後宮において、仏堂は祈りの場を提供する役目を担っている。国家としての祈りではなく、子授けや安産祈願、病気平癒、または心の安寧のためなど、妃や女官たちが極めて個人的な願いの成就に訪れるというのが一般的だ。
ちなみに、仏堂というものがあると初めて知ったとき、麗麗は少し驚いた。佐々木愛子の世界でもよく聞いたし、中学高校の修学旅行でも散々見学させられた、あまりになじみのある言葉だったからである。
〝仏〟という概念があるのか。もしかしたらここは異世界ではないのかとそわそわしたものだが、どうやら佐々木愛子の世界でいう〝仏〟とは少し様子が違うようだ。
この世界でいう仏とは、いわゆる仏陀のことではなく、人々を救う存在として信じられている神仙のひと柱である。
繋がりもなにもあったものではないと気づき、麗麗はすんっと興味をなくした。ゆえに一度も仏堂を訪れたことがなかったので、今目の前に広がる光景に度肝を抜かれたのも無理はない。
「お、大きい……ですね」
どーんと目の前に立ち塞がる門扉は、四夫人の宮の門と比べても遜色はない。磨きに磨いたと言わんばかりの門柱は黒々と光り、威圧感よろしく麗麗を見下ろしている。
「こんな感じなんですね、仏堂って」
「来たことはないのか」
冥焔が意外そうな声をあげた。
「はい。必要ありませんから」
下級女官だったときは単純に縁がなかった。そして、今の職場である深藍宮の面子はよくも悪くも現実主義である。儀礼祭典は別として、個人的な願いを叶えるために〝祈る〟という行動は取らないので、来る必要がないのだ。
そう伝えると、冥焔は「そうか」と相づちを打つ。
「ここで働く女官はすべて尚儀局の者だ。あの局は少し独特で、職務のほとんどが口伝となっている。ゆえに、俺もあの局が実際どのように機能しているのか、把握しきれていないのだ」
「ははあ」
愛子の感覚で言うと、伝統工芸や芸能にある一子相伝の技みたいなものか。
「とはいえ、建国以来、国の根幹に関わる儀礼祭典を取り仕切っている者たちだ。訴えを無視できないと大家はお考えなのだろうな」
苦々しく笑うと、冥焔は門を守っていた宦官たちに開門を要求する。
重々しく門が開けば、すぐそこがもう仏堂である。正面より少し先には本堂と思しき荘厳な建物がずずんと建ち、その左右には独立した舎房がある。おそらく女官たちの生活の場なのであろう。
門の歴史ある佇まいに反して、本堂はやたらと若い。おそらく、建て直したばかりなのだろう。新しい木の香りがまだうっすらと感じ取れる。
本堂の扉は開いていた。冥焔のあとに付き従って足を踏み入れた麗麗は、興味津々であたりを見回した。
入り口から正面には広い空間が広がっている。かなりの距離があり、その最奥に大きな祭壇。仏像はここにはない。祭壇だけだ。
ここはおそらく妃たちが祈りを捧げる場として使われており、像は別の場所に安置されているのだろうと麗麗は推測する。
祭壇の前に、数人の女官たちが控えていた。こちらに気がついたのだろう、歩を進めた冥焔を見るやいなや、身を縮めるように揖礼を捧げた。
(おお……! 赤翠の女官服。初めて見た!)
