コメントの投稿者から返信が届いたのは、翌朝だった。
通学電車を降りたところで、つばめからバンドのグループメッセージにコメント欄の画像が送られてきた。
昨夜は題名を思い出せないと書いていた人が、僕たちの問いかけに答えている。
『一晩中気になって調べました。『あの春の終わりに』というドラマです。一九九四年に放送されていました』
画像の下には、創が見つけた公式配信ページのリンクも続いていた。三十年以上前の作品だけど、過去の名作を集めた特集に入っていて、全十話を今でも見ることができるらしい。
改札の外では、先に着いていた律が柱にもたれてスマートフォンを見ていた。僕に気づいても肩に腕を伸ばさず、挨拶より先に端末をこちらに向ける。
「めぐ、これ、今日見たい」
「全十話あるよ。県大会の練習はどうするの?」
「練習のあとであとでいい。全部じゃなくても、歌詞に似てるところだけ確認できればいいから」
律は歩き始めてもページを閉じなかった。
検索結果には、出演者の現在や放送当時の視聴率、そして出演した俳優の紹介が並んでいる。そのどれにも覚えがないらしく、顔写真を拡大しては元に戻していた。
僕も隣から一緒にあらすじを読んだ。東京で働く男女がライブハウスで出会い、何度も別れかけながら一緒に暮らし始める話だという。
ライブハウスという言葉だけなら、律が語ってきた美紀さんとの出会いにも重なる。それでも恋愛ドラマには珍しくない舞台だと思おうとした僕の目に、紹介文のなかにあった二人の名前が飛び込んできた。
主人公の青年は「律」。そして、その恋人の名前は「美紀」。
「律……名前が、同じだ」
僕が声を落とすと、律は画面から視線を外し、硬い表情でうなずいた。
「偶然だろ。よくある名前だし」
そう呟く声は少し震えていた。
きっと律は自分の言葉を信じられていない。だって、一人だけじゃない。二人とも名前が同じなんて。こんな偶然があるだろうか。
作り物の物語のなかに自分と同じ名前と恋人の名前が存在している事実は、彼が大切にしてきた記憶の輪郭を急速に削り取っていくようだった。
律は動揺を隠すように、画面を伏せて歩き出す。
それきり、学校に着くまで一言も話さなかった。
-------
放課後の練習を終えると、僕たちは防音室に残り、創のノートパソコンでドラマを見ることにした。
全十話を順番に再生する時間はないため、創がインターネットに残っていた各話の詳しいあらすじから、律の歌詞に出てくる言葉と重なる回を探してくれていた。
つばめはカーテンを閉め、律と僕は長机の前に椅子を並べる。
いつもなら僕との距離を空けない律が、今日は肘も触れない位置に座った。
最初に再生したのは第二話だった。主人公の二人が河川敷を歩く場面で、女性が草の中にしゃがみ込み、クローバーを摘み取る。
画面の中の彼女が葉の数を確かめるより早く、律の指が停止ボタンに触れた。
「これ、五つある」
「画面ではまだ見えませんよ」
つばめがノートパソコンに顔を近づける。
律は再生を止めたまま、自分の手のひらを見ていた。
「美紀も五つ葉を見つけた。『幸せがひとつ余ったね』って笑ってた」
その話なら僕も聞いたことがある。律の歌にも、四つ葉じゃなくて五つ葉のクローバーという一節が入っていた。
創が再生を再開すると、女性は隣にいる男性にクローバーを見せた。
『見て。四つ葉じゃなくて五つ葉。幸せがひとつ余ったね』
笑いながら告げるセリフまで、律が話した記憶とほとんど変わらなかった。
僕は律の横顔を確かめたけど、彼はもう次の場面を探す創の指を見ていた。
次は第四話の駅前だった。仕事を終えた二人が飲食店に入り、女性が細い箱のピアニッシモを取り出す。男性の手にあるのはラークだった。
互いの煙草を一本ずつ交換したところで、律の右手が机の下で握られる。
『これ、重すぎる。よく毎日こんなの吸えるね』
