期末テストが終わると、あっという間に終業式も過ぎ、僕たちは夏休みに入った。
休み中も軽音楽部の防音室は使えるけど、校内には複数のバンドがあるので、一組だけで占領するわけにはいかない。顧問が作った予定表に従って交代で練習すると、僕たちに割り当てられるのは週に二、三回だけだった。
文化祭までに新曲『現在地』をブラッシュアップして、その後にはコンクールのビデオ予選も控えている。練習時間なんていくらあっても足りないぐらいだ。
そこで僕たちは、足りない分を街のレンタルスタジオで補うことにした。
夏休みに入って最初の月曜日、駅前の繁華街にあるスタジオに四人で集まった。
雑居ビルの地下へ続く階段を下りると、壁に貼られたバンドのチラシが冷房の風に揺れ、受付の奥からは、いくつもの楽器の音が壁を隔てて聞こえてくる。
借りた部屋は学校の防音室より狭かったけど、機材はよく揃っていた。アンプの種類が違うせいで、いつもと同じ設定にしてもギターの音が少し硬く聞こえる。
僕が何度もつまみを調整していると、律がマイク越しに呼びかけてきた。
「めぐ、まだ始められない?」
「あと少し待って。学校のアンプと勝手が違うんだよ」
「そのままでも格好いいと思うけど」
「律は僕のギターなら何でも格好いいって言うじゃん」
「本当にそう聞こえるんだからしようがないじゃんか」
当然みたいな顔で答えられると、それ以上文句を言えなくなる。
僕はアンプから離れ、律の誕生日にもらった名入りのピックじゃなく、普段使っている樹脂製のものを構えた。
銀色のピックはケースごとギターバッグに入れて持ち歩いているけど、傷つけたくなくて、あれからまだ数回しか使えていない。
「始めよう。スタジオ代を無駄にできない」
創がベースを鳴らし、つばめもスティックを構える。
「僕、今日は二番に入る前のフィルを変えてみたいです。今のままだと、サビの前と似すぎてるんで」
「わかった。そこから何度か合わせよう」
つばめの提案した部分を中心に確認してから、僕たちは『現在地』を最初から通した。
創のベースが先に進む道を作り、つばめのドラムが僕たちを前へ押す。律の声が重なったところで、僕も音の隙間にギターを差し込んだ。作り始めたばかりの頃は、互いに次の音を探りながら進んでいた曲が、今では誰か一人が間違えればすぐにわかるほど、四人に馴染み始めている。
二時間の練習を終え、首元の汗をタオルで拭きながら部屋を出ると、ちょうど向かいのスタジオからも四人組のバンドが出てきた。
先頭にいたのは、青みがかった短い黒髪に、右耳だけ小さなリングピアスをつけた、見覚えのある男。鷹取蒼士だった。
「おー、めぐちゃんだ」
鷹取もすぐに僕を見つけ、ほかの三人を廊下に待たせたまま近づいてきた。
「めぐちゃんって……」
「この間、あいつが“めぐ”って呼んでたから」
鷹取は僕の隣の律を指差す。
「巡だよ。鷹取たちも、ここを使ってるんだね」
「夏休みは学校の練習室だけじゃ足りないからな。そっちも同じだろ?」
「うん。文化祭もあるし、コンクールのビデオも撮らなきゃいけないから」
鷹取たちのバンドも、僕たちと同じコンクールに出エントリーするらしい。以前ライブハウスで聞いた演奏は、高校生のバンドとは思えないほど構成も見せ方も完成されていた。客を巻き込むことに慣れていて、すでに固定のファンまでついている。
去年は一次予選で落ちた僕たちにとって、間違いなく強敵だ。
「あの曲、完成したの?」
鷹取が言う“あの曲”っていうのは、たぶん『現在地』のことだろう。
「だいたいはね。文化祭でも演奏するつもりなんだ」
「それなら聞きに行こうかな。めぐちゃんのギター、また聞きたいし」
