お前と相合傘なんて

 雨が、教室の窓を激しく叩いている。
 昼過ぎにはまだ少し青空が見えていたのだが、一瞬で分厚い雨雲が現れ、気づいたら土砂降りになってしいた。これは、頑張れば傘無しで帰れるレベルのものではない。
 教室のクラスメイトの声が遠のくくらいに、雨の音がうるさい。

 湿気のせいでどんよりとした空気を纏う放課後の教室では、傘を持っていないと嘆く声があちこちから聞こえてきた。どうやら皆、この土砂降りの中帰りたくないのだろう、皆それぞれ友達と固まって話している。

 用意周到な俺は、朝の天気予報をしっかりと確認し、傘を持って来ている。良かった。やはり、信じるべきは目に見えるものより天気予報だ。


 教室を後にし、昇降口へと向かう。
 靴を脱ぎ傘を持って外へ出ると、とあるクラスメイトの背中を見つけた。

 あれは確か、佐伯渚。明るい茶色の髪は、遠くから見てもわかる。コイツは見るからに根っからのコミュ強で、いつも周りに人がいる。
 俺からしたら、そこそこ厄介なタイプだ。声をかけるべきではない。そもそも、話したこともない。

 バレないようこっそり帰るか。そう判断し、佐伯の目に入らぬよう大回りをして傘を開いて外へ――と思ったが、現実はそう上手くいかない。

「あ、おい、お前。同じクラスの一ノ瀬だよな」

 まさか声をかけられるとは思わず、俺は一瞬固まった。
 佐伯は不思議そうに顔を覗き込んできて、佐伯の整った顔がぐいっと近づく。

「・・・・・・なんだよ」
「俺さー、傘忘れたんだよなー」

 あー、これ、嫌な予感がする。
 次に来る言葉を予想してみよう。俺の導き出した答えは『お前、傘持ってるなら入れてくれない?』。
 一言一句こうでなくとも、似たようなことを言われるのは必然である。

「・・・・・・で?」
 あえて、知らんぷりを決め込む。
 ――さあ、お前はどう出る?

 わっかんないかなー、と佐伯は首の辺りを掻いた。
 だからさ、と面倒そうに続けた。
「入れてってくんない?一ノ瀬の傘に」

 セリフは、ちょっと違ったけど。内容は大体一緒だ。
『入れてってくんない?』――最悪の展開。
 コイツは、多分本気で言っている。図々しい。・・・・・・いや俺、コイツとの会話これが初めてだが?
 初絡みで相合傘か・・・・・・しかも相手は陽キャ。

 距離感バグにも程がある。
「俺に頼まなくても、お前なら誰かいるだろ」
「そんな釣れないこと言うなよー、なあ、一ノ瀬ー」

 と、俺の両肩を掴み軽く揺さぶり始めた。
「おいっ、やめろっ・・・・・・」
 視界がぐらつく。いや、俺らほぼ初対面だぞ?

 肩を掴んで揺さぶるって。まったく、迷惑極まりない。どうしてコイツはこんなに距離感が近いのか。陽キャって、パーソナルスペース激近野郎の集まりなのか?

「ちょ、揺さぶるなって」
 はぁ。心の中でため息を噛み殺す。これはいわゆる詰みだ。どうやら、この状況において断る選択肢は与えられていなさそうだ。どう転んでも、終わりである。
「おーいー、一ノ瀬ー、入れてくれよー、な、いいだろ?」

 そもそもコイツに捕まった時点で、とっくに終わりを迎えていたのだろう。

 どうしようもない。俺は、とうとう折れた。それしかなかった。
「・・・・・・今回だけだからな」


 俺はなぜコイツと一つの傘を共有する羽目になったのだろう。断ることだってできたはずなのに。

 俺は案外、押しに弱いようだ。

 あー、簡単に折れてしまった自分にイラついてきた。どうしてこうも流されやすいのだ。
 最悪だ。週の初めがこれじゃあ気分が悪い。きっと今週一週間俺はツイてないだろう。

 俺特有の、悲観主義的考えがさっと頭を(よぎ)り、俺の意識がふと右隣の佐伯に流れた。

 身長はほぼ同じかと思っていたが、横に並んでみると俺のほうが五センチ程度高いようだ。・・・・・・思ってたよりコイツ、背低いんだな。
 ――いや、流石に近い。俺の右肩が触れるくらいだ。それにしても、いつも教室の真ん中にいるようなヤツが隣にいるなんて、世界の重大なバグだと言っても過言ではない。
 佐伯は、至って普通の顔だ。相変わらず顔が良い。コイツ、なんかムカつく。

 俺の視線に気づいたかどうかはわからないが、佐伯の綺麗な二重の瞳が俺を捉えた。
「一ノ瀬って、案外優しいのな」

 佐伯は、さらっと爆弾を投下してきた。
「は?」
「だって、優しくなかったら、俺のこと見捨てるでしょ」
「お前がしつこいからだろ。俺だって、送りたかったんじゃない」

 そう言うと佐伯は、少し不機嫌になった。
「俺、そんなしつこくないだろ」
「自覚ないのかよ」
 ムキになった佐伯が一歩距離を詰めてくる。

 肩が完全に当たる。が、佐伯は全く悪びれる様子もない。
 ああ、ムカつく。パーソナルスペースという概念自体ないのだろう。顔が良いのが余計ムカつく。

「てか、近くね?」
「だって濡れたくないし」

 ふてくされるように、佐伯は肩をすくめた。そんな姿もムカつくほど様になる。
 俺は、すっと傘からはみ出すくらい距離を取ろうとした。

「おい、濡れるぞ」
 腕を掴まれ、ぐいっと引き戻される。そのせいでさっきより距離が近くなってしまった。もう完全に肩が当たっている。佐伯は全く動揺せず、至っていつも通りである。

