*
夏がいつ始まっていたのか分からない。
夏期講習の案内がどんな場所にも貼ってあり、夏の暑さが増す。
俺だけではなく、三学年全体が受験ムードに包まれていた。
授業では演習問題が多くなっている。
グループで話し合ってくださいと言われるたびに、机をつけて終われば離すのはめんどくさい。俺のグループは隣の女子と向かい合うこと以外は、物静かな人だったから話し合いはしやすかった。
遠くで慶以外の一軍男子二人が騒いでいるのが聞こえる。
——慶の声は、聞こえないんだ。
グループでの話し合いそっちのけで意識は完全に慶に向いていた。
すると早速、向かい合っている女子に話しかけられる。
「この問題分かった?」
「うん。応用もないような問題の答えを話し合うとか意味わかんない」
「だよねー」と返事され、思わず「え?」と答えた。基礎を分かっている人じゃないと出てこない言葉に、驚く。
「気にしてないと思うけど、わたし数学は学年二位だよ。もちろん、飛鷹くんには一位を取られてばっかだけどね」
「マジか」
普通に一軍男子の周りにいる人たちは、勉強ができないと思い込んでいた。それでもこの学校に入れるだけの実力と勉強する力はあったわけだから、いてもおかしくないのも事実。
——他にもいるのか?
と、俺の疑問を打ち消すように、女子が言う。
「あ、でも他の人は下から数えた方が圧倒的に早いよ」
「あぁ……」
「俺がやっぱりか」と言うと、女子は「特に慶はね」と笑っている。物理の公式を、空白になっているところに書いて埋めるくらいだ。
「でもいいところも多いから」
フォローを入れる女子に、「そんなの知ってる」と言い返したかったが、言えなかった。
「アイツは顔と愛嬌だけで生きてるだろ」
好きな人である俺に一途とか、勉強するときはちゃんと勉強しようとする真面目な部分とかあるのは俺が一番分かってる。けど、言いたくなった。
——好きになられたら困る。
「愛嬌ねぇ。確かにね」
「それだけで好きになる人もいるんじゃない?」と、言ってみる。ぶっちゃけ、好きになる人なんていなければいいと、心の奥底で思っているのか、若干の痛みを感じた。
——なんで好きになられたら困るんだ?
「いやぁ。本気で好きな子はいないんじゃないかな。時々怖いくらい冷たいからなぁ」
「えっ。冷たい?」
図書館で俺が眠りかけたときに聞いた口調は、普段と
それ以降、聞いていなかったし、一軍男子たちと話しているときに一緒になって話すということはない。
だから、実際の会話やテンション感は知らなかった。
——俺は、慶のことを知らなすぎるのかもな。
「あはは! 信じられないよね。飛鷹くんの前だとずっと明るいもんねぇ」
信じられないわけではない。
ずっと明るいだけのやつだったら、それはそれで引いていた。
「うるさいだけだろ」
「そうかなぁ。飛鷹くんの前だけだよ。なんていうか飼い犬って感じでいるの。いつものメンツの前だと狂犬って感じ」
「狂犬……」
「ま。顔はいいし、結局、冷たいときもあるだけで誰とも仲良くできるくらい愛嬌もあるから話すの好きだけど!」
「愛嬌と冷たいって共存できるんだ」
「あは! 気になる?」
気になる。俺はコクリと頷いた。
「基本的に愛想いいんだけど、必要以上に話そうとしない感じ? 慶ってなんかイメージと違うんだよ」
「それは冷たいと違うんじゃない?」
「いや、冷たいよ。この間のタピオカのときも、学校出る直前に『無理になった』って言われたんだよね。『なんで?』って聞いたら『なんで言わなきゃいけないの?』だって言われて」
「……俺みたい…………」
冷たくする理由は分からないけれど俺の知らない慶が見れている助け舟たちが初めて羨ましく思えた。
——いや、“元”助け舟か。
慶と話しているときに、割って入られたらと考えるとなんだか複雑な気持ちになった。
——なんで?
