僕は君の運命じゃない

 脚本家に送ったメッセージには、県大会の当日になっても返信がなかった。
 会場の市民ホールに着いて受付を済ませたあとも、律は出演者用の入場証を首にかけながら、何度もスマートフォンを確かめていた。
 画面に増えるのはバンドのSNSに届いた応援と、学校の友達からの連絡ばかりで、待っている名前からの通知はない。
 脚本家のアカウントに質問を送ってから一週間、律は普段どおり練習に来ていた。
 それでも休憩に入るたびに画面を開く回数が増えていく。
 返事が遅いのは、相手がDMにに気づいていないだけかもしれない。

「朝から何回見たの?」
「わかんない」
「それ、たぶん十回を超えた人の答えじゃん」
「来てたら見逃したくないから」
「通知は消えないよ。それに、本番中に届いても読めないじゃんね」

 僕が手を出すと、律は少し迷ってからスマートフォンを渡してくれた。通知音だけを切り、僕の鞄にしまう。
 今日、この場所で確かめるべきものは、三十年前の物語じゃない。けれど律にとっては、どちらも自分の人生に関わることだ。簡単に切り替えろと言えば、彼が抱えているものまで軽く扱うことになる気がした。

「終わったら、すぐ一緒に見るから」
「うん」
「だから今は新曲のことだけ考えて」
「考えてる。あれはドラマと関係ないから」

 律は僕の鞄を指で二度叩き、ようやくステージ袖に向かった。
 県大会に出場するのは、ビデオ審査を通過したバンドだけだ。その中から東海地区大会に進めるのは、一位に選ばれた一組しかない。プログラムでは、鷹取たちの出番は僕らの二組前に入っていた。
 客席に移動すると、すでに演奏を終えたバンドの熱が残り、次の出演者を待つ話し声が広いホールに重なっている。
 文化祭の体育館とは違って、照明も音響も専門の人が動かしていた。客席の後ろには審査員の長机があり、同じ形の採点用紙が人数分並んでいる。
 やがて鷹取たちが呼び込まれ、照明の中に出てきた。ボーカルとギターを担当する鷹取は、僕らの学校に来たときと同じ落ち着いた顔で立ち、短くバンド名を告げる。
 曲は彼のギターだけで始まった。余計な音を残さないコードが二小節続き、ドラムとベースが同時に入る。別々の人間が鳴らしたとは思えないほど音の端が揃い、それでいて窮屈には聞こえない。鷹取が声を聞かせたいところでは伴奏が薄くなり、客席を煽るところでは、合図らしい動作もないまま厚みが戻る。
 鷹取は歌いながら難しいフレーズを弾いても、右手の速さを乱さない。彼が作った曲の完成形を全員が同じ精度で理解し、どこを聞かせるべきか迷わず選んでいる。
 曲が進むほど、僕は自分の左手を膝の上で握っていた。技術の高さだけなら、練習すれば近づけるかもしれない。けど、メンバーの判断がここまで揃うためには、同じ曲を何度弾けばいいんだろう。
 最後の音まで崩れる場所が見つからず、演奏が終わると、客席から今日一番の拍手が上がった。

「完成されすぎだわ」

 僕が呟くと、隣にいた創が眼鏡を押し上げた。

「完成度は高い。少なくとも、大きな失点は期待できない」
「期待するところじゃないでしょ」
「事実を言っただけだ。勝つなら、僕たちが上回るしかない」

 つばめは返事をせず、膝の上で左右のスティックを同じ高さに揃えていた。
 律はステージから降りていく鷹取を見たまま、僕の肩に腕を回す。

「めぐ、今のより格好よく弾ける?」
「本番前に聞くことじゃないじゃん。律こそ、あれより上手く歌えるの?」
「歌う。俺たちの曲なら負けない」

 根拠を並べたわけでもないのに、律の答えを聞くと、きつく握っていた指から力が抜けた。
 鷹取たちと同じ演奏はできない。でもそれでいい。僕たちは、彼らの完成形を真似するためにここまで来たわけじゃない。



