お前と相合傘なんて

 一週間前から、高校が夏休み期間に突入した。
 世の高校生は今頃、皆浮かれていることだろう。俺はまあ、例外だが。
 俺は特段夏休みだからといって何をするわけでもない。
 予定が入ることもないし、やりたいこともない。ただ課題が多いだけ。ほんと、夏休みなんて面倒だ。

 それにしても、今日も相変わらず暑い。
 エアコンを付けているにも関わらずこれなのか。地球温暖化のせいだろうか。

 気を紛らわすために、俺はスケッチブックを開く。
 俺の趣味の一つ、水彩画だ。
 中学では美術部で描いていたが、高校では部活自体が面倒だったためそもそも入るのをやめた。
 別に習っているわけでもないし、部活でやっているわけでもない。完全に趣味の範疇(はんちゅう)だ。
 黒。青。深緑。
 とりあえず絵の具をパレットに出し、筆に水をつけ溶いていく。それだけで、心が静まる感じがする。

 と、ピロン、とスマホに通知が入る。
 誰から来たか、見るまでもなくわかる。案の定、画面には『さえき から新規メッセージが来ました』の文字。

 終業式の日、俺は佐伯に説得されて連絡先を交換したのだった。

『なぁ、夏休みとかも連絡取れたら便利だろ?』
『大丈夫だって。そんなしつこく連絡しないってば』
『通知うるさかったら切っていいし、な?』

 ・・・・・・もう既にうるさいじゃないか。
 正直嫌だったが、このままずっと言い続けられるのも面倒だ。
『いいよ』
 そう伝えると、佐伯はぱっと笑顔になり
『うわっ、一ノ瀬やっさしー。じゃ、交換な!』

 それから何度も何度も毎日のように佐伯から連絡が来た。
 と、今に至る。

 メッセージを開くと、予想通り大した用事ではなかった。これもいつもである。
『なぁ一ノ瀬』
『暇』
『なんかいい暇つぶし、ない?』
 そんなどうでもいいことを送ってくる暇があったら、宿題の一つ二つでもやればいいのに。
『課題やれよ』
『どうせ終わってないんだろ』
 そう送ると、すぐ返信が来た。
『やだ』
『めんどいじゃん』
 ――いや、子どもか。
『お前、最終日まで溜め込む気だろ』
 すると、一瞬だけ返信が来なくなった。
 一分、二分・・・・・・。

 四分後。やっと返信がつく。
『・・・・・・バレた?』
 はぁ、なんだこいつ。
『こんなの送ってきてないで、早く課題やれよ』

 そう話を切って、俺はスケッチブックに向き合う。
 正直やり取りをしていたのもあり、何を描こうと思ったのか思い出せない。
 とりあえず筆を持った。


 気づいたら、あれから二時間経っていた。
 俺はどうやら相当集中していたようだ。手元に、描いた絵がある。時間を忘れ夢中で描いていた絵。
 いつの日かに見た、木漏れ日。

『一ノ瀬は、どこか寂しい絵を描くね』
 中学のとき、母親にそう言われたことがある。自分で思ったことはなかったが、自然とそういう絵が多かったようだ。
 確かに今まで俺が描いていたのは、静かな森だとか夜の街のネオンサインだとか。そういった暗い色を使う絵が多かったのは、絵の具の減りを見ればわかる。

 でも、今描いた絵にそんな黒や紺のような暗い色は使っていなかった。
 寂しい絵ばかり描いていた俺のその絵は、どことなく暖かくて。
 俺は少しだけ、ふっと息を吐いた。

 ――俺も、きっと変わったんだな。
 それは多分、太陽みたいな眩(まばゆ)さで俺を照らしてくれる、あいつのせいだろう。


 夜になり、支度を済ませ自室のベッドに潜り込む。
 現在時刻十一時。まあ、いつもより早いか。
 夏休みが、始まってしまったんだな。前みたいに、佐伯が俺に話しかけてくることも、一緒に昼飯を食うのも、夏休みなのだから、当たり前にない。
 ・・・・・・なんか、寂しい。
 そうして俺はゆっくりと、意識を手放した。

 ――俺は、屋上に立っている。そうか、今日はあの日だ。
 屋上のドアがギイっと音を立てる。
『あ、蒼(あおい)。急に呼び出してどうしたんだよ』
 ふっと笑うその顔を見て、ああこいつは何もわかってないのだ、と苦しくなるほど理解できた。
『奏汰(かなた)。あのさ俺、ずっとお前のこと、・・・・・・好きだった』
 急に、顔から表情が抜け落ちた。
『冗談だろ?』
 聞いたこともないくらい、冷たい声だった。
『なぁ。お前、冗談も大概にしろよ』
 踵を返して、戻っていってしまう。目の前から、いなくなってしまった。
 違う、違うんだって。

 俺は、俺は本気で――


 がばっ、と勢いよく起き上がった。
 なんだ、夢か。
 俺は親友に振られたあの時から、時々こういう夢を見る。
 そしてこの夢を見た後はたいてい、眠れない。

 部屋の時計が、午前零時十二分を指している。
 ああ、まただ。眠れない。
 あの日の夢を見る夜は、いつもこうだ。まだあの出来事が、あの時の親友の顔が、俺の心をぐっと縛り付けているのだろうか。
 佐伯と出会ってから、しばらく見ていなかったのに。
 ・・・・・・もう、忘れたものだと思っていた。まあでも、忘れられるものでもないか。

 上からパーカーを羽織(はお)り、足音を忍ばせながら階段で一階へ降りる。うちの階段は、老朽化からか時折小さく軋む音がして、なんとなくヒヤヒヤする。
 なんとかバレずに玄関までたどり着いた。
 ドアノブを音を立てないようにして回し、ゆっくりと開けて一歩を踏み出した。