心の中にモヤモヤを抱えていると、授業終わりにやってきた慶がやってきた。
慶が話し出す前に俺が、口を開いた。
「慶って冷たいの?」
一瞬、慶の顔が曇る。
——やっぱり……
「……普通くらいだよ」
「普通? でも満場一致レベルだぞ?」
慶が、短くため息をついた。
——やっぱそうなのかよ。
「隠してて良いことあった?」
「渚生と話せた」
まぁ、確かに。
仮に、悪態をつかれた状態で来られたら、本気で突き放していた。
——ま、自販機の前で出会った不良よりヤバいやつじゃなければいいか。
人のことを突き放すときに言葉じゃなくて手が出るような冷たさではなければ、俺も人のことを言えないから。
体育の時間のペアを作るときは、必ず慶が来る。
「慶」
「今日、誘われたんだよね」
何に? と聞かなくても察しはついた。女子と話すのが好きな一軍男子のひとりに、誘われたということだろう。
——あそこに慶が行ってたら……隣にいないわけで。
考えたくないな。
「行くわけないよな?」
「……もちろん」
慶が体育館の壁に背を押し付けて「今、渚生の隣にいるのに気になるかー」と満面な笑みで言われる。
——気になる?
気になるというか……
「普通に嫌だから」
「渚生……言ってる意味分かってる?」
言っている意味? 女子たちに混じって体育の時間を過ごすのが嫌だということ。
そういえば慶が言ってた。
『好きになったら他の誰かといる姿を見たくない』
『想像するだけで、辛くて。誰にも取られたくないって思う』
慶が誰かといる姿は見たくない。今、俺の隣じゃなくて他の誰かと一緒にいる姿は想像もしたくない。
多分、俺はそこに突撃して、奪い返しに行きたくなるくらい嫌だ。
——すごく嫌だ。
「あ」
「何? なんかあった……」
「好き」
——これが『好き』か。
腑に落ちた気持ちは、暖かい。
「あー。なるほどな。好きだわ」
ひとつ覚えをした言葉みたいに繰り返す。
「うん。好き」
慶がポカンと口を開けている。
——かっこわる……
いつもかっこいい慶のかっこよくなくなる瞬間も、好き。
「慶」
「な、に……」
俺はまっすぐと慶の目を見て、嬉しさから笑ってみせた。
「好きだ……よ⁉︎」
俺が言い切る前に、身体ごと引き寄せられて慶の腕に包まれる。遠くから「やば! 今日が来たことに感謝!」とか、女子たちが騒いでいる。
嫌だ。面倒だ。
コイツといると、他の人の視線がうるさい。くっつけば余計うるさい。
でも——『今日が来たことに感謝』には同意できる。
俺は抵抗しなかった。
「恋愛感情?」
「うん。好き」
慶が黙りこくるので何か不都合でもあるのかと、顔を上げる。
「慶?」
「離したくないんだよ。わかんねぇ?」
ちょっと雑な言葉遣いに連動するように、腕の力が強まるのを感じた。
「分かってる」
——俺も離されたくない。
好きってすごいな。他人の目とか気にはなるし、嫌なのに全部吹っ飛ばされている気分だ。
うれしさに浸っているだけでなく、慶は俺のことを気にかけてくれる。
「ただ戯れてるだけだと思われてるから、しばらくこのままでいさせて」
耳元で話す慶の声がくすぐったい。
慶の髪の毛も近くまで来て、シャンプーの香りが鼻を抜けた。
——あ、やば。
意識し出したら、沸々と身体が熱くなる。
顔を上げて慶のジャージを小さく握る。
「けいー……」
「まっ、渚生、やば……」
猛烈に甘えたくなって、俺の声じゃないみたいな猫撫で声が出た。慶の動揺で、俺はハッと我に返る。
——何やってるんだ。俺らしくない。
俺らしくないってなんだ?
