僕は君の運命じゃない

 バンドのSNSに二本の動画を投稿してから一時間ほど経っても、僕のスマートフォンには途切れず通知が届いていた。
 『現在地』の再生回数は、美紀さんに向けた曲より速い勢いで増えている。コメント欄には律の歌や創のベース、つばめのドラムについての感想も並んでいたけど、画面を開くたびに自分の名前を見つけるのは、なんだか落ち着かない。
 それでも、初めて僕を見た人たちにも自分の音を認めてもらえたことは嬉しい。
 再生回数が一つ増えるたび、体育館で弾いた最後の音が、学校の外まで少しずつ延びていくように思えた。

「めぐ、スマホ見てないで机運んで」

 教室の前方から律に呼ばれ、僕は画面を閉じた。
 文化祭の一般公開は終わり、校内では後夜祭までのあいだに片づけが進められている。
 僕たちのクラスが出した喫茶店も、壁に貼った飾りを外せば、二日間だけの店から見慣れた教室に戻っていった。

「律だって、さっきまでコメント見てたじゃん」
「俺はもう机を三つ運んだ」
「数えてるところが細かいんだわ」
「めぐが全然働かないからだろ」

 律はそう言いながら、僕が持とうとした机の反対側をつかんだ。一人でも運べる重さなのに、狭い通路を二人で横向きに進み、元の位置まで戻す。作業の効率より一緒に持つことを優先したらしい彼の手が、天板の下で僕の指に何度か触れた。
 律は昔から僕との距離がやたら近い。それを恋愛的な意味だと勘違いしないよう、これまで何度も自分に言い聞かせてきた。

「さっき写真を撮ってた子、動画にもコメントしてたな」

 机を置いた律が、何でもない話のように切り出す。

「よくアカウントまで覚えてたね」
「名前が同じだったから。めぐもフォロバしたのか?」
「バンドのアカウントだから、つばめが返したんじゃないかな」
「個人の連絡先は聞かれた?」

 質問が少しずつ文化祭の感想から遠ざかっている。
 僕が顔を上げると、律は外した紙の飾りを丸めながら、答えを待っていた。

「聞かれてないよ。どうしてそんなこと気にするの?」
「別に。知らないやつだったから」
「鷹取のことは知ってるのに警戒してたじゃん」
「あいつは実際にめぐを狙ってたから、同じじゃないだろ」

 律は自分の態度を筋が通っていると思っているらしい。
 僕には、親友が誰かに取られそうで嫌なのか、鷹取が男だから心配していたのかわからない。
 続きを尋ねる前に、クラスメイトが律を呼び、彼は積み上げた椅子を運ぶため廊下に出ていった。


 すべての片づけを終えた頃には、窓の外が青みを帯びた夕暮れに変わっていた。
 校庭の中央には薪が高く組まれ、その周囲を囲むように生徒たちが集まり始めている。
 校舎の壁に取りつけられた照明が点き、昼間とは違う学校の姿が、年に一度だけ許された夜更かしみたいに浮かび上がっていた。
 創とつばめは先に校庭に行き、律もクラスメイトに呼ばれて教室を出ていた。
 僕はゴミ袋を集積所まで運んでから合流すると伝え、一人で昇降口に向かった。
 最後の袋を指定された場所に置き、校庭に出ようとしたところで、後ろから名前を呼ばれた。
 振り返ると、ライブのあとに僕と写真を撮った女子生徒が立っていた。

「篠宮くん、片づけ終わった?」
「今終わったところ。そっちは?」
「私も。篠宮くんもこれから後夜祭、出るんだよね?」
「うん。友達が先に行ってるから」

 彼女は何度か校庭のほうを確かめてから、スマートフォンを両手で握った。

「最後のフォークダンス、一緒に踊ってほしいんだけど」
「え、僕と?」
「最後の曲が終わった時に手を繋いでた相手と、両想いになれるっていうジンクス、あるじゃんね」

 聞いたことはあった。毎年、後夜祭が近づくと誰かが言い出し、好きな相手を誘う口実に使われているらしい。
 フォークダンスは途中まで相手を替えながら踊り、最後の一曲だけは自由に相手を選ぶのが、この学校のスタイルだった。
 僕が答えられずにいると、彼女はスマートフォンを握る手に力を込めた。

「ライブを見る前から、篠宮くんのこと、ちょっと気になってたの。今日のギターがすごく格好よくて、もっと話したいって思った。だから、よかったら私と付き合ってくれない?」

 告白されるなんて想像していなかった。
 けど、僕の演奏が彼女の心の中に残り、こうして声をかける理由になった。そのことまで否定しないように、返す言葉を選ばなければならないと思った。

「ありがとう。そんなふうに言ってもらえると思ってなかったから、嬉しいよ。でも、ごめん。僕、好きな人がいるんだ」

 声に出すと、もう何年も隠してきたはずの気持ちが、急に輪郭を持った気がした。
 彼女は俯きかけた顔を上げ、困ったように笑った。

「そっか。それならしょうがないないね。急に呼び止めてごめんね」
「謝らなくていいよ。僕のほうこそ、応えられなくてごめん」
「ううん。動画、これからも見るから。コンクールも頑張ってね」

