人間には個体差があるという話


・【06 定食屋”はなだ亭”】


 高校をサボる時なんていくらでもあったけども、こんな緊張することは初めてで正直手の震えが止まらない。もはや訳が分からなくなっている。小山莉愛が俺の前を歩くので、そのまま踵を返してバックレようとも思った。でもそれはさすがにダサい。花田から逃げるなんてそんなことはさすがにプライドが許さない。ちゃんと謝って堂々としている。それが俺の生き方だろう、と。いやでも本当に謝る必要があるのか? いやでももうここまで来た上で逃げるのは小山莉愛がいる手前、恥ずかしいしな。
 花田の定食屋”はなだ亭”に着いた。当たり前のように小山莉愛が扉をガラガラと開けたので、おいおいおいと思ってしまったけども、それが普通か。小山莉愛が入ると、即座に花田の父親と思われる店主から、
「おっ、莉愛ちゃん。今日は高校休みかい?」
 と言われていて、馴染んではいるんだ、と思った。一体どういう関係性になっているのだろうか。小山莉愛の本心は計り知れない。
 小山莉愛は堂々と、
「今日はサボって、友達連れてきました」
 と言って俺の背中を押して前に一歩出してきた。俺は気まずくて俯きがちに、
「友達の佐野秀哉です」
 と変に敬語でそう言ってしまった。店主のオッサンは笑いながら、
「良いね! 高身長でイケメンだね!」
 とサムアップされて、俺って本当に”そういうの”なんだ。
 ふと、厨房のほうを見ると、花田が一瞬目が合って、花田から先に視線を外した。
 一体花田はどういう気持ちなんだろうか。いや俺のこと憎んでいるだろうな。そんなヤツを連れてきた小山莉愛に対してもイラついているかもしれない。少なくても俺だったらそうなる。でもそれは俺の目線であって花田の目線ではない。とは言え、同じ男だから分かる。絶対そういうもんだろ。
 小山莉愛は普通の感じで、
「カツ丼は絶対一郎が作るから、佐野はカツ丼ね。二人でカツ丼にすると、カツのサクサクが弱くなる可能性があるから、私はおじさんが作るラーメンにしようかな」
小山莉愛が注文している最中、俺は黙っていた。というか俯きがちにテーブルの染みを見ているだけ。こんなん陰キャじゃんって感じだが、もうそうなってしまうのだからしょうがない。俺だっていつも完璧な人間じゃないのだ。不安な時もある。何が不安なのかはよく分からないけども。
 小山莉愛のラーメンが先に届いた。店主のオッサンが持ってきて、
「カツ丼は工程いっぱいだからもう少し待ってなっ」
 と快活に言ってくれたんだけども、俺は頷くことしか出来なかった。本当に自分がこんな風になるとは思ってもいなかった。もしかしたら知るということは大人しくなることなのかもしれない。知ってしまったらもう昔のようにバカみたいにしてられることも出来ない。というか昔はそれがバカだということにも気付かなかった。勿論大人しいヤツ全員賢いとは思わないけども、そういう側面ももしかしたらあるのかもしれない。そこも個体差があるんだろうけどもさ。
 カツ丼はなんと花田が持ってきたんだけども、花田は普通に「カツ丼です。ご注文はお揃いですか」と聞くだけで、それ以上のことは何も言わなかった。でも花田の声は普通に出ていたし、何も声が出せずに視線を切るだけの俺とは全然違った。大人だった。
 小山莉愛が「冷めないうちに食べなよ」と言いながら、割り箸を渡してきて、完全に母親のようだった。
 でも俺は、
「毒入ってるかもだから、最初小山莉愛が食べて」
 と気付いたら口をついていた。これが不安の原因かもしれない。なんせ直感で感じたんだ。
 小山莉愛は喋り出しは「バ!」とデカい声を出してから、でもすぐに抑えた声で「バカじゃないの? 一郎がそんなことするわけないじゃん。そもそも厨房に毒無いよ」と言った。
 俺は割り箸を持ったまま、割らずに黙っている。小山莉愛が特大の溜息をつき、俺の視界に小山莉愛の割り箸が入ってきた。小山莉愛のほうへ顔を上げると、ちょうどカツ丼のカツを一口食べるところで、
「はい、サクサクで美味しい。サクサクさが無くなるからさ、早く食べなよ。それとも三十分くらい待つ? そんなビビりなん? ヒクわぁ」
 意図的に煽っていることは分かった。だからもう仕方なく乗ってやることにした。俺は意を決してカツ丼を食べたその時だった。
