《震える心、届いた想い》
合唱コンクール本番――。
舞台袖まで響いてくる他クラスの歌声が、
壁を震わせていた。
扉一枚向こうには、大勢の観客が待つホール。
出番を待つ二年生たちの間には、
いつもの教室とはまるで違う、
張りつめた空気が漂っている。
「やばい、めっちゃ緊張してきた……」
「俺、声出なかったらどうしよう」
「大丈夫だって!
昨日めっちゃよかったじゃん!」
クラスメイトたちは、
小声で話したり、
何度も深呼吸したり、
それぞれの方法で緊張を紛らわせている。
少し離れたところでは、
結衣とひまりも肩を寄せ合っていた。
颯人もいつもの余裕のある表情を見せながら、
どこか落ち着かない様子で
ステージのほうを気にしている。
そして――。
琉生は一人、
手元の楽譜をじっと見つめていた。
「……ふぅ」
ゆっくりと息を吐く。もう一度。
それでも、
胸の鼓動はなかなか静まってくれない。
――やべえ。
琉生は楽譜を持つ手へ、少しだけ力を込めた。
さっきまでクラスのみんなには、
「いつも通りいこーぜ! 絶対大丈夫だから!」
なんて笑っていた。
けれど、本当は自分だって緊張している。
指揮者として前に立つ。
自分がテンポを間違えれば、
後ろにいるクラス全員を迷わせることになる。
そして何より――。
乃愛のピアノを迷わせたくない。
何度も二人で合わせてきた、あのテンポ。
明日のために――いや、
今日のために積み重ねてきた時間。
それを思えば思うほど、
指揮棒を握る手のひらに汗がにじんだ。
そのとき。
「……琉生くん」
聞き慣れた、優しい声。
琉生が振り返る。
「あ、乃愛」
そこには、
本番を目前にした乃愛が立っていた。
琉生は反射的に、いつもの笑顔を作る。
「……緊張してねーよ?
全然。いつも通りだから!」
「……」
乃愛は何も言わない。
ただ、琉生の顔をじっと見つめている。
「……なんだよ」
「ふふっ」
「なんで笑うんだよ!」
「だって……」
乃愛は少しだけ困ったように、
それでも優しく笑った。
「琉生くん、昨日のLINEでは
『俺も準備完了』って言ってたのに」
「準備はできてるって!」
「……緊張は?」
「してない」
「ほんとに?」
「……ちょっとだけ」
乃愛の笑みが、もう少し大きくなる。
「やっぱり」
「……乃愛には隠せねーな」
琉生も観念したように笑った。
その表情を見て、
乃愛の肩からも少し力が抜ける。
「それで……」
乃愛は手に持っていたものを、
琉生へ差し出した。
綺麗に折り畳まれた、本番用のプログラム。
「これ……昨日の夜、
部屋で見てたら、渡したくなって」
「俺に?」
「……うん。開いてみて」
琉生は乃愛からプログラムを受け取った。
ゆっくりと開く。
そこに並んでいる、二人の名前。
指揮:羽瀬 琉生
伴奏:白石 乃愛
そして、そのすぐ上。
二人の名前をつなぐように――。
鮮やかな、ひまわり色の付箋が貼られていた。
琉生の目が止まる。
そこには、乃愛の文字で――。
『世界で一番かっこいい指揮を見せてね。
私も、琉生くんの隣で、
最高のピアノを弾きます。 乃愛』
胸が、大きく鳴った。
さっきまで身体の中にあった冷たい緊張が、
別の熱へ変わっていく。
乃愛は少し恥ずかしそうに俯いている。
「……昨日、書いたの」
「乃愛」
「な、なに?」
琉生は熱くなった顔を誤魔化すように、
くしゃっと自分の髪を掻いた。
「……ずるいわ」
「えっ?」
「こんなの本番前に見せられたらさ」
もう一度、付箋を見る。
そして乃愛へ視線を戻した。
「世界一かっこいい
指揮者になるしかないじゃん」
「……っ」
今度は乃愛の頬まで赤くなる。
「もう……そういうこと言う」
「乃愛が先に書いたんだろ?」
「それは、そうだけど……」
二人の間に、小さな笑いがこぼれた。
ほんの数秒前までそこにあった緊張が、
少しだけ遠ざかる。
琉生はプログラムを丁寧に折り畳んだ。
そして、
制服の左胸の内ポケットへ、
大切そうにしまう。
心臓に一番近い場所。
昨日、
自分のひまわり色の付箋を
入れようと決めていた、特等席。
「これで二枚になったな」
「二枚?」
「こっちも持ってきてる」
琉生が胸元を軽く指で叩く。
乃愛はすぐに気づいた。
夏休みに、
自分が琉生へ渡した
もう一枚のひまわり色の付箋。
「……持ってきてくれたの?」
「当たり前だろ」
「……そっか」
乃愛は嬉しそうに笑った。
その顔を見て、琉生も笑う。
けれど――。
ふと、乃愛の手元へ目が向いた。
両手を胸の前で重ねている。
その指先が、ほんの少し震えていた。
「……乃愛、手」
「え?」
乃愛が自分の手を見る。
「震えてる」
「……っ」
慌てて後ろへ隠そうとした。
「だ、大丈夫だよ」
「それ、さっき俺も言った」
「……あ」
琉生が笑う。
「お互いさまだな」
乃愛も困ったように笑った。
「……ちょっとだけ、緊張してる」
「ちょっとだけ?」
「……すごく」
「だろうな」
「もう……」
琉生は笑いながら、乃愛へ一歩近づいた。
乃愛が不思議そうに見上げる。
「琉生くん……?」
そして――。
合唱コンクール本番――。
舞台袖まで響いてくる他クラスの歌声が、
壁を震わせていた。
扉一枚向こうには、大勢の観客が待つホール。
出番を待つ二年生たちの間には、
いつもの教室とはまるで違う、
張りつめた空気が漂っている。
「やばい、めっちゃ緊張してきた……」
「俺、声出なかったらどうしよう」
「大丈夫だって!
