春を待つ雪 〜男子高校生ふたりが、秘密のSNSアカウントを作る話〜

 誰もいなくなった放課後の教室の真ん中で、春希と雪は床にしゃがみ込み、散らばった無数のチョコレートを拾い集めていた。

 雪は一つ拾い上げては、ハンカチで丁寧に包みの表面を撫でて埃を払う。それを黙々と繰り返している。それを見て春希も、手のひらで軽く埃を払い落としてからエコバッグの中へ戻していった。すべてを袋に収めるまでに、十五分ほどかかった。

「春希。あのね」
 床から立ち上がった雪は、椅子に掛けてあった自分の通学鞄の中を探る。
 底から小さな箱を取り出した。

「チョコ?」
「うん。春希に振られたあと、買った」
 雪は箱を見つめたまま、はにかむように微笑んだ。

「友達にチョコレートをあげるのもアリって聞いたから、それなら渡せるかなって思ったんだ。往生際が悪いよね」
「……振ってないし」
「僕にとっては大失恋だったんだ」

 雪は目の前で、小さな箱のパッケージをそっと開いた。
 箱の中には宇宙の惑星を模した、青や紫のマーブル模様が鮮やかな球体のチョコレートが四つ、菱形に並んでいる。

 雪はその箱を、春希の方へと差し出した。

「おやつ。一緒に食べよう。供養ってことで」
「じゃあ、その前に」
 春希はスマートフォンを取り出した。

「箱のそっち側、持って」
「こう?」
 雪が箱の端をそっと摘む。反対側を春希が持ち、カメラのレンズを向けた
 二人の指先と、真ん中に並んだチョコレートが画面に収まる。

「久しぶりに2kiに上げる」
「なんて書くの?」
 期待する子どものように、雪が下から覗き込んで尋ねてきた。

「仲直り」
 春希が答えると、雪は少しだけ唇を尖らせた。
「まあ。春希らしいけど」

 その日の夕方。数日ぶりに『2ki_days』のタイムラインに、新しい投稿が追加された。
 少し無骨な指と、滑らかな指。二つの手が、鮮やかなチョコレートの箱を両側から支えている。

『仲直り △* #バレンタインデー』

 投稿して間もなく、通知の数字が動いた。
『友チョコですね! 私も今日、友達と交換こしました』

 という同世代の学生らしきコメントに混じって、

『Beautiful friendship!』
『高校生に戻りたくなっちゃう。素敵なバレンタインを』

 といった海外のユーザーや大人からの温かい言葉が投げかけられた。
 チョコレートやハートの絵文字だけを並べたコメントも多い。

 この日の投稿は、赤いハートのマークが三十個。
 フォロワー数は、もうすぐ七百に届こうとしていた。



 三月下旬、春休み。
 春希と雪は、渋谷駅からほど近い場所にある、大型雑貨店の文房具フロアにいた。
 二人とも古着屋で買い揃えた服を着て、雪は青いキャップを被っている。

 新学期を目前に控えて、店内は大勢の学生で溢れ返っていた。
 日記や手帳コーナーが盛況を見せる中、その対角線上でひときわ大きな賑わいを作っているのが、大規模な文房具キャンペーンの特設エリアだった。

 その一画を占めているのは、老舗文房具メーカーのコーナーだ。二十年ぶりに定番ブランドのデザインを一新し、ネットでも大きく話題になっている。

「いたいた」
 春希が筆記用具の棚を指さして、背後にいる雪の手を引いた。
 パーカーの手首まですっぽりと覆う長袖の中、周囲の誰からも見えないその場所で、二人の手がしっかりと繋がれている。

「わ、は、恥ずかしいって……っ」
 雪は慌ててキャップのつばを両手で深く引き下げると、春希の背中に隠れてしまった。

「いまさら何言ってんだ」
 春希が指さした先に、春のキャンペーン用ディスプレイが組まれている。
 淡い水色ブレザーの雪が顔の横でシャープペンシルを握って微笑んでいる、実物大のバストアップパネルが飾られていた。
 頭の上に、『シャーペン王子』というキャラクター名が、ポップな字体で書いてある。

 周りの棚を見渡すと、『定規委員長』や『ふでばこ先生』など、文房具ごとにキャラクターが設定されており、それぞれに若手のモデルや俳優たちのパネルが割り当てられている。