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 出演者の通路に戻ると、向こうからギターケースを背負った鷹取が歩いてきた。
 額には汗が残っているけど、呼吸はもう整っている。

「聞いてた?」
「うん。悔しいけど、すごくよかった」
「まだ負けたみたいな顔するのは早いだろ。もうすぐおまえたちじゃん」

 鷹取は僕の右手に目を落とした。今日は名前を刻んだ銀色のピックを、なくさないよう指の中に握っている。

「文化祭よりいいソロ、聞かせて」
「言われなくても、そのつもりだよ」
「めぐだけじゃなくて、俺たち全員の演奏だから」

 律が僕との間に肩を入れると、鷹取は張り合うような言葉を返さず、その顔をまっすぐ見た。

「わかってる。だから、おまえの歌も聞く」
「だったら客席で見てろ。俺たちが勝つところまで」
「そのくらい言ってもらわないと、こっちも張り合いがないわ」

 鷹取は僕にも頷き、他のメンバーと客席に向かった。
 勝てるとは言わなかった。けど、自分たちの演奏を終えたあとでも、僕らが本気で追いついてくることを疑っていない。
 その態度に送り出され、僕はステージ袖でギターを構えた。
 スタッフから呼ばれ、四人で舞台に出る。
 照明の向こうは暗く、客席にいる鷹取の姿までは見えない。
 アンプにケーブルを差し、創と目を合わせる。つばめがスティックを上げ、律はマイクの前で僕ら三人を順に見た。

「リーインカーネーションです。『現在地』」

 創のベースが、短い旋律を鳴らした。
 何度も聞いてきた始まりなのに、広いホールでは低音の輪郭が太く、客席の床まで伸びていく。つばめのドラムが細かなリズムを重ね、僕もその流れにギターを加えた。
 律の歌が入る。
 前世で誰だったかじゃなく、今ここで何を選ぶのか。
 初めて歌詞を読んだときには、律が美紀さんのいない世界でも自分を見失わないための歌だと思っていた。
 今は、その記憶自体が誰かの作ったドラマだったかもしれない。
 それでも、『現在地』の言葉は画面から借りたものじゃなかった。創が考えた旋律につばめが道を作り、僕が律と並んで探した言葉を、四人で一曲にした。
 脚本家からどんな返信が届いても、この数か月まで作り話になることはない。

『君の声が 僕の現在地を教えてくれる』

 その一節で、律が僕を見た。
 文化祭でも、予選の撮影でも向けられた目だった。けれど今日は、自分がどこにいるのか本当に確かめるように、僕の指と顔を交互に追っている。僕は返事の代わりにギターの音を強くし、次の小節で彼の声が戻る場所を作った。
 創のベースが先に進み、つばめの音が大きく開く。四人の呼吸が揃ったところで、律がマイクから離れた。
 僕のソロが始まる。
 さっき聞いた鷹取の演奏が頭の隅に残っていた。
 彼のように正確に弾こうとすれば、練習してきた旋律まで小さくなる。僕がこの曲で見せたいのは、間違えない指じゃない。律の歌から受け取ったものを、声のない場所でも次に運べる音だ。
 銀色のピックで弦を鳴らす。一つ目の旋律を創に渡し、返ってきた低音に別の高さで重なる。
 つばめが背中を押すようにリズムを広げた。客席の反応を追う余裕はなかったけど、高い音を伸ばしたとき、暗い向こうから拍手が聞こえた。
 最後のサビで律が戻る。僕の音を追い越さず、隣に並ぶように声を重ねてきた。
 ドラマを見た日から少し掠れていた高音が、今日は迷わず天井まで届く。
 つばめの最後の一打で、四人の音が同時に止まった。
 残った響きがホールの奥に消えるより早く、客席から歓声が上がる。知らない人ばかりの正面から返ってくる音は、文化祭のときに負けないほど大きかった。
 律が僕の肩を引き寄せる。演奏を終えたばかりの体温が触れ、僕もギターを抱えたまま彼の背中に腕を回した。創とつばめまで近くに来て、四人で客席に頭を下げる。
 舞台袖に戻る直前、最前列の端に立った鷹取が見えた。悔しそうに口元を結びながら、それでも誰より高い位置で拍手をしていた。



