俺たちは秘密で付き合い出した。
ひとりにはバレているけど、本当に言わないでくれていて学校では変わらない日々を過ごせていた。
学校から少し離れた本屋さんで手を繋いで、油断してたら同じ制服の人がいたときは肝が冷えた。
すぐに手を離し、そして見えなくなった瞬間指を絡ませる。
「あぶな」
「ほんとだよ……って何?」
絡んだ指と指の間の圧が強くなる。
「離したくねーの」
「離さないだろ」
——幸せだ。
手を握っているひとつの動作さえ、好きが溢れそうで、少しでも近くにいたくなる。俺たちは一緒に帰るときは、唯一恋人らしいと言えるくらいに教室では隠し通せていると思う。
本屋で参考書が欲しいと言った俺に、ついてきた慶は、どれも同じに見えると嘆いている。
「もうちょい待って」
「待つよー」
俺が一歩ずれれば、慶も一歩同じ方向へずれる。
目の前にある大学の過去問がまとまった本を俺が一冊取れば、慶も一冊引き抜く。
「こんな難しいところ受けるの?」
「難しい……まぁ、そうか」
基礎ではなく応用が必須な大学しか考えていない。つまり、慶が受けることはないであろう大学だ。
「慶はなんか決めてる? 大学」
「今聞く?」
「今以外にないだろ」
慶とは、進路の話しをしたことがなかった。
「俺は、適当に……」
「まだ決めてないの?」
もう夏だ。
オープンキャンパスは当然始まっているし、なんなら早く決めないと推薦の時期だってある。
「うっさいな!」
乱暴な言い方で突き放され、心臓がぐっと押し込まれたような痛みを感じる。
俺なんか言った?
ただ聞きたいわけではなかった。俺は新生活で不安よりも楽しみを感じるタイプだ。
だから、仮に俺と大学が近かったり、どちらかがひとり暮らしを始めたりするとか、慶とはそういった今だけでしかできない、未来の話をしたかっただけ。
慶の目が見開いたと思ったら、片手で口を押さえる。
——俺が驚くのは分かるけど、なんで慶まで驚くんだよ。
ひりつく空気が息苦しい。
——慶は一緒にいたくないの?
いつもだったら、何も考えずにこの言葉が出ただろう。ところが、今回は違った。自分で言っておいて、自分の言葉に驚かされることになる。
「一緒にいたいってわかんない?」
確かめるみたいに聞いた。絶対肯定してくれる。ふざけて言えてたときの確信は、今の俺にない。
返事ひとつ待つのも怖いなんて、こんな感情初めてだ。
「分かってるっ」
苦しそうに慶が放った。
本当に分かってる?
俺が顔を覗き込むと、慶は顔の力を抜いた。
「分かってるけど……なんで今聞いたの?」
「未来の話がしたかった」
「未来?」
「うん。この先のこと……」
俺は、久しぶりに自分の発した言葉が怖くなった。あの日、肯定されたという事実が俺を作り上げて、揺らぐことがなかった。
今の俺は、何を言われるか怖くてたまらない。慶が先を考えていない可能性だってあるんだ。
視界が落ちていく。
「渚生」
「うん」
返事が精一杯で、顔を上げることができない。
——否定されたくない。
「渚生、顔あげて」
優しい慶の声がする。
「一緒にいるから」
ゆっくり顔を上げた。
「ほんとか?」
「とーぜん」
慶がニコッと笑う。
——良かった。
俺が参考書を手に取りながら、「結局、大学はどうすんの?」と聞くと、「懲りないなぁ」と困り笑いしながら肩をぶつけてきた。
「渚生が答えてくれたら答える」
「聞いておいて答えられないわけないだろ」
「さすが渚生」
何が『さすが』だ。『当たり前』だ。俺は、ぶつけられた肩を押し返しながら慶に体重を預ける。
「俺は東京のどっか」
「実家から通うの?」
「私立だったら実家。それ以外だったらひとり暮らしする」
親と決めた約束だった。
私立でもひとり暮らししたいが、下宿代と交通費を天秤にかけた結果だ。この土地から、東京まで二時間かからないくらい。通えないこともないので、俺も了承した。というか、学費を出してくれる親には、何も言えなかった。
「ひとり暮らし……」
「公立だったらな」
「いいなぁ」
羨む慶に「そのために勉強してんの。普通にひとり暮らししたいから」と言った。
そして、俺は続ける。
「で、慶はどうなの?」
「あー……多分、こっちにいることになりそう」
「なりそう?」
なんというか、まるで自分のことではないかのように話す慶を疑問に思う。
「実家がケーキ屋なんだよね」
「ケーキ屋⁉︎」
大きな声が出た。
詳しく聞きたかったが、本屋ということもあり、すぐ買ってくるから待っててと参考書を一冊手に取ってレジに向かった。
慶の家がケーキ屋だとは考えもしなかった。意外すぎて、少しにやける。からかってるんじゃない。単に、新しい慶が知れてうれしかった。
——それに、ケーキの甘い香りとか感じたことなかったから余計に、意外だ。
レジを終えても、慶の姿が見当たらない。
どこ?
