3
エントランスを出ると、潮風が通りを吹き渡っていた。
グランドホテルが建つ旧居留地は港に近いエリアだ。明治元年の開港に合わせて波止場が整備され、そこから徐々に電気や下水道の開発も進んでいった。広く真っ直ぐな通りに領事館や商館が立ち並び、街路樹や公園も整備されるという当時最先端の街だったという。
それから百六十年近く。戦争があり、災害も起こった。
けれど港はずっとここにあって、いろいろな国の人が日本に降り立ち、またどこか遠くへ旅立っていったのだろう。
知らない街に身を置いていると、ここに来ることができなかった依頼主のことを考えずにはいられない。
砂原みずき。
人気作家なのは間違いないけれど、多忙のあまり日帰り取材もできないほどかというと、そうは言い切れない。もしかすると他に本業があって、そちらが忙しいのかもしれない。性別や居住地も含めて秘密主義を貫くのは、そのあたりに理由があるのだろうか。
わたしは港に背を向け、市街地へ向かった。駅の高架下をくぐり、坂の小路を上っていく。異人館街へ近づくにつれ、どこからか異国情緒漂う香りがした。それがバターの香りだと気づいたのは、不動坂を上り切り、〈ベンの家〉の前へやって来たころだ。
そこも忘れず写真を撮り、雰囲気を書き留めておく。
――こういうお仕事をされているってことは、何かきっかけとかあったんですか。
ウエイトレスの質問を思い出す。
あの時、「わたしも小説家だったので」と答える気にはなれなかった。
作家になりたい、とぼんやり思い始めたのは中学生のころだったろうか。好きな作家の真似をして短い文章を書いたりはしていたが、初めて作品を完成させたのは大学に入ってからだ。
その初めて書いた長編小説で新人賞の最終候補に残った。賞は取れなかったものの、「大幅に書き直せば商業出版まで持っていけるかもしれない」と編集者に声をかけられ、一年後に無事出版された。わたしのデビュー作だ。
ところが二作目の執筆を進めているところで担当編集者が定年を迎え、新しい編集者に引き継がれた。初めて新担当と会った時、「一作目は読む気にならなかったけど、一応二作目には目を通しました」と言われ、引っかかるものはあったけれど、担当を引き継いでくれたのだから何かしら評価はしてくれていると思おうとした。
だがこちらの連絡にはまるで返信がなく、かと思えば作品の根幹にかかわるような要素をあっさり「直して」と指示される。言われた通りに修正すれば、これじゃないんだよね、と今度はそれまでの打ち合わせとまるで違う方向へ書き直すように言われた。
肝心の作品がよくなっているとは到底思えないまま、二年も経つころにはすっかり疲弊していた。
結局その編集者は何の連絡もないまま会社を辞め、誰かが担当を引き継ぐ、という話はもうなかった。
あきらめきれず新しい作品を書いて新人賞に応募したが、結果は出ない。
当然だ。
出版できる当てもない作品を言われるままこね回しているうちに、一体何が面白いのか、どうやって小説を書いていたのかもわからなくなってしまった。
折悪しく当時勤めていた食品メーカーでも、異動で上司が代わって以来うまくいかなくなり、そちらも辞めてしまった。アルバイト生活で年を越し、友人との連絡も途絶えがちになったころ連絡してきたのが、最初に見出してくれた編集者――犬上草一だった。
『穂高さん、久しぶりだね。元気にしてますか』
その名前で呼ばれたのは久しぶりだった。
穂高ひかり。本名の〈日野一穂〉をもじったペンネームだが、覚えやすいと言ってもらうことも多く、気に入っていた。
犬上は風の噂でわたしが後任の編集者とうまくいかなかったことを聞き、心配で連絡してきたらしい。しばらく話してから、「申し訳なかった」と謝られた。
「いえ。自分の力不足ですから」
そう答えたのは本音が半分、もう半分は自分をみじめに思いたくないという意地だった。
『僕も一度は引退した身なのだけど、やっぱり動ける限り働きたいと思ってね。また出版関係の仕事をしてるんだ。エージェントって聞いたことある?』
「小説家と契約して、版元へ作品を売り込んだりしてくれるんですっけ」
『それもある。出版社への仲介だけじゃなく、海外展開の交渉を請け負ったり、遺族に依頼されて亡くなった作者の版権を管理したり。何でも屋みたいなものだね。それで勝手だけど、また一緒に仕事ができたらなと。小説はまだ書いてるんだろう?』
