新星は死ぬまでに

「またあのくそ侯爵家か!僕に気でもあるのか?こんなに毎回呼びつけるとは」
 大きな声が広間にこだまする。
 ヴァイレート様は、席についたまま指をくるくるして魔力を持て余している。ただ、その力が強すぎてこっちまで神経がうずく。
「何かしらの魂胆かもしれませんね。レーチェ家は最近代替わりしたばかりですし」
 冷静な声がそれを遮る。少し肩を竦めた私を横目に、ミレネさんは椅子をひいた。
「今回の仕事について、俺から説明しましょう」
「はい」
 数日前の一件以来、私は彼をまともに見ることができていない。
 ミレネさんを見ると、きっと考えてしまうから。

「今回もレーチェ侯爵からのご依頼ですね。シェージェ地方の領主の皆さまで会議を行うため、その立会人になってほしい、と」
 それを聞くなり、ヴァイレート様は再び顔を顰めた。
「立会人?護衛と言った方がまだ分かりやすいな、あの腑抜け」
「来週のようですね。こんなに急なタイミングということは、何かしらの問題でもあるのかもしれません」
 ヴァイレート様には一瞥もくれず、ミレネさんは話し続ける。
「それから、今回の仕事は数日あるそうです。会議がまとまるまで、ということでしょうね」
 貴族社会のことは、今でも雲の上の話みたいに思えてしまう。
 でも、何かが行われようとしている――その感覚で、心臓がきゅっとした。

 その感覚のまま、私はミレネさんの手元に視線を移す。
 そこにある分厚い手帳には、紙が数枚挟まれていた。
「すみません。それ、見せてもらっても」
「これですか。お構いなく」
 大きな羊皮紙には、びっしりと文字が書き込んであった。
 今回の会場への行き方や、出席者の顔ぶれ。それから、予想される役割や話題なんかもまとめてある。
「ありがとうございます」
 ミレネさんのとは比べ物にならないくらい、薄くて小さい手帳を開く。
 棚にあったインクとペンで、その内容を書きとっていく。

 私が不完全なことは、あの夜だけじゃなくてずっと分かっている。
 ――分かっているけれど、この生き方を選んだからには絶対成し遂げるんだ。

 拳を握りしめている私の目の前に、カップが置かれた。あの甘酸っぱい匂いに、少し心が安らぐ。
「ありがとうございます、ミレネさん」
「いえ。緊張されると思いますが、お願いいたしますね」
 それと、と彼は私に背を向けつつ口にした。
「貴方の努力は買いましょう」
 こちらに向かって、ヴァイレート様が目くばせしている気がした。

「ミレネとは上手くやれていないのか?」
 首を傾げて訊いてくるヴァイレート様に、本当のことを言うのは気が引けてしまう。
「いえ!大丈夫だと思います」
「ふ、ならよかった」
 言った後に、背中が少し重くなったような気がする。
 姿勢を正した彼は、私と視線を合わせた。

「それなら、問題はあの侯爵だな。あれは跡を継いだばかりらしい、どうりで馬鹿なものだな」
「ヴァイレート様を利用するなんて、さすがに許せません」
「まあな。……ただ、奴にも事情があるのだろうな」
お人よしですね、と少し頬を膨らませる。
「なんだ、小娘。拗ねるな」
 微笑んだその顔があまりにも儚くて、私は少し固まってしまった。
「ヴァイレート様の練習をしてきます」
「なんだその練習は」
「堂々とする練習です」
 私の答えに満足したのか、彼は目を伏せた。

 それからの五日間、私は徹底的にヴァイレート様を知ろうとした。
 歩き方から語尾の法則、どんなものが好きか嫌いか、それに髪をかき上げるときのコツまで。
 前回と同じように、固まってしまうわけにはいかなかった。もし私が本物のヴァイレート様ならどうするか。それを再現できるようになるまで、この計画を諦めるわけにはいかなかった。
 貴族の事情についても、ミレネさんから教わってとことん頭に入れた。使わない情報ですよとは言われたけれど、今の私には全てが必要だった。
 ――ヴァイレート・アムレアを、私は完璧に成し遂げる。