好きな人ができたことないんだから、これが本来の俺なのかもしれない。
——変な感じだ。
俺はまた慶のジャージを握り直して顔を隠すように、慶の肩に顔をうずめた。
「けーーーい! 何してんだ。飛鷹困ってんぞ」
身動きのできなくなった俺の姿を見て言われたのだろう。
一軍男子の二人が集まってきた。
「困らせてねーし」
困るどころか嬉しいけど、言えるわけないか。
自然と腕が解かれていく。
「またダブルスしよーぜ」と、言いながらラケットを渡され、空いた卓球台へ慶以外が先に向かった。
「行こっか」
「うん」
一軍男子の背中を見て思う。
この人たちは俺の知らない慶を知っていて、でも俺も慶だろうと、周りの人だろうと知ろうとしなかった。
——もう少し知ってみてもいいのかもな。
「慶。アイツら、なんて名前なの?」
「知らなかったの……?」
たまたま、明日川慶という名前を知っていただけで、他の人など知らない。
——よく呼ばれてたのは慶だったから。
「右が中田で、左が角野ね」
苦笑しながら「渚生らしい」と言う慶に、俺らしいってなんだ? と改めて思う。
体育終わりの六時間目はなんだか授業に集中できなかった。集中できなかったとは言え、演習はすべて終わらせ、自主学習でも進めようとすると手が止まる。
好きと自覚して告白したことも、慶をもっと知りたいと思ったことも、俺らしさについて考えようとしたことも、すべてが初めてで新鮮だったんだ。
気持ちがふわふわしたままでいると、いつの間にかホームルームの時間が迫り、慶はその休み時間でも俺の席にきた。
何も耳に入ってこないほど、ぼーっとしてしまったが、「今日、一緒に帰ろ」と言った慶の声はしっかりと耳に残っている。
その慶が、放課後になった途端、女子に連れて行かれた。顔を赤らめて、なぜか薄く化粧をしているようにも見えた女子。
告白だろうということは、クラスの誰しもが察した。教室に残された俺が慶を待っていると、隣の女子が帰らずにチラチラとこちらを見てくる。
——視線がうるさい……
「今度は何?」
「あ、いやぁ、この間、慶は冷たいから恋愛感情持ってる人いないって言ったばかりなのに、これは気まずい……」
「別に気にしてない」
慶に関しては、ひそかに想ってる人もいるだろうし、いちいち気にしてたらキリがない。
まったく気にしていないわけではないけど、慶は俺のこと好きだって知っているから。
——でも、好きな人が好かれていることが嬉しいとかはまったくない。
気にしてないと言いつつ、眉にシワが寄っていることにハッと我に返った。
「わたしは、飛鷹くんの方が気になるよ」
「俺? 俺はダメだ」
女子が爆笑する。
「あっははは! んふふふ‼︎ やっぱ飛鷹くんの方が気になるなぁ」
「だから、俺は……!」
「ここで受験とか勉強とかあるからダメって言わない時点で、好きな人か恋人でもいるんだろうし!」
女子の察しの良さに度肝を抜かした。俺は勉強するために前傾していたままだった身体を起こして、女子の方へ視線を動かす。
「マジか」
「大丈夫。言わないよ。ただ、わたしは飛鷹くんのことを見ていたから分かっただけ! イケメンを好きになられちゃ、さすがに敵わないですねぇ……」
その対象もすべてバレているようだ。少し寂しそうに女子は眉を八の字にした。
え。マジか。
隣の女子には、妙な信頼があるせいで、口止めをしようとは思わなかったけど、これ以上バレるのは避けなくてはいけない。
