新星は死ぬまでに

 息も絶え絶えになりながら、会場の議会堂に辿り着く。
 レーチェ侯爵邸もかなりだったが、今回の会場はもっと大きい。国家議会が開かれることもあるらしいその建物は、天高くそびえたっていた。
 何度か転んだせいで擦り切れたワンピースを見たのか、門番二人は不審そうに訊いてくる。
「そこの貴女、お名前を窺っても?」
「ノマと申します。ヴァイレート卿の使者として参りました」
 門番たちは不思議そうに顔を見合わせる。本人しか出席しないと届けを出しているのに、知らない女が来たらこの反応をするのも当然だろう。
「信じてはもらえないかもしれませんが、私はヴァイレート様から伝言を預かっています。彼の屋敷は今、襲撃に遭っている最中です」
 真っ直ぐに目を見て訴えると、二人は顔を見合わせた。
「それが本当なら、表彰式どころではないぞ」
「ええ。でも暴動は鎮圧されています――ヴァイレート様はすぐに到着するでしょう」
 一人が頭を掻いて言った。
「そんな話をどうやって信じればいい、とりあえず俺は報告に行ってくる」
「――その必要はありません」
 門の向こうから凛とした声がして、私は思わず顔を上げる。
 そこに立っていたのは、いつもより装飾の少ない服に身を包んだ、見覚えのある姿だった。
「レーチェ侯爵!」
「おや、私の名前を知っているのですね?お嬢さん」
 深々と頭を下げる門番二人に倣って、私もなるだけ深くお辞儀をする。レーチェ侯爵は今までにない真面目な表情をして、こちらに向き直った。
「詳しく聞かせてください。『反乱』の貴族と関係が?」
「はい、その貴族です。彼が今捕らえようとしていますが、いつまでかかるかは分かりません」
 彼は私に向かって手を差し出すと、門を開けるように指示した。目を見開く私に、彼は小さく微笑む。
「ノマ様、おいでください。私に力を貸してくださいますか」
「なんで、その名前を……」
 彼の背中が照らされる。
「ヴァイレート卿の一番弟子の名前でしょう。もっとも、これは私だけが知る秘密事項ですが」

 レーチェ侯爵と話をつけたのち、私は舞台裏へと通された。彼がどうして私の名前を知っているのかは聞けないままだったが、どうやら援軍を用意してくれるらしい。反乱軍の事件を大事にしないようにということで、表彰式は「ヴァイレート・アムレアが来る」という前提のまま進めることで合意した。
 ……最後に彼が見せた、すべてを知っているような笑顔が気になるが。
 舞台裏は思ったより何倍も広い。ヴァイレート様が今どうしているかと考えると胸が締め付けられるけれど、その分私は私の任務に集中しないといけない。
 しばらく息を整えていると、舞台の方から声がした。挨拶がもう始まっているようで、私は慌てて耳をそばだてる。
「……本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます……」
 声の響きで分かる、レーチェ侯爵だ。

 私は指輪を取り出し、右手の薬指にはめた。
 ゆっくりと目を開けると、いつも通り視線が高い。この感覚にも慣れてきたぞ、と一人で念じていたら、ふと最初の変装を思い出して泣きそうになった。
 そう、あのパーティで知った。ヴァイレート様は孤独で、誰も彼のことを知らない。最強で不死身の魔法使いということしか、彼らは知ろうとしない。
 大きい手をぎゅっと握りしめる。
 私も彼らと何ら変わらない。彼に助けられてばかりで、彼に頼ってばかりだ。彼がいなかったら生きていくことができなかったという事実を良いことに、どれだけヴァイレート様に幻想を押し付けたのだろう。
 その瞬間、思考に火花が散った。
 本当にそうだとしたら、ヴァイレート様の辛さを分かってあげようとか、そんな傲慢が許されるとしたら?
 幕が上がった。

