恋じゃないふりをして

「隼人、このまま学校行くつもり?」

月曜日の朝。
 ひよりは隣を歩く隼人と繋いだ手を見ながら不安そうな顔をした。

「何で?」
「だって、目立つじゃん」
「だからいいんだよ。付き合ってるって見せつけられる」

ニセ王子の顔でにやりとほくそ笑む。

「見せつけてどうすんの!」
「ひよりは俺の本当の彼女だってアピールして牽制するんだよ」
「王子のファンとか?」
「あと、ひよりの妹と若松くん」
「あかりと誠……」

ひよりは無意識に繋いだ手に力を込める。

「大丈夫。俺はひよりにぞっこんだから。ひよりは?」

いたずらっぽく目を細める隼人を見上げ、ひよりはふっと笑みを零す。

「……私も」
「だよな」

隼人は、ふふんと満足げに鼻を鳴らす。

「あはは。なんかバカップルみたい」
「いいじゃん。やっと本物になれたんだから」
「……そうだね」

ひよりは柔らかい笑みを浮かべた。
 学校が近づき、登校中の生徒達がちらちら視線を向けてくる。
 校門の前でひよりは足を止め、繋いだ手に目を落とす。
 隼人が気遣わしげにひよりの顔を覗き込んだ。

「手、嫌なら離すけど」

ひよりは俯き、一瞬迷う。だが、すぐに顔を上げて首を横に振った。

「離さなくていい」

ひよりは自分から隼人の手を握り直して、堂々と胸を張って校舎に向かった。

 刺々しい視線とひそひそ話す声につきまとわれながら、ひよりは隼人と手を離すことなく教室に辿り着いた。
 隼人と教室に入った途端、ざわめきが静まり、クラスメイトの視線が一斉に注がれた。
 あかりと仲の良い女子たちが、鋭い目つきでひよりを睨み、怒りを露わにした。

「あんた、まだ王子につきまとってんの?! 彼女のふりしてたくせに!」
「最低。王子が優しいからって調子に乗らないで!」

隼人が眉を寄せ、ひよりの前に進み出ようとする。ひよりはそれを止めて、女子たちを真っすぐ見据えた。

「前はニセ彼女だったけど、今は本当の彼女だから」

隼人はわずかに目を見開き、表情を緩める。

「そんなの、信じられない!」
「どうせまた、あかりちゃんへのあてつけでしょ!」

憤る女子たちは聞く耳を持たない。ひよりは悔しそうに唇を噛み締める。
 そこへ、あかりが教室に入ってきて、手を繋いでいる隼人とひよりを見て愕然とした。

「何で、ひよりと隼人くん……」
「あかりちゃん!」
「本当の彼女になったって、また嘘ついてるんだけど」
「ひより、ひどいよ」

あかりは瞳を潤ませる。
 
「嘘じゃない!」

一歩踏み出して声を上げるが、女子たちは疑いの眼差しを向ける。
 
「ひどいのはどっちだよ」
 
隼人の低い声が静かに場を支配する。
 あかりと女子たちは驚いた顔で隼人を見上げた。
 隼人はひよりの隣に並んであかりを鋭利な眼差しで射抜いた。
 
「ひよりに飯も家事も全部やらせて文句まで言って」
「そんなこと……」

言い淀むあかりを無視して、隼人は更に続ける。
 
「それに、俺たちの話を盗み聞きして、誤解を招くように捻じ曲げやがって」
「っ……!」
 
あかりは息を呑む。女子たちは困惑の表情で、あかりと隼人を交互に見た。

「あかりちゃん、それ、本当?」
「ていうか王子、いつもと違くない?」

あかりは目尻に涙を溜め、肩を震わせる。

「ひよりのせいで、隼人くん変わっちゃったんだ。ひどいよ、ひより。優しかった隼人くん、返してよ!」
「おまえのじゃねえし。これが素だって前に言っただろ」
「えーっ!!」
 
 呆れた顔で言う隼人に、クラスメイト全員の驚愕の声が揃った。
 室内は騒然とし、ざわめきが広がる。
 ひよりは隼人の裾を引いて耳打ちをした。

「ニセ王子出して大丈夫なの?」
「ニセ王子? 何だそれ」
「あ、いや、私が勝手に呼んでただけっていうか……」
「俺にとっては王子の方がニセなんだけど。……もういいんだよ。みんなの王子はやめる」
「え? いいの?」
「ひよりだけの王子でいい」

