「にしても考えたよね~、まさか麗麗を焱の巫に仕立て上げようだなんて。さすが瑛琳様だね」
仕上げの粉を麗麗の顔にはたきながら、香鈴が感心したように声をあげる。それに乗っかったのは当然、雪梅だ。
「ほんとそれよ。霜国は焱よりも男の方の意志がお強いって話でしょ。ただの官女だったら絶対断れないし主上も強く拒否できないけど、その点、巫なら安心だもんね」
ふたりの意味深な言葉に、ようやくピンときた。
「ああなるほど、そういうことだったんですね」
思わず手を打つと、当のふたりは苦い顔をした。
「麗麗、気づいてなかったの」
「はい。なんでこんな格好しなきゃなんないんだと、正直思っていました」
巫とは、国のために神仙に祈りを捧げる女性のことである。神仙に仕えるという役どころから、綺麗な身の上……つまり、お手つきではないことが重要視されるのだ。
「その、こういう形で牽制をしておかないと、霜国の方のお相手候補にされてしまう、ってことで、合ってますか」
「合ってる」
「その通り」
見事な二重奏である。
雪梅は麗麗の髪をすくい上げ、紐で器用に結わえながら大きく息を吐く。
「霜国は北国でしょう? 気候も焱より厳しいし、なんていうかこう……猛々しいっていうか、荒っぽいんですって」
瑛琳妃が心配していたのも、冥焔が言葉を濁したのも、つまるところ霜の女性の扱い方だったに違いない。
歓待を受ける側にそこそこ力がある場合、その場にいる女性を所望するのは自然な流れだ。官女はあまりそういった対象にはならないのが常であるが、立場が弱いことには変わりない。
麗麗は腕を目の高さまで上げ、衣服の色を検めた。燃え盛る炎の赤と、新芽のような淡い緑。尚儀局の女官が着ていた女官服と同様の配色は、焱の創世神話の色、ひいては巫の色である。
万が一目をつけられても、『この娘は神仙に使える巫なので』と断ることができる。しかも麗麗が着せられている服装は格式の高いものらしく、そんじょそこらの一般官女がまとえるものではないという。ならばよりいっそう、使節団も手を出しにくいはずである。
「なんでも霜国の王は、欲しいものを手に入れるためには手段を選ばない性格だそうよ。下は上にならうものっていうし、使節団も十分に警戒しておいたほうがいいってことなんじゃないの。ただでさえ、化粧をした麗麗って見栄えがいいから」
(それは本当にわからんけども)
なんにしても、そういう配慮がなされているのはありがたいなと思う麗麗である。
「なあに、物騒な話をして」
ちょうど房に入ってきた花里が、おっとりと笑いながら声をかける。
「花里だって知ってるでしょ、霜国の話よ」
「ああ、そうねえ」
花里は麗麗の目の前の卓子に持参の椀を置きながら、記憶を反芻するように視線をさまよわせる。
「そういえば、故郷にいたときにも噂は聞いていたわねえ。娘娘の入内が決まったときは、当主様もご安心なさってたっけ。ほら、仕入先に霜国もあったでしょう? その関係で、万が一にも娘娘が霜国に目をつけられたら大変だと思われていたみたいよ。あそこは、女性の立場が弱いから。……はい、麗麗」
花里は卓子に置いた椀に藁を挿したものを麗麗に手渡した。中に入っているのは花里特性の果実茶である。
「ありがとうございます! 喉、すっごく渇いてたんですよ。……あの、この藁はなんですか」
茶柱よろしく突き刺さっている藁を見て、麗麗は首をかしげた。花里は手のひらを唇に当ててころころと笑う。
「その藁に口をつけて、吸い上げて茶を飲むの。紅を落とさず喉を潤せるわよ」
「へえ……」
(なるほどねえ。藁は藁だから、あれをストローって名前にしたんだな、きっと)
