勝負は魚で

香津世が本店のカウンターに出ていた日の事です。また、あの、香津世の包丁さばきを褒めた客がやってきて、言いました。
「昌敷さん、あなたの包丁さばき、一段とスピードも増した様ですね。そして、華麗だ。大きな声では言えないのですが、実は、私も同業者で、もし気が向いたら、ここに書いてある番号に電話して下さい。今日も、ごちそうさま」
「毎度、ありがとうございます。それでは、後で拝見させて頂きます」

香津世は、仕事の後、その客からもらった名刺を見て驚きました。そこには、競合の寿司レストランの名前が書いてあったのです。そして、香津世の知っている限りでは、その寿司レストランは一流と言える部類でした。そして、その下に取締役社長、土呂高志とありました。香津世は興奮し、自問しました。あの人はいったい何を話したいのだろう?

兎に角、好奇心にかられ、早速、次の日、土呂に電話してみました。土呂の話は大体以下の通りでした。土呂は敵情視察のため、競合店に度々顔を出している。それで、香津世の包丁さばきを見て思いついたことがある。土呂の経営する寿司レストランのニューヨーク支店で香津世を採用できないかという案である。包丁さばきのうまい女性すしシェフがいたら、競争が激しくなってきているニューヨークでの目玉になるのではないか。

ただ、香津世に転職、転勤する意志があるかどうか不明なため、それを聞き出したい。そして、もしその気があるなら、順次、事務的なことも処理しなければならない。例えば、すぐにビジネス英語テストTOEICを受けてもらいたい。そして、米国ビザの取得に必要な手続きを開始して欲しい。と言うことでした。

香津世は驚いたと同時に興奮しました。これは、またとないチャンスだ。えーい、やってみよう! ニューヨークで、わたしは、絶対に勝ち抜くんだ! それで、すぐに次のTOEICを受験すると、840点でした。これは、中卒のすし職人では普通あり得ない高得点でした。土呂の話では、今までに彼が派遣したすし職人や管理・経理担当駐在員で、平均点の500点を超えた例はそう多くはないと言うことでした。

実は、香津世にとって、この点数はびっくりするようなものではありませんでした。香津世は、中学時代の英語の成績が抜群だっただけでなく、一人で高校レベル以上の読み書きと文法も学んでいました。また、父親が外資系の会社に勤めていたため、父の同僚の在日米国人家族と交流が深かったのです。それで、小さいころから、英語での会話にも不自由しない生活だったのです。

その後は、パスポートと米国ビザの申請を進めました。その当時、米国では、すし職人は、公に認められた特殊技能でした。職務経験があれば学歴に関わらずに就業ビザ、そして永住権さえ取れる数少ない職種の一つだったのです。香津世のために、土呂はまず、すぐに取れる就業ビザを申請しました。そして、米国での生活に慣れて、それ以上滞在を希望の場合は永住権の申請をスポンサーすると言いました。

渡米の計画が本格化した時、香津世は、今働いている寿司店の上司、そして女性オーナーに事情を話しました。みんな、がっかりはしていましたが、理解し、応援してくれました。そして、両親にその事を伝えた時、彼らもう何も言いませんでした。香津世が自分で新しい路を開拓していくことに感心さえしていました。そして、次に、矢紗史にその話をした時です。矢紗史は大変驚くと共に、悲しみました。
「香っちゃん! ほんとに行っちゃうの? 寂しいよ! もう、家庭教師はしてくれないの!」
と言って泣いたのです。

香津世は答えました。
「矢っちゃん、わたしだって寂しいよ。今、矢っちゃんが、わたしの唯一の友達だから。だけど、わたし、この機会を逃すことは出来ない。矢っちゃん、国際電話は高すぎるから、手紙でやり取りしようよ。通信教育で家庭教師してあげるから。そして、その内に遊びに来てくれるよね」

香津世が成田からスーツケースを二つ持って出発する日が来ました。空港には両親と矢紗史が見送りに来ました。両親と言葉を交わした後、香津世は矢紗史の方を向いて言いました。
「矢っちゃん、一生友達でいようね。手紙書くからね」
矢紗史は泣いていました。何も言葉が出ないようです。それで、香津世がまた言いました。
「矢っちゃん、一つお願いがあるんだけど」
「......」
「矢っちゃん、これは、わたしのお願い。手を繋いで」
矢紗史は何も言わずに香津世の両手を取りました。それから、静かに手を離すと、涙を拭い、振り返ると同時に、走ってその場を立ち去りました。