隣の席だったキミとひみつの合図 ~強い絆と恋の充電。支え合い、乗り越える力がある~

《突然の彼女宣言、無敵のクラス》
放課後の音楽室は、
合唱コンクールを2週間後に控えた
クラスメイトたちの熱気で、
少し汗ばむような空気が満ちていた。


黒板に大きく書かれた
『金賞を獲る!』の文字の前で、
クラスの中心になって男子たちを
引っ張っているのは琉生くんだ。


「指揮者」として
堂々と声を張る彼の姿は眩しくて、
私は少し離れたピアノの椅子に座りながら、
ただ見惚れることしかできない。


付き合っていることは、まだ誰にも内緒。


だからこうして、
みんなの輪から一歩引いた特等席で
楽譜にメモを書き留めるのが、
今の私にできる精一杯だった。


そんな時、
一人の男子生徒の大きな声が、
楽しげなざわめきを切り裂いた。


「なあ、伴奏の白石さ、
最近めちゃくちゃピアノ上手くなってない?
指の動きとかヤバいし、
なんか急に大人っぽくなったっていうか。

可愛くなったよな。
……もしかして、
好きな人でもできたんじゃね?」


「ちょっと、男子! からかわないの。
白石さん困ってるじゃん」


心臓が、
ドキンと嫌な音を立てて跳ね上がった。


クラス全員の視線が、一斉に私へと突き刺さる。


急に体温が上がったみたいに顔が熱くなって、
私はたまらず俯き、
抱きしめるようにして楽譜で顔を隠した。


「いやいや、マジだって!
ほら、この歌詞ってさ、めっちゃ純愛じゃん?
誰かを想って弾いてるのかなーって。
……なあ白石、ぶっちゃけ誰よ?」


「おいおい、それってまさか
……同じクラスの奴だったりして?」


「えー! 誰々!?」


「教えろよー!」


面白がるみんなの声が、音楽室中に響き渡る。


人前に出るのが苦手な私にとって、
この状況はまるで針のむしろだった。


どうしていいか分からなくて、
視界が涙でじんわりと滲み、
鍵盤の上に置いた指先が細かく震え始める。


(どうしよう……。誰か、助けて……)


心の中でそう呟いた瞬間だった。


――ガツン!


