校門を出て、二人はいつもの土手沿いを歩いていた。
夕暮れの風が、火照った琉生の頬を冷ましていく。
いつもなら学校であったことや結衣たちの話をする帰り道なのに、今日は琉生の口数が少なかった。
「……なあ、乃愛」
「うん?」
少しの沈黙のあと、琉生がぽつりと口を開いた。
「俺さ……最近、全然ダメなんだよな」
乃愛は何も言わず、隣を歩く。
「前なら普通に抜けてたところで取られるし、パスもズレるし。今日だって何回ミスったか分かんねー」
琉生は足元の小石を軽く蹴った。
「あと二週間しかないのにさ」
「……うん」
「スカウトが本当に来るかどうかだって、まだ分かんねーけど……来るかもって思ったら、余計にちゃんとやんなきゃって」
笑おうとした口元が、少しだけ歪む。
「こんなんで見てもらって、何になるんだろうな」
その言葉に、乃愛の胸がきゅっと締めつけられた。
いつも「大丈夫」と笑っている琉生。
みんなの前では明るくて、誰かが不安になれば真っ先に声をかける。
そんな琉生が今、自分にだけ弱いところを見せてくれている。
乃愛は少し考えてから、ゆっくり口を開いた。
「私……サッカーのことは、そんなに詳しくないから」
「ん?」
「琉生くんに、どうしたらいいとか……そういうことは言えないけど」
一度俯き、それでも伝えたくて、もう一度琉生を見上げる。
「でも、琉生くんが頑張ってることは……ずっと見てたよ」
「……え?」
「だから、今まで頑張ってきたことまで、信じられなくならないでほしい」
琉生が足を止めた。
乃愛も立ち止まり、彼の正面へ回る。
「うまくできない日があっても、琉生くんが頑張ってきたことは、なくならないよ」
「乃愛……」
「それに……」
乃愛は少しだけ迷ったあと、胸の前で小さく手を握った。
そして、その拳を琉生の胸元へ差し出す。
「焦ったら……これ」
「……え?」
琉生が目を瞬かせる。
乃愛は差し出した拳を、ゆっくりと回した。
ぐる、ぐる。
二回。
「一回、深呼吸して……思い出して」
「何を?」
乃愛は少しだけ迷った。
それでも、まっすぐに琉生を見つめる。
「……琉生くんが、自分のこと信じられなくなったときは」
小さく息を吸って、言葉を続けた。
「琉生くんなら大丈夫って信じてる――私のこと、思い出して」
「……乃愛」
「私が信じてるから。だから……一人で全部、頑張ろうとしないで?」
琉生の目が、わずかに見開かれた。
夕暮れの土手に、しばらく二人の声が途切れる。
焦りが消えたわけではない。
二週間後の試合が大事なことも、思うようなプレーができていないことも変わらない。
それでも――。
さっきまで一人で抱えていた重さが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
(そっか……)
自分は、一人で戦っているわけじゃない。
ピッチには颯人や仲間たちがいる。
そして、ピッチの外にも――。
自分がどれだけ格好悪くても、ずっと見てくれている人がいる。
琉生は目の前にある乃愛の小さな拳を、両手でそっと包んだ。
「……ありがとう、乃愛」
「ううん」
「なんか、ちょっと吹き飛んだ」
そう言って笑ったあとも、琉生は乃愛の手を離さなかった。
「……琉生くん?」
名前を呼ばれた次の瞬間。
包んでいた手をそっと引き寄せ、そのまま乃愛を抱きしめる。
「わっ……」
突然近くなった距離に驚きながらも、乃愛はその腕の中で力を抜いた。
「……やっぱ、お前すげーな」
「わ、私は全然……」
琉生の胸元で、乃愛は小さく首を振る。
「ただ……琉生くんのこと、見てただけ、だよ?」
「…………」
その一言に、琉生の動きが止まった。
(あーもう、それがずるいんだって……)
胸の奥が、今度は別の意味で騒がしくなる。
ずっと見ていた。
信じている。
たったそれだけの言葉なのに、乃愛が言うと、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
「……それ、反則」
「え?」
「今それ言うの、マジでだめ」
意味が分からないのか、乃愛が琉生の腕の中からきょとんと見上げる。
その顔を見た瞬間――。
琉生は、さらに困ったように眉を下げた。
「……そういう顔も、だめ」
「えっ?」
「……だから」
