新星は死ぬまでに

 目が覚めた。
 私の目の前に光っていたのは、シャンデリアなんかじゃなくて、ぼんやりとした明かりだった。
「――ん」
 まだ意識がぼんやりする。体を支えてくれる布の感触が心地いい。
「……ヴァイレート様」
 ふと口から飛び出した名前に、私は目を見開いた。
「ここって」
 ベッドから飛び起きて、それが一人用なことに胸をなでおろす。その拍子に肘が悲鳴を上げた。やっぱり、一晩寝ただけじゃ回復はしないみたいだ。

 そっと胸に手を当て、部屋をぐるりと一周する。
 額縁に飾られた油絵はどれも美しく、全体的に少しだけ古びている部屋とよく合っていた。カーテンは重すぎない赤色。どこを見ても、簡潔に整えられている。
 ここがどこなのか分からないけれど、なんとなく私の家みたいだと思った。

 コン、コン。
 突然、扉の方からノックが響く。
「はい!」
 私の声が思ったよりも大きくて、それに対してさらにびっくりしてしまった。扉の外からは、私のそれよりもさらに大きな声が返ってくる。
「起きているのか⁉」
 少しだけ余裕のなさそうな声に、私は恐る恐る返事をする。
「今、起きました」
 ヴァイレート様の声がする。
「ノマ、お前を待っていたら三日も経った。死んだかと思ったぞ」
「……三日⁉」
 さっきよりも大きな声で返してしまう。
 一晩よく寝た、くらいのつもりだったのに。ヴァイレート様に心配をかけたと思うと、体が小さくなるような心地がする。
「着替えは見つかったか」
「着替え?」
「窓際の棚、上から三番目の引き出しだ」
 今度は体を痛めないように、ゆっくりと起き上がる。
 古びた金の取手を引くと、中にあったのは色とりどりのワンピースだった。
「……すごい」
 小さく呟いたつもりだったのに、扉の向こうからは笑い声が返ってきた。
「だろう?ちなみにサイズは全て揃えた。暇だったからな」

 声を出しそうになって、慌ててそれらを並べる。
 確かに丈はバラバラで、どんな身長にも対応できそうだ。
「ありがとうございます」
「大きさの合うもので好きな色でも着てくればいい。今の服は思い入れが無ければ捨てておけ」
 簡素な部屋なのに服はこれだけ買うなんて、と首を傾げる。
 そもそも大魔法使い、それも百年生きていたらお金なんていくらでもありそうだ。

 遠ざかっていく足音を確認して、私はワンピースを手にする。
 色とりどりではあるけれど、一枚ずつ見ると意外に装飾は少ない。なんだかヴァイレート様らしいと思った私は、口角が少し上がっていることに気づいた。

「そうだ、娘!」
「はい!」
 慌てて返事をする。ヴァイレート様の声はよく響くから、それに負けないようにと思わず声を張ってしまった。
「風呂に入ってこい、部屋を出て右、僕はそれまで廊下に出ない」
「――はい!」
 ただ繰り返すだけの、単純な返事だ。
 でも、いつかの貴族に言われたときと違う、ほんとの私が発した返事だ。

 久しぶりの入浴と、それから悩んで決めた赤いワンピース。
 体はここに来る前よりずっと軽くて、包み込んでくれているものたちは、私にとっては羽みたいだ。
 廊下を小走りで渡ると、ぱたぱたと小さく音がする。

「遅かったな……」
 辿り着いた部屋で頬杖をついていたのは、眠そうに目を細めているヴァイレート様だ。
「すみません――久しぶりだったので、つい」
 縮んでいく私の言葉に少し笑った彼は、「よし」と口にしながら背を伸ばした。

 空いている椅子に座った私は、ざっと広間を見渡す。
 さっきの寝室と同じだ――思っていたより簡素で古くて、でもそれが心地いい。
「我が屋敷へようこそ、ノマ」
 彼のルビーみたいな瞳が、まっすぐに光を反射する。
「ありがとうございます。ヴァイレート様」
 背筋を正した私は、一度だけゆっくりと息を吸い込んだ。

「あの、失礼だとは承知しているのですが」
 さっき吸った息を吐くように自然に、できるだけ自然に。そう思っていたのに、出てきた言葉は空気を勢いよく割って進んでいく。

「――私を助けてくれた理由、なにかあるんですよね」
 口にしたあと、あまりにも自分はちっぽけだと思った。でもずっと、ずっと気づいていたことだ。
 この世界は、そんなに都合よく回らない。
 その自転の中心がヴァイレート様であることはあっても、私のためにこの星は回らない。
 私がこんな待遇を受けることには、何かしらの訳があるんだ。

「話が早いな。僕も今話すつもりだった」
 彼の言葉に、伸びていた背筋に電気が走ったみたいな感覚になる。
 知っていた。知っていたのに、その代償が怖い。

「僕は聖人君子ではない。申し訳ないが、お前を助けたのにもこちらの理由がある」
「――はい」
 彼は肩を落とした。
 口元に手を当てたその姿は、ちょっとだけ私たちと同じ人間みたいに見える。私たちよりずっと強くて遠いはずなのに、同じように悩んでいるように見える。