特に、二人でいるとはしゃぐ女子たちには知られたら面倒だ。慶とバレないように強く言っておかないと。
すると、隣の女子が、「あーあ」と、天井を仰ぐ。
「本気、だったんだけどな」
小さな声は震えていた。
俺のこと本気と言っても、連絡先聞いてきたのは一回きりで俺に話しかけるだけで緊張していた女子。
無理だよ。俺のことを気になったって、どんなイケメンも美人も誰もしつこさが限界突破してる慶に敵わない。と、考えるのは我ながら性格が悪いと思う。
「俺を好きになるのは、センス終わってると思うよ」
「……確かに。たった今、気になってると言ったことを後悔しそうになった」
諦め早いな。やっぱり本気じゃなかっただろ。
勉強に身が入らないまま、話していると慶が教室に戻ってきた。
「あ、おかえり」
俺が教室に帰ってきた慶に声をかけた。すると隣の女子は「センスないって言う人と結ばれなくてよかったっ!」と舌を出して威嚇されたと思ったら颯爽と教室を出て行った。
「なんだったんだ……」
「何? 話してたの?」
「多分、告られた」
「へぇ……」
出て行った扉の方を睨みつける慶の顔が強張る。
「断ったよ。というか、お互い様だろ……」
「うん。そうだね。俺も告られた」
好意を持たれることは嬉しいと言っていたのは慶だ。
——怖い顔。
「まったくうれしそうに見えないな」
「……喜んでほしーの?」
そんなわけない。
慶のことを好きな人が諦めるように考えるくらいには、嫌に決まっているけど、慶が自分で言ってたんだ。
——『好きってことは自分のことを見ててくれるってことじゃん』って
「自分で言ったこと忘れてるんだ」
「俺が言ったこと?」
言葉に責任感がないな。こんな責任感もない男を好きになるとは思いもしなかった。
でも、俺のことを振り回すところも含めて全部が愛おしく思えるのは、惚れた弱みというやつか。
「そうだよ。覚えてないならなんでもいい」
「あー! 思い出した。いや、まぁ気持ちはうれしいかな」
イラっとした。
気持ちがうれしい?
俺が待っていたのに?
今さっき、責任感がどうだとか並べていたのは、ただの御託にすぎなかった。
「なんだ、これ。すげーむかつく」
「……渚生?」
俺は席を立ち上がり、首を傾けた。身長差のない俺たちだから、立てば目の前に顔がくる。
ふいと、下に目線を落とすと慶の唇をとらえた。ただ、ここは学校だということを思い出し、唇の触れる寸前で止める。俺は視線を傾けたまま、慶の肩に頭突きした。
好き。
なのに、むかつく。
慶が……好きな人がうれしいと言っていることをちっとも喜べない。
「慶、俺、喜べない」
「うん」
俺は肩に乗せた顔を傾けて、慶を仰ぎ見る。
「嫉妬してんの。わかんない?」
「分かってる」
慶が、にやけにやするのを我慢しているような、何かを噛み締めているような顔をする。
「あー。やべぇ。我慢できなくなりそう」
「慶はいつも我慢なんてしてないだろ」
「うん。そうかも」
「そういえば、付き合ったこと誰にも言うな」
「……無理かも」
「いつも通りならいいから! 女子の目線とかめんどいんだよ」
「いつも通りって何―……ぎゅーして、手握って、ちゅー?」
「全部なし」
指折り数えるそれらは、付き合う前とは程遠い。
浮かれてんな。慶のことを言えた口ではない。
——あれ? 付き合ってんのか?
好きと伝えただけで、もしかして恋人にはなれていないないのでは?