「ありがとうございます。でも、もういいんです。この世の中、素晴らしい作品はたくさんあるじゃないですか。一度そこに割り込めただけで奇跡だったと思ってます」
犬上は考え込むように、そうか、と短く答えた。
『いまでもあの仕事は続けているのかい。ほら、お菓子のメーカーで事業部に配属されたって教えてくれたろう』
「それが、お恥ずかしいんですけどそっちもうまくいかなくて」
『穂高さん。小説家としてじゃなく、うちのエージェント会社からの業務委託を受けてみる気はないかな』
業務委託? と鸚鵡返しに繰り返した。
『小説の取材として、現地調査をすることがあるだろう。その代行をお願いしたいんだ。僕らは取材代行って呼んでる。顧客にはうちのエージェント会社を利用してる作家もいるし、単発で依頼してくる人もいる。例えば主人公がフェリーに乗るシーンがあったとして、取材の時間が取れないから代わりに乗船して詳しいレポートを書いてほしいとか』
「わざわざお金を払って人にやってもらうんですか? そういうのって、自分で足を運んでこそ感覚がつかめるんじゃ……」
そこまで言いかけて口を噤む。
実際に足を運んでこそ得られるものがあるというのは、デビュー作を書き直す中で犬上に教わったことでもあった。
それを思い出してか、相手も電話口で苦笑する。
『確かにその通りだ。でもいろんな事情でそれができない人もいる。療養中の家族や小さな子どもがいて目を離せなかったり、〆切間際に限って確認したいことが出てきたり』
「でも、どうしてわたしに?」
『小説を書いていた穂高さんなら、作家の求めるものがわかるだろう。それに、むかしから打ち合わせも原稿も時間はきっちり守って、不用意に情報を漏らすこともなかった。取材を代わりに行うとなれば、まだ発表されていない作品の情報を目にすることになる。信頼できる人に頼みたいんだ』
それから、犬上は細かい条件を教えてくれた。
仕事は単発だけど、多い時には月の半分くらいになる。
価格はエージェントの取り分を除いて、一日一万五千円が基本だ。半日、つまり約四時間では一万円。さらに時間外や突発的な依頼には額が上乗せされ、もちろん交通費や宿泊費も支払われる。レポートは内容によって価格が異なり、追加で資料が欲しいということになればオプション価格で対応されるという。
わたしは頭の中で素早く計算した。一回一万五千円、月に十五日入るとして二十二万五千円。
犬上の話では半分近い依頼者が追加のプランを頼むというから、二十五万くらいは稼げるかもしれない。それを下回ったとしても、他の単発バイトを入れる時間はある。
わたしは自分のいる部屋を見回した。三鷹駅から徒歩十五分の距離にある、築三十年の木造アパート。これでも家賃は共益費込みで月七万円になり、引き払うことも考えていた。
試しに受けてみてもいいかもしれない。どちらにせよ、他にやりたいことも、行きたい場所もないのだから。
「やってみます」
気づけばそう答えていた。
「それで……。犬上さん、ひとつお願いしたいことがあるんですが」
『僕にできることなら』
「わたしのこと、日野一穂の方で読んでほしいんです。今はもう、作家じゃないので」
わかった、と犬上は穏やかな声で答えた。
あれから早いもので半年が経つ。
取材代行は、思った以上に「何でもあり」だった。夜中の十一時に、「この埠頭で主人公が殺人を目撃するのだけど、誰にも目撃されず逃げられるか調べてほしい。追加料金を払うから、今すぐ現地に行ってくれ」と依頼が来るような仕事だ。
コスプレをして指定の公園に行き、周りの反応はどうだったか、警備員に注意されるか確かめてほしいという依頼もあった。
小説家としての才能はなかったわたしだけど、意外なことに取材代行は向いていたらしい。「またこの間の人に頼みたい」と指名されることも増えてきた。そうした指名料もあって、最近はほとんどこの仕事一本で生活できている。
ある時犬上から、「物語は逃げないよ。いずれ書きたいと思うこともあるかもしれない。その時には、また相談してくれるとうれしい」と声をかけられた。
けれど、自分の中にそんな気持ちがよみがえるとは思えなかった。
もしかすると、この仕事を続けているのは疑似的にでも「作家である自分」を感じられるからなのかもしれない。
それでいい。それで満足しよう。