こんなところに来て、ストローの語源を知ることになるとは。人生なにがあるかわからないなあとついしみじみしてしまう。
喜んで受け取り、藁の先端に口をつけて茶を吸い上げる。外気は寒いが、衣服を着込んでいるので正直かなり暑かった。冷たく爽やかな甘みが喉を滑り落ちていくのが心地よい。
花里は椅子を引き寄せ、そこに腰を下ろした。
「勘違いしないでほしいのだけど、霜国は決して荒くれ者なだけではないのよ。毛織物や香木、毛皮の斗蓬……あの国の工芸品はとても素晴らしいわ。娘娘のご実家でも、よくお取引されていたわね」
「そうだったそうだった!」
目を輝かせたのはおしゃれ番長の香鈴である。
「毛織物とかほんっとすごいんだよ! どうやったらこんなに細かく編めるの!?って感じでね。すごく複雑な文様だし、色使いとかもすっごく素敵なの。斗蓬も素敵だったなあ~。あったかくて手触りもよくて、冬になるとめっちゃくちゃ人気だったよね。仕入れるそばから売れてくの」
「お詳しいですね」
それとなく水を向けると、どうやら香鈴は故郷でも商売品の買い付けを手伝っていたらしい。その目を当主に買われて、瑛琳妃の側付きとなったというのだから納得である。
香鈴の言葉を受けて、花里も頬に手を当ててうっとりと笑んだ。
「燻製されたお肉なんかも、頬がとろけそうなほどおいしいの。香辛料も豊富でね。煮込んでも焼いても最高なのよ。びっくりするくらいお値段が張るのだけれど、あの国の食材にはそれだけの価値があるわ。娘娘も霜国の料理が大好物だったわね」
「へえ……」
思わずごくっと唾を飲み込む。激うま飯を作る花里が頬がとろけそうになるだなんて、相当うまいのではなかろうか。
「だから、決して野蛮な国というわけではないのよ。ただちょっと……焱と相容れないだけなのよね」
なるほどなあ、と麗麗はまたひと口、果実茶をすすった。
「服装の理由は納得しました。でも、せめてもう少しおとなしい服装でもよかったのではないですか。袖も裾も動かしにくいですし、やたらひらひらしてますし」
「なに言ってんの」
粉をはたき終わった香鈴が、目尻をつり上げた。柔らかい毛を束ねたブラシ状の物で衣服についた粉を払いながら文句を言う。
「私たちが、こんな機会を逃すと思う!? 積極的に、麗麗を飾り立てられるんだよ。こんなの、やるしかないじゃんね」
「そうよそうよ!」
雪梅も鼻息を荒くしながら最後の簪を麗麗の頭にぷすっと挿した。
「こおおおんなに綺麗なんだから、たまには着飾ってもらいたいのよ。そんで、この子はうちの宮の子なのよって、ちょっとは自慢させてほしいわ!」
よくわからない理論だ。
化粧も髪も無事に終わったようである。最後の仕上げとばかりに、金細工の冠をぐいっと頭にはめられた。
(いって!)
頭に輪がはまっているだけで、ものすごく窮屈だ。孫悟空もこんな気持ちだったのだろうか。
冠には薄い膜がつけられており、下ろせば目元を隠せるようになっている。まるで結婚式でかぶるヴェールのようだ。
「これ、邪魔なんですけど、上げておくことはできませんか」
薄い布でできているので前が見えないわけではないが、やはり裸眼よりは遙かに見通しが悪い。こんなものを文字通り目の前に垂らされていては、うざったいにもほどがある。
「だーめ」
香鈴による、容赦のない却下が下った。
「宴には焱の官吏もたくさん来るんだよ? 麗麗のことを知ってる人もいるだろうし、どこから漏れるかわかんないからね! 念には念を入れないと!」
「そうそう、あんたもう少し、自分がわりかし有名だって自覚したほうがいいわよ」
雪梅の援護射撃を受けて、渋々とうなずいた麗麗である。
確かに、変装が目的なのだから正体を隠さなければ意味がない。
(ん?)