店内をくまなく探したが、本棚のどの列にもいない。外にいるとは聞いていないが、慶の気配を追って店外へ飛び出した。
「いたっ!」
「そんな慌ててどうしたの?」
「こっちのセリフだわ! 外出てるなら言えよ!」
「あ、ごめん」
俺の心配をよそに、慶はスマホをいじり出す。
——は?
「おい、びっくりし……!」
「はい。連絡先」
顔の前をスマホで塞がれ、思わず首をひっこめる。そういえば、連絡先は交換していなかった。
俺が話すことはないとキッパリ言い切ったため、始業式に連絡先を要求されてから交換する機会を失っていた。
今回は、しっかりと交換した。
「連絡先交換したのいつぶりだ?」
「去年のグルチャには入ってるんだから、そんな前じゃないでしょ」
「あ、忘れてた」
「俺より前に交換した人いんのマジ無理」と不満を口にされる。
——去年はそもそも話してないだろ。
でも、盛大に嫉妬してくれていると思うと嫌じゃない。むしろうれしい。ひとつ困るのは慶と付き合ってから、心がふわふわとし続けていること。
今だって俺は、慶のメッセをぼうっと眺めて口角が上がりそうだ。アイコンは、単色で『慶』になっている。全体的に、淡々としている印象を受けた。と、まぁ、意外だとは思いつつも俺は、人のアイコンに対して何も言えない。初期アイコンのままフルネームで『飛鷹渚生』と表示させているだけだからだ。
連絡先交換するだけでうれしいもんなんだな。
「渚生ー。交換してくれたってことは話すことあるんだよね?」
「……根に持ってるだろ」
慶はニヤリとする。俺は反抗するように言う。
「逆に慶は話すことないの?」
「そんなわけないじゃん。渚生とは話したいこといっぱいあるよ」
「何を聞かれるんだか」
俺が歩き出すと、慶もゆったり歩きながら「えーと……」と、話す内容を模索し始めている。
——今聞くつもりか?
「いつでも連絡していいって、分かんない?」
「……それは、分からなかった」
おふざけの中でどんどん確信と察するの基準がぼやけていく。
帰り道、ケーキ屋を継ぐかもしれないことと、そのために地元の製菓学校に行くことを聞いた。
継がなきゃいけないものなのか? と問うと、他にも道があると思うと考えたくない。と返事された。
慶が心のどこかで、何かを諦めている雰囲気を感じ取る。時々ある自嘲する笑いまでこぼす。でも、それがなんなのか分からなかった。
——慶らしく自由でいればいいんじゃないの?