女性は顔をしかめ、ラークを男性に返した。男性のほうはピアニッシモを軽すぎると笑っている。
『君がピアニッシモで僕がラーク
一本ずつ取り替えてみたら
「重すぎる」って君は笑った』
律は以前、銘柄だけでなく箱の色まで、自分で買っていた物のように話していた。
高校生の律が煙草を吸ったことはない。それでも匂いも指に挟んだ感触も覚えていると言っていた記憶が、俳優の手によって画面の中で再現されている。
「同じ台詞だ」
律の声は低かった。
「銘柄まで同じになる確率は、かなり低いと思う」
創は余計な慰めを加えず、確認できた事実だけを告げた。
律も反論せず、次を再生してくれと頼んだ。
第六話では、女性が得意料理だと言って、男性にペペロンチーノを振る舞う。
男性は一口食べただけでニンニクの量に気づき、明日は誰にも会えないと笑った。
美紀さんの得意料理はペペロンチーノで、いつもニンニクを入れすぎる。律が何度も楽しそうに話してきた味まで、ドラマの二人は知っていた。
第八話の誕生日には、駅前の露店で買った星形のピアスが登場した。女性が包みを開けて喜んだあと、台紙の裏に残っていた値札を見つける。
『千二百円だったって、教えてくれるんだ』
画面の中の男性は値札を剥がし忘れたことに気づき、取り返そうとする。
女性は笑いながらピアスを耳に当て、三日間はこの話でからかえると言った。
『初めて迎えた誕生日
千二百円の星のピアス
値札を剥がし忘れた僕を
三日間ずっと笑っていた』
「最終回も見る?」
僕が尋ねると、律は再生画面に目を向けたまま頷いた。
病室のベッドに横たわる女性の耳には、あの星形のピアスがある。男性はその手を握り、次の人生があるなら、今度はどちらが先に相手を見つけるか競争しようと話した。
『次は私が探すから』
『じゃあ、先に見つけたほうが勝ちだ。来世でもまた俺の恋人になってくれるか、美紀』
『もちろん。約束ね』
エンドロールが流れ始めても、律は椅子に座ったまま、黒い画面に映る自分の顔を見ている。
「遠野、このドラマを以前見た可能性はないのか?」
創が尋ねると、律は首を横に振った。
「題名も俳優も知らない。放送されたときは、俺はまだ生まれてない」
「再放送や録画で見ることはできます。ご家族が見ていたことはありませんか?」
つばめの問いに、律はすぐには答えず、エンドロールに並ぶ名前を追った。やがて脚本家の名前が表示されると、そこで映像を止める。
「母さんは、ドラマを見るのが好きだった。レンタルDVDの店に何度も一緒に連れて行かれたし、家のリビングでは毎日ドラマが流れてた。けど、俺は見てない」
「同じ部屋にいたこともない?」
「小さい頃は大人のドラマを見てもつまんないから、一緒にいても俺は絵本や漫画を見てた。ドラマは見てなかった。盗作なんかじゃない」
数秒口ごもってから、律は再び口を開いた。
「……母さんが事故で死んだあとに、急に前世のことを思い出したんだ。それより前は、こんな記憶なかった」
律は机に置いていた自分のスマートフォンを取り、表示された脚本家の名前を検索した。今はテレビの仕事から離れているものの、過去作品について発信するSNSの公式アカウントが見つかる。
「この人に聞けば、わかるかもしれない」
「何を聞くの?」
「このドラマが全部作り話なのか。それとも、誰かに聞いた話なのか、あるいは実際にいた誰かをモデルにしたのか」
もし実在した恋人たちを脚本家が知っていたなら、その人たちこそ律と美紀さんの前世に違いない。律はそう考えているのだろう。
僕たちは四人で文章を整え、作品に実在のモデルや取材元があるのか教えてほしいと、律のアカウントから脚本家にDMを送った。
県大会を一週間後に控えた高校生だと書く必要はないし、前世という言葉も使わなかった。
送信済みの表示を見届けると、律はようやく椅子を僕の隣まで寄せた。
触れた肩はいつもと同じはずなのに、彼の心の重さを僕に預けているように感じた。