パッと顔を上げると、俺の言葉よりも先に慶の声が耳に入ってきた。
「好きだよ。俺の恋人、渚生しかなれないんだけど、どうですか?」
「とーぜん」
慶も気がついていたのだ。
教室を出て昇降口に向かう途中でも、慶はうだうだと告白について自責していた。昇降口に着いても言い続けるどころか、ロッカーに寄りかかって悔しそうな顔をする。
「浮かれすぎて忘れてたー……」
「別にいいじゃん? 好きなのは変わらないんだし」
「俺の彼氏、イケメンかよ……」
「何を今更」
項垂れる慶の情けない声も、浮かれすぎて震えそうなのを必死に抑える俺の声もおかしくて、思わず笑みをこぼした。こんなちょっとカッコ悪い俺たちの時間が幸せだと心がジワリと暖かくなった。
夏がいつ始まっていたのか分からない。
夏期講習の案内がどんな場所にも貼ってあり、夏の暑さが増す。
俺だけではなく、三学年全体が受験ムードに包まれていた。
授業では演習問題が多くなっている。
グループで話し合ってくださいと言われるたびに、机をつけて終われば離すのはめんどくさい。俺のグループは隣の女子と向かい合うこと以外は、物静かな人だったから話し合いはしやすかった。
遠くで慶以外の一軍男子二人が騒いでいるのが聞こえる。
——慶の声は、聞こえないんだ。
グループでの話し合いそっちのけで意識は完全に慶に向いていた。
すると早速、向かい合っている女子に話しかけられる。
「この問題分かった?」
「うん。応用もないような問題の答えを話し合うとか意味わかんない」
「だよねー」と返事され、思わず「え?」と答えた。基礎を分かっている人じゃないと出てこない言葉に、驚く。
「気にしてないと思うけど、わたし数学は学年二位だよ。もちろん、飛鷹くんには一位を取られてばっかだけどね」
「マジか」
普通に一軍男子の周りにいる人たちは、勉強ができないと思い込んでいた。それでもこの学校に入れるだけの実力と勉強する力はあったわけだから、いてもおかしくないのも事実。
——他にもいるのか?
と、俺の疑問を打ち消すように、女子が言う。
「あ、でも他の人は下から数えた方が圧倒的に早いよ」
「あぁ……」
「俺がやっぱりか」と言うと、女子は「特に慶はね」と笑っている。物理の公式を、空白になっているところに書いて埋めるくらいだ。
「でもいいところも多いから」
フォローを入れる女子に、「そんなの知ってる」と言い返したかったが、言えなかった。
「アイツは顔と愛嬌だけで生きてるだろ」
好きな人である俺に一途とか、勉強するときはちゃんと勉強しようとする真面目な部分とかあるのは俺が一番分かってる。けど、言いたくなった。
——好きになられたら困る。
「愛嬌ねぇ。確かにね」
「それだけで好きになる人もいるんじゃない?」と、言ってみる。ぶっちゃけ、好きになる人なんていなければいいと、心の奥底で思っているのか、若干の痛みを感じた。
——なんで好きになられたら困るんだ?
「いやぁ。本気で好きな子はいないんじゃないかな。時々怖いくらい冷たいからなぁ」
「えっ。冷たい?」
図書館で俺が眠りかけたときに聞いた口調は、普段と
それ以降、聞いていなかったし、一軍男子たちと話しているときに一緒になって話すということはない。
だから、実際の会話やテンション感は知らなかった。
——俺は、慶のことを知らなすぎるのかもな。
「あはは! 信じられないよね。飛鷹くんの前だとずっと明るいもんねぇ」
信じられないわけではない。
ずっと明るいだけのやつだったら、それはそれで引いていた。
「うるさいだけだろ」
「そうかなぁ。飛鷹くんの前だけだよ。なんていうか飼い犬って感じでいるの。いつものメンツの前だと狂犬って感じ」
「狂犬……」
「ま。顔はいいし、結局、冷たいときもあるだけで誰とも仲良くできるくらい愛嬌もあるから話すの好きだけど!」
「愛嬌と冷たいって共存できるんだ」
「あは! 気になる?」
気になる。俺はコクリと頷いた。
「基本的に愛想いいんだけど、必要以上に話そうとしない感じ? 慶ってなんかイメージと違うんだよ」
「それは冷たいと違うんじゃない?」
「いや、冷たいよ。この間のタピオカのときも、学校出る直前に『無理になった』って言われたんだよね。『なんで?』って聞いたら『なんで言わなきゃいけないの?』だって言われて」
「……俺みたい…………」
冷たくする理由は分からないけれど俺の知らない慶が見れている助け舟たちが初めて羨ましく思えた。
——いや、“元”助け舟か。
慶と話しているときに、割って入られたらと考えるとなんだか複雑な気持ちになった。
——なんで?