 こんなに美味しいカツ丼を食べたの初めてかも……何だか感動してしまった。衣はカリカリで、豚肉は柔らかくジューシー。とじた卵もふわふわで出汁の入った味がカツの旨味をさらに引き立てる。塩気はちょうど良くて、ご飯に合う味だ。すぐにご飯をかき込んだら、そのご飯も少し硬めに炊いていて、汁気のある卵とすごく馴染む。
 俺は気付いたら涙をボロボロ流していた。他にも常連のようなお客が三人くらいいて、店主のオッサンもおろおろとしているのはかろうじて分かった。もう視界が滲んで見えづらくなっているけども。
 すると、なんと花田がやって来た。視界が滲んでいても、高校でよくあの困った面持ちを見ていたので、あれが花田ということは分かる。
 花田は優しい声で、
「食べてくれて有難う」
 と言った時に俺は自分の愚かさを痛感した。花田は全然俺を憎んでいるトーンではなく、本当にただただ優しい料理人として俺に接してくれていて。対する俺は、俺だったら苛立っているなとか、同じ男だから分かるとか、変に凶暴な考え方をしていて。こんなにも人と自分って違うんだ。俺は人との境界があいまいだったのかもしれない。全員自分のような思考回路だと思っていたのかもしれない。そんなはずないのに。
 俺はもう言うしかないと思った。
「スマンかった! 俺! 花田のこと、高校でイジメていたこと! ただの遊びだったけども! 本人からしたら地獄だったよな! 悪かった! 俺が全て悪かった! 本当にスマンかった!」
 その刹那、小山莉愛のデカい声が聞こえてきた。
「他にお客さんもいるのに! 何そのアウティング!」
 その時に、あぁ、また俺やっちゃってるじゃん、って思った。本当に俺、そういうとこだぞ、なんだろうな。
 そう小山莉愛に言われたら、青ざめたからなのかどうかは分からないけども、涙が引いてきた。
 目を軽く手で拭くと、店主のオッサンが視界に入ってきて「よしっ」と言うと、
「一郎、ちょっとこの子らをオマエの部屋に連れてってお茶でも出しなさい」
 と言い出して、急展開過ぎると思ったんだけども、花田は相変わらず大人な対応で、
「じゃあ佐野くん、小山さん、少し汚れているかもだけども、僕の部屋へ行きましょうか。こちらです」
 と全く店主のオッサンへ反抗せず、言われた通りにしている。俺だったら自分のことイジメていたヤツを部屋に入れたら、どんな嫌なこと言い出すかで嫌だけどな、と思った。
 定食屋”はなだ亭”は実家と一体型の店舗でトイレへの通路の奥へ行くと、そこが普通に居住区だった。
 花田はそのまま家のほうの冷蔵庫に行き、
「未開封のペットボトルなら飲めるでしょ」
 と何か気を遣ってもらえてもいる。不潔そうだから嫌とか言われないため、みたいな感じだ。
 花田が三本の五百ミリリットルのアクエリアスを持ったところで、そのうち二本を受け取った小山莉愛はすぐに一本分を俺に渡してきた。
 俺、相当気を遣われていることは分かった。直接花田から俺、よりも自分を経由したほうがいいという判断を小山莉愛はしたんだろう。
 花田に連れられるまま、花田の部屋に入った。
 俺は正直花田のことをオタクのナードだと思っていたので、部屋に美少女フィギュアを置いていたり、グラビアアイドルのポスターを貼っているイメージだったが、全然普通だった。俺が買っている漫画雑誌の中で一番面白いと思っている漫画のコミックスや、料理のレシピ本や多分料理の学術的なヤツが書いてあるような本ばかり。ポスターの類はゼロで、ベッドの上には多分モケットポンスターのキャラクターのぬいぐるみとクッションが一つずつ置いてあった。
 花田に促されるまま、座布団の上に座った。丸いミニテーブルの前にアクエリアスは置かせてもらった。花田は俺の対面になるように床に座った。小山莉愛は大体正三角形の関係になるような位置に座るのかなと思ったんだけども、その位置の床とはベッドに近くて、狭いだろうなと思った。どう座るんだろうなと見ていると、なんと小山莉愛は靴下を脱ぐと、ベッドの上に女座りしたのだ。しかも当たり前のようにモケポンのクッションに手を伸ばして、自分の腹部に挟むように置いた。
 勿論ずっと期待していたわけじゃないし、こんな時にこんなことを思うことこそ俺最低なわけだが、俺が小山莉愛を抱く未来は無いんだろうな、と思った。