人間には個体差があるという話


・【12 バイト(2)】


 俺はもしかすると今まではずっとチューニングをゼロにして、スカシていたのでは、と。今は今で考えるべきこともあり、少し疲れることもあるが、でもそれ以上に何か生きているという実感がある。
 自分の出来ること、否、したいことをすることがこんなにも楽しいことなのか。そりゃサッカーもしたかったのかもしれない。でももしかしたらそれ以上に褒められるから、モテるからやっていたというところも大きいのかもしれない。得意だからとりあえずやっていた、みたいな。だから俺はずっと何でもいい人生だったのかもしれない。安直に人のことをバカにする笑いがウケるから、そんなことを言っていた。女を褒めればヤレたから、特に自分の意見は言わず、ずっと合わせていた。男には加害性、女には共感性。全てはセックスのために。じゃあセックスが一番楽しいことだったんだな。気持ち良いから。動物過ぎる。
 それだって全てを否定する気は無いけども、今はそれ以上にやりたいことがある。ヤリたいことではなくて。尖ってイキリ立つんじゃなくて、やわらかくやりたいことがある。俺だって人間に戻りたい。それだけなんだ。
 俺の仕事は、大学生から嫌味を言われる以外は何事も無いのだが、小山莉愛のほうがちょっと大変そうで。
 小山莉愛はレジ打ちをしている。つまり一番客と接するポジションということ。で、若い女がレジ打ちをしていると、どうなるのか。俺は知らなかった。でも帰り道での愚痴で知った。若い女がレジ打ちをしていると、ほぼ百パーセントでオジサンに絡まれるということ。
 でも確かに品出し中の俺にもやたら話し掛けたり、手を握ってくるオバサンはいる。でも俺は何かあれば俺が勝てると思って余裕だったけども、小山莉愛のほうはそうはいかない。
 肉体的に、絶対に男のほうが女よりも強い、ということになっている。そりゃ格闘家の女などの例外はいるが、格闘家の女も格闘家の男には勝てない。そんな自分より強い存在が自分に絡んでくる。それでいて、店員と客の関係性なので強く出ることが出来ない。最悪だ。
 レジ打ちは、平日の午後一時から三時くらいは暇である。だからこそこの時間帯にバイトに慣れていない夏休みの高校生がたくさん仕事しているわけだが、他の客がいないということは、ずっと常駐しているオジサンに話し掛けられ放題ということで。
 そういう時はレジの数を減らして、常に仕事をして話し掛けられない状態を作る。でもそれでもやっぱり常駐しているオジサンが後ろからやって来て、ずっと喋ろうとしてくるらしい。
 俺はそういうオジサンのことを同じ男として、いいやオスとして本当に情けないと思っている。こういうところでタダで若い女と喋って、自分の欲を満たそうとしてくるなんて。こんなにカッコ悪いヤツはいない。ダサいというか、何なら悲しいというか。こうはなりたくないという反面教師だ。
 他のバイトの高校生と交代でバックヤードに来た小山莉愛。疲れているように見える。俺は俺で社員から「おい大学生のほう。休み過ぎ。ちょっと高校生の子と交代な」と言われて、バックヤードにいた。社員が全然俺や大学生の名前を覚えないことはアレだけども、それはもういいかと思っている。
 俺は小山莉愛へ、
「何か、一瞬見ただけだけども、オジサンに話し掛けられていたけども大丈夫か?」
 と声を掛けると、小山莉愛が少し不機嫌そうに、
「え? 大丈夫なはずないんだけども」
 と言ったところで、俺が来た時からずっとバックヤードにいたオバサン二人組の一人が、
「そんなん可愛い税ねぇ」
 と言えば、もう片方も「なんなら可愛い自慢してるんじゃないのー、アンタぁ」と言って、正直意味が分からない。
 俺はさすがに一言言おうと前に出ると、小山莉愛が俺の肩をグイッと掴んで、自分のほうに引き寄せてきた。
 何だろうと思いながら振り返ると、小山莉愛が小声で、
「ダメ。ここのお局様だから歯向かっちゃダメ。やたら店長さんと仲良いし、最悪辞めさせられるかも」
 そんなことあんの? とデカい声で言いそうになって口をつぐむ。