エントランスを出ると、潮風が通りを吹き渡っていた。
グランドホテルが建つ旧居留地は港に近いエリアだ。明治元年の開港に合わせて波止場が整備され、そこから徐々に電気や下水道の開発も進んでいった。広く真っ直ぐな通りに領事館や商館が立ち並び、街路樹や公園も整備されるという当時最先端の街だったという。
それから百六十年近く。戦争があり、災害も起こった。
けれど港はずっとここにあって、いろいろな国の人が日本に降り立ち、またどこか遠くへ旅立っていったのだろう。
知らない街に身を置いていると、ここに来ることができなかった依頼主のことを考えずにはいられない。
砂原みずき。
人気作家なのは間違いないけれど、多忙のあまり日帰り取材もできないほどかというと、そうは言い切れない。もしかすると他に本業があって、そちらが忙しいのかもしれない。性別や居住地も含めて秘密主義を貫くのは、そのあたりに理由があるのだろうか。
わたしは港に背を向け、市街地へ向かった。駅の高架下をくぐり、坂の小路を上っていく。異人館街へ近づくにつれ、どこからか異国情緒漂う香りがした。それがバターの香りだと気づいたのは、不動坂を上り切り、〈ベンの家〉の前へやって来たころだ。
そこも忘れず写真を撮り、雰囲気を書き留めておく。
――こういうお仕事をされているってことは、何かきっかけとかあったんですか。
ウエイトレスの質問を思い出す。
あの時、「わたしも小説家だったので」と答える気にはなれなかった。
作家になりたい、とぼんやり思い始めたのは中学生のころだったろうか。好きな作家の真似をして短い文章を書いたりはしていたが、初めて作品を完成させたのは大学に入ってからだ。
その初めて書いた長編小説で新人賞の最終候補に残った。賞は取れなかったものの、「大幅に書き直せば商業出版まで持っていけるかもしれない」と編集者に声をかけられ、一年後に無事出版された。わたしのデビュー作だ。
ところが二作目の執筆を進めているところで担当編集者が定年を迎え、新しい編集者に引き継がれた。初めて新担当と会った時、「一作目は読む気にならなかったけど、一応二作目には目を通しました」と言われ、引っかかるものはあったけれど、担当を引き継いでくれたのだから何かしら評価はしてくれていると思おうとした。
だがこちらの連絡にはまるで返信がなく、かと思えば作品の根幹にかかわるような要素をあっさり「直して」と指示される。言われた通りに修正すれば、これじゃないんだよね、と今度はそれまでの打ち合わせとまるで違う方向へ書き直すように言われた。
肝心の作品がよくなっているとは到底思えないまま、二年も経つころにはすっかり疲弊していた。
結局その編集者は何の連絡もないまま会社を辞め、誰かが担当を引き継ぐ、という話はもうなかった。
あきらめきれず新しい作品を書いて新人賞に応募したが、結果は出ない。
当然だ。
出版できる当てもない作品を言われるままこね回しているうちに、一体何が面白いのか、どうやって小説を書いていたのかもわからなくなってしまった。
折悪しく当時勤めていた食品メーカーでも、異動で上司が代わって以来うまくいかなくなり、そちらも辞めてしまった。アルバイト生活で年を越し、友人との連絡も途絶えがちになったころ連絡してきたのが、最初に見出してくれた編集者――犬上草一だった。
『穂高さん、久しぶりだね。元気にしてますか』
その名前で呼ばれたのは久しぶりだった。
穂高ひかり。本名の〈日野一穂〉をもじったペンネームだが、覚えやすいと言ってもらうことも多く、気に入っていた。
犬上は風の噂でわたしが後任の編集者とうまくいかなかったことを聞き、心配で連絡してきたらしい。しばらく話してから、「申し訳なかった」と謝られた。
「いえ。自分の力不足ですから」
そう答えたのは本音が半分、もう半分は自分をみじめに思いたくないという意地だった。
『僕も一度は引退した身なのだけど、やっぱり動ける限り働きたいと思ってね。また出版関係の仕事をしてるんだ。エージェントって聞いたことある?』
「小説家と契約して、版元へ作品を売り込んだりしてくれるんですっけ」
『それもある。出版社への仲介だけじゃなく、海外展開の交渉を請け負ったり、遺族に依頼されて亡くなった作者の版権を管理したり。何でも屋みたいなものだね。それで勝手だけど、また一緒に仕事ができたらなと。小説はまだ書いてるんだろう?』