「じゃあ、こんなに丹念に化粧しなくてもよかったんじゃないですか?」
この言葉には、すいーっと女官たちの目が泳いだ。
(やりたかっただけなんだな……)
とはいえ、これで支度が終わったらしい。促されて立ち上がった麗麗に、三女官から感嘆の息が漏れる。
「うん、どこからどう見ても立派な巫様に見えるわ」
「うんうん、いい感じ!」
あいにく麗麗はちっともいい感じではない。頭は重いし、腕は上がらないし、歩くのもきっと大変だろう。それでも、後宮にあまたいる妃様方よりは圧倒的に控えめなのである。こんなに飾り立てられてあれほど優雅に振る舞えるのだから、改めて妃様方の努力が身に染みるというものだ。
「つ、つらい……」
まるで衣服に拘束されているようである。
花里がにこにこと笑いながら、両の手を合わせる。
「本当に綺麗よ。こんな可愛らしい子を横に置いておけるのだから、冥焔様もお喜びになるわ」
「なんでそこで冥焔様が出てくるんですか」
自分が飾り立てられることで、あの宦官が喜ぶという構図が心底わからない。また三女官の悪い癖が出たな、と麗麗は眉間にしわを寄せた。しかし、花里はどこ吹く風である。
「あら、だってあんな素敵な方の隣に侍るのよ。見栄えが悪いより綺麗なほうがいいに決まってるじゃない」
「そんなの、冥焔様は気にしませんよ」
「いいえ、そんなことはないと思うわ。ねえ、冥焔様」
花里は突然口調を変えて、房の入り口へと声をかけた。
「えっ」
「えっ」
「うそ」
麗麗プラス、二女官の声が重なる。
花里が示した房の入り口に、ぬうっと現れる影、ひとつ。その青灰色の袍は見間違いようがない。冥焔である。
「めっ……冥焔様! いらしてたんですか!」
途端に雪梅の声がひっくり返る。香鈴も散らばった化粧道具をあたふたと片付けて、こほんと咳払いをし、かしこまった表情を取り繕う。
一方、冥焔は気まずそうな顔である。
「もうすぐ準備が終わると、そこの女官に聞いたのでな。ならばと思ってここで待たせてもらっていたのだが……」
そこの女官とは、花里のことである。では、花里があの椀を持ってきたときから話を聞かれていたのだろう。確信犯である。
「花里……」
じとっとした視線を向けても、花里は一向に気にしない。「うふふ」と穏やかに微笑みながら、小指を顎の下に添えた。
「ねえ、冥焔様。このような形で準備を整えましたが、いかがです?」
(ちょっと!?)