その日の夜、俺はしきりにスマホを横目で見ていた。慶のことだ。すぐに連絡をよこすはず。
しかし、微動だにしない。
——なんだよ。
俺は、スマホを乱雑に手に乗せ、頬杖をついて操作する。
今何してるの? 違うな。
暇。これも違う。
書いては消してを繰り返す。
《なんで連絡しないの?》
一瞬で既読のマークがついた。
《え?いいの?》
続け様にスタンプも送られてくる。ハロウィンのかぼちゃがコロンと転がり、はてなマークもついている。
もう話がないわけでも、興味がない人でもないんだからいいに決まってるだろ。
《いい。あとハロウィンは気が早い》
またスタンプを返される。今度はお化けとかぼちゃが『やったー』と喜んでいるもの。返事か来るたびに、嬉しくて口元がゆるむ。
だけど、スタンプじゃなくて、慶の言葉で返事をして欲しい。その瞬間だ。
再度送られてきたのはスタンプだった。三段重ねになったかぼちゃが物陰からこちらを見ている。
スマホの画面がスタンプで埋まっていく。嬉しいのに嬉しくない。
——もしかして、返信が打てないくらい忙しいとか?
《何?今何してんの?》
《かまちょしてた》
文字が俺の頭の中では、慶の声で再生される。
——声まで聞きたくなってきた……
その時だ。慶に先を越される。
《しょう、声聞きたい》
漢字が一回で変換されなかったのか、ひらがなで書かれた名前が俺の脳内では慶の猫撫で声に変化した。
——あぁ。もう……
《慶、通話って知らないの?》
《知ってる》
即座に、通話がかかってきた。画面の上部に出てきた応答ボタンを押した瞬間、慶の声が、飛んでくる。
『渚生!』
「何?」
『勉強の邪魔しちゃ悪いと思って、送れなかっただけだから!』
「別に、いつでもいいって言っただろ。慶こそ今大丈夫だった?」
家にいる状態でいつもの慶の声がするのが、くすぐったくて、落ち着かない。
スマホを机に置いて、シャーペンを手に持った。
俺の問いかけに、慶の声がしなくなって不思議に思う。
——大丈夫じゃなかったのか?
自室の掛け時計を見やると、短針が十の数字を過ぎるところだ。
ん? 寝た? 聞こえなかった?
「慶?」
『ヤバい……』
深刻そうな声に、慌てる。
『えっ? どうした⁉︎』
『だ、大丈夫。大丈夫だけど大丈夫じゃない』
声が聞こえてホッとする一方で、顔が見えないことが怖くて仕方ない。
「本当に?」
『うん。イヤホン越しに聞こえる渚生の声の破壊力ヤバすぎ』
「なんだよ、マジで焦った」
『反応薄くない⁉︎』
「俺スピーカーにしてるし」
イヤホンをしていなくても問題なく会話はできているし、会話を聞く人もいない。
『渚生、耳に当ててみなよ』
声だけでもわかる不貞腐れっぷりに、何がそんなに変わるのだとスマホを手に取り耳に押し付けた。
「はい。やったけど?」
片手が埋まるだけ不便になったと文句を垂れそうになった時だ。
『渚生』
耳の奥に落ちてきた名前を呼ぶ慶の声に、心臓がバクバクと鳴らす。
なに、これ……
声を発せず、机を額にくっつける。あやうくスマホを落としそうになった。
『しょーう』
甘えた声は、少し笑っている。
耳が熱い。スマホのせいじゃない。こんなの初めて知った。
「やっぱい……」
『気持ちわかった?』
「うん」
『あはは‼︎』
笑い出す慶に頭に来て、『何がそんなにおかしいんだよ』と不満をこぼす。
『かわいい』
「かわいい……?」
『うん。かわいい』
「意味わかんない……それより、ハロウィンは早いだろ」
なんだか照れくさくて、わざと会話を変えた。
『そう? 文化祭がもうすぐってことはハロウィンも近いよ』
そうだ。文化祭が十月にあるんだ、去年までは文化祭だからと言って、日常にも気持ちにも特に変化しなかった。
その点、今年は受験生であり……恋人と一緒だ。
——どうなるんだろうな。
俺はワクワク半分、時間がなくなるのが嫌なのが半分といったところだ。
ひとりにはバレているけど、本当に言わないでくれていて学校では変わらない日々を過ごせていた。
学校から少し離れた本屋さんで手を繋いで、油断してたら同じ制服の人がいたときは肝が冷えた。
すぐに手を離し、そして見えなくなった瞬間指を絡ませる。
「あぶな」
「ほんとだよ……って何?」
絡んだ指と指の間の圧が強くなる。
「離したくねーの」
「離さないだろ」
——幸せだ。
