想定より早く仕事が終わった。これほど嬉しいことはない。スキップしながら街を歩きたくなる。いや、本当にスキップしたっていい。ここは出張先だ。自分を知っている人は誰もいないのだから……といってスキップする者は稀だ。ノベマコ(仮名、三十二歳、女性、独身)は、そういう希少な人間の一人だった。
スーツにパンツでビシッと決めている女性がスキップしているのが珍しいのか、学校帰りの小学生たちが話しかけてきた。
「お姉さん、何か楽しいことがあったの?」
「ふふふ、仕事が早く終わったの。そうだ、夕ご飯前に軽く美味しいものを食べたいんだけど、そういうのを食べられるお店、知らないかしら?」
ノベマコを不審者だと誤解したのか、小学生のグループは少し引き気味になったが、悪い奴ではなさそうだと判断したようで貴重な情報を教えてくれた。お団子と珈琲と一緒に楽しめる喫茶店があるというのだ。
「お団子と、コーヒー? 不思議な取り合わせね」
そう言うノベマコに小学生たちは「盛岡のお団子は美味しい」「盛岡の珈琲消費量は全国二位」等の豆知識を伝授した。
「ふむふむ、どうもありがとう!」
子供たちに別れを告げ、ノベマコは教えられた店にやってきた。古風な佇まいの、昔から営業しているような喫茶店である。店内も昭和の雰囲気が漂っていて、趣深い。昔ゲームセンターにあったアーケードゲーム機の筺体が現役なのには驚かされた。その隣のテーブル席に座りメニューを眺める。各種コーヒーと他に紅茶やソフトドリンクそれから食べ物の名前が並んでいた。ピリ辛トマトスープスパに心惹かれたノベマコは思わず注文してしまった。軽く済ませるつもりだったのに……と反省しながら置いてあるファッション雑誌を読んでいるうちにピリ辛トマトスープスパが出てきた。ラーメンの丼みたいな高さのある器に真っ赤なスープとパスタが盛り付けられている。タバスコとパルメザンチーズをぶっかけ、ノベマコは食べ始めた。酸っぱくて旨い。食べれば食べるほど食欲が増してくる。
「すみません、お水のお代わり下さい」
タバスコをかけすぎたと反省しつつノベマコは、スープがあまりにも美味しくて、まるでラーメンを食べているかの如く器を両手で持ってすべての汁を啜った。げっぷをしながら彼女は言った。
「ご馳走さまです。食後にブレンドコーヒーと……この、ここに載っている、しょうゆ団子と、お茶餅というのを下さい」
盛岡のしょうゆ団子とは、みたらし団子のように甘くなかった。しょうゆの香ばしさで食べさせる串団子だった。それから彼女は、お茶餅を食べてみた。平たくした餅を串に刺し焼いたもののようだ。胡桃の風味が漂う甘い味噌だれで味付けしてある。
「美味しい」
ノベマコはコーヒーを飲みながら餅菓子を普通に食べている自分に気付き、郷に入っては郷に従えとは、このことだと思った。
喫茶店を出てホテルに戻ったノベマコは重いビジネスバッグを放り出すとパンプスからスニーカーに履き替え、再び外へ出た。クマが出るという北上川や中津川の岸辺を散策しカロリーを消費する。夜に食べるためだ。今度は酒も飲む。大量に体内に入るカロリーへの備えとして、備蓄されていたグリコーゲンを使い果たすのだ! 平地を歩くだけでは運動不足だと感じた彼女は盛岡城跡公園の石垣に登ることを思い付いたが「いしがきにのぼらないでください」との注意書きを見て断念した。
「でも、いい運動になった。よし、いったんホテルに戻ろう」
客室で軽くシャワーを浴び、髪を乾かし、出陣する。ノベマコは獲物を狙う獣の目で入る店を物色した。押し入るわけではない。呑んで喰らうためだ。奥まった通りにも入る。自らの勘を信じ見知らぬ街を探索する彼女に目を奪われる男性が少なからずいたけれど、彼女は今そういう気分ではない。色気より食い気、出張女子ひとりメシの男は不要なのだ……遂に彼女はピンとくる店を見つけた。小さなビルの一階にある小さな居酒屋だ。木製の引き戸を開け、暖簾をくぐると、そこにはL字のカウンター席とテーブル席が三つ、それから小上がりが見えた。そこに座る年配の上品な男性数名以外に客はいない。ほんわかとした女性店主が「いらっしゃいませ、空いているお席へどうぞ」と出迎えてくれた。落ち着いた雰囲気の、くつろげる店だった。ここまでは自分の勘が当たっていると彼女は思った。促され厨房の中が覗けるカウンターの特等席へ座る。手元にあるメニューと壁に貼られた本日のお勧めをチェックする。
