後宮のガリレオ3

 宴は鳳宝殿のまさに中央、主殿で行われていた。

 すでに(きゅう)()──焱の宮城に仕えている曲芸師たちが演奏に合わせて見事な舞を披露していた。色彩豊かな衣服の袖が煌々(こうこう)とした燭台の炎に照らされ、空中に舞うさまは、さながら天女のような美しさである。

 (はえー、すっごいな)

 あまり歌舞音曲に興味のない麗麗ですら、()()れてしまいそうなのだ。宴の参列者は宮妓たちの見事な舞に釘付けのようだった。

 正面の一番高い座には皇帝が鎮座ましましている。その横、一段下がった場所に数十人の集団が座していた。顔つきや服装が中央のものとは違うことから、『ははあ、あれが使節団とやらだな』と当たりをつける。

 てっきり一般の官吏たちにまじって鑑賞するのかと思いきや、冥焔はそちらには歩を向けなかった。代わりに、ぐるりと宴の場を回り込み、階段を上り始める。

 (待って待って)

 視線の先には皇帝がいる。にこやかな笑みを浮かべた皇帝は、宴を楽しんでいるらしい。その朗らかな笑顔を見て、胃がきゅーっとしてきた麗麗である。

 (まさか、主上の隣まで行くつもり……!?)

 そのまさかである。

 嘘だろまじかと思ったが、どうやら目的地はここらしい。なんと、特等席である。

 冥焔は皇帝に一礼すると、一歩下がって後ろへと控えた。

 (なんで……ほんと、なんでこんなことに……)

 胃がしくしくと痛くなってくるのを我慢しながら、麗麗も冥焔にならった。

 どうかこのまま何事もなく終わりますように、という麗麗の願い虚しく、ふたりの到着に気づいた皇帝が振り返り、にこやかに笑いかける。

 「やあ。ご機嫌いかがかな」

 いかがもなにもあったもんじゃない。勘弁してくれという気持ちを抑えて、麗麗は揖礼を捧げた。

 「こ……このたびは、このような場に参列をお許しいただき、まことに──」

 「いい、いい。そういうのはいいよ。わたしとお前の仲ではないか」

 (ひいいい)

 どんな仲だ。『やめてくれ』と声を大にして言いたくなる。

 冥焔誘拐事件の際に、皇帝とは腹を割って話したという経緯がある。そのときにも感じたが、この皇帝は麗麗の身分など一切気にしないのだ。

 けれど、麗麗としては大いに気にする。ふたりきりの場合ならともかく──そもそも皇帝とふたりきりという時点でアウトではあるが、それはいったん考えないことにして──これほど多数の人々がひしめき合っている場で、個人の付き合いがあるような発言をされるのはまことにもって都合が悪いのである。

 現に、眼下の使節団ご一行が麗麗と冥焔に気づいたようだ。舞に心惹()かれつつも、こちらが気になって仕方がないのだろう。ちらちらと視線を感じるだけではない。耳打ちし合い、怪訝な視線を向けられる。明らかに〝あいつは何者だ〟というムーブである。

 それにしても、と麗麗は目の前の光景を眺める。

 (改めて、焱ってすごいんだよね)

 皇帝がいて、朝貢する従属国があるという事実がなんというかもうすごい。こんなだだっぴろい主殿にこれだけの人が集まり、宮城のためだけに仕える曲芸師たちがわんさかいて、当然その人たちの面倒を見る官吏や女官、(かん)()──下働きの者たちのことである──がいるのだから、やはり焱は大国なのだ。

 そして今さらながら、その頂点に立つ皇帝となんやかんや会話を交わしているという状況も、意味がわからなさすぎるのである。

 (脇役の女官だったはずなんだけど、人生思うようにはいかないよなあ)

 それもこれも全部、この隣に立つ宦官のせいであるので、本当に責任を取ってもらいたいものだ。

 その思いが通じたのかどうかは知らないが、麗麗のじとっとした視線を受けた冥焔が、「こほん」とわざとらしい咳払いをする。

 「大家。我が国の巫にそのような言葉をおかけになるのは、いらぬ誤解を招くことになります。お控えください」

 「ああ、そうだね。確かにな。神仙に仕える者にかける言葉としては適切ではなかった。悪かったな」

 芝居くさい口調に、さしもの麗麗もさすがに気づいた。

 (なるほどね)

 今のは眼下にいる使節団ご一行に聞かせるための言葉なのだろう。『あいつは何者だ』の視線の返答として、『我が国の巫である』とわからせた、というわけだ。

 (やっぱり、こういうところは大国の長って感じだよね)

 お茶目が爆発しがちな皇帝だが、抜け目がないし隙もない。話を振った冥焔もわかってやっているのだろうし、『頭のよい人たちなんだなあ』と感心する。

 ふたりの思惑通り、皇帝の言葉が耳に届いていたのだろう、使節団ご一行は途端に麗麗に対して興味をなくしたようである。改めて舞に集中し始めるあたり、現金なものだ。

 しかし、その中にひとりだけ、麗麗をまっすぐに見つめる者がいる。

 (あれ? 女の子?)

