騒めきが、空間を波のように伝って僕の耳に飛び込んでくる。目立たないように何度目かの溜息を吐いて、烏龍茶のグラスを傾けた。
「新歓ってやっぱ人多くてなんぼだよねー」
よく知らない、おそらくは同輩の大きな声を聞きながら、ぼんやりと思考を巡らせる。どうしてこうなったんだっけ。
『暁、今日の夜飲み行けね?』
柿畑が、ぱんと音を立てて手を合わせる。
『………面子による』
『知り合いだけの小規模なやつだから、暁も知ってる人多いと思う。あんまり深酒はしないつもりだし』
ザルである此奴にも深酒という概念があったんだなと思いながら、『それなら』と了承した記憶がある。
いざ来てみれば、知り合いなぞ柿畑を除いて1人もいない。騙された。
とはいえ、たぶん彼に僕を騙すつもりは微塵もなかったんだろう。顔が広い柿畑のことだから、知り合いが知り合いを呼んで収拾がつかなくなるのは想像に難くなかった。そしてそんな状況でも、彼は上手く場を回してしまうんだろうということも。
「ねぇねぇ、暁くん、だよね? コタの友達の」
斜め前に座っていた恐らく同輩の声に、顔を上げる。コタ。あぁ、柿畑のことか。
「……お会いしたことありましたか」
「ひどーい、覚えてない? 前に暁くんがコタと一緒にいた時、話したことあるじゃん」
申し訳ないが、微塵も覚えていない。そもそも、柿畑の知り合いをいちいち記憶していたらこちらの脳がパンクするというものだ。
「……あぁ、言われてみれば」
適当に話を合わせてみると、「そういえば、暁くんって下の名前なんて言うの?」と声が飛んできた。話のテンポが妙に速い。
「理央。理に、中央の央で」
「へぇー、可愛い名前」
彼女も自分の名前を早口で名乗ったようだけど、居酒屋特有の騒めきに攫われてよく聞き取れなかった。
「理央くん、飲んでる? せっかくの機会だしさ」
「ごめん、僕下戸なんだ」
実際には下戸というほどではないのだけど、この混沌とした場で酔うのには抵抗がある。捕まらないうちにグラスを持って立ち上がり、座敷の隅に移動した。柿畑はどこにいるんだろうと思ったけど、彼の交友関係の隣でまともに立ち回れる自信がない。
ふと目線を上げると、僕と同じように1人で座っている人が目に入った。新入生だろうか。
「前良いですか」
「どうぞ」という短い答えが返ってくる。あまり口数が多い方ではないのかもしれない。
「夜猫ちゃーん、ちゃんと呑んでる?」
だいぶ酔っているらしい誰かの声が聞こえてきた。夜猫。本名だろうか。
「未成年なので。遠慮しておきます」
「えー、そんなこと言わずに」
「結構です。卵焼き頂いてもいいですか」
ぶつぶつ言っているらしいその声を無視して、彼女が皿を受け取る。箸を入れて一口食べると、その冷めた表情が一瞬和らぐのが分かった。
「……先輩も食べますか」
「え、僕?」
「他に誰がいるんですか」
彼女の──夜猫の双眸が、微かに可笑しそうに歪む。この子も笑うんだなと、見当違いなところに驚く。
「じゃあ貰う。ありがとう」
差し出された皿から一切れ箸で取って、口に運んだ。優しい出汁の味に、ささくれ立っていた心が微かに緩むのが分かる。
「申し遅れましたが、鈴森と言います。鈴森夜猫です。1年生です」
「あ、暁です。暁理央。2年生」
「理央先輩。よろしくお願いします」
「よろしく。……なんて呼べば良い?」
なんでそんなことを訊くんだとでも言いたげに、彼女が目を瞬かせた。
「何でも良いですよ、鈴森でも夜猫でも。でも強いて言うなら、敬称がない方がほっとします」
「その割に、敬称付きで呼ばれているみたいだけど」
「あれは単純に言いそびれました」
夜猫の言葉にふっと笑って、少し考える。高校の運動部じゃないんだし、苗字で呼び捨てにするのには抵抗があった。
「……じゃあ、夜猫。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
夜猫が目を細めて笑う。猫みたいな子だと、ぼんやりと思った。
「理央先輩も、コタロー先輩経由ですか?」
「もってことは、夜猫も?」
「はい。小規模なやつだからって言われて引き摺り出されました。帰りたいです」
「同感」
遠慮がないけど棘もない物言いには、不思議と反感を覚えることがない。
「その割に満喫してるように見えるけど、これは僕の見間違い?」
「見間違いというよりは、誤解です。どうせ食うなば皿までというか、楽しめないまますぐに帰るのも癪なので。ご飯だけはちゃんと食べて帰ろうかと」
居酒屋のご飯好きなんですよね、と平然と続ける彼女に、思わず笑ってしまった。
「じゃあ僕も、参加費分は頂いて帰ろうかな」
