新星は死ぬまでに

「よくやった、ノマ!」
 屋敷に響き渡るのは、私では再現できないほど大きな声。
「人命を救うなど素晴らしい、さすがこの僕が見込んだ天才だな」

 ありがとうございます、と返す私の響きも、少しだけ弾む。
 政界を揺るがす陰謀に、こちらを敵視する貴族の謎。頭を抱えたくなるようなことばかりだ。
 でも、今回の成功は、私の声を少し軽くしてくれる。
「僕に変身していたとはいえ、よく気づいたな」
「いえいえ。あんまり褒めるのはやめてください、調子に乗りますよ」
 両手を振っていると、ヴァイレート様は不思議そうにこう返してくる。
「なぜだ?いくらでも調子に乗ればいいではないか」
「……そうですね」
 どうやっても、やっぱり本物には敵いそうもない。

 ため息をついた私の後ろから、凛とした声がする。
「お疲れさまでした、ノマさん」
「――ミレネさん」
 彼が作ったものだろうか、ケーキが机に置かれる。
 浮ついているのを見られてしまった、と肩を竦める私に、彼は言葉をくれる。
「素晴らしい仕事ぶりですね。……評価しましょう」

 ぱっと顔を上げた私に、彼は言葉を重ねる。
「ただ、政略や貴族の情勢については、俺とヴァイレート様で話し合います。かなりの情報量になりますから、覚悟してくださいね」
 その横顔は、いつもよりも少し凛々しく見えた。
「あの!私も参加を」
「できません」
 手を挙げた私に返ってくるのは、一瞬の間も置かない否定だった。
 二人はずっと一緒に生きてきたんだ、と心の中で繰り返す。
 だから、私が混ざれなくてもしょうがないんだ。

「……でも、私もできることがあれば」
 小さく唱えるように声を出す。
「ノマ、すまないな。結論が出たら伝えよう。それまではよく寝て休め」
 ヴァイレート様まで言うなら。
 私は小さく拳を握りしめて、もう一度前を向いた。
「分かりました。お二人とも、無理はしないでくださいね」

 ※

 ヴァイレート様の言ったとおりに、私はよく寝て食べた。
 のんびりとした生活は久しぶりで、せっかくなら家事を完璧にしようと考えた私は、ミレネさんに教えを乞うことにした。
「またですか」
 ため息をついたミレネさんに、掃除した小部屋を案内する。
「まあ、及第点といったところでしょう」
「ありがとうございます!」
 小さく拳を握りしめた私の隣が指さされる。
「ああ。ここに埃がありますね。それから棚の横」
 彼は、決して怖い人ではないのだと最近気が付いた。
 ヴァイレート様のことを真面目に考えているからこそ、きっとああいう言葉が出たんだと思う。

 ミレネさんが去ったあと、私は部屋に向き直った。
 どうせなら全部完璧に掃除してやろう、と腕を捲る。
 言われた棚の横を、丁寧に布で拭いていく。
「……棚の裏って汚いんじゃないかな」
 ふと思いついて棚を少しずらすと、確かに埃や小さなゴミでくしゃみがでそうだった。
 よし、と声を出して布を取り出した私は、違和感を覚えた。

「なに、これ」
 小さく声が飛び出す。
 そこにあったのは、あの赤い石と同じような光を放つ小石だった。
 光自体はそんなに明るくはないものの、あの神聖さとそれから少しの不気味さは一緒。
 触れたら死ぬ石、魔力の塊。教科書で見た文言が頭をよぎる。
 結局私は、恐る恐る棚をもとに戻した。
 大魔法使いの家なんて、どこかに秘密があってもおかしくない。
 掃除をするときは見て見ぬふりをする。それが、私の出した答えになった。

 ※

 二度目の会議の知らせが届き、数日後。
 厳重な警備体制のもと、今回は大広間で会議を行うという。
 明日はその日だというのに、私たちは揉めていた。
「もう僕が向かおう。全て貴族をぶちのめしてくれよう」
「いいえ。ノマさんに任せます。昨日おっしゃったことではないですか」
 テーブルをはさんで、話し合いが行われていた。話し合いと言っても、十分前からずっと議題は平行線だ。