なぜそこで冥焔の意見を改めて聞くのだ。
冥焔の視線がすっと麗麗へと移った。
「いかが、と言われてもだな」
少し下がった雪梅と香鈴が、わくわくきらきらした瞳で冥焔の言葉を待っている。
「その……」
「その?」
「つまり」
「つまり!?」
身を乗り出す三女官の視線に耐えかねたのだろう。冥焔は口ごもり、あからさまに視線を逸らした。
「……準備ができたなら、さっさと行くぞ、麗麗」
「はい、冥焔様」
麗麗は内心でため息をつきながらゆっくりと椅子から立ち上がった。
ほらみろ。三女官がなにを期待したのかは知らないが、隣にいる人物がどういう造形をしているかなど興味がないのだ、この宦官は。最近少しばかり気が利くようになって、ほんの少しだけ表情が豊かになっただけで、本質に変わりはないのだから当たり前だ。
「では、行ってまいります……っと!」
視界が悪いのを忘れていた。案の定均衡を崩し、裾を思いきり踏んづける。
ぐらっと体が前につんのめる。やばい、こける、と咄嗟に目をつむった麗麗の体を、誰かががしっとつかんだ。
冥焔である。
「お前はいつもこうだな」
「……ありがとうございます」
冥焔の手を借りて態勢を整えると、ふと視線がかち合った。そのあまりの近さに、思わずどきりと心臓が跳ねる。
見慣れているはずなのに、最近どうもおかしい。自分が自分でなくなったかのような感覚を覚えて、麗麗は手で自分の顔をあおいだ。
なんだかやたら暑い。真冬なのに、まるで真夏のような暑さである。
「ちょっと着込みすぎましたね」
「そのようだな。俺も妙に暑い気がする。寒さが厳しくないのはありがたいことだ」
確かに、冥焔も耳のあたりがほんのり赤い。自分だけが暑いのではないのだと知って、ほっとする。
「では、行きましょうか。お待たせしてすみませんでした」
その言葉を受けて、冥焔がすっと瞳を細めて微笑し、麗麗に手を差し出した。なんの真似だと見上げれば、どうやら支えてくれるらしい。着慣れない服を着ていることへの配慮だろう。
(最近、ほんとこういうのが多いな)
どういう風の吹き回しかは知らないが、鬼上司が優しいのはいいことだ。ありがたく手を借りる。
「皆さん、準備、ありがとうございました」
ずっと黙っていた三女官を振り返り、麗麗はほんの少し後悔をした。
それはそれは興奮した様子の三女官は、目をきらきらどころかぎらぎらさせている。
「行ってらっしゃい! 楽しんできてね~っ!」
「ちゃんと報告すんのよ!」
「うふふ、今日はいい夢見れそうね」
こっちは悪夢を見そうである。
完全に勘違いされている。そもそもこれは皇帝から指名された仕事なのに、なぜこんな、さも逢い引きに行くような応援の仕方をされなければならないのだろう。
(釈然としない!)
こうして麗麗と冥焔は仲良く(?)手を取り合い房から出ていった。
三女官の「きゃーっ!」という黄色い悲鳴が宮に轟いたのは言うまでもない。
仕上げの粉を麗麗の顔にはたきながら、香鈴が感心したように声をあげる。それに乗っかったのは当然、雪梅だ。
「ほんとそれよ。霜国は焱よりも男の方の意志がお強いって話でしょ。ただの官女だったら絶対断れないし主上も強く拒否できないけど、その点、巫なら安心だもんね」
ふたりの意味深な言葉に、ようやくピンときた。
「ああなるほど、そういうことだったんですね」
思わず手を打つと、当のふたりは苦い顔をした。
「麗麗、気づいてなかったの」
「はい。なんでこんな格好しなきゃなんないんだと、正直思っていました」
巫とは、国のために神仙に祈りを捧げる女性のことである。神仙に仕えるという役どころから、綺麗な身の上……つまり、お手つきではないことが重要視されるのだ。
「その、こういう形で牽制をしておかないと、霜国の方のお相手候補にされてしまう、ってことで、合ってますか」
「合ってる」
「その通り」
見事な二重奏である。
雪梅は麗麗の髪をすくい上げ、紐で器用に結わえながら大きく息を吐く。
「霜国は北国でしょう? 気候も焱より厳しいし、なんていうかこう……猛々しいっていうか、荒っぽいんですって」
瑛琳妃が心配していたのも、冥焔が言葉を濁したのも、つまるところ霜の女性の扱い方だったに違いない。
歓待を受ける側にそこそこ力がある場合、その場にいる女性を所望するのは自然な流れだ。官女はあまりそういった対象にはならないのが常であるが、立場が弱いことには変わりない。
麗麗は腕を目の高さまで上げ、衣服の色を検めた。燃え盛る炎の赤と、新芽のような淡い緑。尚儀局の女官が着ていた女官服と同様の配色は、焱の創世神話の色、ひいては巫の色である。