 ※

 私が二度目に指輪をつけるその日は、あっという間にやってくる。
 前回よりも大きく一歩を踏み出した私は、学んだ通りにゆっくりと馬車に乗り込んだ。
 レーチェ侯爵家の屋敷も、前回でかなり慣れている。
 前回と違うのは、会場が大広間ではなく中規模な部屋であること。
 それから、何よりもその空気の重さだ。

 レーチェ侯爵が部屋に入る前から、すでに貴族たちの視線が鋭い。
 誰かが口を開くわけでもなく、皆一様にどこか下や横を眺めている。
 そんな中、分厚い扉が音もなく開いた。

「シェージェ地方の領主の皆さま。本日は、会議にご参加いただきありがとうございます」
 この間と同じように、真っ青な燕尾服を身に纏ったレーチェ侯爵が姿を現した。
 指一本でも動かせば崩れ落ちていきそうな緊張のあと、彼は眉を下げて笑顔を作った。

「まず、この間のパーティーでのご無礼をお許しください」
 レーチェ侯爵は、私より少し年上くらいに見える。
 そんな彼が作る笑顔は、ヴァイレート様のそれと比べて、ずっと底が見えない。
「あの段階に至った経緯につきましては、のちにご説明いたします――特に、ヴァイレート卿」
 思わず声が飛び出しそうになったのを抑え、私は頬杖をついた。
「……ああ」
「個別にお詫びさせていただきます。それでは、今日の議題を」

 予想の斜め上から飛んできた話に、頭を抱えたくなる。
 ……どうして、この人がこんな風に?
 パーティーの時の扱いからは信じられない待遇だ。
 もしヴァイレート様だったら、興味がなさそうにしているんだろう。それだけを頼りに、私は体勢を変えず次の言葉を待ち続けた。
「最近の噂ですし、特に信じるだけの根拠もありません。ただ」
 レーチェ侯爵の貼り付けたような笑みが、不意に剝がされる。
「この地方全体の掌握を狙う者が、どこかにいるそうで」

 低すぎるわけではない彼の声が、空気を重く震わせた。
 誰も声を発さないのに、いろんな感情が聞こえてくるみたいだった。
「どこの誰かは、私も存じません。ただ――パーティーで捕まえた犯人が吐いたんですよ」

 ゆっくりと、全員の顔を眺める。
 ヴァイレート様だったら分かるのかもしれないけれど、私の推理能力じゃ誰かまでは分からない。
「あなた方には、くれぐれも気を付けていただきたい。今日からはその対策ということで、会議をしましょう、ね」
 有無を言わさない声の裏にあるものは、まっさらな白なのか。何も分からないまま、会議は進行していく。
 襲撃が起きた際の守りの固め方、食糧の調達に市民の避難まで。
 私が学んできたことを凌駕していく政略が、テーブルの上で組み立てられていった。

 私は、立会いと言われていただけ。
 会議に口を出すことを歓迎されていないはずだから、と、いつものヴァイレート様みたいに紅茶をゆっくりと味わっていた。
 私の方を見ることすらなく進む話し合いを見ていると、やっぱりどうしても退屈になってしまう。
 そもそもこんな場に呼びつけるという、侯爵の魂胆が分からない。

「それでは、今回の議事録をお願いできますか?」
 右端にいた一人の男性に、レーチェ侯爵が声をかける。
 侯爵は、テーブルの左端から分厚いノートを手に取ろうとした。

 その瞬間。
 その本から出ている空気が、何か黒くて大きなものに見えた。
 ヴァイレート様の神経が、耳鳴りみたいに警報を鳴らしている。
「待て!」
 どうされましたか、とこちらを振り返った侯爵を手で制する。
「動くな、その本から離れろ!」
 驚いた表情でこちらを見つめる参加者たち。
 そのうち誰がどうしてなんて、二の次だ。だけど。
「――それは禁書だ」

