後宮のガリレオ3

 とはいっても、斗蓬に罪はない。ありがたく羽織らせてもらって、すでに暗い道をひたひたと歩く。通り過ぎる女官や宦官は寒さに身を縮め、帰路を急いでいるようである。

 (にしても、またもや怪異ねえ)

 (ビャク)(レン)妃のときも、玲沙妃のときも、起こる怪異は人の手で作られていたものが多かった。後宮を混乱させるためにはちょうどいいという名目だったと記憶している。

 そのふたりの妃が後宮から姿を消してなお、まだこうして怪異がはびこる。そのほとんどが勘違いや見間違い、または自然現象ではあるが、事象を怪異と捉える者のなんと多いことか。量こそ減ったものの、後宮が後宮である限り、おそらくゼロにはならないのだろう。

 それだけ、後宮には不安があるという証左なのだろうな、と麗麗は考える。

 起こった事象を怪異と捉えるか否かは人の心なのだ。不安、混乱、疑念など、負の感情があればあるほど、人は事象に怪異を見る。

 怪異を解くことで、少しでも人の心に巣食う負を取り除くことができれば、と麗麗は最近思うようになった。

 (昔の私なら、まあ思わなかっただろうな)

 真実がわかっているのに言えないのは、ガリレオの精神に反する。ただその一心だったが、今はほんの少しだけ、そこに〝理想〟が交じるようになった気がする。

 いいか悪いかはわからない。この理想が悪さをする日が来るかもしれない。けれど、麗麗は今の自分を結構気に入っていた。

 「それで、冥焔様」

 さくさくと隣を歩く冥焔を仰ぎ見て、麗麗は口を開いた。

 「先ほど仏堂とおっしゃいましたが、そこでなにが起こっているのですか」

 冥焔は歩をゆるめず、ちらりと麗麗に視線を向けた。

 「……先に説明したほうがいいだろうな」

 「お願いします」

 冥焔は視線を左右に滑らせ、人けがないことを確かめてから言葉を落とした。

 「訴え出たのは『(しょう)()(きょく)』の者たちだ」

 「尚儀局……、ああ、だから仏堂なんですね」

 尚儀局とは、儀礼祭典を司る部署のことである。

 (きゅう)(じょう)および後宮では、式典や行事が数多く行われる。その際に準備をしたり、進行を取り仕切ったりするのが尚儀局だ。後宮内にある(びょう)や仏堂を管理しているのもこの局である。

 冥焔は軽く相づちを打ち、再び口を開いた。

 「尚儀局の女官たちはかなりの恐慌状態に陥っている。早急に対応せよと、大家(ターチャ)が仰せである」

 「へっ?」

 麗麗は思わず素っ頓狂な声をあげた。

 「(しゅ)(じょう)が? ってことは、訴えは直接、主上のもとに届いたということなのですか」

 『大家』『主上』とは、皇帝のことである。

 冥焔と麗麗が怪異を調査しているというのは周知の事実だ。ゆえに、ここ最近の調査に関しては、まずは冥焔のもとへ(しら)せが入るようになっていた。皇帝への報告は怪異が解決した際に、まとめて冥焔が行っていたはずである。

 しかし、今回は逆だ。しかも、その訴えを聞いて、皇帝は『すぐに解決せよ』と命を出したことになる。

 きな臭い匂いがぷんぷんするな、と麗麗は親指を唇に添えた。

 「もしかして、かなり大事なのですか」

 麗麗の問いに、冥焔は眉間のしわを深くすることで答えた。

 「残念ながら」

 「へえ。いったいどのような怪異なんでしょう」

 冥焔は一度目を伏せ、苦い物を()みしめたような表情をした。

 「仏像に異変があったとか」

 「異変、とは」

 鸚鵡(おうむ)返しをした麗麗に、冥焔はため息と共に言葉を落とした。

 「わからぬ。ただ、訴え出た女官たちの言い分はこうだ。その異変が起きるのは凶兆である。すなわち『皇帝の治世に不穏な影あり』なのだそうだ」

 「へあっ!?」

 思わず変な声が出てしまった。

 「な、なんつーことを言うんですか。大丈夫なんですか?」

 治世に不穏な影、だなんて口にするだけで懲罰ものではないか。

 「大丈夫ではもちろんない。ただ、その訴え出ている女官たちは、儀礼祭典を司る局の者。とにかく理由を聞け、そして怪異を解けと大家は仰せであった」

 確かに、これは大事である。

 「急ぐぞ、麗麗」

 「はい、冥焔様」

 歩く速度をやや速め、ふたりは目的地へと向かった。