「この田野畑いちごエールって、何ですか?」
岩手の田野畑で採れたイチゴやヤマブドウと岩手の遠野で収穫されたホップで作った甘いビールですと女性店主は説明した。
甘いビールという不思議な響きに惹かれ、飲んでみた。
「むむ、ホップの苦みとフルーティーな味わいが絶妙だわあ」
唸りながらエールをグビグビ飲むノベマコの前にお通しが置かれた。
「これは?」
「タラの白子、タラキクです。時期外れですけど、良いものが手に入りましたので」
小皿に入ったタラの白子はポン酢で味付けされていた。一口含むとクリーミーで濃厚な味が広がる。
「これも美味い」
女性店主が顔をほころばせた。
「タラの芽の天ぷらはいかがです?」
「タラの目ですか! 魚の目玉の天ぷらは初めていただきますよ!」
「いえ、山菜の」
出された熱々の天ぷらを抹茶塩で食べる。カリッと揚がった天ぷらの美味しいこと美味しいこと! ノベマコはエールのお代わりを貰い、天ぷらをガツガツ食べた。
「日本酒はいかがです?」
「貰います」
地酒の中からノベマコは岩手川を選んだ。心に沁みる味だった。
「清酒に一番合う酒の肴です」
そう言って女性店主が出したのがホヤ刺しとホヤ酢だった。初めて食べる黄色い物体と日本酒の組み合わせにノベマコは感動した。
「ホヤの旨味とお酒の旨味が、一緒だと倍増しますね」
「旨味という点でしたら、こちらもどうぞ」
女性店主が出したのはウニとアワビとすき昆布の煮物だった。
「海の旨味成分を凝縮したお料理ですね。いただきます!」
ノベマコがそれを食べようとしたら続けざまに一品が出てきた。
「こちらは短角牛のステーキです。短角牛は脂肪が少ないですからダイエットが気になる方に向いていますよ」
商売上手な女性店主が「こちらはワインとも合いますよ」と言うものだからノベマコは魚介用と肉用にと、岩手の葛巻と大迫で作られた赤と白のグラスワインまで頼んでしまった。
〆は汁物、ひっつみ汁である。耳たぶ程度の柔かさに練った小麦粉を具沢山のしょうゆ汁でいただく。鶏の出汁が旨くて、ノベマコはお代わりした。
「ご馳走様でした」
カードで勘定を終え店を出る。ホテルに戻り爆睡し翌朝、すっきり目覚めた。昨晩フロントから近くに朝からやっている銭湯があると聞いていたので、そこで汗を流してから朝食会場へ向かう。バイキングだった。ノベマコは朝食に日本蕎麦を食べた。名物わんこそばに行く時間がなかったので、そこで何杯も蕎麦を食べ、その代わりとした。ギリシャヨーグルトみたいにモチモチの岩泉ヨーグルトをデザートで食べる。それから珈琲を飲み、盛岡の珈琲消費量維持に一役買う。
盛岡を発つ前、ノベマコは本場のじゃじゃ麺を食べたかったが、蕎麦を食いすぎたので断念した。あまりの悲しみに涙が出そうになった。もしかすると目から蕎麦が出るかもと彼女は考えた。それくらい朝食バイキングで蕎麦をお代わりしたのだった。蕎麦が目から沢山あふれ出たら、開いた隙間にじゃじゃ麵が入る! と期待したが、そんなことはなかった。駅でお土産に盛岡冷麺のセットを買う。本当は焼肉店で冷麺を食べたかったのだが、朝食に蕎麦を食べ過ぎたので、無理だった。あまりに悲しみに(以下じゃじゃ麺のくり返しなので省略)。
新幹線に乗る前、銀河高原ビールとホヤの乾物を買い、シートに座って出発を待つ。列車が動き出すと、おもむろに缶ビールのプルトップを開けた。フルーティーな香りが漂う。ビールを飲む。ヴァイツェンの軽やかな味が、岩手の盛岡を去る悲しみを和らげてくれた。