鷹取は以前と同じように、僕の演奏だけを褒めた。自分の音を評価してもらえるのは嬉しいけど、隣にいる律が面白くなさそうな顔をすることまで、もう予想できる。
案の定、律は僕の肩が触れるところまで近づいてきた。
「鷹取、練習に来たんだよな。メンバーを待たせてるんじゃないのかよ」
「まだ予約まで時間があるから。それよりめぐちゃん、前に話したこと、考えてくれた?」
何を指しているのかは、聞き返さなくてもわかる。断ったのに、まだ諦めていなかったらしい。
「考えても答えは変わらないよ。僕は『リーインカーネーション』を辞めたりしない」
「そっちを辞めろとは言ってない。必要なライブだけ、うちで弾いてくれればいい」
「それでも無理。僕は二つのバンドを掛け持ちするほど器用じゃないし、今は新曲を完成させることに集中したいんだ」
今度こそ伝わるようにはっきり断ると、鷹取は残念そうな顔をしたものの、無理に説得をするつもりはなさそうだった。
「わかった。じゃあ、バンドの話は抜きにする」
鷹取は僕の顔を見直し、思いがけないほど気軽な口調で続けた。
「めぐちゃん、俺と付き合わない?」
何を言われたのか理解するまでに時間がかかった。
バンドの話は抜きにすると言ったばかりなのに、また別の言い方でで誘われているのか? そう受け取りかけたけど、鷹取が言っているのは、どう考えても音楽仲間としての付き合いじゃなかった。
「えっと……付き合うって、どういうこと?」
「俺と、恋人になる前提で付き合ってほしいってことだけど」
「でも、僕は……」
男なのに、と口にしかけて、言葉を止める。
男同士で付き合えるわけないって――男が男を好きになるわけがないって決めつけてしまったら、何年も律に片想いしてきた自分まで否定することになる。
鷹取は僕が何を言いかけたのかわかったらしく、右耳のリングピアスに軽く触れた。
「俺、ゲイなんだ。こいつらも知ってるし、学校でも隠してない」
彼のバンドメンバーを見ると、三人とも驚いた様子はなかった。
一人はスマートフォンをいじっているし、あとの二人は僕たちの会話を聞きながら自販機で飲み物を選んでいる。
鷹取が自分はゲイだと言うことも、男性に交際を申し込むことも、彼らにとっては騒ぐような出来事じゃないらしい。
「そんなに普通に言えるんだ」
「隠す理由がないからな。もちろん、誰にでも片っ端から話してるわけじゃないけど」
鷹取は、自分の声が周囲に聞こえることを少しも恐れていなかった。
僕も同じように言えたら、どんな感じがするんだろう。
律が好きだと、誰かに知られることを恐れず口にできたら。相手の顔色を確かめてから言葉を飲み込んだり、親友らしい冗談の中に本音を隠したりしなくてもよくなるんだろうか。
堂々と言えて、うらやましいな。
断るつもりなのに、その言葉が喉の手前で止まった。返事を迷っているわけじゃなくて、鷹取が当たり前のように認めているものを、僕はずっと一人で隠してきたのだと気づいてしまったからだ。
僕が黙っているうちに、律の腕が肩に回された。普段の馴れ馴れしい触れ方とは違い、僕を引き留めようとでもするように力が込もっている。
「めぐはお前とは付き合わない」
「おまえには聞いてない。めぐちゃんの返事を待ってるんだ」
「困ってるのを見ればわかるだろ」
「こんなところで突然言ったのは悪かったけど、返事を急かしてはいないよ。考えてから決めてもらえばいいし」
「考える必要なんかない」
僕が何も答えていないのに、律は断ることまで代わりに決めてしまう。
「律、僕が答えるよ」
「断るんだろ?」
「そのつもりだけど、僕のことなんだから」
「なら、今すぐ断れよ」
