1980年代というと、日本の金融機関がニューヨークに続々と進出している頃でした。スーツを着た日本人の金融マンたちがウォール街やパークアベニューを闊歩しているような時代でした。そして、そう言った駐在員は会社の十分な補助を受けているので、経済的に恵まれています。商談や、毎日のランチでさえ、ちょっとその辺の日本食レストランで、上等なすしを食べるというのは普通の事でした。それで、ニューヨークにはすでに、本格的な日本人経営の日本人向けのすし/日本食レストランが数多くありました。
さて、ニューヨークのJFK空港に降り立った時、香津世は少し驚きました。想像していた先進国アメリカという印象はなく、世界中から来るあらゆる人種の行きかう街のバスターミナルのように感じたからです。何十とレストランがある、華やかな成田とは対照的に、実務的で、飾り気のない場所でした。
その後、タクシーで、あらかじめ予約されているホテルに行ってもらいました。部屋に荷物を置き、そのまま土呂の経営する寿司レストランに向かい、店長の浜地に挨拶しました。その後、シェフ、スタッフ全員に紹介されました。みんなニューヨークで初の日本人女性すしシェフということで、興味津々といった様子でした。その日はそれだけで、香津世はすぐにホテルに戻りました。旅の疲れと時差が交差し、眠いのだかどうか良く分からない状態でした。それで、早速、矢紗史に絵葉書を書き始めたのですが、いつの間にか眠ってしまっていました。
次の日からは、アパート探しに入りました。仕事場からは一週間、そのための時間を与えられていました。香津世の場合、片道の航空運賃と一週間のホテル代は支払われたももの、実際には現地採用の条件です。つまり、駐在員とは違って、年棒の中から、自分で居住費を払わなくてはならないのです。マンハッタン島の中のアパートは異常に高いので、ハドソン川を越えたすぐ隣のニュージャージー州に安めのアパートを見つけ、そこを契約しました。そこからだと、地下鉄とバスを使って寿司レストランまで通うことになります。
アパートに移ってからは必要最低限の寝具、家具、食器等を揃えました。そして、少し時間的なゆとりがあったので、矢紗史に長い手紙を書きました。その中には、こんな事も書きました。矢っちゃん、元気? 今までは、わたしが矢っちゃんの家庭教師をしてきたなんて偉そうに思ってきた。だけど、ニューヨークに来て一人ぼっちになって、わたしは間違っていたと分かった。正直言って、矢っちゃんが居ないのは、ほんとに寂しい。魚屋で働き始めてから、矢っちゃんが友達でいてくれたことがどんなに大切だったか、今はっきりとわかったの。それでも、わたしは、自分で選んだ、この仕事に挑戦しない訳にはいかない。
矢紗史への手紙に自分の正直な心内を書いて、香津世は、すこし落ち着きました。そして、これからニューヨークでの生活が始まると思うと、今度は興奮しました。今までも、何回か新しいことに挑戦してきたので、今後、何が起ころうと、うまく対応できるという自信はありました。まともなことなら、何でもやるぞ。絶対に勝ち抜くんだ! といった心意気でした。
さて、ニューヨークのJFK空港に降り立った時、香津世は少し驚きました。想像していた先進国アメリカという印象はなく、世界中から来るあらゆる人種の行きかう街のバスターミナルのように感じたからです。何十とレストランがある、華やかな成田とは対照的に、実務的で、飾り気のない場所でした。
その後、タクシーで、あらかじめ予約されているホテルに行ってもらいました。部屋に荷物を置き、そのまま土呂の経営する寿司レストランに向かい、店長の浜地に挨拶しました。その後、シェフ、スタッフ全員に紹介されました。みんなニューヨークで初の日本人女性すしシェフということで、興味津々といった様子でした。その日はそれだけで、香津世はすぐにホテルに戻りました。旅の疲れと時差が交差し、眠いのだかどうか良く分からない状態でした。それで、早速、矢紗史に絵葉書を書き始めたのですが、いつの間にか眠ってしまっていました。
次の日からは、アパート探しに入りました。仕事場からは一週間、そのための時間を与えられていました。香津世の場合、片道の航空運賃と一週間のホテル代は支払われたももの、実際には現地採用の条件です。つまり、駐在員とは違って、年棒の中から、自分で居住費を払わなくてはならないのです。マンハッタン島の中のアパートは異常に高いので、ハドソン川を越えたすぐ隣のニュージャージー州に安めのアパートを見つけ、そこを契約しました。そこからだと、地下鉄とバスを使って寿司レストランまで通うことになります。
アパートに移ってからは必要最低限の寝具、家具、食器等を揃えました。そして、少し時間的なゆとりがあったので、矢紗史に長い手紙を書きました。その中には、こんな事も書きました。矢っちゃん、元気? 今までは、わたしが矢っちゃんの家庭教師をしてきたなんて偉そうに思ってきた。だけど、ニューヨークに来て一人ぼっちになって、わたしは間違っていたと分かった。正直言って、矢っちゃんが居ないのは、ほんとに寂しい。魚屋で働き始めてから、矢っちゃんが友達でいてくれたことがどんなに大切だったか、今はっきりとわかったの。それでも、わたしは、自分で選んだ、この仕事に挑戦しない訳にはいかない。
矢紗史への手紙に自分の正直な心内を書いて、香津世は、すこし落ち着きました。そして、これからニューヨークでの生活が始まると思うと、今度は興奮しました。今までも、何回か新しいことに挑戦してきたので、今後、何が起ころうと、うまく対応できるという自信はありました。まともなことなら、何でもやるぞ。絶対に勝ち抜くんだ! といった心意気でした。