ホヤの乾物を噛みしめながらノベマコは呟く。
「ご馳走様でした。さあて……次の出張は、どこへいくのかな?」
スーツにパンツでビシッと決めている女性がスキップしているのが珍しいのか、学校帰りの小学生たちが話しかけてきた。
「お姉さん、何か楽しいことがあったの?」
「ふふふ、仕事が早く終わったの。そうだ、夕ご飯前に軽く美味しいものを食べたいんだけど、そういうのを食べられるお店、知らないかしら?」
ノベマコを不審者だと誤解したのか、小学生のグループは少し引き気味になったが、悪い奴ではなさそうだと判断したようで貴重な情報を教えてくれた。お団子と珈琲と一緒に楽しめる喫茶店があるというのだ。
「お団子と、コーヒー? 不思議な取り合わせね」
そう言うノベマコに小学生たちは「盛岡のお団子は美味しい」「盛岡の珈琲消費量は全国二位」等の豆知識を伝授した。
「ふむふむ、どうもありがとう!」
子供たちに別れを告げ、ノベマコは教えられた店にやってきた。古風な佇まいの、昔から営業しているような喫茶店である。店内も昭和の雰囲気が漂っていて、趣深い。昔ゲームセンターにあったアーケードゲーム機の筺体が現役なのには驚かされた。その隣のテーブル席に座りメニューを眺める。各種コーヒーと他に紅茶やソフトドリンクそれから食べ物の名前が並んでいた。ピリ辛トマトスープスパに心惹かれたノベマコは思わず注文してしまった。軽く済ませるつもりだったのに……と反省しながら置いてあるファッション雑誌を読んでいるうちにピリ辛トマトスープスパが出てきた。ラーメンの丼みたいな高さのある器に真っ赤なスープとパスタが盛り付けられている。タバスコとパルメザンチーズをぶっかけ、ノベマコは食べ始めた。酸っぱくて旨い。食べれば食べるほど食欲が増してくる。
「すみません、お水のお代わり下さい」
タバスコをかけすぎたと反省しつつノベマコは、スープがあまりにも美味しくて、まるでラーメンを食べているかの如く器を両手で持ってすべての汁を啜った。げっぷをしながら彼女は言った。
「ご馳走さまです。食後にブレンドコーヒーと……この、ここに載っている、しょうゆ団子と、お茶餅というのを下さい」
盛岡のしょうゆ団子とは、みたらし団子のように甘くなかった。しょうゆの香ばしさで食べさせる串団子だった。それから彼女は、お茶餅を食べてみた。平たくした餅を串に刺し焼いたもののようだ。胡桃の風味が漂う甘い味噌だれで味付けしてある。
「美味しい」
ノベマコはコーヒーを飲みながら餅菓子を普通に食べている自分に気付き、郷に入っては郷に従えとは、このことだと思った。
喫茶店を出てホテルに戻ったノベマコは重いビジネスバッグを放り出すとパンプスからスニーカーに履き替え、再び外へ出た。クマが出るという北上川や中津川の岸辺を散策しカロリーを消費する。夜に食べるためだ。今度は酒も飲む。大量に体内に入るカロリーへの備えとして、備蓄されていたグリコーゲンを使い果たすのだ! 平地を歩くだけでは運動不足だと感じた彼女は盛岡城跡公園の石垣に登ることを思い付いたが「いしがきにのぼらないでください」との注意書きを見て断念した。
「でも、いい運動になった。よし、いったんホテルに戻ろう」
客室で軽くシャワーを浴び、髪を乾かし、出陣する。ノベマコは獲物を狙う獣の目で入る店を物色した。押し入るわけではない。呑んで喰らうためだ。奥まった通りにも入る。自らの勘を信じ見知らぬ街を探索する彼女に目を奪われる男性が少なからずいたけれど、彼女は今そういう気分ではない。色気より食い気、出張女子ひとりメシの男は不要なのだ……遂に彼女はピンとくる店を見つけた。小さなビルの一階にある小さな居酒屋だ。木製の引き戸を開け、暖簾をくぐると、そこにはL字のカウンター席とテーブル席が三つ、それから小上がりが見えた。そこに座る年配の上品な男性数名以外に客はいない。ほんわかとした女性店主が「いらっしゃいませ、空いているお席へどうぞ」と出迎えてくれた。落ち着いた雰囲気の、くつろげる店だった。ここまでは自分の勘が当たっていると彼女は思った。促され厨房の中が覗けるカウンターの特等席へ座る。手元にあるメニューと壁に貼られた本日のお勧めをチェックする。
