恋じゃないふりをして

「ひより!」
「隼人!」

池にかかる橋の上で、2人は向き合った。

「やっと、会えた」

ひよりは肩で息をしながら、隼人に一歩近づく。

「ひより、何でここに……」
「これ、届けに来たの」

隼人にスマホを渡す。

「田名さんに頼んだのに」
「会いたいって、連絡しても既読にならないから、隼人の家に行ったんだよ。そしたら、届けてくれって頼まれて」
「そういうことか」

スマホを受け取り、隼人は苦笑する。

「隼人さん、その人は……?」
 
見合い相手が隼人に詰め寄る。

「隼人、何をしている! その娘は……!」

中庭に出る扉の前で、麗香や見合い相手の両親とこちらを見ている正蔵が、怒鳴り声を上げる。

「くそっ」

正蔵と見合い相手を交互に見て隼人は奥歯を噛み締める。

「隼人、行こう」
「ひより?」

ひよりは隼人の手を握り、扉に向かって走り出す。
 正蔵と麗香たちの横を駆け抜けていく。

「待て!」

隼人の腕を掴もうとする正蔵の手を麗香が握る。

「あなた、やめて」
「離せ!」
「もう、いいでしょ。約束通り、お見合いはしたわ。あれが、あの子の答えなのよ」
「何を!」
「隼人の気持ちを尊重してあげることも、親の責任なんじゃないかしら」
「なっ……」
 
正蔵は苦い顔で麗香の手を振り払った。


 ひよりは隼人と手を繋いだままホテルを飛び出す。
 潮の匂いが鼻をつく石橋を渡る。時刻が表示されている巨大な観覧車が目立ち、すぐ傍にあるジェットコースターからは悲鳴と歓声が上がっている。

「追いかけてこなさそうだね」

ひよりが後ろを振り向いて胸を撫で下ろす。

「大胆なことしたな。結婚式の時に、他の男に連れ出される新婦の気分」
「何それ。別に奪ったわけじゃないけど」
「じゃあ、何でこんなことしたんだよ」

隼人が、繋いだ手をひよりの前に掲げる。

「……会って、話がしたかったから。それに、隼人、辛そうな顔してたし」

隼人は自分の顔に手を当てる。

「そんな顔してたか。……俺も、会いたかった」

ひよりは目を見開く。

「隼人も?」
「親父たちに邪魔されないように、あれ乗ろうぜ」

隼人が観覧車を指差す。
 ひよりは頷き、隼人と列に並んだ。
 順番が来て観覧車に乗り込む。

「遠足、思い出すね」

隼人の向かいに座って、窓の外を見る。
 あの時とは、景色は全然違う。高いビルが立ち並び、海の上をゴンドラが飛んでいる都会の街並みだ。

「そうだな」

しばらく沈黙が続く。

「「あのさ」」

2人同時に口を開く。

「隼人からでいいよ」
「いや、ひよりからでいい」

ひよりは両手を握り合わせ、唇を湿らせる。

「……私、もう隼人のニセ彼女じゃないのに、隼人のことが頭から離れなくて」
「ひより……」
「学校休んだ時も、心配で仕方なかった。全然既読にならないし」
「ごめん。ひよりのこと、忘れないとって思ってたから。けど、忘れられなかった」
「どうして……」
 
ゆっくりと上昇する観覧車の窓から日差しが差し込み、隼人の顔を照らす。
 
「好きだから」

ひよりは息を呑む。
 
「……え?」
 
隼人は膝の上で拳を握る。
 
「学校でひよりが責められた時、俺が傍にいるせいで、桜みたいにひよりが傷つけられるんじゃないかって怖くなった」
「だから、ニセ彼女終わりにしようって言ったの?」
「ああ」
「何それ」