素の笑顔を向けられ、ひよりの顔が熱くなる。
 
「……何それ」

照れ隠しでそっぽを向く。その時、教室に入ってきた優依と目が合った。

「ひよりん、おはよう……って、なんか修羅場?」

ざわつく教室の中で、青ざめた顔のあかりを取り巻く女子たちの異様な雰囲気を感じ取った優依は顔をしかめた。

「えっと、それが……」

どう説明するべきか考え込むひよりの手が、隼人と繋がれていることに気付いた優依は、驚きながらも嬉しそうに笑った。

「ひよりん、もしかして王子と?」
「あ、うん。今度は本当に付き合うことになって」
「後でじっくり聞かせてよ」

優依が肘でひよりを突っつく。あかりと女子たちに目を向け、何かを察したように頷いた。

「で、妹ちゃんがまた何かひよりんにちょっかいを出したって感じ?」
「逆だよ。そっちがあかりちゃんのこと傷つけてたんじゃん。そうだよね、あかりちゃん」

あかりは隼人から目を逸らして小さく頷く。
 優依は呆れたように肩をすくめた。
 
「いい加減、嘘つくのやめたら?」
「嘘なんか、ついてない」

あかりの声が震える。
 
「だって、妹ちゃん、ひよりんが王子を無理やり彼氏にしたとか言ってたみたいだけど、王子が違うって言ってたじゃん」
「でも、それは隼人くんがひよりを庇って……」
「俺が嘘ついたって言うのかよ。俺がひよりに頼んだの、本当だから」
 
あかりの顔から表情が消える。
 優依は女子たちに問いかけた。
 
「あとさ、あんたたち、ひよりんが若松くんに二股かけてるなんて言ってたけど、誰から聞いたわけ?」

女子たちは顔を見合わせ、あかりを見る。
 
「……あかりちゃんだった気がする」
「妹ちゃんに言われたから鵜呑みにして、投稿までしたわけ?」
「だって、あかりちゃんがそう言うから……」
「妹ちゃんの嘘に翻弄されすぎ。ひよりんのこと責めて、さんざん陰口叩いてさ。あんたたち、ひどすぎるよ」
  
優依に睨まれ、女子たちは口を閉ざして目を伏せる。
 あかりは顔を歪め、鼻を鳴らした。
 
「さっきから人のこと嘘つき呼ばわりして。ちょっと勘違いしただけでしょ。誤解させるようなことするひよりが悪いのよ」

開き直るあかりに、優依と隼人、女子たちは唖然とする。
 ひよりはあかりの前に踏み出し、真っすぐその目を見つめた。

「あかりは昔からそうだよね」
「何よ」
「都合が悪いことは全部私のせいにして、私が否定してもみんなはあかりの言うことを信じる。ちょっと前までは、そういうものなんだって諦めて、言いたいことを我慢してきた」
「……何が言いたいの?」
「でも、私のために怒ってくれて、私の気持ちを理解してくれる人たちがいる。その人たちのためにも、私はもう我慢しない」