 設置されたモニターには、十五秒CMが繰り返し流れていた。

 雪がオーディションで勝ち取った、初めての映像系の仕事だ。
 期間中はテレビ、WEB、SNSの広告枠で映像が流れ続ける。雪にとって、これまでで最大の露出だった。

 パネルの中で『シャーペン王子』に扮する雪のビジュアルは、以前のハイブランド雑誌と異なり、年相応の爽やかな高校生然としている。こちらへまっすぐ目を向けて、屈託なく笑っている。

 等身大パネルの前では、春休みの若い女子学生たちが集まり、「やば、顔ちっさ!」「可愛い!」と黄色い声を上げながら、次々と雪のパネルにスマートフォンのカメラを向けている。

「なんか……嬉しい……」
 袖の中の雪の指先が、春希の大きな手をきゅっと握りしめる。

「俺も」
 春希も、雪を自慢したい気持ちを飲み込みながら、握り返した。

 二人で売り場を回り、新学期に向けて必要ないくつかの文房具をカゴに入れる。
 春希は、雪のパネルの横に並ぶ『シャーペン王子』モデルを手に取った。

「これなら、受験勉強もはかどる気がする」
 からかうように言うと、
「ほんと?」
 雪はキャップのつばの下で照れくさそうに、えへへと笑った。

 実際、春希の成績はゆっくりと、着実に上向き始めている。
 一年生最後に受けた模試では全体的に偏差値を上げ、第一志望がD判定に上がった。
 学年末テストでも数学と物理は学年上位十パーセント以内に入り、足を引っ張っていた他科目も点数を上げた。

 来週から始まる、二年生の新学期。
 クラスは文系と理系で、分かれてしまう。
 それでも二人は、互いの背中を押し合いながら、それぞれの道を歩き出していた。



 春休みの最終日となる、四月五日の月曜日。
 春希と雪は、ふるさと村を訪れていた。

 じんわりと汗ばむ陽気の午前。
 平日とあって、見渡す限りの風景の中に他の人影はほとんどなかった。

 四月上旬の農村は田植えに向けた準備が始まったばかり。
 掘り起こされた黒土の匂いが漂う長い畦道を、二人で並んで歩いた。

 脇を流れる灌漑の水路では、透き通った水が、春の陽を受けてきらめいている。
 吹き抜ける爽やかな風に、畦道に芽吹いた柔らかな草花が小さく揺れている。

 雪の手が、そっと春希の手を探り当てて握った。
「!」
 春希が少し驚いて辺りを見渡しかけると、雪は「大丈夫だって」と繋いだ手を前後に振った。

「誰もいないって思ったから、ふるさと村に誘ったんだ」
「確かにそうだな」
 春希は手をずらして、雪の指の間に自分の指を絡めた。

「ふふ」
 雪の表情がぱっと弾け、春希の腕へ体を寄せてくる。

「動かないでね」
 空いている方の手でスマートフォンを取り出し、雪は繋いだ手を目の高さまで持ち上げて、写真を撮る。

「これ、2kiにアップしてもいい?」
 尋ねてくる雪に、春希はちょっとだけ息を吸い込み、頷いた。

「――いいけど。なんて書く?」
「うーん。『お付き合いはじめました』」
「冷やし中華みたいな」
「う。期間限定みたいで嫌だ……」

 雪が春希の肩にそっと頭を寄せる。
 春希は、ははっ、と笑って、雪のこめかみに自分の頬を寄せた。

「『よろしく』、ってのは?」
「うん……! それにしたい。末永くって感じがする」
「アイコンも変えるか」

 春希も自分のスマートフォンを取り出し、SNSアプリで『2ki_days』のアカウント画面を開いた。プロフィールは、赤い毒キノコ画像のままだ。

 春希はスマートフォンを地面に向けた。
 デザイン違いのスニーカーのつま先が写る。

「ずっといっしょに歩けますように……って意味?」
「隣同士、ってことでもある」

 2ki_daysのアイコンが、新しい写真に切り替わる。
 続いて、新たな投稿がタイムラインに載った。

――よろしく

「こちらこそ」
 二人は声を揃えて微笑み合う。
 スマートフォンをポケットに突っ込むと、再びしっかりと手を繋ぎ直した。

 そして青空へ続く、まっすぐな長い長い道を、二人で歩き始める。



春を待つ雪・完