後宮のそこかしこで見かける下級女官よりも華美であり、かといって上級妃に仕える女官よりは質素な、絶妙なところをついた女官服である。
燃え盛る炎の赤を基調とした装いに、翠色の文様が織り込まれたその女官服は、灰から緑を作り出したという焱国の創世神話に基づいているのだろう。この装いだけで、特殊な仕事に携わっているのだとひと目でわかる。
なるほど、こういうところに儀礼祭典を司る局であるという事実が出るのだな、と変なところで感心する麗麗である。
女官たちは相当おびえているようで、かわいそうに血の気が完全に引いている。
冥焔が一歩、足を踏み出した。
「お前たちが、大家に訴え出たという女官だな」
「は、はい」
おそらくこの女官たちを率いているのだろう、先頭で揖礼を捧げていた女官が震える声で返事をした。
「このたびはわたくしたちの声を聞いてくださり、ありがとう存じます」
「俺に礼はいらぬ。顔を上げよ。……それで、仏像に異変と聞いているが、いったいなにが起こっているのか。説明せよ」
冥焔の言葉に、女官たちはおそるおそる顔を上げ、互いに視線を交わした。
「まずは見ていただいたほうがよろしいかと存じます。冥焔様、それに、そちらは……」
麗麗の方にちらりと視線を飛ばした女官の目は、明らかに戸惑っている。
(おお、珍しい)
冥焔と共に怪異を解く女官〝ガリレオ〟の存在は、ここ最近かなり認知されてきているはずだ。しかしこの視線、明らかに麗麗を知らない。
それだけこの局の女官たちが後宮の情報に疎いということなのだろう。やはり特殊な職務なのだ。
冥焔は麗麗に視線を落とし、事もなげに告げた。
「この者は〝真実を見る目〟を持つ女官で、大家より正式に『伽利略』の号を賜っている。ここで見聞きしたことは外には決して漏らさぬと、この冥焔が保証しよう」
「さようでございますか」
ほっとしたように息を吐くと、女官は頭を下げた。
「では、お二方ともこちらへ。案内いたします」
そう言って、女官たちは祭壇の方へと手のひらを差し出した。よく見ると、祭壇のさらに奥、分厚い布が垂れ下がっているその奥が扉になっている。
(ほっほう、隠し扉みたいじゃん)
ちょっとわくわくして目を輝かせる麗麗とは対照的に、隣の冥焔は厳しい顔つきである。
先導する女官たちのあとに続き、例の扉から本堂を抜けると、正面にまっすぐ伸びる廊下があった。真新しい木の匂いを鼻先に感じながらてくてく歩き、やがてもうひとつの堂へとたどり着く。本堂よりもひと回り小さいその堂もまた若く、新築の香りがぷんぷんしていた。
「こちらです」
女官たちがぴたりと足を止める。そして、扉が開かれた。
「……これは」
冥焔がごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
麗麗も目を見開き、目の前の光景を凝視する。
その堂の中には、巨大な仏像が収められていた。
(仏っていうから、もっと穏やかな顔かと思ったけれど)
人の三倍ほどの大きさはあろうか。その像は今から戦いに赴くかのような凛々(りり)しさである。手には刀を持ち、足を高々と上げ、こらしめるように踏みつけているのは悪鬼の像だ。両瞳はまるでこちらをにらみつけているかのような鋭さで、生き生きとした表情が魅力的な仏像である。
その炯々(けいけい)と光る双眸に、ひと筋流れているものがある。
「血の涙……」
冥焔が眉間にしわを寄せ、言葉を落とした。
黒光りする仏像の目からは、赤い涙のような液体が流れている。その液体は頬を伝い落ち、仏像の真下にぽつぽつとまさに血痕のような模様を描いていた。
「ご……ご覧の通りでございます」
女官たちは平伏し、声を震わせる。
「この仏は悪しきものを封ずる仏でございます。悪しきもの、というのは即物的なものではございません。人心、または治世。その中に巣くう邪気を封ずる。それがこの仏の役目でございます」
(邪気払いってことね)
それが今や、妃たちの願い事成就のためのパワースポットになっているのだというのだから、どこも一緒だなあとしみじみ思ってしまう。
「起こっている事象は理解した。それで、お前たちはこれを『皇帝の治世に不穏な影あり』と報告したそうだな」
冥焔の声に、女官たちがさっと顔色を白くする。
「も……申し訳ございません!」
悲鳴のような謝罪である。
「わ、わたくしたちは、決して主上に不満があるわけではございません。け、けれど、我々の局では、そのように言い伝えられておりますゆえ、まずはご報告を優先いたしました。主上のお怒りはごもっともと思いますが──」
「わかっている」
女官の言葉を遮り、冥焔は鷹揚にうなずいた。
「大家はお怒りにはなっていない。むしろ、言いにくいことをよくぞ言ってくれたと仰せであった。しかし、大家は理由を知りたがっておいでである。今ここでなにを聞いても俺はお前たちを罰しないし、大家とてそれを望まないであろう。安心して、わかるように説明せよ」