昨日めっちゃよかったじゃん!」
クラスメイトたちは、
小声で話したり、
何度も深呼吸したり、
それぞれの方法で緊張を紛らわせている。
少し離れたところでは、
結衣とひまりも肩を寄せ合っていた。
颯人もいつもの余裕のある表情を見せながら、
どこか落ち着かない様子で
ステージのほうを気にしている。
そして――。
琉生は一人、
手元の楽譜をじっと見つめていた。
「……ふぅ」
ゆっくりと息を吐く。もう一度。
それでも、
胸の鼓動はなかなか静まってくれない。
――やべえ。
琉生は楽譜を持つ手へ、少しだけ力を込めた。
さっきまでクラスのみんなには、
「いつも通りいこーぜ! 絶対大丈夫だから!」
なんて笑っていた。
けれど、本当は自分だって緊張している。
指揮者として前に立つ。
自分がテンポを間違えれば、
後ろにいるクラス全員を迷わせることになる。
そして何より――。
乃愛のピアノを迷わせたくない。
何度も二人で合わせてきた、あのテンポ。
明日のために――いや、
今日のために積み重ねてきた時間。
それを思えば思うほど、
指揮棒を握る手のひらに汗がにじんだ。
そのとき。
「……琉生くん」
聞き慣れた、優しい声。
琉生が振り返る。
「あ、乃愛」
そこには、
本番を目前にした乃愛が立っていた。
琉生は反射的に、いつもの笑顔を作る。
「……緊張してねーよ?
全然。いつも通りだから!」
「……」
乃愛は何も言わない。
ただ、琉生の顔をじっと見つめている。
「……なんだよ」
「ふふっ」
「なんで笑うんだよ!」
「だって……」
乃愛は少しだけ困ったように、
それでも優しく笑った。
「琉生くん、昨日のLINEでは
『俺も準備完了』って言ってたのに」
「準備はできてるって!」
「……緊張は?」
「してない」
「ほんとに?」
「……ちょっとだけ」
乃愛の笑みが、もう少し大きくなる。
「やっぱり」
「……乃愛には隠せねーな」
琉生も観念したように笑った。
その表情を見て、
乃愛の肩からも少し力が抜ける。
「それで……」
乃愛は手に持っていたものを、
琉生へ差し出した。
綺麗に折り畳まれた、本番用のプログラム。
「これ……昨日の夜、
部屋で見てたら、渡したくなって」
「俺に?」
「……うん。開いてみて」
琉生は乃愛からプログラムを受け取った。
ゆっくりと開く。
そこに並んでいる、二人の名前。
指揮:羽瀬 琉生
伴奏:白石 乃愛
そして、そのすぐ上。
二人の名前をつなぐように――。
鮮やかな、ひまわり色の付箋が貼られていた。
琉生の目が止まる。
そこには、乃愛の文字で――。
『世界で一番かっこいい指揮を見せてね。
私も、琉生くんの隣で、
最高のピアノを弾きます。 乃愛』
胸が、大きく鳴った。
さっきまで身体の中にあった冷たい緊張が、
別の熱へ変わっていく。
乃愛は少し恥ずかしそうに俯いている。
「……昨日、書いたの」
「乃愛」
「な、なに?」
琉生は熱くなった顔を誤魔化すように、
くしゃっと自分の髪を掻いた。
「……ずるいわ」
「えっ?」
「こんなの本番前に見せられたらさ」
もう一度、付箋を見る。
そして乃愛へ視線を戻した。
「世界一かっこいい
指揮者になるしかないじゃん」
「……っ」
今度は乃愛の頬まで赤くなる。
「もう……そういうこと言う」
「乃愛が先に書いたんだろ?」
「それは、そうだけど……」
二人の間に、小さな笑いがこぼれた。
ほんの数秒前までそこにあった緊張が、
少しだけ遠ざかる。
琉生はプログラムを丁寧に折り畳んだ。
そして、
制服の左胸の内ポケットへ、
大切そうにしまう。
心臓に一番近い場所。
昨日、
自分のひまわり色の付箋を
入れようと決めていた、特等席。
「これで二枚になったな」
「二枚?」
「こっちも持ってきてる」
琉生が胸元を軽く指で叩く。
乃愛はすぐに気づいた。
夏休みに、
自分が琉生へ渡した
もう一枚のひまわり色の付箋。
「……持ってきてくれたの?」
「当たり前だろ」
「……そっか」
乃愛は嬉しそうに笑った。
その顔を見て、琉生も笑う。
けれど――。
ふと、乃愛の手元へ目が向いた。
両手を胸の前で重ねている。
その指先が、ほんの少し震えていた。
「……乃愛、手」
「え?」
乃愛が自分の手を見る。
「震えてる」
「……っ」
慌てて後ろへ隠そうとした。
「だ、大丈夫だよ」
「それ、さっき俺も言った」
「……あ」
琉生が笑う。
「お互いさまだな」
乃愛も困ったように笑った。
「……ちょっとだけ、緊張してる」
「ちょっとだけ?」
「……すごく」
「だろうな」
「もう……」
琉生は笑いながら、乃愛へ一歩近づいた。
乃愛が不思議そうに見上げる。
「琉生くん……?」
そして――。