どうして律がそこまで苛立つのかわからなかった。
鷹取が僕を別のバンドに誘ったときなら、自分専属のギタリストを奪われると思うのも理解できる。
でも今は、鷹取はバンドの話を抜きにすると言った。僕が誰と付き合おうと、律には関係ないことのはずだ。
鷹取も同じ疑問を抱いたらしく、僕の肩にある腕を見た。
「お前はめぐちゃんの彼氏なのか?」
「違う。親友だ」
「それなら、交際相手まで決める権利はないだろ」
「決めてない。ただ、めぐがお前を好きじゃないってわかってるから代わりに断ってるだけだ」
「今はそうでも、これから好きになるかもしれないじゃないか」
鷹取の言葉に反応した律の指が、僕の肩を強くつかんだ。
「絶対にならない」
「ずいぶん自信があるんだな」
鷹取は僕たちを見比べ、何かに納得したように口元を緩めた。それ以上は律と争わず、僕にだけ声をかける。
「今日は答えなくていいよ。気が向いたら連絡して。前に渡した連絡先、まだ持ってるよね」
「うん。消してはいないけど」
「それならいい。また文化祭で」
仲間に呼ばれた鷹取は、黒いギターケースを背負い直し、三人と一緒に奥のスタジオに入っていった。
閉じた扉の向こうから、やがてドラムの音が聞こえ始める。
受付に次回の予約を取りに行くという創とつばめを先に行かせ、僕は肩に残った律の腕を外した。
「律、さっきのは何なんだよ」
「何って、鷹取の告白を断っただけじゃん」
「僕の代わりに答えないでよ。自分で断れるから」
「だったら、どうしてすぐに断らなかったんだ?」
律は責めるように僕を見ていた。
僕が鷹取の告白を受け入れるかもしれないと考えただけで、彼の中にはこんな顔をするほどの何かが生まれるらしい。
その正体を都合よく解釈したくなったけど、律には美紀さんがいる。
僕をバンドから引き抜こうとする鷹取への対抗心のせいかもしれない。
「鷹取が、自分はゲイだって堂々と言ったから、すごいなと思ってたんだよ」
「それと返事をためらうことに何の関係があるんだ?」
「男同士で付き合うって、どんな感じなのかなって考えてた。ちょっと興味あるかも」
口にしながら、鷹取と恋人になる自分を想像してみた。
彼なら、僕との関係を人前で隠そうとしないのだろう。好きだと言われても冗談だと疑う必要がなく、肩を抱かれた意味を一人で何日も考えることもない。
律の隣で叶わない願いを抱え続けるより、僕を選ぶと言ってくれた人に目を向けたほうがいいのかもしれない。
「試しに付き合ってみようかな」
律の眉が深く寄り、唇が固く結ばれる。
「……ふざけんなよ」
その声は獣の唸り声のように低かった。
「なんで怒るんだよ」
「鷹取は本気でめぐと付き合いたいって言ったんだぞ。それなのに、試しに付き合うなんて失礼じゃんか」
「それはそうかもしれないけど、最初から好き同士じゃなくても、付き合ってから好きになることもあるかもしれないじゃん」
「だからって、あいつを選ぶ必要はない」
「じゃあ、誰ならいいの?」
尋ねても、律は答えなかった。
「鷹取が男だから反対してるの?」
「違う。男同士かどうかなんて関係ない」
「だったら、どうしてそこまで嫌がるんだよ。僕が誰と付き合うかは僕が決めることじゃん」
律は肩から外された腕を下ろしたまま、指先だけを強く握っていた。やがて僕をまっすぐ見返し、低い声で言う。
「俺は嫌なんだ。めぐが鷹取と付き合うのは」
「だから、それがなんでなのか聞いてるんだよ」
「わかんないよ。でも、嫌なものは嫌だ」
理由もわからないのに、何を言ってるんだろう。
それを嫉妬と呼んでくれたら、僕も鷹取のように堂々と君が好きだと言えたのかもしれない。
でも、律自身がわからないものに、僕が勝手な名前をつけるわけにはいかなかった。