通学電車を降りたところで、つばめからバンドのグループメッセージにコメント欄の画像が送られてきた。
昨夜は題名を思い出せないと書いていた人が、僕たちの問いかけに答えている。
『一晩中気になって調べました。『あの春の終わりに』というドラマです。一九九四年に放送されていました』
画像の下には、創が見つけた公式配信ページのリンクも続いていた。三十年以上前の作品だけど、過去の名作を集めた特集に入っていて、全十話を今でも見ることができるらしい。
改札の外では、先に着いていた律が柱にもたれてスマートフォンを見ていた。僕に気づいても肩に腕を伸ばさず、挨拶より先に端末をこちらに向ける。
「めぐ、これ、今日見たい」
「全十話あるよ。県大会の練習はどうするの?」
「練習のあとであとでいい。全部じゃなくても、歌詞に似てるところだけ確認できればいいから」
律は歩き始めてもページを閉じなかった。
検索結果には、出演者の現在や放送当時の視聴率、そして出演した俳優の紹介が並んでいる。そのどれにも覚えがないらしく、顔写真を拡大しては元に戻していた。
僕も隣から一緒にあらすじを読んだ。東京で働く男女がライブハウスで出会い、何度も別れかけながら一緒に暮らし始める話だという。
ライブハウスという言葉だけなら、律が語ってきた美紀さんとの出会いにも重なる。それでも恋愛ドラマには珍しくない舞台だと思おうとした僕の目に、紹介文のなかにあった二人の名前が飛び込んできた。
主人公の青年は「律」。そして、その恋人の名前は「美紀」。
「律……名前が、同じだ」
僕が声を落とすと、律は画面から視線を外し、硬い表情でうなずいた。
「偶然だろ。よくある名前だし」
そう呟く声は少し震えていた。
きっと律は自分の言葉を信じられていない。だって、一人だけじゃない。二人とも名前が同じなんて。こんな偶然があるだろうか。
作り物の物語のなかに自分と同じ名前と恋人の名前が存在している事実は、彼が大切にしてきた記憶の輪郭を急速に削り取っていくようだった。
律は動揺を隠すように、画面を伏せて歩き出す。
それきり、学校に着くまで一言も話さなかった。
-------
放課後の練習を終えると、僕たちは防音室に残り、創のノートパソコンでドラマを見ることにした。
全十話を順番に再生する時間はないため、創がインターネットに残っていた各話の詳しいあらすじから、律の歌詞に出てくる言葉と重なる回を探してくれていた。
つばめはカーテンを閉め、律と僕は長机の前に椅子を並べる。
いつもなら僕との距離を空けない律が、今日は肘も触れない位置に座った。
最初に再生したのは第二話だった。主人公の二人が河川敷を歩く場面で、女性が草の中にしゃがみ込み、クローバーを摘み取る。
画面の中の彼女が葉の数を確かめるより早く、律の指が停止ボタンに触れた。
「これ、五つある」
「画面ではまだ見えませんよ」
つばめがノートパソコンに顔を近づける。
律は再生を止めたまま、自分の手のひらを見ていた。
「美紀も五つ葉を見つけた。『幸せがひとつ余ったね』って笑ってた」
その話なら僕も聞いたことがある。律の歌にも、四つ葉じゃなくて五つ葉のクローバーという一節が入っていた。
創が再生を再開すると、女性は隣にいる男性にクローバーを見せた。
『見て。四つ葉じゃなくて五つ葉。幸せがひとつ余ったね』
笑いながら告げるセリフまで、律が話した記憶とほとんど変わらなかった。
僕は律の横顔を確かめたけど、彼はもう次の場面を探す創の指を見ていた。
次は第四話の駅前だった。仕事を終えた二人が飲食店に入り、女性が細い箱のピアニッシモを取り出す。男性の手にあるのはラークだった。
互いの煙草を一本ずつ交換したところで、律の右手が机の下で握られる。
『これ、重すぎる。よく毎日こんなの吸えるね』
女性は顔をしかめ、ラークを男性に返した。男性のほうはピアニッシモを軽すぎると笑っている。