「本日は私のためにお集まりいただき、本当にありがとうございます」
 ヴァイレート様の姿をした私が登壇すると、観客たちはいっせいに拍手を送る。パーティで見たことのない貴族がほとんどで、それだけヴァイレート様はすごい人なんだと思う。
「最も優れた魔法使いに今年も選んでいただけたこと、誠に感謝しております」
 貴族たちは満足そうに頷いていて、私もそれに笑みを返す。
 彼らは何も知らない。ヴァイレート・アムレアがなぜ爵位を持たないのか、手紙を書かないのか。なぜ不死身なのか、彼らは知らない。
 再び沸き起こった拍手の中、私は顔を上げた。
「ところで、皆さまはヴァイレート・アムレアについて何を知っていますか。もしこの場にいる私が偽物だとして、皆さまはどう思いますか」
 台本に無い言葉に、客人たちは不思議そうな顔をする。
 人が互いを知ることには限界がある。でも私は彼について知りたいし、私はヴァイレート・アムレアじゃない。
「ここで伝えましょう。私はヴァイレートではありません。不死身でもなんでもない、ただの一人の人間です」
 会場は騒然とした。
 理解できないという視線に晒され、私は少し唾をのむ。指輪に左手を当てると、その冷たさが心地よい。
 だから、私はそれを抜き取った。足元が一瞬だけふらつき、そして戻る。
 さっきよりは心もとない声帯で、精一杯声を張る。
「私の名前はノマ・ラフメル。貴族に痛い目に遭わされた、ただの十九の女です。私もあなたたちと同じで、ヴァイレート様に救われた。あなたたちと同じで、彼を最強という視点でしか見ていなかった」
 下がらせろ、という声がどこかでした。
「私は彼の後継者として、直近の会議に出ていました。誰にも気づかれることなく、誰も私を疑わなかった。そんなの見抜けと言う方が無理があるでしょう。でも、きっとそういうことなのでしょう。皆ヴァイレート様に頼っている――彼が何者か、誰も知らない」
 兵士たちが壇上に向かってくる。
「私は、彼に報いたい。それと同時に、私のことも大切にしたいんです」
 青い服の貴族が右手を翳し、兵士たちの動きを止めたように見えた。それを確認して、私は思いっきり声を張り上げた。
「ヴァイレート・アムレアは、私が終わらせる!」

 ステージの正面、そこから一番遠い扉が音を立てて開いた。スポットライトに照らされたこの舞台よりも何よりも、扉の向こうが光に照らされている。
「ノマ!」
 駆け込んできたのはその人だった。
 綺麗な白銀の髪はぼさぼさに乱れていて、かすり傷ではあるが顔にも赤い線が引かれている。乱れた服を整えることもせず、彼はこちらに一歩、また一歩と向かってくる。
「ヴァイレート様!」
 叫んだ私と本物のヴァイレート様に、会場がどよめく。
 私はもう一度会場を見渡した。
「ヴァイレート様。私が初めてあなたと出会った日のことを、覚えていますか」
「ああ。よく覚えている、お前と一緒に空の中に立ったことを」
 彼は笑った。
「僕は、お前に泣かされたことがあったな」
「まさか泣くとは思っていませんでした」
「私はあなたみたいに強くありません。あなたみたいに人に優しくできるかも、正直分からない。それでも、あなたのそばにいたい、強くありたい。」
 私は話し続けた。
「神様になりたかったんです。でも、ヴァイレート様と出会って、この間その真実を知って。でもその時に分かったんです、私が目指しているのは、人間を超えた存在じゃない。力があるとか、そんなことはどうでもいい」
 ヴァイレート様は静かに聞いていた。まるで楽器の音色でも聴くように、穏やかな顔で。
「あなたみたいに強くて優しい人間でありたい。私が救われたのは、他でもないあなたの言葉だから」
 驚きか失望か、観客は言葉を失っているようだった。でも、それはもう関係がない。

「あの石、持ってきてくれたんでしょう。私はあなたを継ぎます――ノマ・ラフメルとして!」