心の中にモヤモヤを抱えていると、授業終わりにやってきた慶がやってきた。
慶が話し出す前に俺が、口を開いた。
「慶って冷たいの?」
一瞬、慶の顔が曇る。
——やっぱり……
「……普通くらいだよ」
「普通? でも満場一致レベルだぞ?」
慶が、短くため息をついた。
——やっぱそうなのかよ。
「隠してて良いことあった?」
「渚生と話せた」
まぁ、確かに。
仮に、悪態をつかれた状態で来られたら、本気で突き放していた。
——ま、自販機の前で出会った不良よりヤバいやつじゃなければいいか。
人のことを突き放すときに言葉じゃなくて手が出るような冷たさではなければ、俺も人のことを言えないから。
体育の時間のペアを作るときは、必ず慶が来る。
「慶」
「今日、誘われたんだよね」
何に? と聞かなくても察しはついた。女子と話すのが好きな一軍男子のひとりに、誘われたということだろう。
——あそこに慶が行ってたら……隣にいないわけで。
考えたくないな。
「行くわけないよな?」
「……もちろん」
慶が体育館の壁に背を押し付けて「今、渚生の隣にいるのに気になるかー」と満面な笑みで言われる。
——気になる?
気になるというか……
「普通に嫌だから」
「渚生……言ってる意味分かってる?」
言っている意味? 女子たちに混じって体育の時間を過ごすのが嫌だということ。
そういえば慶が言ってた。
『好きになったら他の誰かといる姿を見たくない』
『想像するだけで、辛くて。誰にも取られたくないって思う』
慶が誰かといる姿は見たくない。今、俺の隣じゃなくて他の誰かと一緒にいる姿は想像もしたくない。
多分、俺はそこに突撃して、奪い返しに行きたくなるくらい嫌だ。
——すごく嫌だ。
「あ」
「何? なんかあった……」
「好き」
——これが『好き』か。
腑に落ちた気持ちは、暖かい。
「あー。なるほどな。好きだわ」
ひとつ覚えをした言葉みたいに繰り返す。
「うん。好き」
慶がポカンと口を開けている。
——かっこわる……
いつもかっこいい慶のかっこよくなくなる瞬間も、好き。
「慶」
「な、に……」
俺はまっすぐと慶の目を見て、嬉しさから笑ってみせた。
「好きだ……よ⁉︎」
俺が言い切る前に、身体ごと引き寄せられて慶の腕に包まれる。遠くから「やば! 今日が来たことに感謝!」とか、女子たちが騒いでいる。
嫌だ。面倒だ。
コイツといると、他の人の視線がうるさい。くっつけば余計うるさい。
でも——『今日が来たことに感謝』には同意できる。
俺は抵抗しなかった。
「恋愛感情?」
「うん。好き」
慶が黙りこくるので何か不都合でもあるのかと、顔を上げる。
「慶?」
「離したくないんだよ。わかんねぇ?」
ちょっと雑な言葉遣いに連動するように、腕の力が強まるのを感じた。
「分かってる」
——俺も離されたくない。
好きってすごいな。他人の目とか気にはなるし、嫌なのに全部吹っ飛ばされている気分だ。
うれしさに浸っているだけでなく、慶は俺のことを気にかけてくれる。
「ただ戯れてるだけだと思われてるから、しばらくこのままでいさせて」
耳元で話す慶の声がくすぐったい。
慶の髪の毛も近くまで来て、シャンプーの香りが鼻を抜けた。
——あ、やば。
意識し出したら、沸々と身体が熱くなる。
顔を上げて慶のジャージを小さく握る。
「けいー……」
「まっ、渚生、やば……」
猛烈に甘えたくなって、俺の声じゃないみたいな猫撫で声が出た。慶の動揺で、俺はハッと我に返る。
——何やってるんだ。俺らしくない。
俺らしくないってなんだ?
