勝負は魚で

香津世が、着物を着て華麗な包丁さばきをする女性すしシェフとしてよく知られようになって、もう5年程経ちました。ニューヨークは実力主義の土地で、香津世の年棒は自分でも驚くほどの額になり、かなりの貯金も出来ました。そして、その間に申請中だった米国の永住権も取得できました。今までの就業ビザは雇用主限定だったの対し、永住権があると、どんな仕事でもできます。選挙権がない以外は米国民とほとんど同様の権利があるのです。

ある日、女性の客と話している時に出た話題があります。彼女の働いている公益財団で、女性実業家のための投資資金があり、応募者を募っていると言うのです。そして、その女性が、「あなただったら、独立して自分の店を経営できるのでは?」と言ったのです。

これは香津世には全く想像もしていなかったアイデアでした。しかし、これを聞いた瞬間に、「えーい、やるしかない!」と思いました。もう、永住権もある、自分の資産もある、そして、投資の可能性が出てきた。その女性から情報をもらってその公益財団を訪れ、応募について問い合わせしました。窓口の人は、十分に可能性があるので申請書を書いて提出するようにと言いました。

香津世は今まで、あまりビジネス関連の事には携わってこなかったのでいろいろと分からないことがありました。それでも、何回かその公益財団を訪れ、また、本屋で役に立ちそうな本を買って調べたりしました。そして、とうとう申請書を提出しました。その間、思い出していたことは、魚屋での仕入れの仕事です。その日の売り上げを見込んで、必要な物を買う。自分の店の経営は、形こそ違うが考え方は同じだ。基本を守って、頭を使おう。そう思うと、絶対に出来るという自信が出てきました。

約2か月後に申請は受理され、投資の実際についての細かい情報が送られてきました。この時点で、香津世は店長の浜地以下スタッフに独立の事を告げました。そして、香津世を引き抜いた東京の土呂にも連絡しました。ニューヨーク支店で雇ってくれたことを心から感謝し、今後も協力できることはしたいと書きました。土呂からも返信が来て、香津世の独立を祝ってくれました。そして、特注と思われる、着物を着た女性すしシェフのトロフィーを送ってきました。

その後、新しい店の店舗、店長、そしてスタッフと必要なことを少しずつ決定していき、半年後に、『寿司・華麗』を開店しました。名前は、華麗な包丁さばきを意図していますが、もちろん、魚のカレイにも引っかけています。そして、英文名称は、フランス北岸、ドーバー海峡を望む由緒ある港町の名前、Calaisを使って、「Sushi Calais」としました。少し高級で、エレガントなレストランを目指すことを考えました。

実際の店の運営はほとんど新しく雇った店長以下のスタッフに任せて、香津世は主に店全体に目を通すことに専念しました。そして、週に一回だけ、香津世自身が特別に着物姿で、包丁さばきを見せる時間を設けました。香津世はすでに有名だったので、寿司・華麗は当初からうまくいきました。

香津世は矢紗史への手紙の中に書きました。矢っちゃん、わたし、とうとう自分のお店を持ったよ。今度、ニューヨークに来て!

ところが、すべての人々が寿司・華麗の開店を祝福してくれた訳ではありませんでした。