 俺はスマホを取り出して、LIMEで、
『そんなことあんの?』
 と聞くと、小山莉愛から、
『既にあったらしい とにかく謎に店長さんと仲良いからダメ』
『じゃあ分かったけども 嫌になったらすぐに俺に言えよ 言い返してやるから』
『大丈夫だけども分かった』
 バイトが終わり、定食屋”はなだ亭”に行き、いつも通りカツ丼を頼む。最近は花田も顔を一瞬すら見せなくなってきている。
 何か俺たちが”はなだ亭”に来ることが悪い意味で当たり前になり、店主のオッサンも俺たちにあんま構わなくなってきた。
 小山莉愛は小山莉愛で、スーパーでの愚痴ばかりだし、正直ヤバイ状況だとは思う。これの繰り返しじゃ、何も進歩無く、一ヶ月過ぎてしまうのでは、と。
 次の日、初日に顔を合わせたサッカー部の後輩・水沢がいて、しかもまるで俺を探しているようにキョロキョロしては店員の顔を見ている。
 品出しのために、アイツの前に行きたいが、絶対何か話し掛けられると思って尻込みしていると、いつもは倉庫でサボっている大学生が隣に現れて、
「仕事しろよ、キラキラ仕事したいんだろ、高校生」
 と嫌味っぽく言ってきて、本当に腹が立つ。コイツ、俺がヤンキーを病院送りにしたという話をしたらビビッて舐めなくなるかな。でもそういう武勇伝で得をしようとする姿勢、本当に嫌いだからしないけども。
 俺は仕方なく、菓子パンが入った段ボールを台車に乗せて、ソイツがいる前にやっていくと、案の定、水沢が、
「佐野先輩、部活に戻らないんですか」
 と当たり前のように話し掛けてきて、俺は溜息交じりに、
「いや退部させられたから」
「だからそれは顧問に頭を下げれば大丈夫ですから」
「俺はもう他にやるべきことが出来たんだよ」
 水沢はちょっと憤るように、
「佐野先輩の他にやるべきことって何ですか、うちのチームはもうボロボロです。天才肌のゲームメーカーがスーパーでバイトなんておかしいですよ」
 天才肌か、俺が普通にやっていた普通も詰まるところ個体差で、俺は本当にいろいろ恵まれていたんだな、と今更知る。確かにこんなどうすればいいか分からないことより、サッカーという自分の得意なことにもう一度挑戦することも悪くないのかもしれない。ちゃんと顧問に頭を下げてさ。
でも俺はまだ花田のことを諦められなくて。やり方が分からないだけで、花田のことをどうにかしたい気持ちは本物で。
 俺は水沢に対して、
「今は考えられない」
 とだけ答えて、菓子パンをどんどんワゴンに並べていった。
 水沢もこれ以上は邪魔が出来ないって感じで、一礼してからいなくなった。
 ワゴンに並べ終えたところで、ふと小山莉愛のほうを見ると、またいつもと同じオジサンに絡まれていて、持ち場を離れて、小山莉愛のもとへ駆け寄り、
「すみません。こちらのバイトは今レジ打ちという仕事中なので、レジ打ちに関係無いことはさせないでください」
 と言うと、そのオジサンはムッとしながら、
「お客様は神様だぞ」
 と言ったわけだが、その台詞って企業側が心持ちとして言うだけで、客が免罪符のように言う言葉じゃないだろ、って言ってもいいのだろうか。まあいいや。もう言おう。
「その台詞って企業側が心持ちとして言うだけで、客が免罪符のように言う言葉じゃないです」
 と俺がそのオジサンに言うと、周りにいて何も仕事をしていないオバサン店員が吹き出して笑った。
 オジサンはオバサン店員に笑われたせいもあるだろう。さっきよりも明らかにがなる声で、
「おい! 何様なんだよ! こっちはお客様なんだぞ! オマエもオマエも失礼だぞ!」
 と言いながら、俺とそのオバサン店員のことも指差した。オバサン店員の火に油を注ぐ態度、本当に邪魔だ。
 小山莉愛は眉毛を八の字にして困っている様子だ。だからってここで下がったら、つけあがる感じもする。ハッキリここで潰しておかないといけない。サッカーでもそうだ。ここはあえてファウルで止めてビビらせるとかも必要なのだ。自分のことだけなら我慢する。だが、小山莉愛のことなので、ここはしっかり止めたい。