「ありがとうございます。でも、もういいんです。この世の中、素晴らしい作品はたくさんあるじゃないですか。一度そこに割り込めただけで奇跡だったと思ってます」
犬上は考え込むように、そうか、と短く答えた。
『いまでもあの仕事は続けているのかい。ほら、お菓子のメーカーで事業部に配属されたって教えてくれたろう』
「それが、お恥ずかしいんですけどそっちもうまくいかなくて」
『穂高さん。小説家としてじゃなく、うちのエージェント会社からの業務委託を受けてみる気はないかな』
業務委託? と鸚鵡返しに繰り返した。
『小説の取材として、現地調査をすることがあるだろう。その代行をお願いしたいんだ。僕らは取材代行って呼んでる。顧客にはうちのエージェント会社を利用してる作家もいるし、単発で依頼してくる人もいる。例えば主人公がフェリーに乗るシーンがあったとして、取材の時間が取れないから代わりに乗船して詳しいレポートを書いてほしいとか』
「わざわざお金を払って人にやってもらうんですか? そういうのって、自分で足を運んでこそ感覚がつかめるんじゃ……」
そこまで言いかけて口を噤む。
実際に足を運んでこそ得られるものがあるというのは、デビュー作を書き直す中で犬上に教わったことでもあった。
それを思い出してか、相手も電話口で苦笑する。
『確かにその通りだ。でもいろんな事情でそれができない人もいる。療養中の家族や小さな子どもがいて目を離せなかったり、〆切間際に限って確認したいことが出てきたり』
「でも、どうしてわたしに?」
『小説を書いていた穂高さんなら、作家の求めるものがわかるだろう。それに、むかしから打ち合わせも原稿も時間はきっちり守って、不用意に情報を漏らすこともなかった。取材を代わりに行うとなれば、まだ発表されていない作品の情報を目にすることになる。信頼できる人に頼みたいんだ』
それから、犬上は細かい条件を教えてくれた。
仕事は単発だけど、多い時には月の半分くらいになる。
価格はエージェントの取り分を除いて、一日一万五千円が基本だ。半日、つまり約四時間では一万円。さらに時間外や突発的な依頼には額が上乗せされ、もちろん交通費や宿泊費も支払われる。レポートは内容によって価格が異なり、追加で資料が欲しいということになればオプション価格で対応されるという。
わたしは頭の中で素早く計算した。一回一万五千円、月に十五日入るとして二十二万五千円。
犬上の話では半分近い依頼者が追加のプランを頼むというから、二十五万くらいは稼げるかもしれない。それを下回ったとしても、他の単発バイトを入れる時間はある。
わたしは自分のいる部屋を見回した。三鷹駅から徒歩十五分の距離にある、築三十年の木造アパート。これでも家賃は共益費込みで月七万円になり、引き払うことも考えていた。
試しに受けてみてもいいかもしれない。どちらにせよ、他にやりたいことも、行きたい場所もないのだから。
「やってみます」
気づけばそう答えていた。
「それで……。犬上さん、ひとつお願いしたいことがあるんですが」
『僕にできることなら』
「わたしのこと、日野一穂の方で読んでほしいんです。今はもう、作家じゃないので」
わかった、と犬上は穏やかな声で答えた。
あれから早いもので半年が経つ。
取材代行は、思った以上に「何でもあり」だった。夜中の十一時に、「この埠頭で主人公が殺人を目撃するのだけど、誰にも目撃されず逃げられるか調べてほしい。追加料金を払うから、今すぐ現地に行ってくれ」と依頼が来るような仕事だ。
コスプレをして指定の公園に行き、周りの反応はどうだったか、警備員に注意されるか確かめてほしいという依頼もあった。
小説家としての才能はなかったわたしだけど、意外なことに取材代行は向いていたらしい。「またこの間の人に頼みたい」と指名されることも増えてきた。そうした指名料もあって、最近はほとんどこの仕事一本で生活できている。
ある時犬上から、「物語は逃げないよ。いずれ書きたいと思うこともあるかもしれない。その時には、また相談してくれるとうれしい」と声をかけられた。
けれど、自分の中にそんな気持ちがよみがえるとは思えなかった。
もしかすると、この仕事を続けているのは疑似的にでも「作家である自分」を感じられるからなのかもしれない。
それでいい。それで満足しよう。