琉生は抱きしめていた腕を少しだけ緩めた。
離れるためではなく、腕の中にいる乃愛の顔を見るために。
片方の手をそっと上げ、乃愛の頬に触れる。
すぐ近くで、二人の瞳が重なった。
さっきまで笑っていた乃愛も、琉生の表情が変わったことに気づいたのか、触れられた頬が少しずつ熱を帯びていく。
「……乃愛」
「……うん」
名前を呼ばれて、乃愛は小さく返事をした。
琉生がゆっくりと顔を近づける。
その意味に気づいた乃愛の胸が、大きく跳ねた。
それでも目を逸らすことなく、そっと瞳を閉じる。
そして――。
二人の唇が、ほんの少しだけ重なった。
すぐに離れたはずなのに。
乃愛の心臓は、さっきまでとは比べものにならないほど大きな音を立てていた。
ゆっくり目を開けると、目の前の琉生も耳まで赤くなっている。
抱きしめた腕は、そのまま離れない。
「…………」
「…………」
先に視線を逸らしたのは、琉生だった。
「……やば」
「え?」
「なんか俺……さっきまで悩んでたのに」
琉生は照れたように笑う。
「今、別の意味で何も考えらんない」
「えっ……」
その意味に気づいた乃愛の頬が、さらに熱くなる。
「そ、それは……私も……」
「……乃愛も?」
「っ……!」
思わずこぼれた言葉を拾われて、乃愛は慌てて琉生の胸元へ顔を伏せた。
「い、今のなし……!」
「なしにしない」
「えっ」
「聞いたから」
「もう……!」
乃愛が恥ずかしそうに顔を隠すと、琉生の口元にようやく、いつもの笑顔が戻った。
もう一度、二人の笑い声が夕暮れの土手に重なった。
不安がなくなったわけじゃない。
二週間後には、大切な試合が待っている。
思うようなプレーができるかも、スカウトの前で自分の力を出し切れるかも、まだ分からない。
それでも――。
自分を信じられなくなったとき。
自分以上に、自分を信じてくれている人がいる。
そのことを、今はちゃんと覚えていられる。
やがて琉生は名残惜しそうに腕をほどくと、今度は乃愛の手を握った。
「……帰ろっか」
「うん」
二人は手を繋いだまま、夕暮れの土手を歩き出す。
さっきより少しだけ近い距離で。
そして、さっきより少しだけ軽くなった心で――。
夕暮れの風が、火照った琉生の頬を冷ましていく。
いつもなら学校であったことや結衣たちの話をする帰り道なのに、今日は琉生の口数が少なかった。
「……なあ、乃愛」
「うん?」
少しの沈黙のあと、琉生がぽつりと口を開いた。
「俺さ……最近、全然ダメなんだよな」
乃愛は何も言わず、隣を歩く。
「前なら普通に抜けてたところで取られるし、パスもズレるし。今日だって何回ミスったか分かんねー」
琉生は足元の小石を軽く蹴った。
「あと二週間しかないのにさ」
「……うん」
「スカウトが本当に来るかどうかだって、まだ分かんねーけど……来るかもって思ったら、余計にちゃんとやんなきゃって」
笑おうとした口元が、少しだけ歪む。
「こんなんで見てもらって、何になるんだろうな」
その言葉に、乃愛の胸がきゅっと締めつけられた。
いつも「大丈夫」と笑っている琉生。
みんなの前では明るくて、誰かが不安になれば真っ先に声をかける。
そんな琉生が今、自分にだけ弱いところを見せてくれている。
乃愛は少し考えてから、ゆっくり口を開いた。
「私……サッカーのことは、そんなに詳しくないから」
「ん?」
「琉生くんに、どうしたらいいとか……そういうことは言えないけど」
一度俯き、それでも伝えたくて、もう一度琉生を見上げる。
「でも、琉生くんが頑張ってることは……ずっと見てたよ」
「……え?」
「だから、今まで頑張ってきたことまで、信じられなくならないでほしい」
琉生が足を止めた。
乃愛も立ち止まり、彼の正面へ回る。
「うまくできない日があっても、琉生くんが頑張ってきたことは、なくならないよ」
「乃愛……」
「それに……」
乃愛は少しだけ迷ったあと、胸の前で小さく手を握った。
そして、その拳を琉生の胸元へ差し出す。
「焦ったら……これ」
「……え?」
琉生が目を瞬かせる。
乃愛は差し出した拳を、ゆっくりと回した。
ぐる、ぐる。
二回。
「一回、深呼吸して……思い出して」
「何を?」
乃愛は少しだけ迷った。
それでも、まっすぐに琉生を見つめる。
「……琉生くんが、自分のこと信じられなくなったときは」