休み中も軽音楽部の防音室は使えるけど、校内には複数のバンドがあるので、一組だけで占領するわけにはいかない。顧問が作った予定表に従って交代で練習すると、僕たちに割り当てられるのは週に二、三回だけだった。
文化祭までに新曲『現在地』をブラッシュアップして、その後にはコンクールのビデオ予選も控えている。練習時間なんていくらあっても足りないぐらいだ。
そこで僕たちは、足りない分を街のレンタルスタジオで補うことにした。
夏休みに入って最初の月曜日、駅前の繁華街にあるスタジオに四人で集まった。
雑居ビルの地下へ続く階段を下りると、壁に貼られたバンドのチラシが冷房の風に揺れ、受付の奥からは、いくつもの楽器の音が壁を隔てて聞こえてくる。
借りた部屋は学校の防音室より狭かったけど、機材はよく揃っていた。アンプの種類が違うせいで、いつもと同じ設定にしてもギターの音が少し硬く聞こえる。
僕が何度もつまみを調整していると、律がマイク越しに呼びかけてきた。
「めぐ、まだ始められない?」
「あと少し待って。学校のアンプと勝手が違うんだよ」
「そのままでも格好いいと思うけど」
「律は僕のギターなら何でも格好いいって言うじゃん」
「本当にそう聞こえるんだからしようがないじゃんか」
当然みたいな顔で答えられると、それ以上文句を言えなくなる。
僕はアンプから離れ、律の誕生日にもらった名入りのピックじゃなく、普段使っている樹脂製のものを構えた。
銀色のピックはケースごとギターバッグに入れて持ち歩いているけど、傷つけたくなくて、あれからまだ数回しか使えていない。
「始めよう。スタジオ代を無駄にできない」
創がベースを鳴らし、つばめもスティックを構える。
「僕、今日は二番に入る前のフィルを変えてみたいです。今のままだと、サビの前と似すぎてるんで」
「わかった。そこから何度か合わせよう」
つばめの提案した部分を中心に確認してから、僕たちは『現在地』を最初から通した。
創のベースが先に進む道を作り、つばめのドラムが僕たちを前へ押す。律の声が重なったところで、僕も音の隙間にギターを差し込んだ。作り始めたばかりの頃は、互いに次の音を探りながら進んでいた曲が、今では誰か一人が間違えればすぐにわかるほど、四人に馴染み始めている。
二時間の練習を終え、首元の汗をタオルで拭きながら部屋を出ると、ちょうど向かいのスタジオからも四人組のバンドが出てきた。
先頭にいたのは、青みがかった短い黒髪に、右耳だけ小さなリングピアスをつけた、見覚えのある男。鷹取蒼士だった。
「おー、めぐちゃんだ」
鷹取もすぐに僕を見つけ、ほかの三人を廊下に待たせたまま近づいてきた。
「めぐちゃんって……」
「この間、あいつが“めぐ”って呼んでたから」
鷹取は僕の隣の律を指差す。
「巡だよ。鷹取たちも、ここを使ってるんだね」
「夏休みは学校の練習室だけじゃ足りないからな。そっちも同じだろ?」
「うん。文化祭もあるし、コンクールのビデオも撮らなきゃいけないから」
鷹取たちのバンドも、僕たちと同じコンクールに出エントリーするらしい。以前ライブハウスで聞いた演奏は、高校生のバンドとは思えないほど構成も見せ方も完成されていた。客を巻き込むことに慣れていて、すでに固定のファンまでついている。
去年は一次予選で落ちた僕たちにとって、間違いなく強敵だ。
「あの曲、完成したの?」
鷹取が言う“あの曲”っていうのは、たぶん『現在地』のことだろう。
「だいたいはね。文化祭でも演奏するつもりなんだ」
「それなら聞きに行こうかな。めぐちゃんのギター、また聞きたいし」