 女の子、というのは語弊があるかもしれない。年の頃は麗麗と同じくらいか、少し下か。幼い印象に見えるのは、困ったように下がっている眉のせいかもしれない。

 その女性は視線を逸らすことなく、にこっと麗麗に微笑みかける。

 (か、可愛い!)

 なんだろう、この胸の高揚感は。

 きゅるるんとした大きな瞳に、愛らしさ全開の桃色の唇。つやつやな髪の毛はやや色素が薄く、白い肌と相まって(はかな)げな印象である。

 (あの人も、使節団の人なのかな。へえ……アイドルみたいだなあ)

 濃い化粧をしているわけではないし、身につけている物も妃たちほど派手ではない。だがしかし、目が離せないような強烈な求心力があった。艶やかさ、華やかさを競う女性たちばかりを見ている身としては、かなり新鮮な可愛らしさである。

 あの場にいるということは、あの子も使節団のひとりなのだろう。だがしかし、妙に雰囲気が違う。犬の集団に、一頭だけ羊が交ざっているような違和を覚えるのはなぜだろう、と考えて、はっと気づいた。

 服装の系統が、周囲と違うのだ。

 (っと、いけないいけない)

 あまりじろじろ見るのも申し訳ない。

 麗麗は軽く一礼をして、女性から視線を外した。

 目の前ではちょうど宮妓たちの舞が終わったところである。やんややんやの大喝采を浴びて宮妓たちが退場すると同時に、皇帝の前に使節団のひとりが進み出た。

 丁寧な揖礼を捧げたその男は、姿勢を崩さずに野太い声をあげる。

 「まことに結構な舞でございました。皇帝陛下におかれましては、()(たび)の宴といい、過分なお言葉、報酬といい、辺境の北国にあまりあるもてなしの数々。大変ありがたく存じます」

 皇帝は答えない。しかし、ただ黙ってゆったりとした笑みを浮かべているのみである。

 代わりに、控えていた冥焔がすっと一歩前に出た。

 「丁寧な謝辞、いたみいる。我が国の皇帝陛下もお(よろこ)びである」

 なるほどそうか、と麗麗は頭の中で手を打った。

 (そういえば、前の宴のときもそうだった)

 『こういう場では皇帝はしゃべらないんだよ』と、『(ひゃく)(めい)(えん)』のときに香鈴に教えてもらったっけ。

 そんなことを思い出しつつ展開を見守っていると、さらに使節団の男が頭を深く下げる。

 「このような素晴らしき芸事を拝見したあとで恐縮ですが、皇帝陛下の御前にて、わたくしどももひとつ、出し物をさせていただきたく存じます」

 これは予定調和の上での申し出だったのだろう、冥焔は皇帝の意向を確認せずに、鷹揚(おうよう)にうなずいた。

 「よい。皇帝陛下も楽しみにしておられる」

 「ありがとう存じます。……甜甜」

 甜甜、と呼ばれて進み出てきたのは、先ほど麗麗に微笑みかけた女性である。

 甜甜は堂々と皇帝の前に進み出ると、お手本のように優雅な礼を捧げた。

 (へえ~っ!)

 後宮で散々美しい女性たちを見ているが、ひけをとらない洗練された礼である。

 麗麗も見惚れるくらいの優雅さだ。周囲の官吏や宴の参列者たちは言うまでもない。ほうっと感嘆の息をつき、甜甜を見つめる視線も熱を帯びたものになる。

 例の男は満足そうにそれを見ると、皇帝に向き直って慇懃に礼を捧げる。

 「この者は我が国の仙術師、甜甜にございます。天から与えられた秘術を、とくとご覧いただきましょう」

 言うやいなや、数人の男たちが進み出て、主殿の入り口からなにやら荷台に載せて慎重に運んできた。大人ふたりがようやく抱えられるほどの瓶である。中には透明な水が満々と張られている。

 (仙術師? あの子が?)

 はっはあ。わかったぞ。麗麗は心の中で合点と手のひらを打つ。

 突然このような宴に駆り出されるのは変だと思っていたが、やはりそうだ。

 (仙術師が来ることがわかってたんだな)

 ちらっと隣の鬼上司を見上げると、当の宦官は涼しい顔である。

 『お前はお前の仕事をしろ』とは、つまり、この仙術師を見極めろということに違いない。

 ならそうと言ってくれればいいのに……と内心ぶつくさ文句を並べながらも、麗麗は目の前の光景に再び視線を向けた。

 甜甜は主殿の中央で、堂々と立っている。その前に先ほどの瓶が運ばれて、丁寧に床に降ろされた。

 それを確認してから、甜甜は微笑むと、鈴の転がるような声で言葉を放った。

 「わたくしは、霜国でお世話になっております、甜甜と申します。このような晴れがましい場には似つかわしくない、(いや)しい者ではございますが、厚かましくも焱の皇帝陛下にお目通りできましたこと、誠に嬉しく存じます」