『君がピアニッシモで僕がラーク
一本ずつ取り替えてみたら
「重すぎる」って君は笑った』
律は以前、銘柄だけでなく箱の色まで、自分で買っていた物のように話していた。
高校生の律が煙草を吸ったことはない。それでも匂いも指に挟んだ感触も覚えていると言っていた記憶が、俳優の手によって画面の中で再現されている。
「同じ台詞だ」
律の声は低かった。
「銘柄まで同じになる確率は、かなり低いと思う」
創は余計な慰めを加えず、確認できた事実だけを告げた。
律も反論せず、次を再生してくれと頼んだ。
第六話では、女性が得意料理だと言って、男性にペペロンチーノを振る舞う。
男性は一口食べただけでニンニクの量に気づき、明日は誰にも会えないと笑った。
美紀さんの得意料理はペペロンチーノで、いつもニンニクを入れすぎる。律が何度も楽しそうに話してきた味まで、ドラマの二人は知っていた。
第八話の誕生日には、駅前の露店で買った星形のピアスが登場した。女性が包みを開けて喜んだあと、台紙の裏に残っていた値札を見つける。
『千二百円だったって、教えてくれるんだ』
画面の中の男性は値札を剥がし忘れたことに気づき、取り返そうとする。
女性は笑いながらピアスを耳に当て、三日間はこの話でからかえると言った。
『初めて迎えた誕生日
千二百円の星のピアス
値札を剥がし忘れた僕を
三日間ずっと笑っていた』
「最終回も見る?」
僕が尋ねると、律は再生画面に目を向けたまま頷いた。
病室のベッドに横たわる女性の耳には、あの星形のピアスがある。男性はその手を握り、次の人生があるなら、今度はどちらが先に相手を見つけるか競争しようと話した。
『次は私が探すから』
『じゃあ、先に見つけたほうが勝ちだ。来世でもまた俺の恋人になってくれるか、美紀』
『もちろん。約束ね』
エンドロールが流れ始めても、律は椅子に座ったまま、黒い画面に映る自分の顔を見ている。
「遠野、このドラマを以前見た可能性はないのか?」
創が尋ねると、律は首を横に振った。
「題名も俳優も知らない。放送されたときは、俺はまだ生まれてない」
「再放送や録画で見ることはできます。ご家族が見ていたことはありませんか?」
つばめの問いに、律はすぐには答えず、エンドロールに並ぶ名前を追った。やがて脚本家の名前が表示されると、そこで映像を止める。
「母さんは、ドラマを見るのが好きだった。レンタルDVDの店に何度も一緒に連れて行かれたし、家のリビングでは毎日ドラマが流れてた。けど、俺は見てない」
「同じ部屋にいたこともない?」
「小さい頃は大人のドラマを見てもつまんないから、一緒にいても俺は絵本や漫画を見てた。ドラマは見てなかった。盗作なんかじゃない」
数秒口ごもってから、律は再び口を開いた。
「……母さんが事故で死んだあとに、急に前世のことを思い出したんだ。それより前は、こんな記憶なかった」
律は机に置いていた自分のスマートフォンを取り、表示された脚本家の名前を検索した。今はテレビの仕事から離れているものの、過去作品について発信するSNSの公式アカウントが見つかる。
「この人に聞けば、わかるかもしれない」
「何を聞くの?」
「このドラマが全部作り話なのか。それとも、誰かに聞いた話なのか、あるいは実際にいた誰かをモデルにしたのか」
もし実在した恋人たちを脚本家が知っていたなら、その人たちこそ律と美紀さんの前世に違いない。律はそう考えているのだろう。
僕たちは四人で文章を整え、作品に実在のモデルや取材元があるのか教えてほしいと、律のアカウントから脚本家にDMを送った。
県大会を一週間後に控えた高校生だと書く必要はないし、前世という言葉も使わなかった。
送信済みの表示を見届けると、律はようやく椅子を僕の隣まで寄せた。
触れた肩はいつもと同じはずなのに、彼の心の重さを僕に預けているように感じた。