好きな人ができたことないんだから、これが本来の俺なのかもしれない。
——変な感じだ。
俺はまた慶のジャージを握り直して顔を隠すように、慶の肩に顔をうずめた。
「けーーーい! 何してんだ。飛鷹困ってんぞ」
身動きのできなくなった俺の姿を見て言われたのだろう。
一軍男子の二人が集まってきた。
「困らせてねーし」
困るどころか嬉しいけど、言えるわけないか。
自然と腕が解かれていく。
「またダブルスしよーぜ」と、言いながらラケットを渡され、空いた卓球台へ慶以外が先に向かった。
「行こっか」
「うん」
一軍男子の背中を見て思う。
この人たちは俺の知らない慶を知っていて、でも俺も慶だろうと、周りの人だろうと知ろうとしなかった。
——もう少し知ってみてもいいのかもな。
「慶。アイツら、なんて名前なの?」
「知らなかったの……?」
たまたま、明日川慶という名前を知っていただけで、他の人など知らない。
——よく呼ばれてたのは慶だったから。
「右が中田で、左が角野ね」
苦笑しながら「渚生らしい」と言う慶に、俺らしいってなんだ? と改めて思う。
体育終わりの六時間目はなんだか授業に集中できなかった。集中できなかったとは言え、演習はすべて終わらせ、自主学習でも進めようとすると手が止まる。
好きと自覚して告白したことも、慶をもっと知りたいと思ったことも、俺らしさについて考えようとしたことも、すべてが初めてで新鮮だったんだ。
気持ちがふわふわしたままでいると、いつの間にかホームルームの時間が迫り、慶はその休み時間でも俺の席にきた。
何も耳に入ってこないほど、ぼーっとしてしまったが、「今日、一緒に帰ろ」と言った慶の声はしっかりと耳に残っている。
その慶が、放課後になった途端、女子に連れて行かれた。顔を赤らめて、なぜか薄く化粧をしているようにも見えた女子。
告白だろうということは、クラスの誰しもが察した。教室に残された俺が慶を待っていると、隣の女子が帰らずにチラチラとこちらを見てくる。
——視線がうるさい……
「今度は何?」
「あ、いやぁ、この間、慶は冷たいから恋愛感情持ってる人いないって言ったばかりなのに、これは気まずい……」
「別に気にしてない」
慶に関しては、ひそかに想ってる人もいるだろうし、いちいち気にしてたらキリがない。
まったく気にしていないわけではないけど、慶は俺のこと好きだって知っているから。
——でも、好きな人が好かれていることが嬉しいとかはまったくない。
気にしてないと言いつつ、眉にシワが寄っていることにハッと我に返った。
「わたしは、飛鷹くんの方が気になるよ」
「俺? 俺はダメだ」
女子が爆笑する。
「あっははは! んふふふ‼︎ やっぱ飛鷹くんの方が気になるなぁ」
「だから、俺は……!」
「ここで受験とか勉強とかあるからダメって言わない時点で、好きな人か恋人でもいるんだろうし!」
女子の察しの良さに度肝を抜かした。俺は勉強するために前傾していたままだった身体を起こして、女子の方へ視線を動かす。
「マジか」
「大丈夫。言わないよ。ただ、わたしは飛鷹くんのことを見ていたから分かっただけ! イケメンを好きになられちゃ、さすがに敵わないですねぇ……」
その対象もすべてバレているようだ。少し寂しそうに女子は眉を八の字にした。
え。マジか。
隣の女子には、妙な信頼があるせいで、口止めをしようとは思わなかったけど、これ以上バレるのは避けなくてはいけない。
特に、二人でいるとはしゃぐ女子たちには知られたら面倒だ。慶とバレないように強く言っておかないと。
すると、隣の女子が、「あーあ」と、天井を仰ぐ。
「本気、だったんだけどな」
小さな声は震えていた。
俺のこと本気と言っても、連絡先聞いてきたのは一回きりで俺に話しかけるだけで緊張していた女子。