 堂々とした口上である。

 甜甜は優雅に右手を上げた。幾重にも布が重なる艶やかな袖が、燭台の明かりに照らされてきらきらと輝く。その右の手のひらには、重そうな宝玉が乗せられていた。

 「では、この水を、氷に!」

 そう鋭く言葉を放ち、甜甜は水瓶に宝玉を落とす。

 すると。

 「おおっ……!」

 宝玉を落とした瞬間、その玉の周囲が一気に凍りついたのである。

 「水が、一瞬で氷に……!」

 場内を揺るがすような大歓声が響き渡った。

 (ひゅーっ!)

 麗麗は心の中で盛大な拍手を送った。

 (す、すごい。この環境で、それをやっちゃうの!?)

 今のはもちろん仙術ではないし、ましてや、まやかしなどでもない。立派な科学であり、自然現象である。

 しかし、成功率が極端に低いであろうこのような環境で、衆人環視の中、堂々と演技をする甜甜という少女。なかなかどうして、肝が据わっているではないか。

 しかし、見世物はそれだけではなかったらしい。

 「次はこの氷より、火をおこしてみせましょう」

 甜甜は衣服から蝋燭を一本取り出した。それを左手に持つと、舞を踊るように優雅に回転する。白と桃色の華やかな服がひらひらと舞い、まるで鮮やかな金魚が空中を泳いでいるかのようだ。

 その舞を維持したまま、甜甜は凍った水瓶を長く垂れ下がった右腕の飾りで覆った。そして、一気に腕を上へと引き上げる。次の瞬間。

 「火だ……! 火がおきたぞ!」

 甜甜の左手には、火が灯った蝋燭が握られている。

 (へえ……!)

 麗麗は今度こそ心の底から感心した。今回の技は、先ほどの氷とは毛色が違う。身を乗り出し、思わずしげしげと凝視すると、演者の甜甜とばちりと目が合った。

 (やばっ)

 あの火をおこした技に関しては、麗麗の前世では凝視するのは礼儀(マナー)違反、野暮中の野暮である。ゆえに、急いで視線を逸らそうとした麗麗だった。しかし。

 甜甜は、ゆっくりと唇を引き上げた。目が猫のように細まり、まるで獲物を見つけたとでも言わんばかりに天女の笑みを浮かべ、片目をつむってみせたのである。

 さーっと麗麗の背筋に冷たい氷が走る。ぞっとするような圧を感じ、覚えず喉が鳴った。

 (……な、なんつー度胸だ……)

 おそらく、あの仙術師は、麗麗が〝見破った〟ことに気づいたのだろう。そのうえで、敢えて微笑んで見せたのだ。

 『絶対に言うなよ』と言下に込めた、脅迫めいた笑みである。あんなふうに強烈な視線を送られたことは、麗麗の人生の中で初めてである。

 あの甜甜とやら、どうやらただ者ではないようだ。

 割れんばかりの歓声に、甜甜は再び優美な礼を取る。

 まるで自分の手柄のようにほくほく顔をした使節団の男は、再び皇帝の前に進み出て揖礼を捧げた。

 「いかがでしたでしょうか、皇帝陛下」

 皇帝が冥焔に耳打ちをする。冥焔はもったいぶったような口調で、大きくうなずき、口を開いた。

 「誠に持って驚きである。北国にはこのように、麗しくも神がかった花が咲くようだと皇帝陛下は満足しておられます」

 「お気に召していただいたようでなによりでございます」

 男は慇懃に礼をする。そして、きらりと光る鋭い視線を冥焔へと送った。

 「つきましては、我が国・霜は、当代きっての仙術師、甜甜を従属の証とし、焱の花のひとつに加えていただきとうございます。艶やかな花々が咲き誇る焱とは存じますが、目を楽しませるばかりの花だけが花ではございますまい。手折るもよし、慰みに使うもよし。なにぶん賤しい生まれにございます。いかように扱っていただいても問題ございません。必ずや、皇帝陛下のお心に沿うようにいたしましょう」

 (……なーんか)

 言葉の響きに、嫌な音が混じっている。

 相変わらず意味はわからなかったが、どうやら麗麗の感じた不穏な気配は間違っていなかったらしい。皇帝はあからさまに張り付いた笑みを浮かべているし、冥焔に至っては、一瞬だけではあるが不愉快そうに眉間にしわを寄せた。

 だがしかし、外交相手にさすがに文句は言えなかったのだろう。冥焔は表情を戻すと皇帝に一度視線を送り、軽くうなずく。

 「ありがたく」

 冥焔のひと言で、使節団の男は満足したように満面の笑みを浮かべてみせた。

 その後は再び別の宮妓たちの舞と踊りが披露された。使節団含む参列者の人々は大いに盛り上がり、宴は解散となったのである。