《黒板の隣席、ひそかな勇気》
黒板の前に立つ学級委員の声が、
午後の教室に響く。
多数決の結果、
黒板に書かれたいくつかの候補曲の中から、
秋の合唱コンクールで
我がクラスが歌う曲が決定した。
miwaさんの『結 -ゆい-』。
「よし、曲は『結』に決定な!
じゃあ次は一番大事な、
指揮者と伴奏者を決めまーす。
まずは指揮者、
やってくれる人、立候補募ります」
学級委員がチョークを片手に振り返る。
シーンと静まり返る教室の中で、
乃愛は琉生の言葉を思い出し、ちらっと見る。
――すると、目が合うと琉生は頷き、
迷いなくまっすぐ右手をあげた。
「はい! 俺、指揮者やります!」
いつも輪の中心にいる人気者の立候補に、
教室内が瞬時に「おおーっ!」と沸き立つ。
「まじか、羽瀬がやってくれんの⁉
じゃあ指揮者は羽瀬琉生で決定な!」
「ありがと、みんな。
やるからには本気で金賞狙いに行くからな」
琉生はいつもの爽やかな笑顔を
クラス中に振りまき、拍手を受けている。
乃愛は
(琉生くん、本当に指揮者をやるんだ……)
と、彼の誇らしい横顔をそっと見つめた。
『合唱コンクールで、
指揮者と伴奏者になってさ。
……みんなの前で堂々と二人で並ぼう』
放課後の土手で交わした約束が、
もう目の前で現実になっている。
あの時の琉生の真っ直ぐな瞳を思い出し、
乃愛の心臓がどくんと大きく跳ねた。
「じゃあ、次は伴奏者な。
ピアノ弾ける人いる?」
学級委員の声に、
教室のあちこちで小さなざわめきが起こる。
何人かが周囲を見回す中、
琉生がふと手をあげた。
「あ、それなら一人、知ってる」
学級委員が琉生を見る。
「ん? 誰?」
琉生は少しだけ間を置いてから、
何でもないことのように言った。
「白石さん。
ピアノ弾けるって、この前聞いた」
その言葉に、乃愛の肩がぴくりと揺れる。
土手で、自分の夢まで話してしまった、
あの時間。夕焼けの中で、
琉生くんが嬉しそうに言ってくれた。
『俺、乃愛のピアノ聴いてみたい』
あの言葉を思い出しただけで、
頬にじわりと熱が集まる。
「えっ、白石さん、ピアノ弾けるの⁉」
「初耳なんだけど!」
クラスがざわめく。
乃愛がどう答えようか迷っていると、
すぐにひまりが声を上げた。
「うん。乃愛ちゃんのピアノ、本当にすごいの」
いつもの穏やかな声だったけれど、
その言葉には迷いがなかった。
「前に聴かせてもらったことがあるんだけど、
すごく上手だったから。
私も、伴奏は乃愛ちゃんが
いいんじゃないかなって思ってた」
「ほんとに?」
「うん」
ひまりが頷くと、
結衣も勢いよく身を乗り出した。
「そうそう!
乃愛のピアノ、本当にすごいんだから!」
さっきまで何かを察したように
口元を押さえていた結衣だったが、
今度はいつもの明るい調子に戻っている。
「隠れた天才ピアニストだよ、乃愛は!
絶対クラスのみんな、びっくりするって!」
「結衣……」
乃愛が困ったように名前を呼ぶ。
「本当のことじゃん!」
その勢いに、
クラスの空気が少しずつ変わっていく。
「じゃあ、白石さんにお願いしてみる?」
「いいじゃん!」
「羽瀬が指揮なら、伴奏も期待できそうだな」
後ろの席では、
颯人がすべて分かっているような
意地悪な笑みを浮かべて、
琉生に『ナイス』と親指を立ててみせていた。
琉生は一瞬だけそちらを見て、
何も言わずに視線を逸らす。
「えっと……白石さん」
学級委員が、乃愛の方を見る。
「みんなもこう言ってるし、
伴奏、お願いしても大丈夫?」
学級委員に恐る恐る尋ねられ、
クラス中の視線が乃愛に集まる。
胸がどくどくと鳴る。
みんなの前に立つなんて、やっぱり怖い。
もし失敗したらどうしよう。
期待されるほど上手に弾けなかったら……。
そんな不安が、
胸の奥から次々と浮かんでくる。
けれど、教壇の前にいる琉生と、
ほんの一瞬だけ目が合った。
クラスのみんなに見せている、
いつもの自信に満ちた笑顔。
その奥に、乃愛にしか分からない緊張がある。
琉生が『一緒に並ぼう』と
真っ直ぐに語りかけてくる。
乃愛の前だけで見せる、余裕のなさそうな、
けれど確固たる決意を秘めた瞳。
乃愛はごくりと息を呑むと、
頬に集まる熱を必死に誤魔化しながら、
小さく頷いた。
「……はい。私で良ければ、頑張ります」
一瞬の静寂。
次の瞬間、教室中から歓声が上がった。
「よし、決まり!」
学級委員が嬉しそうにチョークを取り、
黒板に二人の名前を書いていく。
指揮・羽瀬琉生
伴奏・白石乃愛
並んだ二つの名前を見た瞬間、
乃愛の胸がきゅっと締めつけられた。
「じゃあ白石さんも、ちょっと前に
出てきて羽瀬くんと一緒に並んで!