 静寂の中に、小さな悲鳴が混ざる。
 触れると発動する呪術。その危険から逃げるように、大抵の貴族はこちらに向かってきた。
 テーブルの周りには人がいなくなり、ますます禁書は禍々しいオーラを隠さなくなる。
「お助けください、ヴァイレート卿!」
「どういうことだ、これは!」
 決してこちらに視線を向けなかったはずの彼らは、私の周りで震え始めた。
 その場に残っているレーチェ侯爵だけ、顔色を変えずに封印魔術を口にする。

 彼はただの『証拠』と化したそれを右手に持つと、変わらない飄々とした笑みでこちらを見る。
 ただ、その目にはもう光がない。
「魔術ですり替えられた、か」
 小さく漏れ出る声は、彼のものとは思えないほど低くて鋭い。
 侯爵は私たち全員を見渡して、ゆっくりと踵を返した。

「お開きだ。誰が置いたかはまた調査する――早く帰れ」
「ですが」
「死ぬぞ!」
 一喝したレーチェ侯爵は、初めて顔を赤くしていた。
 彼は、怒っている。

 貴族たちは、その勢いに押されるようにして、一人ずつ出口へと向かっていく。
 呪術もさることながら、大半はきっと侯爵の怒りが怖いのだろう。
 ――どう立ち振る舞うべきなのか。
 部屋に残ったのは、いつの間にか私と侯爵だけになっていた。
 レーチェ侯爵は、絡めた指で隠れていた目をこちらに向ける。

「助かりました、ヴァイレート卿」
 不意に席を立った彼は、禁書をしげしげと眺めた。
「よく見抜きましたね。さすが、大魔法使いです」
 さっきまでの鋭い声とは一転、落ち着いた響きとその笑み。
「いや。それにしても、こんなところまで危険が及ぶものなのか」
「残念ながらそのようです」
 彼はくる、と振り向くと、こちらに頭を下げた。

「度重なるご無礼を、失礼いたしました」
「その謝罪は先ほどもらった」
 私の言葉に、彼は顔をあげようとしない。数秒の沈黙のあと、ゆっくりと向き直ったレーチェ侯爵は小さく笑った。
「ご説明させてください。実は、最初ヴァイレート卿の名で予告が来ていたのです」
「……どういうことですか」
 最初というのは、と思わず口にする。
「パーティーの際です。ヴァイレート卿の名前を騙った何者かが、あの場で私を殺害するという手紙を寄越した」
「それで、あのような方法をとったと」
 私の呟くような声を、侯爵はしっかりと拾って頷く。

「ええ。あなたと対立している貴族の犯行だと踏んで、失礼を承知で名前を借りさせていただきました。そうすれば、あなたが事情を全て知っていると思わせることができる」
「……なるほど。もしこちらが本当に犯人だった場合も警戒して、あの策をとった、か」
 なかなか鮮やかな作戦だと思った私は、一度だけ頷いた。
「ですが、どうしてこちらが犯人だと仮定しなかった?」
「ふふ、意地の悪いお方だ」
 なぜか少しだけ嬉しそうな彼は、私に視線を送った。
「かの大魔法使いヴァイレートは、手紙を嫌う。レーチェ家が苦しめられてきた、あなたの性格ですよ」
「なるほどな」
 ヴァイレート様が手紙を書くところを、確かに私は見たことがない。彼ならありえそうな話に、こちらの口角も少しだけ上がった。

「私は今回の会議で、ヴァイレート卿に謝罪をと思って参りました。新参者ですから、疑われてしまったかもしれませんが」
「こうして誤解も解けたことだ、よしとする」
 彼は、私の言葉にもう一度頭を下げてこう言う。
「本日は、誠にありがとうございました。次お会いするときに、ご覧になってほしいものがありまして」
「ああ、こちらこそ」
「あなたがきっと喜ぶものですよ」
首を傾げる私に、彼は可笑しそうに微笑んだ。