手を握っているひとつの動作さえ、好きが溢れそうで、少しでも近くにいたくなる。俺たちは一緒に帰るときは、唯一恋人らしいと言えるくらいに教室では隠し通せていると思う。
本屋で参考書が欲しいと言った俺に、ついてきた慶は、どれも同じに見えると嘆いている。
「もうちょい待って」
「待つよー」
俺が一歩ずれれば、慶も一歩同じ方向へずれる。
目の前にある大学の過去問がまとまった本を俺が一冊取れば、慶も一冊引き抜く。
「こんな難しいところ受けるの?」
「難しい……まぁ、そうか」
基礎ではなく応用が必須な大学しか考えていない。つまり、慶が受けることはないであろう大学だ。
「慶はなんか決めてる? 大学」
「今聞く?」
「今以外にないだろ」
慶とは、進路の話しをしたことがなかった。
「俺は、適当に……」
「まだ決めてないの?」
もう夏だ。
オープンキャンパスは当然始まっているし、なんなら早く決めないと推薦の時期だってある。
「うっさいな!」
乱暴な言い方で突き放され、心臓がぐっと押し込まれたような痛みを感じる。
俺なんか言った?
ただ聞きたいわけではなかった。俺は新生活で不安よりも楽しみを感じるタイプだ。
だから、仮に俺と大学が近かったり、どちらかがひとり暮らしを始めたりするとか、慶とはそういった今だけでしかできない、未来の話をしたかっただけ。
慶の目が見開いたと思ったら、片手で口を押さえる。
——俺が驚くのは分かるけど、なんで慶まで驚くんだよ。
ひりつく空気が息苦しい。
——慶は一緒にいたくないの?
いつもだったら、何も考えずにこの言葉が出ただろう。ところが、今回は違った。自分で言っておいて、自分の言葉に驚かされることになる。
「一緒にいたいってわかんない?」
確かめるみたいに聞いた。絶対肯定してくれる。ふざけて言えてたときの確信は、今の俺にない。
返事ひとつ待つのも怖いなんて、こんな感情初めてだ。
「分かってるっ」
苦しそうに慶が放った。
本当に分かってる?
俺が顔を覗き込むと、慶は顔の力を抜いた。
「分かってるけど……なんで今聞いたの?」
「未来の話がしたかった」
「未来?」
「うん。この先のこと……」
俺は、久しぶりに自分の発した言葉が怖くなった。あの日、肯定されたという事実が俺を作り上げて、揺らぐことがなかった。
今の俺は、何を言われるか怖くてたまらない。慶が先を考えていない可能性だってあるんだ。
視界が落ちていく。
「渚生」
「うん」
返事が精一杯で、顔を上げることができない。
——否定されたくない。
「渚生、顔あげて」
優しい慶の声がする。
「一緒にいるから」
ゆっくり顔を上げた。
「ほんとか?」
「とーぜん」
慶がニコッと笑う。
——良かった。
俺が参考書を手に取りながら、「結局、大学はどうすんの?」と聞くと、「懲りないなぁ」と困り笑いしながら肩をぶつけてきた。
「渚生が答えてくれたら答える」
「聞いておいて答えられないわけないだろ」
「さすが渚生」
何が『さすが』だ。『当たり前』だ。俺は、ぶつけられた肩を押し返しながら慶に体重を預ける。
「俺は東京のどっか」
「実家から通うの?」
「私立だったら実家。それ以外だったらひとり暮らしする」
親と決めた約束だった。
私立でもひとり暮らししたいが、下宿代と交通費を天秤にかけた結果だ。この土地から、東京まで二時間かからないくらい。通えないこともないので、俺も了承した。というか、学費を出してくれる親には、何も言えなかった。
「ひとり暮らし……」
「公立だったらな」
「いいなぁ」
羨む慶に「そのために勉強してんの。普通にひとり暮らししたいから」と言った。
そして、俺は続ける。
「で、慶はどうなの?」
「あー……多分、こっちにいることになりそう」
「なりそう?」
なんというか、まるで自分のことではないかのように話す慶を疑問に思う。
「実家がケーキ屋なんだよね」
「ケーキ屋⁉︎」
大きな声が出た。
詳しく聞きたかったが、本屋ということもあり、すぐ買ってくるから待っててと参考書を一冊手に取ってレジに向かった。
慶の家がケーキ屋だとは考えもしなかった。意外すぎて、少しにやける。からかってるんじゃない。単に、新しい慶が知れてうれしかった。
——それに、ケーキの甘い香りとか感じたことなかったから余計に、意外だ。
レジを終えても、慶の姿が見当たらない。
どこ?