みんな、我がクラスはこの二人の
指揮と伴奏でいくから、改めてよろしくな!」
学級委員に促され、
乃愛は緊張で足元を震わせながら席を立った。
教壇の前へと歩み出ると、
隣には一足先に立っていた琉生が待っている。
クラス全員の視線が、
一斉に教壇の前の二人へと注がれた。
学校ではずっと他人のフリをして、
遠くから見つめ合うことしかできなかった。
そんな二人が、今、
クラスの誰も気づかない形で、
堂々と隣同士に並び立っている。
肩が触れ合いそうなほど近い距離。
ふわりと漂う琉生の柔軟剤の香りに、
乃愛の心臓は今度こそ破裂しそうになる。
「みんな、よろしく。白石さんの
最高のピアノを台無しにしないように、
俺も全力で指揮振るから。
絶対に金賞取ろうな!」
琉生はいつものムードメーカーらしい
爽やかな笑顔でクラスに手を振り、
大きな拍手を浴びている。
完璧なみんなの前の羽瀬琉生。
けれど、隣
に立つ乃愛にしか見えない角度で
――琉生はきゅっと口元を真一文字に結び、
耳の後ろを真っ赤に染めていた。
クラスの前だから、手を繋ぐことも、
名前を呼ぶこともできない。
だけど、琉生が隠すように
握りしめた左手のこぶしが、
かすかに震えているのが乃愛には分かった。
(琉生くんも……
私と同じくらい、ドキドキしてるんだ)
隠れ家や土手で見せてくれる
格好つけきれない彼。
その琉生くんが今、
自分の隣で必死に平静を装っている。
そう思った瞬間、
乃愛の胸に愛おしさと、
これから一緒に並んでいくんだという
確かな勇気がじんわりと湧き上がってきた。
「指揮・羽瀬くん、
伴奏・白石さんな! 拍手ー!」
教室中が割れんばかりの拍手に包まれる。
鳴り響く音の中で、
二人は前を見据えたまま、
誰にも見えないスピードでほんの一瞬だけ、
秘密の視線を交わし合うのだった——。
黒板の前に立つ学級委員の声が、
午後の教室に響く。
多数決の結果、
黒板に書かれたいくつかの候補曲の中から、
秋の合唱コンクールで
我がクラスが歌う曲が決定した。
miwaさんの『結 -ゆい-』。
「よし、曲は『結』に決定な!
じゃあ次は一番大事な、
指揮者と伴奏者を決めまーす。
まずは指揮者、
やってくれる人、立候補募ります」
学級委員がチョークを片手に振り返る。
シーンと静まり返る教室の中で、
乃愛は琉生の言葉を思い出し、ちらっと見る。
――すると、目が合うと琉生は頷き、
迷いなくまっすぐ右手をあげた。
「はい! 俺、指揮者やります!」
いつも輪の中心にいる人気者の立候補に、
教室内が瞬時に「おおーっ!」と沸き立つ。
「まじか、羽瀬がやってくれんの⁉
じゃあ指揮者は羽瀬琉生で決定な!」
「ありがと、みんな。
やるからには本気で金賞狙いに行くからな」
琉生はいつもの爽やかな笑顔を
クラス中に振りまき、拍手を受けている。
乃愛は
(琉生くん、本当に指揮者をやるんだ……)
と、彼の誇らしい横顔をそっと見つめた。
『合唱コンクールで、
指揮者と伴奏者になってさ。
……みんなの前で堂々と二人で並ぼう』
放課後の土手で交わした約束が、
もう目の前で現実になっている。
あの時の琉生の真っ直ぐな瞳を思い出し、
乃愛の心臓がどくんと大きく跳ねた。
「じゃあ、次は伴奏者な。
ピアノ弾ける人いる?」
学級委員の声に、
教室のあちこちで小さなざわめきが起こる。
何人かが周囲を見回す中、
琉生がふと手をあげた。
「あ、それなら一人、知ってる」
学級委員が琉生を見る。
「ん? 誰?」
琉生は少しだけ間を置いてから、
何でもないことのように言った。
「白石さん。
ピアノ弾けるって、この前聞いた」
その言葉に、乃愛の肩がぴくりと揺れる。
土手で、自分の夢まで話してしまった、
あの時間。夕焼けの中で、
琉生くんが嬉しそうに言ってくれた。
『俺、乃愛のピアノ聴いてみたい』
あの言葉を思い出しただけで、
頬にじわりと熱が集まる。
「えっ、白石さん、ピアノ弾けるの⁉」
「初耳なんだけど!」
クラスがざわめく。
乃愛がどう答えようか迷っていると、
すぐにひまりが声を上げた。
「うん。乃愛ちゃんのピアノ、本当にすごいの」
いつもの穏やかな声だったけれど、
その言葉には迷いがなかった。
「前に聴かせてもらったことがあるんだけど、
すごく上手だったから。
私も、伴奏は乃愛ちゃんが
いいんじゃないかなって思ってた」
「ほんとに?」
「うん」
ひまりが頷くと、
結衣も勢いよく身を乗り出した。
「そうそう!