「ノマ。お前には、頼みたい仕事がある」
 仕事。小さく繰り返した私に、ヴァイレート様は目を逸らした。
 そのあと、またこちらに視線を向ける。さっきまでの目が偽物だって言われても気づかないくらい、神様みたいな目。

「僕の身代わり、だ」
 思ってもいなかった響きに、また彼の言葉を繰り返す。
「それって、危ないんですか」
 私の口から出てきた間抜けな響きを笑うことなく、彼は頷いた。
「残念ながら、そうだ。このヴァイレートの名前は、今や国中に轟いている――だからこそ、野蛮な奴らが黙っていない」
「狙われるってことですよね」

 まるで、広間の照明が一段階落ちたみたいだ。
 でも、私の体は震えない。それを不思議だと思った。
「阿呆どもは阿呆だからな。このヴァイレートがやられるはずないというのに」
 茶化すように胸を張る彼の影を見る。
「でも、どうやって身代わりになるんですか。私は女ですし」
「よく聞いてくれた!」
 影が少し薄くなった彼は、大きな音を立てて立ち上がった。
「見せてやろう、僕の至高の発明を」

 そういったヴァイレート様は、戸棚から何かを取り出してきた。
「これを見ろ」
 机の上に置かれたそれは、淡くて、でも鋭い光を放っている。
「……これ、学院で習いました」
 私は少しだけ体を引く。
「人間が触れたら死ぬ石、みたいな」
「そうだ」
 その辺の石ころでも拾うようにして、彼はその石を手に取った。ますます赤くなるそれは眩しいほどで、私は椅子ごと後ろに下がる。
「えっ」
「なんだ。僕はこれでもすごい魔法使いだからな」
 ヴァイレート様は、それを手の上で転がす。

「この莫大な魔力を使うのが、変装魔術だ」
「……変装?」
 冗談だと思う。
 私だって魔術の研究はしていた。賞をいくつか取るくらいで、かなり詳しい方だったはずだ。
「そんなもの――聞いたことがないです」
「そうだろう!このヴァイレートが考えた、秘密の魔術なんだから知るはずもない」
 ――秘密の魔術。
 それはあまりに危険な響きだった。
 でも、ほんの少しだけ、わくわくする。

「ただ、誰でもできるわけではない。……目の色は変えられない」
 思わず、あ、と声が漏れた。
 きっと、それが私が呼ばれた理由なんだ。
 なんでか安心してしまった私に、ヴァイレート様は続ける。
「だからお前を探していた。……知っているだろう、赤い目の人間は千人に一人しかいない」
 深く頷く。
 赤い目。不吉だったそれが、急に朝焼けの色みたいに思えてくる。

「無償の慈悲でなくてすまない。ただ、お前を助けたいと思ったのもまた事実だ」
 その声は、やっぱり少しだけ悲しそうだ。
 だからこそ。
 ヴァイレート様に取ってそれがどうでもよくなるくらい、私はこの生活を楽しんでやろうと思う。
「いいんです。私を助けてくれたこと、本当にありがとうございます」
 誰に狙われるとか知らないけれど、そんなものは全部私が倒してやろうと思う。体に不調が出ても、そんなものは払い取ってやろうと思う。

 ――なぜって。その時の私は、もう人じゃないんだから。
「ヴァイレート様」
 席を立った私の声に、彼はこちらを見上げた。白銀の髪が揺れる。
 やっぱり、ヴァイレート様は世界で一番綺麗だと思った。
「その仕事、やらせてください!」
 ちょっとした間と、それから椅子が床に擦れる音。
 立ち上がったヴァイレート様は、私に頭を下げていた。
「やめてください!ヴァイレート様、そんな」
「……礼を言う、ノマ」
 顔を上げた彼の背丈は、私よりずっと高い。
 でも、もっともっと高い――そしてあまりに遠くて寂しい場所から、彼はずっとこの世界を眺めてきたんだ。

「あ、そうだ。やっぱり私の名前ってこんな遠くまで広まってるものなんですかね」
 ふと口に出すと、ヴァイレート様はまた席に着いた。
「残念ながらと言ったほうがいいのか、幸運なのか。僕には分からないが、どこかの領主が血眼になって探しているらしい……そのおかげで噂が回ってきたんだがな」
「……そっかぁ」
 そうだろうな、という納得と、それから、背筋に染み渡るような冷たい恐怖。
「ノマ」
 はっと顔を上げた。
「――大変だったな」
 それを耳にした瞬間、視界がぶわっと歪んだ。床にしゃがみ込む。
「……はい」
 つまらない返事しかできない。
 そんな私の三歩分の距離に、ヴァイレート様は立った。
「大丈夫だからな」
「はい」
 決して顔を見ることもなく、触れることもなく。
 ただ、彼はそこに立っていた。