冥焔の言葉に、女官たちの表情がようやく和らいだ。
「あ、ありがとう存じます……」
その様子を見て、麗麗は内心でほうっと感心の息を吐いた。
(なんか本当に、変わったなぁこの宦官)
冥焔はとにかく偉い宦官なのだ。いくら相手が特殊な職務に就いている女官たちとはいえ、立場が違う者に事情を説明するのは勇気がいる。ましてやここは後宮だ。下手をしたら首と体が〝さようなら〟してしまうのだから、不興を買うような話ほど慎重にならざるを得ない。
だからこそ、立場の高い者が先んじて懲罰免除を口にしてくれるのは、大変ありがたいことなのである。
そして冥焔、以前はこういったことにはほとんど頓着しなかった。麗麗が話を向けなければ『罰しない』なんて言葉は出てこなかっただろうし、下手したら逆に女官たちを威圧し、脅しにかかるようなことすら口にしていた。
それが、今はどうだ。がっちがちに固かった頭が少しゆるんだのだろうか。それとも、こちらのほうが本来の冥焔か。なんにしても、フォローせずとも話が進むのだから、楽になったものだと思う。
そんなことを考えているうちに、女官のひとりが口を開いた。
「わたくしたちの局にはさまざまな伝承が伝わっております。その中にはこの仏堂、および仏像に関するものも。吉兆、凶兆、さまざまでございますが、最も凶兆とされるのが、『仏像の涙』……まさに今起こっている事象でございます。我が局では、このように言い伝えられております」
女官は頭を上げ、蒼白な顔で仏像を見た。そして厳かに詩を口にする。
妖氛生理外 妖氛理の外より生じ
自爾漸陵夷 これより漸く陵夷す
神像呑声哭 神像声を呑みて哭し
曠原紅陸離 曠原紅陸離たり
妖しい気配が理の外より現れ、これより、国が衰えていく。
神像は慟哭を抑えて泣き、広々とした原野に赤い色が光り輝いている。
ちなみに、仏堂というものがあると初めて知ったとき、麗麗は少し驚いた。佐々木愛子の世界でもよく聞いたし、中学高校の修学旅行でも散々見学させられた、あまりになじみのある言葉だったからである。
〝仏〟という概念があるのか。もしかしたらここは異世界ではないのかとそわそわしたものだが、どうやら佐々木愛子の世界でいう〝仏〟とは少し様子が違うようだ。
この世界でいう仏とは、いわゆる仏陀のことではなく、人々を救う存在として信じられている神仙のひと柱である。
繋がりもなにもあったものではないと気づき、麗麗はすんっと興味をなくした。ゆえに一度も仏堂を訪れたことがなかったので、今目の前に広がる光景に度肝を抜かれたのも無理はない。
「お、大きい……ですね」
どーんと目の前に立ち塞がる門扉は、四夫人の宮の門と比べても遜色はない。磨きに磨いたと言わんばかりの門柱は黒々と光り、威圧感よろしく麗麗を見下ろしている。
「こんな感じなんですね、仏堂って」
「来たことはないのか」
冥焔が意外そうな声をあげた。
「はい。必要ありませんから」
下級女官だったときは単純に縁がなかった。そして、今の職場である深藍宮の面子はよくも悪くも現実主義である。儀礼祭典は別として、個人的な願いを叶えるために〝祈る〟という行動は取らないので、来る必要がないのだ。
そう伝えると、冥焔は「そうか」と相づちを打つ。
「ここで働く女官はすべて尚儀局の者だ。あの局は少し独特で、職務のほとんどが口伝となっている。ゆえに、俺もあの局が実際どのように機能しているのか、把握しきれていないのだ」
「ははあ」
愛子の感覚で言うと、伝統工芸や芸能にある一子相伝の技みたいなものか。
「とはいえ、建国以来、国の根幹に関わる儀礼祭典を取り仕切っている者たちだ。訴えを無視できないと大家はお考えなのだろうな」
苦々しく笑うと、冥焔は門を守っていた宦官たちに開門を要求する。
重々しく門が開けば、すぐそこがもう仏堂である。正面より少し先には本堂と思しき荘厳な建物がずずんと建ち、その左右には独立した舎房がある。おそらく女官たちの生活の場なのであろう。
門の歴史ある佇まいに反して、本堂はやたらと若い。おそらく、建て直したばかりなのだろう。新しい木の香りがまだうっすらと感じ取れる。
本堂の扉は開いていた。冥焔のあとに付き従って足を踏み入れた麗麗は、興味津々であたりを見回した。
入り口から正面には広い空間が広がっている。かなりの距離があり、その最奥に大きな祭壇。仏像はここにはない。祭壇だけだ。
ここはおそらく妃たちが祈りを捧げる場として使われており、像は別の場所に安置されているのだろうと麗麗は推測する。
祭壇の前に、数人の女官たちが控えていた。こちらに気がついたのだろう、歩を進めた冥焔を見るやいなや、身を縮めるように揖礼を捧げた。
(おお……! 赤翠の女官服。初めて見た!)