ひよりは拳を握り締め、強い光を称えた眼差しであかりを捉える。

「隼人のことは諦めて。隼人はあかりを選ばないし、私も隼人から離れるつもりはない」
「ひよりのくせに、偉そうに……!」

周囲の視線にはっとして、あかりは言葉を切る。
 
「それと、私のこと勝手に決めつけて、見下すのやめて。私がどんな人間か決めるのは、あかりじゃないから」
「っ……!」

あかりは目を吊り上げ、唇を強く噛み締める。言い返すことなく、教室を出て行った。
 ひよりは深く息を吐き出し、高揚する胸元に手を添えた。
 
 言えた。
 あかりに言いたかったこと、ちゃんと言えた。

 ひよりの頭をぽんぽんと、隼人が軽く叩く。

「よくやったな」
「隼人……」

胸がじんわりと熱くなり、泣きそうになる。

「ひよりん、かっこよかった!」

優依がひよりに親指を立てる。

「優依と隼人のおかげだよ。ありがとう」

晴れ晴れとしたひよりの笑顔が輝く。
 隼人は見惚れてひよりの顔から目が離せなかった。
 優依はそんな隼人を見て、おかしそうに笑った。

「泣きながら廊下走ってるあかりとすれ違ったんだけど、何かあったのか?」

朝練終わりの誠が首を傾げながら教室に入ってきた。

「ちょっとね。姉妹ゲンカ、みたいな?」
「ひよりとあかりが? 珍しいな」
「あのさ、誠」
「ん?」
「昼休み、ちょっと話せる?」
「……いいよ」

誠はちらっと隼人を見てから、固い表情で頷いた。

 昼休み。ひよりは誠と一緒に、人気のない体育館裏へ行った。
 緊張の面持ちで誠に向き合うひよりは、言いにくそうに口を開いた。
 
「……あの時の返事なんだけど」
「答え、出たんだな」
「うん。私、やっと自分の気持ちに気付いた。……隼人のことが、好きなんだって」

誠は一瞬、傷ついた顔をする。だが、すぐに表情を崩して苦笑した。

「やっぱり、そうだったんだな」
「気付いてたの?!」
「なんとなくな。けど、ひよりのこと簡単に諦めきれなかったから。俺のことも異性として意識してほしかったし」
「……ごめん。でも、私にとって誠は、大事な幼馴染だから」
「そっか……。あいつに泣かされたら、俺に言えよ。ひよりの代わりに殴ってやるから」

冗談めいた口調で笑う誠に、ひよりは微笑む。

「うん。……ありがとう」
「昼飯、あいつと食べるんだろ」
「あ、うん。誠は?」
「俺、学食行くから」
「分かった。また後でね」

手を振って走って行くひよりに、誠も手を振り返す。
 ひよりが見えなくなると、力なく手を下ろしてその場にしゃがみこんだ。

「はあー。辛い……」

ガサッ。

 物音がして誠が振り返ると、気まずそうな顔の優依がいた。

「あ、ごめん。覗くつもりじゃなかったんだけど。ひよりんが心配でついてきてて、その……」
「見られてたのかよ」

誠は恥ずかしそうに頭を抱え込む。

「大丈夫だよ、若松くん。ひよりん以外にも女子はいっぱいいるよ」
「慰めになってないし」

誠は口を尖らせる。優依は明るく笑って誠の背中を軽く叩いた。

「若松くんのこと、応援してるよ」
「それはどうも」
「振られたところ見ちゃったお詫びに、学食おごるよ」
「マジで? じゃあ、カツカレー大盛で」
「えー。しょうがないなあ」
「大野さん、案外優しいな」
「案外って。今更気付いたの?」
「うん」
 
誠は頷いて、ははっと笑う。優依は微笑んで、誠の隣に並んで学食へ向かった。

 ひよりが校舎に入ると、隼人からメッセージが届いた。

【隼人】:部室で待ってる

おなかすいたニャの文字と、猫がお腹を押さえて倒れ込むスタンプも送られてきた。

「ふふっ。何このスタンプ。……あれ、部室って?」

ひよりは急いで部室に向かった。
 剥がれかけていた『民俗学研究部(仮)』と書かれた紙が、テープで貼りなおされている。
 扉に手をかけると、鍵が開いている。

「あの時、閉めたのに」
 
扉を開けると、パイプ椅子に座っている隼人が笑いかけた。

「やっと来たな」
「鍵、返さなかったの?」
「俺、辞めるなんて言ってないから」
「ニセ彼女の契約は終わったのに、部員でいてくれるの?」
「契約は関係ない。ひよりが好きなこと、俺も好きになりたい。だから、もっと教えてよ。部長」

ひよりの胸に隼人の笑顔が突き刺さる。
 
 隼人は私の好きなことを認めてくれる。
 一緒に活動してくれる。
 もっと知りたいって言ってくれる。

「……うん。教えてあげる。またフィールドワーク行こう」
「ああ。行きたい所いっぱいあるんだろ?」
「少し遠くてもいい?」
「遠出いいな。ひよりと長くいれるし、デートにもなるし」
「調査が目的だからね」
「分かったよ。今度の日曜、どうだ?」
「うん、いいよ」
「デート楽しみだな」
「フィールドワークだってば!」
「2人で出かけるんだからデートでもあるだろ。フィールドワーク兼デート」
「……まあ、それなら」
「じゃあ、決まりな」

隼人が小指を立てる。
 ひよりは頷いて、小指を絡ませた。