音楽室の床を踏み鳴らす、荒々しい足音が響く。


さっきまで私の心を
追い詰めていた男子の頭を、
丸めた楽譜がポンと叩いた。


「おい。そこまでにしとけ、お前ら」


いつもクラスを
笑わせている琉生くんの声だった。


だけど、
聞いたこともないくらい低くて、
少しだけ怒っているようなその声に、
音楽室の騒ぎがピタッと止まる。


息を呑んで見上げると、
琉生くんがみんなの間を割って、
迷いのない足取りで
真っ直ぐ私の方へと歩いてきた。


そして、
私のすぐ隣──ピアノの端に、
大きな手をドンとついた。


私の前に立ちはだかる彼の背中が、
周囲の突き刺さるような視線を、
全部代わりに遮ってくれる。


「おい、人の彼女捕まえて、
何勝手に可愛くなったとか言ってんだよ」


「……え?」


クラス一同が。


一瞬。


琉生くんが何を言ったのか
理解できないというように、息を止めた。


凍りついたように静まり返る音楽室。


誰もが言葉を失い、動くことすら忘れている。


琉生くんは、
ピアノの上にあった私のプログラム
──『指揮:羽瀬 琉生 / 伴奏:白石 乃愛』
の文字を、力強く指でポンポンと叩いた。


そして、いつもの悪戯っぽい、
でも誰にも文句を言わせない
男らしい笑顔で、
クラスのみんなを見渡した。


「白石さんは、俺の彼女。 
だから、他の奴が勝手に可愛くなったとか
気付かなくていーの。……なぁ、乃愛?」


不意に、みんなの前で名前を呼ばれた。


驚きでバッと顔を上げると、
私を見下ろす琉生くんの瞳と、
真っ直ぐに視線が重なった。


その目は、
さっきの冷たいトーンとは全然違う。


いつだって私を世界で一番大切に、
愛おしそうに想ってくれていた
――私の「彼氏」の、
優しくて、とても強い目だった。


滲む涙をそっと指先で拭って、
私は彼のまぶしい眼差しを
まっすぐに見つめ返す。


学校中を敵に回したって構わない。


この人の隣に並んで、ふたりでなら、
どんな未来だって絶対に乗り越えていける。


そんな確かな勇気が、私の胸の奥に溢れていた。


「――うん」


私は、クラスのみんなの前で初めて、
コクンと小さく、けれどはっきりと、
声に出して頷いてみせた。


その一瞬の静寂の後、
音楽室が爆発したような大騒ぎに包まれる。


「うおおおおマジかよ羽瀬‼」


「特等席はお前かよ!」と叫ぶ男子たち。


だけど、そんな騒ぎなんて、
今の私には全く聞こえなくなっていた。


琉生くんが、私の耳元に
そっと顔を近づけてきたからだ。


みんなの歓声に紛れさせるように、
私の鼓膜にだけ届く低い声で、彼は囁いた。


「……まじ。
他の奴に可愛いなんて言われるの、
めちゃくちゃ面白くない。
驚かせてごめんな」


耳に触れた熱い吐息と、
独占欲の混じった彼の本音。


私は大丈夫と、首を横に振った。


でも心臓は、
さっきの緊張とは比べものにならないくらい、
うるさいほどにドクドクと跳ね狂った。


嬉しさと恥ずかしさで、
顔が爆発しそうに熱くなる。


琉生くんは私に
小さくウインクをしてみせると、
パッと身体を離して右手を高く挙げた。


「ほら、冷やかすのは終わり!
指揮者と伴奏者が付き合ってんだから、
今年のウチのクラスは無敵だろ?
絶対に金賞獲るぞ。

──さあ、男子! サボってないで並べ!
パート練習の続きやるぞ!」


「よっしゃあ!」と一気に沸き立つ男子たち。


音楽室の空気は、冷やかしから、
二人を応援して一つの目標へ向かう、
ものすごい団結力へと変わっていった。


その圧倒的な熱気の中、
私の元へと一直線に
駆け寄ってくる足音が二つ、聞こえた。


「乃愛――っ‼」


大粒の涙をためた結衣が、
勢いよく私の体に抱きついてきた。


ぎゅっと壊れそうなほど強く抱きしめられ、
結衣の温かい体温が私の胸に飛び込んでくる。


「もうっ、本当にびっくりしたんだから!
良かった、本当に良かった……っ!」


「乃愛ちゃん、本当に、おめでとう……っ」


結衣の後ろから駆け寄ってきたひまりも、
涙で目を潤ませながら、
私たちの体を包み込むように
そっと抱きしめてくれた。


いつも人の話を聞いて
応援してばかりだった二人が、今、
自分のこと以上に泣いて、喜んでくれている。


「結衣、ひまり……っ、ありがとう……」


二人の優しいぬくもりに包まれながら、
私はこらえきれずに、
今度は嬉しさの涙をぽろぽろとこぼした。


大好きな親友たちの腕に包まれながら、
私がふと顔を上げると、
自分の定位置へと戻っていく
琉生くんの姿が視界に映った。


彼は教壇のステップを上りながら、
ふと足を止めて振り返ると、
私たち三人の姿を
優しく見守るようにじっと見つめた。


それから、心底嬉しそうに、
フッと口元を優しく緩めて
微笑みかけてくれた。


西日が差し込む音楽室の光の中で、
彼のそのまぶしい笑顔が、
私の胸の奥に
一番大切な宝物として新しく刻まれる。


みんなの前で堂々と『俺の彼女』
と言って私を守ってくれた琉生くん。


あんなに恥ずかしくて、あんなに驚いたのに。


今、胸に残っているのは、
不思議なくらいあたたかな気持ちだった。


これまでずっと、
学校では他人のふりをしてきた私たち。


でも今日からは、少しだけ違う。


廊下ですれ違っても、
教室で隣にいても、
もう隠さずにいられるんだ。


私たちは、ちゃんとお互いを選んだんだ。


そう思うと、胸の奥がじんわり熱くなった。


教壇の前でみんなをまとめる
琉生くんの背中を見つめながら、
私は小さく笑った。


今夜、ちゃんと『ありがとう』って伝えよう。

そんな小さな約束を、
心の中でそっと決めた——。