「この田野畑いちごエールって、何ですか?」
岩手の田野畑で採れたイチゴやヤマブドウと岩手の遠野で収穫されたホップで作った甘いビールですと女性店主は説明した。
甘いビールという不思議な響きに惹かれ、飲んでみた。
「むむ、ホップの苦みとフルーティーな味わいが絶妙だわあ」
唸りながらエールをグビグビ飲むノベマコの前にお通しが置かれた。
「これは?」
「タラの白子、タラキクです。時期外れですけど、良いものが手に入りましたので」
小皿に入ったタラの白子はポン酢で味付けされていた。一口含むとクリーミーで濃厚な味が広がる。
「これも美味い」
女性店主が顔をほころばせた。
「タラの芽の天ぷらはいかがです?」
「タラの目ですか! 魚の目玉の天ぷらは初めていただきますよ!」
「いえ、山菜の」
出された熱々の天ぷらを抹茶塩で食べる。カリッと揚がった天ぷらの美味しいこと美味しいこと! ノベマコはエールのお代わりを貰い、天ぷらをガツガツ食べた。
「日本酒はいかがです?」
「貰います」
地酒の中からノベマコは岩手川を選んだ。心に沁みる味だった。
「清酒に一番合う酒の肴です」
そう言って女性店主が出したのがホヤ刺しとホヤ酢だった。初めて食べる黄色い物体と日本酒の組み合わせにノベマコは感動した。
「ホヤの旨味とお酒の旨味が、一緒だと倍増しますね」
「旨味という点でしたら、こちらもどうぞ」
女性店主が出したのはウニとアワビとすき昆布の煮物だった。
「海の旨味成分を凝縮したお料理ですね。いただきます!」
ノベマコがそれを食べようとしたら続けざまに一品が出てきた。
「こちらは短角牛のステーキです。短角牛は脂肪が少ないですからダイエットが気になる方に向いていますよ」
商売上手な女性店主が「こちらはワインとも合いますよ」と言うものだからノベマコは魚介用と肉用にと、岩手の葛巻と大迫で作られた赤と白のグラスワインまで頼んでしまった。
〆は汁物、ひっつみ汁である。耳たぶ程度の柔かさに練った小麦粉を具沢山のしょうゆ汁でいただく。鶏の出汁が旨くて、ノベマコはお代わりした。
「ご馳走様でした」
カードで勘定を終え店を出る。ホテルに戻り爆睡し翌朝、すっきり目覚めた。昨晩フロントから近くに朝からやっている銭湯があると聞いていたので、そこで汗を流してから朝食会場へ向かう。バイキングだった。ノベマコは朝食に日本蕎麦を食べた。名物わんこそばに行く時間がなかったので、そこで何杯も蕎麦を食べ、その代わりとした。ギリシャヨーグルトみたいにモチモチの岩泉ヨーグルトをデザートで食べる。それから珈琲を飲み、盛岡の珈琲消費量維持に一役買う。
盛岡を発つ前、ノベマコは本場のじゃじゃ麺を食べたかったが、蕎麦を食いすぎたので断念した。あまりの悲しみに涙が出そうになった。もしかすると目から蕎麦が出るかもと彼女は考えた。それくらい朝食バイキングで蕎麦をお代わりしたのだった。蕎麦が目から沢山あふれ出たら、開いた隙間にじゃじゃ麵が入る! と期待したが、そんなことはなかった。駅でお土産に盛岡冷麺のセットを買う。本当は焼肉店で冷麺を食べたかったのだが、朝食に蕎麦を食べ過ぎたので、無理だった。あまりに悲しみに(以下じゃじゃ麺のくり返しなので省略)。
新幹線に乗る前、銀河高原ビールとホヤの乾物を買い、シートに座って出発を待つ。列車が動き出すと、おもむろに缶ビールのプルトップを開けた。フルーティーな香りが漂う。ビールを飲む。ヴァイツェンの軽やかな味が、岩手の盛岡を去る悲しみを和らげてくれた。
ホヤの乾物を噛みしめながらノベマコは呟く。
「ご馳走様でした。さあて……次の出張は、どこへいくのかな?」



