勝負は魚で

香津世がエレベーター寿司の経常収支を見て気が付いたことがいくつかありました。まず、各店とも繁盛しており、これ以上は上げられないほどの売り上げがあるにも関わらず、全体として、融資額の返済に追いついてないと言うことでした。香津世は認めたくはなかったのですが、一言で言えば、収支計画が誤っていたようです。マンハッタンの一等地での賃貸料は異常に高く、エレベーター機能の開発にもそうとうな資金を要したこともあります。

もう一つの不安要素は、近郊の支店の客足減少の予測が出ていることです。もともと、エレベーター寿司は高層ビル群のマンハッタンをモデルに開発したものです。マンハッタンは、アメリカの中では異例な場所です。そのモデルを近郊の、郊外型の地域に当てはめようとしたのは間違いでした。

さらに、全米、特にニューヨーク地区でのすしに関する状況の変化があります。その頃までには、レストランだけでなく、大きなスーパーでは、どこでもパッケージすしを売る様になっていたのです。当然、品質には限度がありますが、値段は手頃だし、あまり経験のないアメリカ人には本場のすしを求める必要性もありません。

そして、これらの波があっという間に押し寄せてきました。財政は一気に悪化して、エレベーター寿司の全店を撤廃せざるを得ませんでした。それでも、負債は賄えず、香津世の看板店、寿司・華麗さえ売却する羽目になりました。

香津世の資産はすべてなくなってしまったのです。今はオットーの給与のみが収入源となってしまいました。当然の事ながら、香津世は落胆しました。それでも、あの高校受験失敗の時に比べれば、香津世は、まだ楽観的でした。なぜなら、あれから今までに蓄積した経験があるからです。そして、例え仕事はしなくても、主婦として都喜夫の面倒を見ていればいいかとさえ思いました。そうすれば、ベビーシッターの費用が浮くし、都喜夫との時間も増えると思いました。

それで、香津世はオットーに相談し、矢紗史にも手紙を書きました。矢っちゃん、わたしの事業、失敗したの。ニューヨークのすべての資産を失ってしまった。今は、主婦として生活しようかどうか考えている。矢っちゃん、また書くね。

それでも、香津世の勝気と野心が消えたわけではありませんでした。わたしはまだ負けてはいない。いや、これからも、絶対に勝ち抜くんだ! 依然、そう思っていました。そして、丁度その時に、以前働いていた寿司レストランの店長、浜地が、今度は、システムのアップグレードの事で相談したいと言ってきたのです。