 ――ああきっと、胸がざわついてんのは俺だけか。
 あー、コイツ、ほんとムカつく。


 しばらく無言で歩いていると、遠くに駅が見えてきた。
 あぁようやく、この地獄のような時間を終えられる。
 長かった。何が悲しくて俺は、佐伯と相合傘をしなくてはならないんだ。俺と相性悪そうで、誰とでも仲良くできる、軽いヤツ。

 ――だが、佐伯はそう簡単に帰してくれなかった。
「お、もう駅近いじゃん。な、一ノ瀬。せっかくだからさ、あそこ行かね?記念で」
 佐伯の指さす方を見ると、いかにも年季が入っていそうなラーメン屋がある。

「は・・・・・・記念?」
「そ。俺と一ノ瀬が仲良くなった記念」

 仲良く、なったか・・・・・・?

 そう思っているんだとしたら、なかなか呑気なヤツだ。さっきまでほぼ話したことなかったし。仲いいとも到底思えない。何なら今も、かなり面倒だと思っている。

「いつ俺がお前と・・・・・・」
「そんな釣れないこと言うなって。な、一ノ瀬も腹減ったっしょ。俺奢るし」
 ラーメン一杯タダというのは、男子高校生にとってなかなか無視できない情報だった。

 半ば強制的にラーメン屋へ引きずり込まれた。


 入ってみると、外観通りかなり老舗のようだ。
 色褪せたテーブル。ラーメンの湯気と油を染み込んで色変したであろう壁。
 お客はゼロではないがポツポツといった感じで、ひっそりと建つ、いかにもな町中華である。

 俺と佐伯は、二人してカウンター席へ座った。

 店の壁には、様々なメニューが書かれた木の板が吊るされている。塩、味噌、豚骨、担々麺・・・・・・焦がしバター醤油ラーメンという変わり種まで取り揃えているみたいだ。

 ――佐伯もこういう店来るんだな。
 と、佐伯はもう決まっていたかのようにカウンターへ身を乗り出した。

「おっちゃん、いつもの」
「はいよ」

 どうやら佐伯はここの常連のようだ。

「お前何頼む?」
 ・・・・・・おー、どうしようか。悩みどころだ。

「じゃあ・・・・・・担々麺で」
「兄ちゃんは担々麺ね。はいよ」
 
 ラーメンのスープなのだろう、いい匂いと湯気が店の中に充満している。

 と、俺と佐伯の前にそれぞれラーメンが運ばれてきた。
 佐伯の言う『いつもの』とは、醤油ラーメンのようだ。

「いっただっきまーす」

 言うな否や、佐伯はラーメンを美味そうに頬張った。

「うっま、やっぱおっちゃんのラーメンサイコーだわ」

 調理をしていた店主の方がふっと笑って「そりゃどーも」と軽く返した。結構仲が良さそうだった。これがきっと店主と常連のやり取りなのだろう。

「あれ?一ノ瀬、全然食ってないじゃん。腹減ってなかった?」
 思わず佐伯がラーメンを(すす)る一部始終を見ていたようだ。佐伯があまりに美味そうに食べるから、つい。

 ――なんて、俺には言えるわけがない。
「いや、そういうわけじゃねぇし」

 俺も一口食べる。ここのラーメンはたしかに美味い。
「美味いな」

 思わずぼそっと言うと、佐伯は嬉しそうに笑った。
「そうだろう、そうだろう」

 まるで自分が褒められたかのように誇らしい顔をしている佐伯を見ていると、少し力が抜けてきた。

 佐伯は、普段陽キャたちとしょっちゅうカラオケだの駅前のカフェだのに行っているようなヤツだ。そんなヤツに、まさかこんな何の変哲もない中華料理屋へ連れてこられるとは思っていなかった。

 ――コイツは意外とこういう店のほうが好きなのだろうか。

 そんな事を考えながら麺を啜っていると、佐伯がぼそっと言った。
「俺、こういう店誰かと来んの、一ノ瀬が初めてかも」
「・・・・・・は?」
「いつもさ、皆が行きたいっていうとこばっかだし」

 『皆』とはきっと、佐伯といつも一緒にいる友達のことだろう。

 ふっと笑う佐伯は、いつもと違って穏やかで遠い目をしていた。別人のように、寂しそうな顔。
 それが、まるでいつもの軽々しい笑顔じゃない、不意に出てしまった、素の表情のようで。見てはいけないような気がして、俺は思わず目を逸らした。

 俺は何か言おうとして口を開きかけたが、やめる。
 俺には、踏み込んではいけない気がした。

「よしっ、そろそろ出るか」
 そう言い放った佐伯の表情は、いつも通り笑顔だった。


 宣言通り佐伯が二杯分払い、店を出る。

 さっきまでの本降りが嘘のように、すっかり止んでいる。それどころか、夕焼け空まで見えるくらいだ。
「なあ、一ノ瀬」

 佐伯の整った顔が、夕日に照らされている。
 俺は思わずはっと息を呑んだ。

「ありがとな、無理言って傘入れてもらっちゃって。マジ助かった」
「ああ。俺もまあ、ラーメンサンキュな」
「あれくらい良いって」

 佐伯はふっと息を吐いたように笑うと、改札へ向け歩き出す。
 また明日な。佐伯は大きく手を振って、駅の改札へと消えていった。

 は・・・・・・また明日?

 俺はこのとき、まだわかっていなかった。佐伯がどんなにしつこいヤツなのか、ということが。