勝負は魚で

香津世は矢紗史の返事に、女の子の名前のアイデアを書きました。矢っちゃんと志珠香さん、『安美香』はどうですか? オットーと二人で考えました。採用されなくても、気にしないので、納得のいく名前を選んで下さい。

さて、矢紗史夫婦がニューヨークに来た時の話題の一つに、日本の回転寿司事情がありました。どうやら、香津世が日本を出てからの10年程の間に、驚くほど店数が増加し、また多様化してきていると言うことでした。そして、米国に進出しているチェーンもありますが、なぜかニューヨークには全くないのです。以前、一店出来たことはありますが、すぐに閉店してしまいました。

どうしてでしょうか? ニューヨークの何が問題なのでしょうか? 香津世は、都喜夫をベビーシッターに預けている間に、調べ始めました。確固とした情報はなかったのですが、問題点として、ニューヨークの異常に高い賃貸料と、すし通のつもりのニューヨーカーが流れているすしの鮮度を気にすることではないかということが挙げられていました。

そして、色々と考えているうちに、一つのアイデアが浮かびました。回転寿司の基本は平面をベルトが回ることだ。横の移動が中心だ。それに対して、ニューヨークは上に向かって伸びた街だ。高層ビル群、摩天楼の街だ。ここでは、縦の移動がカギだ。ベルトではなく、エレベーターはどうだろう? そうだ。エレベーター寿司を考えてみよう。えーい、やるぞ!

このアイデアは自分なりの極秘情報として、オットーだけに相談しました。楽天的なオットーは非常に乗り気で、資金集めを手伝うと言ってくれました。その後、まずオットーの知り合いの設計会社にニューヨーク初のエレベーター寿司の構想を持ち掛けたのです。

香津世のアイデアは以下の通りです。一等地の一角に比較的小さなフロアを一階から三階まで借りる。一階と二階には客席を、三階にはキッチンを設置する。エレベーターはキッチンと各客席を直接結び、客のオーダーした品がキッチンから客席に迅速に運ばれる。回転寿司のように流れている品はない。そして、外面はすべてガラス張りで、街角から、エレベーターで、すしが運ばれる様子が良く見えるようにする。

その設計会社は速やかに設計図を書き上げました。香津世はそれを基に、工務店に見積もりを依頼し、オットーの助けで、資金調達を開始しました。特に、新たにすし用の小型エレベーターの仕組みを開発・製造するには多くの費用が掛かります。そこで、その資金を回収するため、いっそのこと、マンハッタンの近隣地域を含めて複数店同じ形態のエレベーター寿司を開設するように計画を拡大しました。その過程で、複数店の管理を一括化するコンピュータ・ネットワークの仕組みも考え始めました。

当然、香津世はそう言った技術関連の事に対して無知でした。それでも、オットーに教えてもらったり、自分で本を読んだりして、あっという間に、習得していったのです。その頃は、まだインターネットの普及していない時代で、WiFiどころではありませんでした。それで、各店間は専用通信回線で接続し、店内のコンピュータは有線のローカル・エリア・ネットワーク(LAN)で接続するのです。すると、どの店舗にあろうが、すべてのコンピュータの間で相互に情報を共有することが出来ます。それで、オーダー、会計、在庫管理とすべてのデータ処理を一括して行うことが出来るようになります。

この過程で香津世が気が付いたことがあります。複数の業者を使ってシステムを構築する場合、ニューヨークの業者の多くは、自分の狭い守備範囲だけうまくいけばよいという気構えだということです。つまり、誰も全体としての責任を持たず、なかなかシステム全体がうまく作動しないことがあるのです。香津世は持ち前のチャレンジ精神で自分で全体を統括しなければならないと思うようになります。それで、いつの間にか、複数店舗を管理するビジネス感覚とコンピュータ・ネットワークの構築に関する知識と技術を身につけていったのです。