鷹取は以前と同じように、僕の演奏だけを褒めた。自分の音を評価してもらえるのは嬉しいけど、隣にいる律が面白くなさそうな顔をすることまで、もう予想できる。
案の定、律は僕の肩が触れるところまで近づいてきた。
「鷹取、練習に来たんだよな。メンバーを待たせてるんじゃないのかよ」
「まだ予約まで時間があるから。それよりめぐちゃん、前に話したこと、考えてくれた?」
何を指しているのかは、聞き返さなくてもわかる。断ったのに、まだ諦めていなかったらしい。
「考えても答えは変わらないよ。僕は『リーインカーネーション』を辞めたりしない」
「そっちを辞めろとは言ってない。必要なライブだけ、うちで弾いてくれればいい」
「それでも無理。僕は二つのバンドを掛け持ちするほど器用じゃないし、今は新曲を完成させることに集中したいんだ」
今度こそ伝わるようにはっきり断ると、鷹取は残念そうな顔をしたものの、無理に説得をするつもりはなさそうだった。
「わかった。じゃあ、バンドの話は抜きにする」
鷹取は僕の顔を見直し、思いがけないほど気軽な口調で続けた。
「めぐちゃん、俺と付き合わない?」
何を言われたのか理解するまでに時間がかかった。
バンドの話は抜きにすると言ったばかりなのに、また別の言い方でで誘われているのか? そう受け取りかけたけど、鷹取が言っているのは、どう考えても音楽仲間としての付き合いじゃなかった。
「えっと……付き合うって、どういうこと?」
「俺と、恋人になる前提で付き合ってほしいってことだけど」
「でも、僕は……」
男なのに、と口にしかけて、言葉を止める。
男同士で付き合えるわけないって――男が男を好きになるわけがないって決めつけてしまったら、何年も律に片想いしてきた自分まで否定することになる。
鷹取は僕が何を言いかけたのかわかったらしく、右耳のリングピアスに軽く触れた。
「俺、ゲイなんだ。こいつらも知ってるし、学校でも隠してない」
彼のバンドメンバーを見ると、三人とも驚いた様子はなかった。
一人はスマートフォンをいじっているし、あとの二人は僕たちの会話を聞きながら自販機で飲み物を選んでいる。
鷹取が自分はゲイだと言うことも、男性に交際を申し込むことも、彼らにとっては騒ぐような出来事じゃないらしい。
「そんなに普通に言えるんだ」
「隠す理由がないからな。もちろん、誰にでも片っ端から話してるわけじゃないけど」
鷹取は、自分の声が周囲に聞こえることを少しも恐れていなかった。
僕も同じように言えたら、どんな感じがするんだろう。
律が好きだと、誰かに知られることを恐れず口にできたら。相手の顔色を確かめてから言葉を飲み込んだり、親友らしい冗談の中に本音を隠したりしなくてもよくなるんだろうか。
堂々と言えて、うらやましいな。
断るつもりなのに、その言葉が喉の手前で止まった。返事を迷っているわけじゃなくて、鷹取が当たり前のように認めているものを、僕はずっと一人で隠してきたのだと気づいてしまったからだ。
僕が黙っているうちに、律の腕が肩に回された。普段の馴れ馴れしい触れ方とは違い、僕を引き留めようとでもするように力が込もっている。
「めぐはお前とは付き合わない」
「おまえには聞いてない。めぐちゃんの返事を待ってるんだ」
「困ってるのを見ればわかるだろ」
「こんなところで突然言ったのは悪かったけど、返事を急かしてはいないよ。考えてから決めてもらえばいいし」
「考える必要なんかない」
僕が何も答えていないのに、律は断ることまで代わりに決めてしまう。
「律、僕が答えるよ」
「断るんだろ?」
「そのつもりだけど、僕のことなんだから」
「なら、今すぐ断れよ」
どうして律がそこまで苛立つのかわからなかった。