 ※

 そのあとパンを貪ってベッドに潜った私は、まだ寝足りなかったらしい。
 目を開けたらもう夜で、窓の外には星がちらちら光っていた。
 腕を曲げたり伸ばしたりして、確実に調子が良くなっていることを確かめる。
「……お腹空いた」
 布団にくるまって目をつぶる。
 固い地面で寝てきた日々のことを、ふと思い出した。
「……行かなきゃ」
 どこにか、それは分からなかった。でも、こんなところにいたらいけない気がする。
 こんなところにいたら、またいつか、あの環境に戻ったときに生きていけない。
 自覚してしまえばあっという間。私はやっぱり、すごく小さい生き物なんだ。
 唇を噛んだ。

 忍び足で広間まで進む。
 扉の前に立つと、中からは明かりが漏れていた。消し忘れたんだろうな、とぼんやりそれを開ける。
 ぎ、と小さく音が鳴った。
「起きたか」
「わっ」
 予想していなかった声に、心臓が跳ね上がる。
 そっと覗くと、椅子にはヴァイレート様が座っていた。
「……おはようございます」
「随分とよく寝たようだな、あはは」
 口元を隠して笑うヴァイレート様だが、その声は可笑しさを隠そうともしていない。
 彼の笑い声は、この部屋を照らしているものそれ自体みたいだった。決して太陽じゃないけれど、私を導いてくれるもの。

 座らないのか、と言わんばかりに、ヴァイレート様は私を見る。
 私は慌てて席についた。
「――こんな遅くまで起きてるんですね」
「まあそうだな。天才にも眠れない夜はある」
 彼はコップに目をやった。野イチゴみたいな、ちょっとすっぱくて甘い香りがする。
「ヴァイレート様って、どうして死なないんですか」
「……っはは、なんだ」
 私が不意に口にした疑問に、彼は机に伏して笑っている。
「なにかおかしいですか」
 不思議に思うのは当たり前でしょう、と添えると、彼は急に頭を上げた。
「そうだな、すまない」
 頬杖をついた彼の指に、白い髪が絡みつく。
「……そんなことを聞かれることなんて、あまりなくてな」
「え、気にならないんですかね」
 首を傾げる私に、ヴァイレート様は目を細めた。
「さあな。僕は不死身の魔法使い、なぜならこの僕が死んだら皆が困るからだ」
 その響きは、決して重くもないし鋭くもない。ただ、圧倒的な大きさが私の前に立ちはだかっているみたいだった。

「――確かに、ヴァイレート様がいなくなったら大変です」
「ふふ、そうだろう」
 彼は満足そうに微笑みを浮かべる。
「きっと、どうでもいいのだろうな」
「……それって、どういう」
 私が小さく身を乗り出すと、ヴァイレート様は目を逸らす。
「いや。――僕が不死身で強ければ、きっとそれ以上は必要ないんだ」

 頭を下げたいと、そう思った。
 きっと、ずっと私もそうだった。
 私たちが見てきたのは、勝手に信仰してきたのは「ヴァイレート」という人じゃなかったのかもしれない。
 きっとそれは「不死身の大魔法使い」、その言葉が持つ暴力だ。
「……すみません」
「何をあやまっている貴様!」
 思っていたより数倍大きな声が飛んできて、私は身を竦めた。
「お前が興味を持ってくれたことが、僕は嬉しい。ただ残念だがな、もう覚えていないんだ」

 長い睫毛が伏せられていた。
 私はその理由を知らないし、これからも知ることはできないのかもしれない。
 ただ、彼は同時に笑っていた。
「思い出したら教えてやろう。人間をやめたいのだろう?」
 目を開けた先にいたのは、元通りの神様みたいなヴァイレート様だった。
「はい!」
「お前、変な人だと言われたことはないか。まあそうだな、人間をやめるには、変であることも大事だ」
「ないです」
 思わず口をついて出た答えに、彼は目を丸くする。
「そうか。……僕はよくある。なぜだと思う」
「なぜ、ですか」
 しばらく頭を捻ったが何もでてこなくて、私は彼の目を見つめた。

「あまりに美しすぎるからに決まっているだろう!」
「……そういうところが変なんだと思います」
 胸を手に当てているヴァイレート様に、思わず声が出てしまった。
「今なんと言った小娘!」
「その通りだと思います、と言いました」
「ならいい」
 また笑顔を浮かべる彼を見て、私は耐えられなくなってしまった。
「――っふ、あはは」
「どこに笑う要素があった」
「いえ、なにも、あはは」
 変なひとだなあ、と思った。ヴァイレート様は不思議そうにこちらを見ていて、それがもっと面白い。

 いつか、もし、どこかで私が元通りになっても。
 それでも彼と出会えたこの現実が無駄なんて、絶対に思わないようにするんだ。

 ヴァイレート様が悪態をついて、私がまた笑って、外がだんだん明るくなってきて。
 夜が、ゆっくりと終わっていく。