無理だよ。俺のことを気になったって、どんなイケメンも美人も誰もしつこさが限界突破してる慶に敵わない。と、考えるのは我ながら性格が悪いと思う。
「俺を好きになるのは、センス終わってると思うよ」
「……確かに。たった今、気になってると言ったことを後悔しそうになった」
諦め早いな。やっぱり本気じゃなかっただろ。
勉強に身が入らないまま、話していると慶が教室に戻ってきた。
「あ、おかえり」
俺が教室に帰ってきた慶に声をかけた。すると隣の女子は「センスないって言う人と結ばれなくてよかったっ!」と舌を出して威嚇されたと思ったら颯爽と教室を出て行った。
「なんだったんだ……」
「何? 話してたの?」
「多分、告られた」
「へぇ……」
出て行った扉の方を睨みつける慶の顔が強張る。
「断ったよ。というか、お互い様だろ……」
「うん。そうだね。俺も告られた」
好意を持たれることは嬉しいと言っていたのは慶だ。
——怖い顔。
「まったくうれしそうに見えないな」
「……喜んでほしーの?」
そんなわけない。
慶のことを好きな人が諦めるように考えるくらいには、嫌に決まっているけど、慶が自分で言ってたんだ。
——『好きってことは自分のことを見ててくれるってことじゃん』って
「自分で言ったこと忘れてるんだ」
「俺が言ったこと?」
言葉に責任感がないな。こんな責任感もない男を好きになるとは思いもしなかった。
でも、俺のことを振り回すところも含めて全部が愛おしく思えるのは、惚れた弱みというやつか。
「そうだよ。覚えてないならなんでもいい」
「あー! 思い出した。いや、まぁ気持ちはうれしいかな」
イラっとした。
気持ちがうれしい?
俺が待っていたのに?
今さっき、責任感がどうだとか並べていたのは、ただの御託にすぎなかった。
「なんだ、これ。すげーむかつく」
「……渚生?」
俺は席を立ち上がり、首を傾けた。身長差のない俺たちだから、立てば目の前に顔がくる。
ふいと、下に目線を落とすと慶の唇をとらえた。ただ、ここは学校だということを思い出し、唇の触れる寸前で止める。俺は視線を傾けたまま、慶の肩に頭突きした。
好き。
なのに、むかつく。
慶が……好きな人がうれしいと言っていることをちっとも喜べない。
「慶、俺、喜べない」
「うん」
俺は肩に乗せた顔を傾けて、慶を仰ぎ見る。
「嫉妬してんの。わかんない?」
「分かってる」
慶が、にやけにやするのを我慢しているような、何かを噛み締めているような顔をする。
「あー。やべぇ。我慢できなくなりそう」
「慶はいつも我慢なんてしてないだろ」
「うん。そうかも」
「そういえば、付き合ったこと誰にも言うな」
「……無理かも」
「いつも通りならいいから! 女子の目線とかめんどいんだよ」
「いつも通りって何―……ぎゅーして、手握って、ちゅー?」
「全部なし」
指折り数えるそれらは、付き合う前とは程遠い。
浮かれてんな。慶のことを言えた口ではない。
——あれ? 付き合ってんのか?
好きと伝えただけで、もしかして恋人にはなれていないないのでは?
パッと顔を上げると、俺の言葉よりも先に慶の声が耳に入ってきた。
「好きだよ。俺の恋人、渚生しかなれないんだけど、どうですか?」
「とーぜん」
慶も気がついていたのだ。
教室を出て昇降口に向かう途中でも、慶はうだうだと告白について自責していた。昇降口に着いても言い続けるどころか、ロッカーに寄りかかって悔しそうな顔をする。
「浮かれすぎて忘れてたー……」
「別にいいじゃん? 好きなのは変わらないんだし」
「俺の彼氏、イケメンかよ……」
「何を今更」
項垂れる慶の情けない声も、浮かれすぎて震えそうなのを必死に抑える俺の声もおかしくて、思わず笑みをこぼした。こんなちょっとカッコ悪い俺たちの時間が幸せだと心がジワリと暖かくなった。