万が一目をつけられても、『この娘は神仙に使える巫なので』と断ることができる。しかも麗麗が着せられている服装は格式の高いものらしく、そんじょそこらの一般官女がまとえるものではないという。ならばよりいっそう、使節団も手を出しにくいはずである。
「なんでも霜国の王は、欲しいものを手に入れるためには手段を選ばない性格だそうよ。下は上にならうものっていうし、使節団も十分に警戒しておいたほうがいいってことなんじゃないの。ただでさえ、化粧をした麗麗って見栄えがいいから」
(それは本当にわからんけども)
なんにしても、そういう配慮がなされているのはありがたいなと思う麗麗である。
「なあに、物騒な話をして」
ちょうど房に入ってきた花里が、おっとりと笑いながら声をかける。
「花里だって知ってるでしょ、霜国の話よ」
「ああ、そうねえ」
花里は麗麗の目の前の卓子に持参の椀を置きながら、記憶を反芻するように視線をさまよわせる。
「そういえば、故郷にいたときにも噂は聞いていたわねえ。娘娘の入内が決まったときは、当主様もご安心なさってたっけ。ほら、仕入先に霜国もあったでしょう? その関係で、万が一にも娘娘が霜国に目をつけられたら大変だと思われていたみたいよ。あそこは、女性の立場が弱いから。……はい、麗麗」
花里は卓子に置いた椀に藁を挿したものを麗麗に手渡した。中に入っているのは花里特性の果実茶である。
「ありがとうございます! 喉、すっごく渇いてたんですよ。……あの、この藁はなんですか」
茶柱よろしく突き刺さっている藁を見て、麗麗は首をかしげた。花里は手のひらを唇に当ててころころと笑う。
「その藁に口をつけて、吸い上げて茶を飲むの。紅を落とさず喉を潤せるわよ」
「へえ……」
(なるほどねえ。藁は藁だから、あれをストローって名前にしたんだな、きっと)
こんなところに来て、ストローの語源を知ることになるとは。人生なにがあるかわからないなあとついしみじみしてしまう。
喜んで受け取り、藁の先端に口をつけて茶を吸い上げる。外気は寒いが、衣服を着込んでいるので正直かなり暑かった。冷たく爽やかな甘みが喉を滑り落ちていくのが心地よい。
花里は椅子を引き寄せ、そこに腰を下ろした。
「勘違いしないでほしいのだけど、霜国は決して荒くれ者なだけではないのよ。毛織物や香木、毛皮の斗蓬……あの国の工芸品はとても素晴らしいわ。娘娘のご実家でも、よくお取引されていたわね」
「そうだったそうだった!」
目を輝かせたのはおしゃれ番長の香鈴である。
「毛織物とかほんっとすごいんだよ! どうやったらこんなに細かく編めるの!?って感じでね。すごく複雑な文様だし、色使いとかもすっごく素敵なの。斗蓬も素敵だったなあ~。あったかくて手触りもよくて、冬になるとめっちゃくちゃ人気だったよね。仕入れるそばから売れてくの」
「お詳しいですね」
それとなく水を向けると、どうやら香鈴は故郷でも商売品の買い付けを手伝っていたらしい。その目を当主に買われて、瑛琳妃の側付きとなったというのだから納得である。
香鈴の言葉を受けて、花里も頬に手を当ててうっとりと笑んだ。
「燻製されたお肉なんかも、頬がとろけそうなほどおいしいの。香辛料も豊富でね。煮込んでも焼いても最高なのよ。びっくりするくらいお値段が張るのだけれど、あの国の食材にはそれだけの価値があるわ。娘娘も霜国の料理が大好物だったわね」
「へえ……」
思わずごくっと唾を飲み込む。激うま飯を作る花里が頬がとろけそうになるだなんて、相当うまいのではなかろうか。
「だから、決して野蛮な国というわけではないのよ。ただちょっと……焱と相容れないだけなのよね」
なるほどなあ、と麗麗はまたひと口、果実茶をすすった。
「服装の理由は納得しました。でも、せめてもう少しおとなしい服装でもよかったのではないですか。袖も裾も動かしにくいですし、やたらひらひらしてますし」
「なに言ってんの」
粉をはたき終わった香鈴が、目尻をつり上げた。柔らかい毛を束ねたブラシ状の物で衣服についた粉を払いながら文句を言う。
「私たちが、こんな機会を逃すと思う!? 積極的に、麗麗を飾り立てられるんだよ。こんなの、やるしかないじゃんね」
「そうよそうよ!」
雪梅も鼻息を荒くしながら最後の簪を麗麗の頭にぷすっと挿した。
「こおおおんなに綺麗なんだから、たまには着飾ってもらいたいのよ。そんで、この子はうちの宮の子なのよって、ちょっとは自慢させてほしいわ!」
よくわからない理論だ。
化粧も髪も無事に終わったようである。最後の仕上げとばかりに、金細工の冠をぐいっと頭にはめられた。
(いって!)