乃愛のピアノ、本当にすごいんだから!」
さっきまで何かを察したように
口元を押さえていた結衣だったが、
今度はいつもの明るい調子に戻っている。
「隠れた天才ピアニストだよ、乃愛は!
絶対クラスのみんな、びっくりするって!」
「結衣……」
乃愛が困ったように名前を呼ぶ。
「本当のことじゃん!」
その勢いに、
クラスの空気が少しずつ変わっていく。
「じゃあ、白石さんにお願いしてみる?」
「いいじゃん!」
「羽瀬が指揮なら、伴奏も期待できそうだな」
後ろの席では、
颯人がすべて分かっているような
意地悪な笑みを浮かべて、
琉生に『ナイス』と親指を立ててみせていた。
琉生は一瞬だけそちらを見て、
何も言わずに視線を逸らす。
「えっと……白石さん」
学級委員が、乃愛の方を見る。
「みんなもこう言ってるし、
伴奏、お願いしても大丈夫?」
学級委員に恐る恐る尋ねられ、
クラス中の視線が乃愛に集まる。
胸がどくどくと鳴る。
みんなの前に立つなんて、やっぱり怖い。
もし失敗したらどうしよう。
期待されるほど上手に弾けなかったら……。
そんな不安が、
胸の奥から次々と浮かんでくる。
けれど、教壇の前にいる琉生と、
ほんの一瞬だけ目が合った。
クラスのみんなに見せている、
いつもの自信に満ちた笑顔。
その奥に、乃愛にしか分からない緊張がある。
琉生が『一緒に並ぼう』と
真っ直ぐに語りかけてくる。
乃愛の前だけで見せる、余裕のなさそうな、
けれど確固たる決意を秘めた瞳。
乃愛はごくりと息を呑むと、
頬に集まる熱を必死に誤魔化しながら、
小さく頷いた。
「……はい。私で良ければ、頑張ります」
一瞬の静寂。
次の瞬間、教室中から歓声が上がった。
「よし、決まり!」
学級委員が嬉しそうにチョークを取り、
黒板に二人の名前を書いていく。
指揮・羽瀬琉生
伴奏・白石乃愛
並んだ二つの名前を見た瞬間、
乃愛の胸がきゅっと締めつけられた。
「じゃあ白石さんも、ちょっと前に
出てきて羽瀬くんと一緒に並んで!
みんな、我がクラスはこの二人の
指揮と伴奏でいくから、改めてよろしくな!」
学級委員に促され、
乃愛は緊張で足元を震わせながら席を立った。
教壇の前へと歩み出ると、
隣には一足先に立っていた琉生が待っている。
クラス全員の視線が、
一斉に教壇の前の二人へと注がれた。
学校ではずっと他人のフリをして、
遠くから見つめ合うことしかできなかった。
そんな二人が、今、
クラスの誰も気づかない形で、
堂々と隣同士に並び立っている。
肩が触れ合いそうなほど近い距離。
ふわりと漂う琉生の柔軟剤の香りに、
乃愛の心臓は今度こそ破裂しそうになる。
「みんな、よろしく。白石さんの
最高のピアノを台無しにしないように、
俺も全力で指揮振るから。
絶対に金賞取ろうな!」
琉生はいつものムードメーカーらしい
爽やかな笑顔でクラスに手を振り、
大きな拍手を浴びている。
完璧なみんなの前の羽瀬琉生。
けれど、隣
に立つ乃愛にしか見えない角度で
――琉生はきゅっと口元を真一文字に結び、
耳の後ろを真っ赤に染めていた。
クラスの前だから、手を繋ぐことも、
名前を呼ぶこともできない。
だけど、琉生が隠すように
握りしめた左手のこぶしが、
かすかに震えているのが乃愛には分かった。
(琉生くんも……
私と同じくらい、ドキドキしてるんだ)
隠れ家や土手で見せてくれる
格好つけきれない彼。
その琉生くんが今、
自分の隣で必死に平静を装っている。
そう思った瞬間、
乃愛の胸に愛おしさと、
これから一緒に並んでいくんだという
確かな勇気がじんわりと湧き上がってきた。
「指揮・羽瀬くん、
伴奏・白石さんな! 拍手ー!」
教室中が割れんばかりの拍手に包まれる。
鳴り響く音の中で、
二人は前を見据えたまま、
誰にも見えないスピードでほんの一瞬だけ、
秘密の視線を交わし合うのだった——。