後宮のそこかしこで見かける下級女官よりも華美であり、かといって上級妃に仕える女官よりは質素な、絶妙なところをついた女官服である。
燃え盛る炎の赤を基調とした装いに、翠色の文様が織り込まれたその女官服は、灰から緑を作り出したという焱国の創世神話に基づいているのだろう。この装いだけで、特殊な仕事に携わっているのだとひと目でわかる。
なるほど、こういうところに儀礼祭典を司る局であるという事実が出るのだな、と変なところで感心する麗麗である。
女官たちは相当おびえているようで、かわいそうに血の気が完全に引いている。
冥焔が一歩、足を踏み出した。
「お前たちが、大家に訴え出たという女官だな」
「は、はい」
おそらくこの女官たちを率いているのだろう、先頭で揖礼を捧げていた女官が震える声で返事をした。
「このたびはわたくしたちの声を聞いてくださり、ありがとう存じます」
「俺に礼はいらぬ。顔を上げよ。……それで、仏像に異変と聞いているが、いったいなにが起こっているのか。説明せよ」
冥焔の言葉に、女官たちはおそるおそる顔を上げ、互いに視線を交わした。
「まずは見ていただいたほうがよろしいかと存じます。冥焔様、それに、そちらは……」
麗麗の方にちらりと視線を飛ばした女官の目は、明らかに戸惑っている。
(おお、珍しい)
冥焔と共に怪異を解く女官〝ガリレオ〟の存在は、ここ最近かなり認知されてきているはずだ。しかしこの視線、明らかに麗麗を知らない。
それだけこの局の女官たちが後宮の情報に疎いということなのだろう。やはり特殊な職務なのだ。
冥焔は麗麗に視線を落とし、事もなげに告げた。
「この者は〝真実を見る目〟を持つ女官で、大家より正式に『伽利略』の号を賜っている。ここで見聞きしたことは外には決して漏らさぬと、この冥焔が保証しよう」
「さようでございますか」
ほっとしたように息を吐くと、女官は頭を下げた。
「では、お二方ともこちらへ。案内いたします」
そう言って、女官たちは祭壇の方へと手のひらを差し出した。よく見ると、祭壇のさらに奥、分厚い布が垂れ下がっているその奥が扉になっている。
(ほっほう、隠し扉みたいじゃん)
ちょっとわくわくして目を輝かせる麗麗とは対照的に、隣の冥焔は厳しい顔つきである。
先導する女官たちのあとに続き、例の扉から本堂を抜けると、正面にまっすぐ伸びる廊下があった。真新しい木の匂いを鼻先に感じながらてくてく歩き、やがてもうひとつの堂へとたどり着く。本堂よりもひと回り小さいその堂もまた若く、新築の香りがぷんぷんしていた。
「こちらです」
女官たちがぴたりと足を止める。そして、扉が開かれた。
「……これは」
冥焔がごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
麗麗も目を見開き、目の前の光景を凝視する。
その堂の中には、巨大な仏像が収められていた。
(仏っていうから、もっと穏やかな顔かと思ったけれど)
人の三倍ほどの大きさはあろうか。その像は今から戦いに赴くかのような凛々(りり)しさである。手には刀を持ち、足を高々と上げ、こらしめるように踏みつけているのは悪鬼の像だ。両瞳はまるでこちらをにらみつけているかのような鋭さで、生き生きとした表情が魅力的な仏像である。
その炯々(けいけい)と光る双眸に、ひと筋流れているものがある。
「血の涙……」