ひよりは眉を寄せ、思わず立ち上がる。

「私の気持ち、何も聞いてないじゃん。勝手に決めないでよ」
「……ごめん」
「桜さんと私は違う。ちゃんと私を見て」

ひよりは隼人の目の前に立ち、強い眼差しで見つめる。
 隼人は顔を上げて、ひよりを見つめる。
 
「ひより……」
「私、隼人と一緒にいたい」

ずっと言えなかった言葉が、するりと口から零れた。
 
「隼人が、好きだから」

隼人は目を見開く。
 緩みそうになる口元を隠して、真っ赤な顔で呟く。
 
「ひよりも、俺のこと……」

観覧車はいつの間にか頂上に達し、わずかに揺れた。
 ひよりはバランスを崩しそうになる。

「わっ!」
「危ない!」
 
隼人は咄嗟に腕を伸ばす。それを掴み、ひよりは隼人の隣に座った。
 すぐそこに隼人の顔がある。
 ひよりの心臓は早鐘を打つ。
 掴んだ隼人の腕から熱が伝わる。
 
「ひより、もう一回言って」
「嫌。恥ずかしい」
「頼むよ。もう一回だけ、聞かせて」
「……隼人が、好き」

隼人は緩んだ顔で満面の笑みを浮かべた。

「俺も、ひよりが好き」
「……うん」
「いつからか分かんないけど、とっくに好きになってた。好きになるなよって言ったの、俺なのにな」

隼人は自嘲するように笑う。

「ほんとだよ。自分で条件破ってるじゃん」
「仕方ないだろ。好きになったんだから。でも、契約はとっくに終わってる。もうひよりは、ニセ彼女じゃない」
「……そう、だね」

ひよりは隼人の腕から手を離す。
 隼人はひよりの手を取り、真剣な眼差しを向ける。

「俺の、本当の彼女になって」

ひよりは繋がれた手を見つめ、今度は自分から握り返して頷いた。

「……うん」
 
隼人の顔がほころぶ。

「ひよりが傷つかないように、俺が守る」
「私は大丈夫。隼人が傍にいてくれるんだったら、誰に何を言われても逃げない。隼人だけは、私のこと分かってくれるって知ってるから」

ひよりが微笑む。
 隼人は照れたように頬をかいた。

「……彼氏だからな」
「今度は本当の彼氏、彼女だからね。勝手に終わりにしようなんて言わないでよ」
「悪かったよ。ひよりとちゃんと話す。勝手に決めない」
「約束だからね」

ひよりは隼人の顔の前に、小指を立てる。隼人は自分の小指を絡めて、ふっと口許を緩める。

「約束する」

微笑むひよりの顔を隼人がじっと見つめる。
「……何?」
「キスしていい?」

ひよりの顔が一気に熱くなる。

「何で聞くの!」
「勝手に決めないって約束だろ?」

隼人がいたずらっぽい笑みを浮かべる。ひよりは思わず吹き出した。

「もう。そういうことじゃないんだけど」

それでも、ひよりは隼人から目を逸らさない。

「……いいよ」
 
薄く目を閉じる。
 唇が軽く触れ、すぐに離れる。
 ひよりはゆっくり目を開ける。
 隼人の顔も耳も真っ赤だ。  
 
「……キス、しちゃったな」
「うん……」

ひよりは自分の両頬に手を当てる。熱があるみたいに火照っている。
 遠足の時に見た観覧車でキスをしていたカップルを思い出す。あの時は、まさか自分が隼人と同じことをするなんて夢にも思わなかった。

「ひより」

隼人が火照った顔を近づける。

「な、何?」
「もう一回、していい?」
「だめ! ほら、もう降りなきゃ」

ひよりは隼人の顔を押し退けて、向かいの席に戻って窓の外を見た。前のゴンドラから人が降りている。次はひよりたちの番だ。

「分かったよ。行こう」

隼人が手を差し出す。

「うん。行こっか」

隼人の手を握る。ゴンドラが開かれ、ひよりは隼人と地面に降り立った。
 隣を歩く隼人を見上げる。
 王子でも、ニセ王子でもない自然な笑みを向けられ、ひよりは微笑む。
 繋いだ手をしっかりと握り、歩調を合わせて歩き出した。