──忘れもしない数日前。麗麗の主人である瑛琳妃と話がしたい、と冥焔が前触れなしに深藍宮を尋ねてきたのである。
この時点で麗麗は嫌な予感がするなと思っていたら案の定、房に呼ばれて話を聞くと、なんと他国との宴に麗麗を呼びたいとのことであった。
「霜国との宴に参加してほしいと大家がおっしゃっているそうなのだが、頼めるだろうか」
相変わらず超絶美形の主人・瑛琳妃は、整った顔を困ったようにかしげて麗麗にそう告げた。
(主上の仰せなら断れないのに、瑛琳様も人がいいんだから)
それでもこうして意向を尋ねてくれるのは悪い気がしない。さすが我が小主だ。信頼できる人とは、きっとこういう人のことを言うのだろう。
(お世話になってるしね。瑛琳様の顔を潰すのはよくないよなあ)
「もちろんです。でも、一点お伺いしたいのですが、なぜ私にお声がかかるのでしょう。私はただの女官ですし、外交でお役に立てるとは思えないのですが」
先日、冥焔から話を聞いたばかりなので、麗麗とて霜国のことは覚えている。
(焱の北にある国で、なんかいろいろ因縁があるけど、一応従属国で、今度朝貢に来るんだよね? えっ、なんで本当に私が呼ばれるんだ?)
麗麗の問いには瑛琳妃は答えなかった。代わりに、房の隅に控えていた冥焔に問いかけの視線を送る。しかし、当の冥焔も知らぬ存ぜぬの顔である。
「大家は『ぜひ麗麗にも霜国の人々を見ていただきたい』とおっしゃっておられました。おそらく、『ガリレオとして見聞を広めよ』とのことかと存じますが」
(ダウト)
顔にありありと〝嘘〟と書いてある。そんな理由でいち女官を簡単に外に出すわけがない、とさすがにわかるが、ここで問い詰めるのは野暮中の野暮である。
瑛琳妃の前では言えない内容なのかもしれない。麗麗はおとなしく揖礼を捧げた。
「承知つかまつりました」
麗麗の諾を受けて、瑛琳妃の表情がほっとしたようにゆるんだ。最近、小主には迷惑をかけっぱなしなのでこれで少しは恩が返せるだろうか、などと考えていると、冥焔が口を開いた。
「当日はわたくしに付き従わせる形になるので、瑛琳様には大変申し訳ないのですが」
冥焔は頭を下げる。宦官が妃付きの女官を自身のそばに侍らせるのだから、当然と言えば当然の謝罪なのだが、それなら今まではなんだったんだとつい思ってしまう。
「気にしなくていい。しかし、名目はなんになるんだ? 外廷で大家や冥焔のそばに侍るとなると、自ずと注目を集めてしまう。後宮の女官と知られたら、面倒なことになるのではないか?」
「服を変えればよいと、大家はお考えのようでしたが」
(待て待て待て)
当の本人をそっちのけで話し込んでいる。なんのことだかさっぱりだ。
麗麗の困惑に気づいたのだろう、瑛琳妃は麗麗に向けて捕足する。
「後宮の者がそれとわかる格好で外廷に出るとなると、いくら大家のお言葉があるとはいえ困ったことになりかねない。だから、変装させて向かわせようという話になっているんだ」
「変装ですか」
厄介なことになったな、と内心顔をしかめてしまった。
後宮はつまるところ、皇帝の私的空間である。公私で言うなら完全に私の部分であり、後宮内に所属する女性はすべからく皇帝の物ということになる。それは妃も女官も本質は変わらない。
しかし、今回は朝貢という公的な催しなのだ。そんな場所に後宮の女性が参列しているとなると、外聞が悪い。例えるなら、会社同士のお付き合いの場に、社長の愛人がしゃしゃり出る、みたいな状況だろうか。
(絶対的権力者だから、いいとは思うんだけどね)
過去の事例を遡れば、皇后ではなく後宮の妃を公的な場に侍らしている皇帝の例も見つかるのだろうけれど、麗麗の知る皇帝・恩雲はそういう性質ではない。少なからず、前回の事件で恩義も感じているので、麗麗が原因で醜聞沙汰になるのはまっぴらごめんである。
瑛琳妃は朗らかに笑うと、冥焔へと視線を向ける。
「少し色味を抑えた格好をさせて、官女として出向くのはどうだ?」
官女というのは外廷で働く女性のことだ。佐々木愛子の感覚では官公庁の事務員といったところだろうか。
しかし、冥焔は首を横に振る。
「それも考えたのですが、なにせ相手は霜国。かの国は……その、女性の扱いがあまりいいとは言えぬと聞いたことがございます。麗麗のことを軽んじられたくないのです。どんな無理を要求してくるかわかったものではない」
妙に歯切れの悪い口調である。瑛琳妃は冥焔の口調だけである程度察したらしい。軽く眉を寄せて不安そうな表情を浮かべた。
「なるほどな」
(いやいやわからん)
当の本人だけが置いてけぼりである。しかし、ふたりは説明する気はないようだ。互いにうなずき合うと、瑛琳妃は口元に楽しそうな笑みを浮かべた。
「では、こうするのはどうかな」
と、瑛琳妃が提案した話を冥焔が渋々受け、そしてこうなった、というわけである──。
この時点で麗麗は嫌な予感がするなと思っていたら案の定、房に呼ばれて話を聞くと、なんと他国との宴に麗麗を呼びたいとのことであった。
「霜国との宴に参加してほしいと大家がおっしゃっているそうなのだが、頼めるだろうか」
相変わらず超絶美形の主人・瑛琳妃は、整った顔を困ったようにかしげて麗麗にそう告げた。
(主上の仰せなら断れないのに、瑛琳様も人がいいんだから)
それでもこうして意向を尋ねてくれるのは悪い気がしない。さすが我が小主だ。信頼できる人とは、きっとこういう人のことを言うのだろう。
(お世話になってるしね。瑛琳様の顔を潰すのはよくないよなあ)
「もちろんです。でも、一点お伺いしたいのですが、なぜ私にお声がかかるのでしょう。私はただの女官ですし、外交でお役に立てるとは思えないのですが」
先日、冥焔から話を聞いたばかりなので、麗麗とて霜国のことは覚えている。
(焱の北にある国で、なんかいろいろ因縁があるけど、一応従属国で、今度朝貢に来るんだよね? えっ、なんで本当に私が呼ばれるんだ?)