頭に輪がはまっているだけで、ものすごく窮屈だ。孫悟空もこんな気持ちだったのだろうか。
冠には薄い膜がつけられており、下ろせば目元を隠せるようになっている。まるで結婚式でかぶるヴェールのようだ。
「これ、邪魔なんですけど、上げておくことはできませんか」
薄い布でできているので前が見えないわけではないが、やはり裸眼よりは遙かに見通しが悪い。こんなものを文字通り目の前に垂らされていては、うざったいにもほどがある。
「だーめ」
香鈴による、容赦のない却下が下った。
「宴には焱の官吏もたくさん来るんだよ? 麗麗のことを知ってる人もいるだろうし、どこから漏れるかわかんないからね! 念には念を入れないと!」
「そうそう、あんたもう少し、自分がわりかし有名だって自覚したほうがいいわよ」
雪梅の援護射撃を受けて、渋々とうなずいた麗麗である。
確かに、変装が目的なのだから正体を隠さなければ意味がない。
(ん?)
「じゃあ、こんなに丹念に化粧しなくてもよかったんじゃないですか?」
この言葉には、すいーっと女官たちの目が泳いだ。
(やりたかっただけなんだな……)
とはいえ、これで支度が終わったらしい。促されて立ち上がった麗麗に、三女官から感嘆の息が漏れる。
「うん、どこからどう見ても立派な巫様に見えるわ」
「うんうん、いい感じ!」
あいにく麗麗はちっともいい感じではない。頭は重いし、腕は上がらないし、歩くのもきっと大変だろう。それでも、後宮にあまたいる妃様方よりは圧倒的に控えめなのである。こんなに飾り立てられてあれほど優雅に振る舞えるのだから、改めて妃様方の努力が身に染みるというものだ。
「つ、つらい……」
まるで衣服に拘束されているようである。
花里がにこにこと笑いながら、両の手を合わせる。
「本当に綺麗よ。こんな可愛らしい子を横に置いておけるのだから、冥焔様もお喜びになるわ」
「なんでそこで冥焔様が出てくるんですか」
自分が飾り立てられることで、あの宦官が喜ぶという構図が心底わからない。また三女官の悪い癖が出たな、と麗麗は眉間にしわを寄せた。しかし、花里はどこ吹く風である。
「あら、だってあんな素敵な方の隣に侍るのよ。見栄えが悪いより綺麗なほうがいいに決まってるじゃない」
「そんなの、冥焔様は気にしませんよ」
「いいえ、そんなことはないと思うわ。ねえ、冥焔様」
花里は突然口調を変えて、房の入り口へと声をかけた。
「えっ」
「えっ」
「うそ」
麗麗プラス、二女官の声が重なる。
花里が示した房の入り口に、ぬうっと現れる影、ひとつ。その青灰色の袍は見間違いようがない。冥焔である。
「めっ……冥焔様! いらしてたんですか!」
途端に雪梅の声がひっくり返る。香鈴も散らばった化粧道具をあたふたと片付けて、こほんと咳払いをし、かしこまった表情を取り繕う。
一方、冥焔は気まずそうな顔である。
「もうすぐ準備が終わると、そこの女官に聞いたのでな。ならばと思ってここで待たせてもらっていたのだが……」
そこの女官とは、花里のことである。では、花里があの椀を持ってきたときから話を聞かれていたのだろう。確信犯である。
「花里……」
じとっとした視線を向けても、花里は一向に気にしない。「うふふ」と穏やかに微笑みながら、小指を顎の下に添えた。
「ねえ、冥焔様。このような形で準備を整えましたが、いかがです?」
(ちょっと!?)