鷹取が僕を別のバンドに誘ったときなら、自分専属のギタリストを奪われると思うのも理解できる。
でも今は、鷹取はバンドの話を抜きにすると言った。僕が誰と付き合おうと、律には関係ないことのはずだ。
鷹取も同じ疑問を抱いたらしく、僕の肩にある腕を見た。
「お前はめぐちゃんの彼氏なのか?」
「違う。親友だ」
「それなら、交際相手まで決める権利はないだろ」
「決めてない。ただ、めぐがお前を好きじゃないってわかってるから代わりに断ってるだけだ」
「今はそうでも、これから好きになるかもしれないじゃないか」
鷹取の言葉に反応した律の指が、僕の肩を強くつかんだ。
「絶対にならない」
「ずいぶん自信があるんだな」
鷹取は僕たちを見比べ、何かに納得したように口元を緩めた。それ以上は律と争わず、僕にだけ声をかける。
「今日は答えなくていいよ。気が向いたら連絡して。前に渡した連絡先、まだ持ってるよね」
「うん。消してはいないけど」
「それならいい。また文化祭で」
仲間に呼ばれた鷹取は、黒いギターケースを背負い直し、三人と一緒に奥のスタジオに入っていった。
閉じた扉の向こうから、やがてドラムの音が聞こえ始める。
受付に次回の予約を取りに行くという創とつばめを先に行かせ、僕は肩に残った律の腕を外した。
「律、さっきのは何なんだよ」
「何って、鷹取の告白を断っただけじゃん」
「僕の代わりに答えないでよ。自分で断れるから」
「だったら、どうしてすぐに断らなかったんだ?」
律は責めるように僕を見ていた。
僕が鷹取の告白を受け入れるかもしれないと考えただけで、彼の中にはこんな顔をするほどの何かが生まれるらしい。
その正体を都合よく解釈したくなったけど、律には美紀さんがいる。
僕をバンドから引き抜こうとする鷹取への対抗心のせいかもしれない。
「鷹取が、自分はゲイだって堂々と言ったから、すごいなと思ってたんだよ」
「それと返事をためらうことに何の関係があるんだ?」
「男同士で付き合うって、どんな感じなのかなって考えてた。ちょっと興味あるかも」
口にしながら、鷹取と恋人になる自分を想像してみた。
彼なら、僕との関係を人前で隠そうとしないのだろう。好きだと言われても冗談だと疑う必要がなく、肩を抱かれた意味を一人で何日も考えることもない。
律の隣で叶わない願いを抱え続けるより、僕を選ぶと言ってくれた人に目を向けたほうがいいのかもしれない。
「試しに付き合ってみようかな」
律の眉が深く寄り、唇が固く結ばれる。
「……ふざけんなよ」
その声は獣の唸り声のように低かった。
「なんで怒るんだよ」
「鷹取は本気でめぐと付き合いたいって言ったんだぞ。それなのに、試しに付き合うなんて失礼じゃんか」
「それはそうかもしれないけど、最初から好き同士じゃなくても、付き合ってから好きになることもあるかもしれないじゃん」
「だからって、あいつを選ぶ必要はない」
「じゃあ、誰ならいいの?」
尋ねても、律は答えなかった。
「鷹取が男だから反対してるの?」
「違う。男同士かどうかなんて関係ない」
「だったら、どうしてそこまで嫌がるんだよ。僕が誰と付き合うかは僕が決めることじゃん」
律は肩から外された腕を下ろしたまま、指先だけを強く握っていた。やがて僕をまっすぐ見返し、低い声で言う。
「俺は嫌なんだ。めぐが鷹取と付き合うのは」
「だから、それがなんでなのか聞いてるんだよ」
「わかんないよ。でも、嫌なものは嫌だ」
理由もわからないのに、何を言ってるんだろう。
それを嫉妬と呼んでくれたら、僕も鷹取のように堂々と君が好きだと言えたのかもしれない。
でも、律自身がわからないものに、僕が勝手な名前をつけるわけにはいかなかった。