小さく息を吸って、言葉を続けた。
「琉生くんなら大丈夫って信じてる――私のこと、思い出して」
「……乃愛」
「私が信じてるから。だから……一人で全部、頑張ろうとしないで?」
琉生の目が、わずかに見開かれた。
夕暮れの土手に、しばらく二人の声が途切れる。
焦りが消えたわけではない。
二週間後の試合が大事なことも、思うようなプレーができていないことも変わらない。
それでも――。
さっきまで一人で抱えていた重さが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
(そっか……)
自分は、一人で戦っているわけじゃない。
ピッチには颯人や仲間たちがいる。
そして、ピッチの外にも――。
自分がどれだけ格好悪くても、ずっと見てくれている人がいる。
琉生は目の前にある乃愛の小さな拳を、両手でそっと包んだ。
「……ありがとう、乃愛」
「ううん」
「なんか、ちょっと吹き飛んだ」
そう言って笑ったあとも、琉生は乃愛の手を離さなかった。
「……琉生くん?」
名前を呼ばれた次の瞬間。
包んでいた手をそっと引き寄せ、そのまま乃愛を抱きしめる。
「わっ……」
突然近くなった距離に驚きながらも、乃愛はその腕の中で力を抜いた。
「……やっぱ、お前すげーな」
「わ、私は全然……」
琉生の胸元で、乃愛は小さく首を振る。
「ただ……琉生くんのこと、見てただけ、だよ?」
「…………」
その一言に、琉生の動きが止まった。
(あーもう、それがずるいんだって……)
胸の奥が、今度は別の意味で騒がしくなる。
ずっと見ていた。
信じている。
たったそれだけの言葉なのに、乃愛が言うと、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
「……それ、反則」
「え?」
「今それ言うの、マジでだめ」
意味が分からないのか、乃愛が琉生の腕の中からきょとんと見上げる。
その顔を見た瞬間――。
琉生は、さらに困ったように眉を下げた。
「……そういう顔も、だめ」
「えっ?」
「……だから」
琉生は抱きしめていた腕を少しだけ緩めた。
離れるためではなく、腕の中にいる乃愛の顔を見るために。
片方の手をそっと上げ、乃愛の頬に触れる。
すぐ近くで、二人の瞳が重なった。
さっきまで笑っていた乃愛も、琉生の表情が変わったことに気づいたのか、触れられた頬が少しずつ熱を帯びていく。
「……乃愛」
「……うん」
名前を呼ばれて、乃愛は小さく返事をした。
琉生がゆっくりと顔を近づける。
その意味に気づいた乃愛の胸が、大きく跳ねた。
それでも目を逸らすことなく、そっと瞳を閉じる。
そして――。
二人の唇が、ほんの少しだけ重なった。
すぐに離れたはずなのに。
乃愛の心臓は、さっきまでとは比べものにならないほど大きな音を立てていた。
ゆっくり目を開けると、目の前の琉生も耳まで赤くなっている。
抱きしめた腕は、そのまま離れない。
「…………」
「…………」
先に視線を逸らしたのは、琉生だった。
「……やば」
「え?」
「なんか俺……さっきまで悩んでたのに」
琉生は照れたように笑う。
「今、別の意味で何も考えらんない」
「えっ……」
その意味に気づいた乃愛の頬が、さらに熱くなる。
「そ、それは……私も……」
「……乃愛も?」
「っ……!」
思わずこぼれた言葉を拾われて、乃愛は慌てて琉生の胸元へ顔を伏せた。
「い、今のなし……!」
「なしにしない」
「えっ」
「聞いたから」
「もう……!」
乃愛が恥ずかしそうに顔を隠すと、琉生の口元にようやく、いつもの笑顔が戻った。
もう一度、二人の笑い声が夕暮れの土手に重なった。
不安がなくなったわけじゃない。
二週間後には、大切な試合が待っている。
思うようなプレーができるかも、スカウトの前で自分の力を出し切れるかも、まだ分からない。
それでも――。
自分を信じられなくなったとき。
自分以上に、自分を信じてくれている人がいる。
そのことを、今はちゃんと覚えていられる。
やがて琉生は名残惜しそうに腕をほどくと、今度は乃愛の手を握った。
「……帰ろっか」
「うん」
二人は手を繋いだまま、夕暮れの土手を歩き出す。
さっきより少しだけ近い距離で。
そして、さっきより少しだけ軽くなった心で――。