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 結果発表までの時間は、演奏していた数分より長く感じられた。
 全バンドが客席前方の出演者席に並び、審査員の代表から講評を聞く。
 技術だけじゃなく、楽曲の独自性と、四人が互いの音を受け渡していた点が高く評価されたと告げられたとき、創の膝が僕の隣でわずかに動いた。
 第二位として、鷹取たちのバンド名が呼ばれた。
 ステージに向かう鷹取の背中を見た途端、律が僕の手をつかんだ。まだ一位が発表されていないのに、指先には痛いほど力が入っている。

「律、まだだよ」
「でも、残ってる」
「僕ら以外も残ってるじゃん」
「めぐ、こういうときくらい信じろよ」

 司会者が封筒から次のカードを取り出し、愛知県大会第一位と、東海地区大会への出場バンドを読み上げる。

「リーインカーネーション」

 自分たちの名前なのに、拍手が始まるまで立ち上がれなかった。つばめが先に僕の腕を引き、創も眼鏡を直しながら席を立つ。
 律は僕の手を握ったまま、ステージまで歩こうとした。

「四人で行くんだから、いい加減離して」
「別にこのままでも行けるじゃん」
「創とつばめが困るだろ」
「僕は困っていない」
「僕も大丈夫です」
「二人とも、そこで律の味方しなくていいから」

 ようやく手を放され、四人で表彰状を受け取った。
 審査は最後まで割れ、二位との差はごく僅かだったと聞かされる。
 圧倒して勝ったわけじゃない。それでも、東海地区大会に進める一組として選ばれたのは僕らだった。
 閉会後、得点表を受け取ると、鷹取たちはすぐ下にいた。片手で足りる差を見つめていた僕の前に、その本人が立つ。

「負けた」
「うん。でも、本当に少しだけだよ」
「少しでも負けは負けだわ。今日はおまえらのほうが客席を動かした」

 鷹取はそう言ってから、僕の右手を指した。

「あのソロ、文化祭よりよかった。次は絶対に勝ってやる」
「東海には一緒に行けないのに?」
「大会だけがバンドじゃないだろ。また同じステージに立てばいい」

 差し出された拳に、僕も拳を合わせた。
 隣で律が何か言いたそうにしていたけど、鷹取は先に彼へ顔を向ける。

「二点差で俺たちに勝ったんだから、次で負けるなよ」
「負けない。絶対に全国まで行く」
「ならいい」

 鷹取は最後にもう一度僕ら四人を見て、仲間のところに戻っていった。
 悔しさを隠しているのはわかった。それでも次に会う場所を自分から作れる強さまで含めて、彼はやっぱり僕の目標だった。
 僕がその背中を見送っていると、律が鞄を差し出した。

「めぐ、スマホ」

 預かっていた端末を取り出し、律に返す。
 画面を点けた途端、通知欄に、僕らが一週間待ち続けた脚本家の名前が現れた。
 創とつばめも気づき、律の両側に集まる。
 県大会第一位の表彰状を抱えたまま、僕は彼の指が通知に触れるのを見ていた。
 届いた返信は、長くなかった。

『お問い合わせの件ですが、『あの春の終わりに』は、人物設定から各話の出来事まで、すべて私が作ったフィクションです。実在する人物や出来事をモデルにした部分はなく、特定の方への取材もしていません。作中の小さなエピソードや台詞を含め、すべて創作したものです』

 律は文章の最後まで読むと、もう一度最初に戻した。
 二度目は指で一行ずつなぞり、実在する人物をモデルにしていないという箇所で止まる。

「じゃあ、俺の前世の記憶が、なんであんなにあのドラマと似てるんだよ……全部偶然なんて、そんなことあるのか?」

 その問いに答えられる人は、もう画面の向こうにもいなかった。