麗麗の問いには瑛琳妃は答えなかった。代わりに、房の隅に控えていた冥焔に問いかけの視線を送る。しかし、当の冥焔も知らぬ存ぜぬの顔である。
「大家は『ぜひ麗麗にも霜国の人々を見ていただきたい』とおっしゃっておられました。おそらく、『ガリレオとして見聞を広めよ』とのことかと存じますが」
(ダウト)
顔にありありと〝嘘〟と書いてある。そんな理由でいち女官を簡単に外に出すわけがない、とさすがにわかるが、ここで問い詰めるのは野暮中の野暮である。
瑛琳妃の前では言えない内容なのかもしれない。麗麗はおとなしく揖礼を捧げた。
「承知つかまつりました」
麗麗の諾を受けて、瑛琳妃の表情がほっとしたようにゆるんだ。最近、小主には迷惑をかけっぱなしなのでこれで少しは恩が返せるだろうか、などと考えていると、冥焔が口を開いた。
「当日はわたくしに付き従わせる形になるので、瑛琳様には大変申し訳ないのですが」
冥焔は頭を下げる。宦官が妃付きの女官を自身のそばに侍らせるのだから、当然と言えば当然の謝罪なのだが、それなら今まではなんだったんだとつい思ってしまう。
「気にしなくていい。しかし、名目はなんになるんだ? 外廷で大家や冥焔のそばに侍るとなると、自ずと注目を集めてしまう。後宮の女官と知られたら、面倒なことになるのではないか?」
「服を変えればよいと、大家はお考えのようでしたが」
(待て待て待て)
当の本人をそっちのけで話し込んでいる。なんのことだかさっぱりだ。
麗麗の困惑に気づいたのだろう、瑛琳妃は麗麗に向けて捕足する。
「後宮の者がそれとわかる格好で外廷に出るとなると、いくら大家のお言葉があるとはいえ困ったことになりかねない。だから、変装させて向かわせようという話になっているんだ」
「変装ですか」
厄介なことになったな、と内心顔をしかめてしまった。
後宮はつまるところ、皇帝の私的空間である。公私で言うなら完全に私の部分であり、後宮内に所属する女性はすべからく皇帝の物ということになる。それは妃も女官も本質は変わらない。
しかし、今回は朝貢という公的な催しなのだ。そんな場所に後宮の女性が参列しているとなると、外聞が悪い。例えるなら、会社同士のお付き合いの場に、社長の愛人がしゃしゃり出る、みたいな状況だろうか。
(絶対的権力者だから、いいとは思うんだけどね)
過去の事例を遡れば、皇后ではなく後宮の妃を公的な場に侍らしている皇帝の例も見つかるのだろうけれど、麗麗の知る皇帝・恩雲はそういう性質ではない。少なからず、前回の事件で恩義も感じているので、麗麗が原因で醜聞沙汰になるのはまっぴらごめんである。
瑛琳妃は朗らかに笑うと、冥焔へと視線を向ける。
「少し色味を抑えた格好をさせて、官女として出向くのはどうだ?」
官女というのは外廷で働く女性のことだ。佐々木愛子の感覚では官公庁の事務員といったところだろうか。
しかし、冥焔は首を横に振る。
「それも考えたのですが、なにせ相手は霜国。かの国は……その、女性の扱いがあまりいいとは言えぬと聞いたことがございます。麗麗のことを軽んじられたくないのです。どんな無理を要求してくるかわかったものではない」
妙に歯切れの悪い口調である。瑛琳妃は冥焔の口調だけである程度察したらしい。軽く眉を寄せて不安そうな表情を浮かべた。
「なるほどな」
(いやいやわからん)
当の本人だけが置いてけぼりである。しかし、ふたりは説明する気はないようだ。互いにうなずき合うと、瑛琳妃は口元に楽しそうな笑みを浮かべた。
「では、こうするのはどうかな」
と、瑛琳妃が提案した話を冥焔が渋々受け、そしてこうなった、というわけである──。



