魔法が解けるまではあっという間だ。
ヴァイレート様から魔力を受け継いでしばらくしたある日。彼から「話がある」と呼ばれた私は、屋敷の広間で彼を待っていた。
時計の針を見つめながら、これまでのことを思い返す。あの日から一躍話題となった私たちは、取材やら会議やらで引っ張りだこだった。その間に両親との再会も果たして、これまでにない充実した日々を送っていた。
久しぶりに会った両親はかなり痩せていて、申し訳なさとそれでも会えた嬉しさに泣いてしまった。彼らに抱きしめられた私は、もう二度と幸せを失うまいと心に誓った。
記者の対応が一番大変だった。ヴァイレート様なんかは特に怒っていて、でも一番結界を張っていたのはミレネさんだった。貴族社会のいざこざはレーチェ侯爵が対応してくれたみたいで、案外そこからのお叱りは受けなかった。
そして、今日が何の日か――知らされてはいなかったけれど、私はなんとなく気づいていた。
「ノマ」
白髪を靡かせて、ヴァイレート様がやってくる。その目元にはくまが浮かび上がっていて、笑みもいつもより心もとない。
「ヴァイレート様。今日はその日なんですね」
「ああ。僕の変装魔法はいずれ解けるからな。今日が期限で間違いない」
その響きを口の中で転がすと、しょっぱい味がした。
ヴァイレート・アムレアが三年で交代する理由は、変装魔法の持続期間にある。彼にかけられた魔法が解ける今日は、私たちにとってすごく大事な日だった。
「まあ聞け。僕は魔法が解けても美形だそうでな。当時の日記に書かれていたし、ミレネも誇っていた」
「ヴァイレート様ならきっとそうですよ」
魔力を失ったヴァイレート様は、それまでに失った過去を取り戻そうとしている。ただ家族や友人は見つかることなく、彼の口数が減った日もあった。
「あと一時間か。さあ、僕の誕生日として祝福しようじゃないか!」
「そうですね!終わったら街でも歩きましょう」
扉の開く音がして、ミレネさんが顔を出す。
「また厄介ごとに巻き込まれないでくださいね。ノマさん、ヴァイレート様。この間は人混みができて大変だったでしょう」
ヴァイレート様は笑顔を作ると、一度時計の方を見た。数秒開けて、また一度。
彼にとっては、自分が何者なのかを知るための日なのだから当然だ。それでもそんなヴァイレート様を見ると、心臓がちくりと痛む。
「……大丈夫ですよ」
「ノマ。僕は、捨て子だったらしい。だから知らないんだ、きっと誰も僕のことには気づかない」
「――ヴァイレート様」
「だが問題ない!僕が一体どれだけの命を救ったことか。ヴァイレートとして何を成してきたかは、きっとどんな時でも変わることはない」
その通りです、と返した私の声は震えていなかっただろうか。
「ヴァイレート様。私を救ってくれたのは紛れもなくあなたです。ヴァイレート様じゃなくてもいい、私はあなた自身の言葉に救われたんです」
「ああ、ありがとう」
彼は口角を上げた。
一秒、また一秒。時間だけが歩いていくようで、私たちは今日ずっとそれに取り残されている。
でも、そんな暇はない。私はヴァイレート様を見届けるし、いつかはきっと彼の真実にも迫ってみせようと思う。だって、それが私にできる恩返しなのだから。
思考を読んだみたいに、ヴァイレート様は小さく笑い始めた。彼の長い指が、もうすぐ消えてしまう輪郭をなぞる。
「いい肉体だったな。もう比べるものもないから分からないが」
微笑んだ彼の顔は、世界一綺麗だった。
「最高の日々だった」
席についたミレネさんも、目を伏せながら微笑んでいる。自然に緩んでいく頬を止められなくて、私は本当に幸せ者だなと思った。
「ノマ。一つ頼みがあるんだが」
「何なりと、ヴァイレート様」
彼は気まずそうに笑うと、少しだけ視線を逸らした。
「その、なんだ。呼び名のことなんだが。もう僕はヴァイレートではないからな。何かいい名前があればつけてくれ」
「……名前ですか」
私は考え込む。
隣の席ではミレネさんが首を傾げていた。
「……確かに、俺がお会いしたときにも名前のことは聞いていませんでしたね。頑なに名乗らないもので」
「そんなに僕は強情だったのか」
「偽名だったんでしょうね。ノアと名乗っていましたが、そんな人物はそのあたりにいませんでした」
きっと、名乗りたくないほどに周囲を警戒していたのだろう。うつむいた私だったが、すぐに顔を上げて話しかけることにした。
「ヴァイレート様って結局二十三でしたよね、まだ若いですね」
それはミレネさん曰く、ヴァイレート様がヴァイレート様になる前に聞き出した情報だった。
私と比べても四つしか違わないから、最初はびっくりしてしまって声も出なかった。
「なんだ、四つは天と地ほど違うぞ」
「そんなことないです!」
そのとき、私はばっと立ち上がった。
「どうした⁉」
「思いつきました、名前!」
ヴァイレート様は目を輝かせる。その姿が年相応に見えて、私は可笑しくなった。
「教えてくれ、ノマ!」
「――ノヴァート、です」
その意味に気づいたのか、彼は笑顔になる。
私たちは静かにその時を待っていた。時計の針が動くのも、もう気にならない。
ノヴァ―ト。
新星を意味するその言葉は、きっと今日の名づけにふさわしい。