なぜそこで冥焔の意見を改めて聞くのだ。
冥焔の視線がすっと麗麗へと移った。
「いかが、と言われてもだな」
少し下がった雪梅と香鈴が、わくわくきらきらした瞳で冥焔の言葉を待っている。
「その……」
「その?」
「つまり」
「つまり!?」
身を乗り出す三女官の視線に耐えかねたのだろう。冥焔は口ごもり、あからさまに視線を逸らした。
「……準備ができたなら、さっさと行くぞ、麗麗」
「はい、冥焔様」
麗麗は内心でため息をつきながらゆっくりと椅子から立ち上がった。
ほらみろ。三女官がなにを期待したのかは知らないが、隣にいる人物がどういう造形をしているかなど興味がないのだ、この宦官は。最近少しばかり気が利くようになって、ほんの少しだけ表情が豊かになっただけで、本質に変わりはないのだから当たり前だ。
「では、行ってまいります……っと!」
視界が悪いのを忘れていた。案の定均衡を崩し、裾を思いきり踏んづける。
ぐらっと体が前につんのめる。やばい、こける、と咄嗟に目をつむった麗麗の体を、誰かががしっとつかんだ。
冥焔である。
「お前はいつもこうだな」
「……ありがとうございます」
冥焔の手を借りて態勢を整えると、ふと視線がかち合った。そのあまりの近さに、思わずどきりと心臓が跳ねる。
見慣れているはずなのに、最近どうもおかしい。自分が自分でなくなったかのような感覚を覚えて、麗麗は手で自分の顔をあおいだ。
なんだかやたら暑い。真冬なのに、まるで真夏のような暑さである。
「ちょっと着込みすぎましたね」
「そのようだな。俺も妙に暑い気がする。寒さが厳しくないのはありがたいことだ」
確かに、冥焔も耳のあたりがほんのり赤い。自分だけが暑いのではないのだと知って、ほっとする。
「では、行きましょうか。お待たせしてすみませんでした」
その言葉を受けて、冥焔がすっと瞳を細めて微笑し、麗麗に手を差し出した。なんの真似だと見上げれば、どうやら支えてくれるらしい。着慣れない服を着ていることへの配慮だろう。
(最近、ほんとこういうのが多いな)
どういう風の吹き回しかは知らないが、鬼上司が優しいのはいいことだ。ありがたく手を借りる。
「皆さん、準備、ありがとうございました」
ずっと黙っていた三女官を振り返り、麗麗はほんの少し後悔をした。
それはそれは興奮した様子の三女官は、目をきらきらどころかぎらぎらさせている。
「行ってらっしゃい! 楽しんできてね~っ!」
「ちゃんと報告すんのよ!」
「うふふ、今日はいい夢見れそうね」
こっちは悪夢を見そうである。
完全に勘違いされている。そもそもこれは皇帝から指名された仕事なのに、なぜこんな、さも逢い引きに行くような応援の仕方をされなければならないのだろう。
(釈然としない!)
こうして麗麗と冥焔は仲良く(?)手を取り合い房から出ていった。
三女官の「きゃーっ!」という黄色い悲鳴が宮に轟いたのは言うまでもない。