 月明かりがなく、街灯だけが頼りの、そんな薄暗い夜だった。
 日中とは違い、緩くまとわりつく鈍痛のような暑さ。
 キーンと音がするほど静まり返った住宅街に、俺の足音だけがパタパタと小さく響いている。
 裸足にサンダル。洋服は、パジャマ代わりのジャージにパーカーを羽織っただけ。
 誰か知り合いに会ったら、絶対に恥ずかしい。

 なんとなく近くのコンビニに入った。
 入店音とともに自動ドアが開き、冷気がふわっと漂ってくる。
 特に欲しいものもなかったが、奥の飲料コーナーへ向かう。
 あー、コーラでも買うかな。

 飲み物コーナーの前で立ち止まっていると、後ろから声がかかった。
「あれ、一ノ瀬?」
 佐伯だ。
「何してんの、こんな時間に」
 こっちのセリフだ。
「・・・・・・佐伯って、家こっちだったっけ」
「あー違う違う。今、ばあちゃんち来ててさ。そんで」
 なるほど。まあ、夏休みならあるあるか。
「一ノ瀬は?家この辺?」
「まあ、近所」
 へー、と佐伯が相槌を打った。
「もうすぐ一時だけど、何する予定だった?」
 何って言われても。
「いや、なんか眠れなくなって」
「・・・・・・そっか、俺も」
 佐伯が眠れなくなるなんて。余程心配なことでもあるのだろうか。

 と、佐伯はふっといたずらっぽく笑い、こう尋ねてきた。
「どっか行こうぜ、せっかくなら」
 どこかとは、どこなんだ。
「行きつけ、教えてやるよ」
 促されるままにコンビニを出、夜道を並んで歩く。

「・・・・・・行きつけ?」
「そ。寝れなくなったときに、たまに行くんだ」
 佐伯は呑気に、心なしか楽しそうに歩いている。そんな佐伯の横顔を、夜の街のネオンが照らし出す。

 しばらく歩き、佐伯が立ち止まった。
「ここ」
 見ると、そこに小さな店があった。
 外壁は、深みがかった青色のレンガ造り。下げられた木の看板には『喫茶ミッドナイト』と書かれている。
 深夜営業の喫茶店なのだろう。
「入ろう」
 佐伯が店のドアに手を掛ける。

 店内は、昔懐かしいレコードがゆったりとしたジャズを奏で、全体的に落ち着いた色合い。
 ――よくこんな店知ってたな。
「ほら、こっち」
 佐伯に促され、俺たちはカウンター席に座った。肩同士が軽く触れている。
 こんな時間だからか、客がまばらで静かだった。

「俺のおすすめはね、これ」
 佐伯が指さしたのは、『ミルクコーヒー』であった。
 クリームがふんだんに乗った一品である。
「じゃあ、俺それにしようかな」
 よっし、じゃあ頼むから」
 店主に声をかけた佐伯は、ミルクコーヒー二つに、プリンを頼んだ。
 この時間からお菓子を食うのか・・・・・・攻めてるな。

 窓の外には、ビルやお店のネオンが煌々(こうこう)と輝いている。
 対照的に店内は少し薄暗く、ただ静かな空間が広がっている。今どきこんな時間までやっている喫茶店なんて珍しい。
「なんかさ、ちょっと悪いことしてる気分になるな」
 佐伯がぼそっと呟く。
「何が」
「だってよ、今一時半だろ?夜遊びの時間帯じゃん」
 そう言って、けらけらと楽しそうに笑った。
「ま、たまにはこういうのもいいよな」
「・・・・・・まあな」
 しばらく沈黙が流れた。
 沈黙は気まずいものだと思っていたのに、なぜか今は少し、この静寂が心地よかった。

「こちら、ミルクコーヒー二つと、プリンになります。ごゆっくりどうぞ」
 カウンター席に、コトンと音を立てて置かれた。
 ホイップとチョコソースが盛られた甘そうなミルクコーヒーに、さくらんぼの載ったプリン。
 店主はそれ以上何も言わず、静かに皿を磨いている。
「よっしゃ、飲もうぜ」
 そう言うやいなや、佐伯はカップに口をつけた。
「やっぱ美味いわ」
 満足気に頷く佐伯の口元に、ホイップクリームがべっとりついている。
「・・・・・・おい、口元についてる」
「ん、マジ?」
 佐伯が口周りをペロッと舐めた。
「あ、ホントだ」
 楽しそうに笑う佐伯に、俺もつられて笑ってしまった。
 そんな俺を見て、佐伯はふっと息を吐いた。
「やっぱ、お前の笑った顔、好きだな」

 時が止まった、かのような錯覚がした。
 ・・・・・・笑った顔が好き?
 俺の頭がフル回転している。
 いや、普通にそのくらい言うのは普通だろう。佐伯はきっと、友達としてそう言っているだけだ。
 きっと、そう。
 そうそう。俺のことを好きと言っているわけではないんだ。あくまで『俺の笑った顔』。
 そのはずなのに――どうして俺の心臓が、こんなにも強く締め付けられるんだろう。

 その気持ちの答えに、行き着きたくなかった。
 この感情に名前をつけてしまったら、もう佐伯の隣にいられなくなる気がして。

「そりゃ、どーも」
 あえて、軽く返した。動揺を悟られるわけにはいかない。
「何だよそれ、相変わらず冷たいなー」
 佐伯は少し拗(す)ねたように口を尖らす。
 その顔が面白くて、俺はまた笑った。

 こいつの隣に、少しでも長く居たい。
 一緒に笑い合いたい。
 そう思った時点で、佐伯に対する感情に答えが出ているも同然だった。