冥焔が眉間にしわを寄せ、言葉を落とした。
黒光りする仏像の目からは、赤い涙のような液体が流れている。その液体は頬を伝い落ち、仏像の真下にぽつぽつとまさに血痕のような模様を描いていた。
「ご……ご覧の通りでございます」
女官たちは平伏し、声を震わせる。
「この仏は悪しきものを封ずる仏でございます。悪しきもの、というのは即物的なものではございません。人心、または治世。その中に巣くう邪気を封ずる。それがこの仏の役目でございます」
(邪気払いってことね)
それが今や、妃たちの願い事成就のためのパワースポットになっているのだというのだから、どこも一緒だなあとしみじみ思ってしまう。
「起こっている事象は理解した。それで、お前たちはこれを『皇帝の治世に不穏な影あり』と報告したそうだな」
冥焔の声に、女官たちがさっと顔色を白くする。
「も……申し訳ございません!」
悲鳴のような謝罪である。
「わ、わたくしたちは、決して主上に不満があるわけではございません。け、けれど、我々の局では、そのように言い伝えられておりますゆえ、まずはご報告を優先いたしました。主上のお怒りはごもっともと思いますが──」
「わかっている」
女官の言葉を遮り、冥焔は鷹揚にうなずいた。
「大家はお怒りにはなっていない。むしろ、言いにくいことをよくぞ言ってくれたと仰せであった。しかし、大家は理由を知りたがっておいでである。今ここでなにを聞いても俺はお前たちを罰しないし、大家とてそれを望まないであろう。安心して、わかるように説明せよ」
冥焔の言葉に、女官たちの表情がようやく和らいだ。
「あ、ありがとう存じます……」
その様子を見て、麗麗は内心でほうっと感心の息を吐いた。
(なんか本当に、変わったなぁこの宦官)
冥焔はとにかく偉い宦官なのだ。いくら相手が特殊な職務に就いている女官たちとはいえ、立場が違う者に事情を説明するのは勇気がいる。ましてやここは後宮だ。下手をしたら首と体が〝さようなら〟してしまうのだから、不興を買うような話ほど慎重にならざるを得ない。
だからこそ、立場の高い者が先んじて懲罰免除を口にしてくれるのは、大変ありがたいことなのである。
そして冥焔、以前はこういったことにはほとんど頓着しなかった。麗麗が話を向けなければ『罰しない』なんて言葉は出てこなかっただろうし、下手したら逆に女官たちを威圧し、脅しにかかるようなことすら口にしていた。
それが、今はどうだ。がっちがちに固かった頭が少しゆるんだのだろうか。それとも、こちらのほうが本来の冥焔か。なんにしても、フォローせずとも話が進むのだから、楽になったものだと思う。
そんなことを考えているうちに、女官のひとりが口を開いた。
「わたくしたちの局にはさまざまな伝承が伝わっております。その中にはこの仏堂、および仏像に関するものも。吉兆、凶兆、さまざまでございますが、最も凶兆とされるのが、『仏像の涙』……まさに今起こっている事象でございます。我が局では、このように言い伝えられております」
女官は頭を上げ、蒼白な顔で仏像を見た。そして厳かに詩を口にする。
妖氛生理外 妖氛理の外より生じ
自爾漸陵夷 これより漸く陵夷す
神像呑声哭 神像声を呑みて哭し
曠原紅陸離 曠原紅陸離たり
妖しい気配が理の外より現れ、これより、国が衰えていく。
神像は慟哭を抑えて泣き、広々とした原野に赤い色が光り輝いている。