店内をくまなく探したが、本棚のどの列にもいない。外にいるとは聞いていないが、慶の気配を追って店外へ飛び出した。
「いたっ!」
「そんな慌ててどうしたの?」
「こっちのセリフだわ! 外出てるなら言えよ!」
「あ、ごめん」
俺の心配をよそに、慶はスマホをいじり出す。
——は?
「おい、びっくりし……!」
「はい。連絡先」
顔の前をスマホで塞がれ、思わず首をひっこめる。そういえば、連絡先は交換していなかった。
俺が話すことはないとキッパリ言い切ったため、始業式に連絡先を要求されてから交換する機会を失っていた。
今回は、しっかりと交換した。
「連絡先交換したのいつぶりだ?」
「去年のグルチャには入ってるんだから、そんな前じゃないでしょ」
「あ、忘れてた」
「俺より前に交換した人いんのマジ無理」と不満を口にされる。
——去年はそもそも話してないだろ。
でも、盛大に嫉妬してくれていると思うと嫌じゃない。むしろうれしい。ひとつ困るのは慶と付き合ってから、心がふわふわとし続けていること。
今だって俺は、慶のメッセをぼうっと眺めて口角が上がりそうだ。アイコンは、単色で『慶』になっている。全体的に、淡々としている印象を受けた。と、まぁ、意外だとは思いつつも俺は、人のアイコンに対して何も言えない。初期アイコンのままフルネームで『飛鷹渚生』と表示させているだけだからだ。
連絡先交換するだけでうれしいもんなんだな。
「渚生ー。交換してくれたってことは話すことあるんだよね?」
「……根に持ってるだろ」
慶はニヤリとする。俺は反抗するように言う。
「逆に慶は話すことないの?」
「そんなわけないじゃん。渚生とは話したいこといっぱいあるよ」
「何を聞かれるんだか」
俺が歩き出すと、慶もゆったり歩きながら「えーと……」と、話す内容を模索し始めている。
——今聞くつもりか?
「いつでも連絡していいって、分かんない?」
「……それは、分からなかった」
おふざけの中でどんどん確信と察するの基準がぼやけていく。
帰り道、ケーキ屋を継ぐかもしれないことと、そのために地元の製菓学校に行くことを聞いた。
継がなきゃいけないものなのか? と問うと、他にも道があると思うと考えたくない。と返事された。
慶が心のどこかで、何かを諦めている雰囲気を感じ取る。時々ある自嘲する笑いまでこぼす。でも、それがなんなのか分からなかった。
——慶らしく自由でいればいいんじゃないの?
