何もわかってない。
よし、バレてない。
……けど、背後のドラムセットの方から、今度こそ、はあーっと深いため息が聞こえてきたのだった。
……つばめには、バレちゃってるんだよな。たぶん。はっきり言われたわけじゃないけど。なんとなく。
いきなり何の話だって思うよな。でも僕にとっては重大問題だ。
今は放課後。場所は学校にある防音室。
うちの高校は、軽音楽部だけ妙に強い。過去に何度も大会で入賞しているおかげで、校舎の一角に本格的な練習用の部屋まで造ってもらっている。
壁には吸音材、天井には音響用のパネル。アンプもドラムセットも揃っていて、おまけに一面が鏡張りだ。演奏中の立ち位置や動きを確認するためらしい。
とはいえ、軽音楽部には複数のバンドが所属している。いつでも好きに使えるわけじゃなく、一日ごとの交代制だ。
そして今日は、僕たち『リーインカーネーション』の練習日だった。
「じゃあ、頭から合わせます」
ドラム担当の仁科つばめが、スティックを鳴らして合図を出す。
つばめは一年生で、小柄なうえに普段はかなりおとなしい。だけどドラムを叩き始めた瞬間、どこにそんな力を隠していたんだと言いたくなるほど音がでかい。
その隣では、ベース担当の長谷部創が銀縁眼鏡を押し上げ、足元のエフェクターを確認している。こっちは僕と律と同じ二年生。何を考えているのかわかりにくいけど、演奏の乱れには誰より早く気づく、僕にとってはありがたくも恐ろしい存在だ。
つばめのカウントに合わせ、創のベースが低く響く。
僕もピックを握り直して、ギターを重ねた。
最後に律の歌声が入る。
防音室はライブハウスよりずっと狭い。それだけに、律の低く掠れた声が、すぐ近くから体の中に流れ込んでくるように聞こえる。
それだけでも十分危険なのに、今日の律は妙に動き回っていた。
マイクをスタンドから外し、鏡の前を歩きながら歌っている。ライブを意識した練習なんだろう。長い金色の髪を揺らしながら歌う姿は、制服姿じゃなければ高校生には見えない。
いや、制服姿でもあんまり高校生には見えないんだけどさ。
僕が見とれている場合じゃないとギターに意識を戻した、その直後だった。
いきなり右肩が重くなる。
律が歌いながら僕の隣まで来て、当然のように腕を回してきたのだ。
顔を上げれば、すぐ横に律がいる。
近い。とにかく近い。
マイクに向けている唇も、長い睫毛も、汗で頬に張りついた髪も、見なくていいところまで鮮明に見える。
しかも僕の耳のすぐそばで、あの声が響いている。
念のため言っておくけど、律に深い意味はない。
こいつは昔から、親友に対する距離感が完全に壊れてるんだ。眠ければ僕の肩や膝を枕にして寝るし、スマホをのぞくときは頬が触れそうなほど近づいてくる。寒いと言って背中に抱きつかれたことだって、一度や二度じゃない。
つまり律にとって、これはいつものこと。
僕だけが勝手にドキドキしてる。
頭ではちゃんとわかってるんだよ。だけど、心臓に理屈を説明したところで聞いてくれると思う?
案の定、ピックが弾くはずの弦を外れた。
ぺぎゃん、と情けない音が鳴る。
創が眼鏡越しにこちらを見たけれど、演奏は止めなかった。見逃してくれたらしい。いや、たぶんあとで指摘するために記憶しただけだな。
落ち着け、僕。
ただ肩を組まれているだけだ。男同士ならよくある。たぶんある。あることにしてくれ。
そう自分に言い聞かせながら、何気なく正面を見た。
そこで思い出した。
この部屋、一面が鏡張りだった。
鏡の中では、長身の律が僕の肩を抱き、頬を寄せるような距離で歌っている。それに寄り添ってギターを弾く僕は、照明もないのに顔だけやたら赤い。
待ってほしい。
これ、バンドの練習風景に見える?
僕にはどう見ても、恋人同士が出演しているミュージックビデオの一場面にしか見えない。鏡の中の僕に「違います、付き合ってません」と説明しても、鼻で笑われる自信がある。
いや、付き合ってないのは僕がいちばん知ってるけどさ。
そんなことを考えてるうちに、律の腕がやっと肩から離れた。
助かった、と思ったのも一瞬だった。
今度はその腕を腰に回された。
そのまま、ぐいっと引き寄せられる。
僕の肩が律の胸元に触れ、鏡の中の僕たちは、さっきよりさらに言い逃れのできない姿になった。
律は何事もなかったように歌い続けている。
僕は何事もなかったようにギターを弾かなきゃいけない。
無理じゃない?
左手が見事に押さえる場所を間違え、今度はアンプから派手な不協和音が飛び出した。
つばめのドラムが止まる。創のベースも途切れ、防音室に僕の失敗だけが虚しく残った。
つばめはスティックを握ったまま、律をまっすぐ見上げた。
「遠野先輩、篠宮先輩の腰を抱いて歌うの、やめてください。ギターがさっきから二回死んでます」
今にもため息を吐きそうな顔で言う。
「へ? なんで?」
律はキョトンとして首を傾げる。
僕は慌てて声を張り上げた。
「そんなに絡みつかれたら邪魔で集中できないじゃん!」
「そうなん?」
「そうだよ! だから演奏中はやめて?」
あー、鏡に映ってる僕の顔、真っ赤。
これ、もしかしてバレちゃう? 僕の律への気持ち。
そう思ったけど。
「そっか、確かに動きづらいよな。ごめんな、めぐ。もうやんないから」
律はなんでもないように、いつものほわほわした笑顔でそう言った。
この顔は、何もわかってない。
よし、バレてない。
……けど、背後のドラムセットの方から、今度こそ、はあーっと深いため息が聞こえてきたのだった。
……つばめには、バレちゃってるんだよな。たぶん。はっきり言われたわけじゃないけど。なんとなく。