「そうしましょう」
夜猫もどこか楽しそうに、笑った。
「新歓ってやっぱ人多くてなんぼだよねー」
よく知らない、おそらくは同輩の大きな声を聞きながら、ぼんやりと思考を巡らせる。どうしてこうなったんだっけ。
『暁、今日の夜飲み行けね?』
柿畑が、ぱんと音を立てて手を合わせる。
『………面子による』
『知り合いだけの小規模なやつだから、暁も知ってる人多いと思う。あんまり深酒はしないつもりだし』
ザルである此奴にも深酒という概念があったんだなと思いながら、『それなら』と了承した記憶がある。
いざ来てみれば、知り合いなぞ柿畑を除いて1人もいない。騙された。
とはいえ、たぶん彼に僕を騙すつもりは微塵もなかったんだろう。顔が広い柿畑のことだから、知り合いが知り合いを呼んで収拾がつかなくなるのは想像に難くなかった。そしてそんな状況でも、彼は上手く場を回してしまうんだろうということも。
「ねぇねぇ、暁くん、だよね? コタの友達の」
斜め前に座っていた恐らく同輩の声に、顔を上げる。コタ。あぁ、柿畑のことか。
「……お会いしたことありましたか」
「ひどーい、覚えてない? 前に暁くんがコタと一緒にいた時、話したことあるじゃん」
申し訳ないが、微塵も覚えていない。そもそも、柿畑の知り合いをいちいち記憶していたらこちらの脳がパンクするというものだ。
「……あぁ、言われてみれば」
適当に話を合わせてみると、「そういえば、暁くんって下の名前なんて言うの?」と声が飛んできた。話のテンポが妙に速い。
「理央。理に、中央の央で」
「へぇー、可愛い名前」
彼女も自分の名前を早口で名乗ったようだけど、居酒屋特有の騒めきに攫われてよく聞き取れなかった。
「理央くん、飲んでる? せっかくの機会だしさ」
「ごめん、僕下戸なんだ」
実際には下戸というほどではないのだけど、この混沌とした場で酔うのには抵抗がある。捕まらないうちにグラスを持って立ち上がり、座敷の隅に移動した。柿畑はどこにいるんだろうと思ったけど、彼の交友関係の隣でまともに立ち回れる自信がない。
ふと目線を上げると、僕と同じように1人で座っている人が目に入った。新入生だろうか。
「前良いですか」
「どうぞ」という短い答えが返ってくる。あまり口数が多い方ではないのかもしれない。
「夜猫ちゃーん、ちゃんと呑んでる?」
だいぶ酔っているらしい誰かの声が聞こえてきた。夜猫。本名だろうか。
「未成年なので。遠慮しておきます」
「えー、そんなこと言わずに」
「結構です。卵焼き頂いてもいいですか」
ぶつぶつ言っているらしいその声を無視して、彼女が皿を受け取る。箸を入れて一口食べると、その冷めた表情が一瞬和らぐのが分かった。
「……先輩も食べますか」
「え、僕?」
「他に誰がいるんですか」
彼女の──夜猫の双眸が、微かに可笑しそうに歪む。この子も笑うんだなと、見当違いなところに驚く。
「じゃあ貰う。ありがとう」
差し出された皿から一切れ箸で取って、口に運んだ。優しい出汁の味に、ささくれ立っていた心が微かに緩むのが分かる。
「申し遅れましたが、鈴森と言います。鈴森夜猫です。1年生です」
「あ、暁です。暁理央。2年生」
「理央先輩。よろしくお願いします」
「よろしく。……なんて呼べば良い?」
なんでそんなことを訊くんだとでも言いたげに、彼女が目を瞬かせた。
「何でも良いですよ、鈴森でも夜猫でも。でも強いて言うなら、敬称がない方がほっとします」
「その割に、敬称付きで呼ばれているみたいだけど」
「あれは単純に言いそびれました」
夜猫の言葉にふっと笑って、少し考える。高校の運動部じゃないんだし、苗字で呼び捨てにするのには抵抗があった。
「……じゃあ、夜猫。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
夜猫が目を細めて笑う。猫みたいな子だと、ぼんやりと思った。
「理央先輩も、コタロー先輩経由ですか?」
「もってことは、夜猫も?」
「はい。小規模なやつだからって言われて引き摺り出されました。帰りたいです」
「同感」
遠慮がないけど棘もない物言いには、不思議と反感を覚えることがない。
「その割に満喫してるように見えるけど、これは僕の見間違い?」
「見間違いというよりは、誤解です。どうせ食うなば皿までというか、楽しめないまますぐに帰るのも癪なので。ご飯だけはちゃんと食べて帰ろうかと」
居酒屋のご飯好きなんですよね、と平然と続ける彼女に、思わず笑ってしまった。
「じゃあ僕も、参加費分は頂いて帰ろうかな」
「そうしましょう」
夜猫もどこか楽しそうに、笑った。