 彼女は僕に手を振り、昇降口から校庭に出ていった。
 その背中が生徒たちの中に紛れたところで、柱の陰から律が現れた。
 僕を探しに来たのか、こちらを見たまま歩いてくる。

「今の、昼間の子だよな」
「聞いてたの?」
「最後だけ。めぐが好きな人いるって言ってたところ」

 よりによって、そこだけ聞かれていた。
 律は僕の前で足を止めると、校庭に消えた彼女の姿を探すように昇降口の外を見た。

「付き合ってって言われたのか?」
「そうだけど、断ったよ」
「フォークダンスにも誘われた?」
「どうしてそこまでわかるの」
「あのジンクスを使って告白するやつが多いって、クラスの女子が話してたから」

 律がそれを知っていること自体は不思議じゃない。この学校に二年近くいて、耳にしないほうがおかしいぐらい有名な話からだ。

「断ったんだから、もういいじゃん」
「なあ。めぐの好きな人って誰?」
「それは言えないよ」
「俺の知ってるやつ?」
「質問が多いんだわ。創たちが待ってるし、もう行こうよ」

 校庭に向かおうとすると、律の手が僕の左手をつかんだ。
 迷子を連れていくような握り方だったから、創たちのところまで引っ張って行くつもりなんだと思った。
 ところが、昇降口を出ても律は手を離さなかった。
 僕たちはフォークダンスの輪を避け、校舎沿いを歩いていく。中央の薪に火がつけられ、橙色の光が地面に落ちると、繋いだ手の影まで長く延びた。
 スピーカーから音楽が流れ始め、生徒たちが相手を替えながら踊り始める。
 輪の向こうには創とつばめの姿も見えたけど、律は二人のところに向かわず、僕を校舎の壁際まで連れてきた。

「創たちのところに行くんじゃないの?」
「あいつらならあそこにいるし。最後の曲が終わったら合流すればいいじゃん」
「じゃあ、律は何のために僕を探しに来たの?」
「めぐが戻ってこなかったから」

 それだけの理由で見つけに来て、今も僕の手を握っている。指先から伝わる体温を意識しないように校庭を見ると、曲が替わり、相手を選ぶために輪が崩れ始めていた。
 後夜祭の最後を飾る一曲らしい。
 僕は律に握られたままの手を少し動かした。

「もう離していいよ」
「なんで?」
「なんでって、ここに連れてくるために握ったんだろ。もう着いたじゃん」
「別に、このままでよくない?」

 律は僕の手を握り直し、指と指を絡めた。
 校庭では、選んだ相手と向かい合った生徒たちが笑っている。
 僕らは輪の外にいて、踊ってさえいない。それでも最後の曲が始まったとき、律と僕の手は確かに繋がっていた。
 律がジンクスを知っていることは、ついさっき自分で話していた。意味もわからず触れているわけではない。
 キャンプファイヤーの炎が崩れるたび、細かな火の粉が暗くなった空に昇っていく。
 視線を校庭から正面に戻すと、律は踊っている生徒たちじゃなく、僕の顔を見ていた。

「好きな人、教えてくれないのか?」
「言えないよ。誰にも話してないから」
「鷹取にも?」
「言ってない。好きな人がいるって口に出したのも、今日が初めて」

 律は繋いだ手を見下ろし、僕の手の甲を親指でなぞった。
 びっくりして手を引き戻そうとすると、逃がさないとでも言うように指に力を込められる。

「じゃあ、俺が二人目か」
「うん。さっきの子が一人目」
「鷹取より先なら、それでいい」

 順位を競うような話じゃないのに、律はわずかに口元を緩めた。
 鷹取より先に知れたことが、どうしてそんなに大事なんだろう。理由を尋ねたら、また親友だからっていう便利な言葉に誤魔化されそうで、確かめることができなかった。
 アウトロが流れ始め、校庭の輪がゆっくり止まっていく。僕は繋いだ手を見下ろしたまま、言葉の足りない時間に耐えきれず、先に逃げ道を作った。

「僕たちは踊ってないし、曲の途中でたまたま手を繋いだだけだから。ジンクスとは関係ないよね」
「別に、関係ないことにしなくてもいいだろ」

 律は指を絡めたまま、僕を見た。

「俺はめぐとジンクスの相手になっても困らないから」

 その言葉とほとんど同時に曲が終わり、校庭に拍手と歓声が広がった。
 律の手は、音楽が止まっても離れなかった。
 両想いになれるという噂を、信じるほど僕は子供じゃない。
 「困らない」なんて。僕が律から欲しいのはそんな言葉じゃない。
 それでも、美紀さんを運命だと言い切る彼が、最後の曲のあいだだけは僕を選び、その手を離さなかった。
 燃え尽きかけた薪のそばで手を繋ぐ影を見ていると、運命じゃなくても選ばれる可能性があると、律の指が語ってくれているように思えた。
 そんな都合のいい妄想をしながら、僕も律の手を強く握り返した。