ヴァイレート様から魔力を受け継いでしばらくしたある日。彼から「話がある」と呼ばれた私は、屋敷の広間で彼を待っていた。
時計の針を見つめながら、これまでのことを思い返す。あの日から一躍話題となった私たちは、取材やら会議やらで引っ張りだこだった。その間に両親との再会も果たして、これまでにない充実した日々を送っていた。
久しぶりに会った両親はかなり痩せていて、申し訳なさとそれでも会えた嬉しさに泣いてしまった。彼らに抱きしめられた私は、もう二度と幸せを失うまいと心に誓った。
記者の対応が一番大変だった。ヴァイレート様なんかは特に怒っていて、でも一番結界を張っていたのはミレネさんだった。貴族社会のいざこざはレーチェ侯爵が対応してくれたみたいで、案外そこからのお叱りは受けなかった。
そして、今日が何の日か――知らされてはいなかったけれど、私はなんとなく気づいていた。
「ノマ」
白髪を靡かせて、ヴァイレート様がやってくる。その目元にはくまが浮かび上がっていて、笑みもいつもより心もとない。
「ヴァイレート様。今日はその日なんですね」
「ああ。僕の変装魔法はいずれ解けるからな。今日が期限で間違いない」
その響きを口の中で転がすと、しょっぱい味がした。
ヴァイレート・アムレアが三年で交代する理由は、変装魔法の持続期間にある。彼にかけられた魔法が解ける今日は、私たちにとってすごく大事な日だった。
「まあ聞け。僕は魔法が解けても美形だそうでな。当時の日記に書かれていたし、ミレネも誇っていた」
「ヴァイレート様ならきっとそうですよ」
魔力を失ったヴァイレート様は、それまでに失った過去を取り戻そうとしている。ただ家族や友人は見つかることなく、彼の口数が減った日もあった。
「あと一時間か。さあ、僕の誕生日として祝福しようじゃないか!」
「そうですね!終わったら街でも歩きましょう」
扉の開く音がして、ミレネさんが顔を出す。
「また厄介ごとに巻き込まれないでくださいね。ノマさん、ヴァイレート様。この間は人混みができて大変だったでしょう」
ヴァイレート様は笑顔を作ると、一度時計の方を見た。数秒開けて、また一度。
彼にとっては、自分が何者なのかを知るための日なのだから当然だ。それでもそんなヴァイレート様を見ると、心臓がちくりと痛む。
「……大丈夫ですよ」
「ノマ。僕は、捨て子だったらしい。だから知らないんだ、きっと誰も僕のことには気づかない」
「――ヴァイレート様」
「だが問題ない!僕が一体どれだけの命を救ったことか。ヴァイレートとして何を成してきたかは、きっとどんな時でも変わることはない」
その通りです、と返した私の声は震えていなかっただろうか。
「ヴァイレート様。私を救ってくれたのは紛れもなくあなたです。ヴァイレート様じゃなくてもいい、私はあなた自身の言葉に救われたんです」
「ああ、ありがとう」
彼は口角を上げた。
一秒、また一秒。時間だけが歩いていくようで、私たちは今日ずっとそれに取り残されている。
でも、そんな暇はない。私はヴァイレート様を見届けるし、いつかはきっと彼の真実にも迫ってみせようと思う。だって、それが私にできる恩返しなのだから。
思考を読んだみたいに、ヴァイレート様は小さく笑い始めた。彼の長い指が、もうすぐ消えてしまう輪郭をなぞる。
「いい肉体だったな。もう比べるものもないから分からないが」
微笑んだ彼の顔は、世界一綺麗だった。
「最高の日々だった」
席についたミレネさんも、目を伏せながら微笑んでいる。自然に緩んでいく頬を止められなくて、私は本当に幸せ者だなと思った。
「ノマ。一つ頼みがあるんだが」
「何なりと、ヴァイレート様」
彼は気まずそうに笑うと、少しだけ視線を逸らした。
「その、なんだ。呼び名のことなんだが。もう僕はヴァイレートではないからな。何かいい名前があればつけてくれ」
「……名前ですか」
私は考え込む。
隣の席ではミレネさんが首を傾げていた。
「……確かに、俺がお会いしたときにも名前のことは聞いていませんでしたね。頑なに名乗らないもので」
「そんなに僕は強情だったのか」
「偽名だったんでしょうね。ノアと名乗っていましたが、そんな人物はそのあたりにいませんでした」
きっと、名乗りたくないほどに周囲を警戒していたのだろう。うつむいた私だったが、すぐに顔を上げて話しかけることにした。
「ヴァイレート様って結局二十三でしたよね、まだ若いですね」
それはミレネさん曰く、ヴァイレート様がヴァイレート様になる前に聞き出した情報だった。
私と比べても四つしか違わないから、最初はびっくりしてしまって声も出なかった。
「なんだ、四つは天と地ほど違うぞ」
「そんなことないです!」
そのとき、私はばっと立ち上がった。
「どうした⁉」
「思いつきました、名前!」
ヴァイレート様は目を輝かせる。その姿が年相応に見えて、私は可笑しくなった。
「教えてくれ、ノマ!」
「――ノヴァート、です」
その意味に気づいたのか、彼は笑顔になる。
私たちは静かにその時を待っていた。時計の針が動くのも、もう気にならない。
ノヴァ―ト。
新星を意味するその言葉は、きっと今日の名づけにふさわしい。