その日の夜、俺はしきりにスマホを横目で見ていた。慶のことだ。すぐに連絡をよこすはず。
しかし、微動だにしない。
——なんだよ。
俺は、スマホを乱雑に手に乗せ、頬杖をついて操作する。
今何してるの? 違うな。
暇。これも違う。
書いては消してを繰り返す。
《なんで連絡しないの?》
一瞬で既読のマークがついた。
《え?いいの?》
続け様にスタンプも送られてくる。ハロウィンのかぼちゃがコロンと転がり、はてなマークもついている。
もう話がないわけでも、興味がない人でもないんだからいいに決まってるだろ。
《いい。あとハロウィンは気が早い》
またスタンプを返される。今度はお化けとかぼちゃが『やったー』と喜んでいるもの。返事か来るたびに、嬉しくて口元がゆるむ。
だけど、スタンプじゃなくて、慶の言葉で返事をして欲しい。その瞬間だ。
再度送られてきたのはスタンプだった。三段重ねになったかぼちゃが物陰からこちらを見ている。
スマホの画面がスタンプで埋まっていく。嬉しいのに嬉しくない。
——もしかして、返信が打てないくらい忙しいとか?
《何?今何してんの?》
《かまちょしてた》
文字が俺の頭の中では、慶の声で再生される。
——声まで聞きたくなってきた……
その時だ。慶に先を越される。
《しょう、声聞きたい》
漢字が一回で変換されなかったのか、ひらがなで書かれた名前が俺の脳内では慶の猫撫で声に変化した。
——あぁ。もう……
《慶、通話って知らないの?》
《知ってる》
即座に、通話がかかってきた。画面の上部に出てきた応答ボタンを押した瞬間、慶の声が、飛んでくる。
『渚生!』
「何?」
『勉強の邪魔しちゃ悪いと思って、送れなかっただけだから!』
「別に、いつでもいいって言っただろ。慶こそ今大丈夫だった?」
家にいる状態でいつもの慶の声がするのが、くすぐったくて、落ち着かない。
スマホを机に置いて、シャーペンを手に持った。
俺の問いかけに、慶の声がしなくなって不思議に思う。
——大丈夫じゃなかったのか?
自室の掛け時計を見やると、短針が十の数字を過ぎるところだ。
ん? 寝た? 聞こえなかった?
「慶?」
『ヤバい……』
深刻そうな声に、慌てる。
『えっ? どうした⁉︎』
『だ、大丈夫。大丈夫だけど大丈夫じゃない』
声が聞こえてホッとする一方で、顔が見えないことが怖くて仕方ない。
「本当に?」
『うん。イヤホン越しに聞こえる渚生の声の破壊力ヤバすぎ』
「なんだよ、マジで焦った」
『反応薄くない⁉︎』
「俺スピーカーにしてるし」
イヤホンをしていなくても問題なく会話はできているし、会話を聞く人もいない。
『渚生、耳に当ててみなよ』
声だけでもわかる不貞腐れっぷりに、何がそんなに変わるのだとスマホを手に取り耳に押し付けた。
「はい。やったけど?」
片手が埋まるだけ不便になったと文句を垂れそうになった時だ。
『渚生』
耳の奥に落ちてきた名前を呼ぶ慶の声に、心臓がバクバクと鳴らす。
なに、これ……
声を発せず、机を額にくっつける。あやうくスマホを落としそうになった。
『しょーう』
甘えた声は、少し笑っている。
耳が熱い。スマホのせいじゃない。こんなの初めて知った。
「やっぱい……」
『気持ちわかった?』
「うん」
『あはは‼︎』
笑い出す慶に頭に来て、『何がそんなにおかしいんだよ』と不満をこぼす。
『かわいい』
「かわいい……?」
『うん。かわいい』
「意味わかんない……それより、ハロウィンは早いだろ」
なんだか照れくさくて、わざと会話を変えた。
『そう? 文化祭がもうすぐってことはハロウィンも近いよ』
そうだ。文化祭が十月にあるんだ、去年までは文化祭だからと言って、日常にも気持ちにも特に変化しなかった。
その点、今年は受験生であり……恋人と一緒だ。
——どうなるんだろうな。
俺はワクワク半分、時間がなくなるのが嫌なのが半分といったところだ。