「見つければいいのだろう、その反逆者とやらを」
「レーチェ侯爵のことです、目星はもうつけてあるのではないかと。それに」
 一度目をつぶったミレネさんは、ゆっくりと繰り返す。
「それに、ノマさんにはお伝えしなければいけないではありませんか」

 ヴァイレート様が急に目を逸らし、食卓に変な静寂が流れた。
「なんですか、伝えることって」
「まだ、いい」
 私は、ヴァイレート様がうつむいているのを初めて見た。
 いつもの威厳は失っていないけれど、長い髪に少し隠された表情が寂しげだ。
「まだ早い」
 なんのことかは分からないままだったけれど、私も口を噤んだ。そこにあるものを知るのが怖い。
 ヴァイレート様の笑顔が下手になるのが、もっと怖い。

「でも、ヴァイレート様。私、今回の会議は出たいです」
「そうか」
「私の役割を、忘れたりなんてしませんから」
 彼は口元に手を添えて、しばらくそのまま動かなかった。
 テーブルの下で、私はぎゅっと手を握りしめる。
「ノマ。お前は優しくていい娘だ」
 さっきまで気づかなかったのに、小鳥の鳴く声が聞こえた。

「僕はお前を大事に思っている。身代わりとしての役割だけではない……知っているとは思うが」
 ヴァイレート様は窓の外に顔を向ける。
「尊敬している。いや、これだと薄っぺらい言葉かもしれないが」
 綺麗な白髪を耳にかけて、彼は笑った。
 机に置かれた小さな花瓶が、こんなに透き通っているとは知らなかった。
 でもその硝子が綺麗だからこそ、底にあるものが見えてしまう。

「……じゃあ、行かせてもらえるんですか」
 ヴァイレート様はまた笑った。どっちにも嘘なんてないはずなのに、さっきより眉が下がっていた。
 視界の端で、ミレネさんが音もなく扉を閉めていく。
「ノマ」
「なんでしょう」
 次に見つかる言葉が何なのか、私はちょっとだけ気づいていた。気づいているからこそ、上ずっていてでも高い音を出す。
「――お前を一番大切にするべき人物は、僕ではない」
 槍か何かで突き刺されたように、私の内臓が悲鳴を上げた。
 ヴァイレート様は何も言えない私を見た後、うつむきながら続ける。

「こういう話をするのが久しぶりでな。ただ」
「はい」
「お前は、もっと自分に手を差し伸べるべきだ。お前がお前を大事にする、そうしないと僕だって守り切れない」
 彼の左手は小さく震えていた。
 情けないな、と零した彼は、それを右手で包む。

「――だったら、私は何もあげられないじゃないですか!」
 脳の奥の方だけが冷静で、どこかからこの広間を見ているみたいだ。
「命だってかけられなかったら、私はヴァイレート様に何をあげられるんですか!」
 やけになっているのは分かっていた。
 でも、この生活が始まってから、私は何もできていない。貴族の問題に巻き込まれたときも、禁書ときも。ヴァイレート様だったら、もっと器用にできたのに。
「前褒めてくれたじゃないですか。なら少しは頼ってくれてもいいですし」
 何が言いたいのか、もう私にも分からなかった。

「命がけの仕事のはずなのに、これじゃ助けられてばっかりで!」
「ノマ」
 凛とした声がした。
 いつの間にか歪んでいた私の視界の中で、光を浴びた彼の髪が光っている。
「分かった。今回はお前に任せる」
 その返事が聞きたかった。その返事が聞きたかっただけのはずだった。
 なのに、私はどうしてこんなに不甲斐ないのだろう。
「帰ってきたら、お前に話すことがある。その話は、お前を深く傷つけるものだ」

「……はい」
「僕のことを嫌いになるかもしれない。僕はそれを恐れている」
 別れ話をする恋人たちの気持ちとか、死刑を宣告された人の気持ちとか。次々に浮かんできた妄想は、知ったこともないそれと似たようなものだと思った。
「明日に備えて、もう今日は寝るといい。……それとな」
 ヴァイレート様は扉を開け、私を寝室に返そうと手を差し出す。
 強張った筋肉の力が抜けるような、優しい声だった。
「お前を信頼していないわけじゃない。お前を大切に思いすぎてしまった、僕の過ちだ」