【答えはプリン味】
私、美波は高校生になって、初めてのアルバイトを始めた。
理由は、とてもとても単純だった。
大好きなアイドルグループのコンサートに行きたい。
ただ、それだけ。
アルバイト先は、自宅から徒歩三分のところにあるスーパー。
学校から帰って、夕方五時から夜九時まで。週に三回、レジ係として働く。
夜の時間帯は、責任者以外、ほとんどが学生だった。
初めて自分で働いて、初めて自分でお金を稼ぐ。
それだけで私はわくわくしていた。
最初に仕事を教えてくれたのは、一つ年上の彩乃ちゃん。
彩乃ちゃんは、私の教育係だった。
レジの操作から仕事の流れまで、一つずつ教えてくれた。
彩乃ちゃんはRADWIMPSが大好きだった。
私はKing & Princeが大好きだった。
好きな音楽は違ったけれど、コンサートに行きたい。CDが欲しい。グッズを買いたい。
そのためにアルバイトをしている。
そんな共通点もあって、私たちはすぐに仲良くなった。
帰り道には、よく音楽の話をした。
仕事が終われば、半額になったパンを一緒に食べた。暑い日はパピコを半分こした。
給料日には、ちょっと贅沢をしてハーゲンダッツを食べた。
彩乃ちゃんは、一つしか年が違わないのに、頼れるお姉ちゃんみたいな人だった。
* * *
バイトにも慣れてきた、ある日の出来事。
私は、レジから出たゴミを捨てに行った。
ゴミ捨て場には、かご車の上にゴミ袋が高く積み上げられていた。
一つずつ載せるのが面倒だった私は、手に持っていたゴミ袋を、
「えいっ」
と、上に向かって投げた。
次の瞬間。
積み上がっていたゴミ袋が崩れてきた。
「あっ」
どさどさと崩れてくるゴミたち。
落ちたゴミ袋を一緒に拾ってくれた人がいた。
その人は、私には届かない高さまで、ひょいっとゴミ袋を持ち上げた。
背が高い。
そして、かっこいい。
ゴミまみれの状態で、私は人生初めての恋をした。
それが、貴之くんだった。
レジに戻った私は、すぐに彩乃ちゃんに報告した。
「ねえ、さっき、かっこいい人が助けてくれた!」
「え、誰? 青果の坊主の子?」
それは塚田くんだ。
「違う! いつもペットボトル補充してる人!」
「え? 誰?」
話に入ってきたのは、唯だった。
そこで、貴之くんの存在が唯にも知られた。
それまでの私は、テレビの中のアイドルにしか興味がなかった。
身近な男の子を好きになるなんて、初めてだった。
でも、自覚するまでに時間なんてかからなかった。
私は、貴之くんが好き。
それから、バイトがもっと楽しくなった。
お金をもらえるからじゃない。
貴之くんに会えるから。
今までなら面倒だったゴミ捨てにも、自分から行くようになった。
レジに入るときも、
「ねえ、そっち代わってよ。」
と、ドリンクコーナーが見える位置を譲ってもらった。
貴之くんがペットボトルを補充している姿を、レジから眺めるためだった。
* * *
そんな日がしばらく続いた、ある日のバイト帰りのこと。
唯が、私にスマホの画面を見せてきた。
そこには、貴之くんとのやり取りがあった。
連絡先を聞いたのだという。
私が貴之くんを好きだと、唯は知っている。
「それはよくないんじゃない? 美波の気持ち知ってるでしょ?」
彩乃ちゃんが注意してくれた。
けれど唯は、
「早いもの勝ちでしょ」
そう言って立ち去った。
その様子をたまたま見ていた塚田くんが、私に声をかけた。
「気にすることない。あいつ、しつこくて困ってるって言ってたから」
その言葉に救われた。
「じゃあ、お疲れ」
塚田くんと別れたあと、彩乃ちゃんは、
「塚田くん、本当にかっこいいよね。あんな彼氏ほしいな」
と言っていた。
彩乃ちゃんは、塚田くんに恋をした。
――と、そのときの私は思っていた。
* * *
バイトの日が楽しみだった。
授業中も、今日は貴之くんいるかな、と考える。
シフト表を見て、貴之くんの名前があるだけでうれしかった。
話せなくてもいい。
レジから姿が見えれば、それだけでよかった。
ゴミ捨て場で会えた日は、少し得をした気分になった。
「お疲れ」
と声をかけてもらえただけで、その日の帰り道はずっと機嫌がよかった。
恋をすると毎日がこんなに楽しくなるんだ。
本気でそう思っていた。
* * *
彩乃ちゃんも塚田くんもシフトに入っていない、ある日のこと。
帰りに、偶然貴之くんに会った。
「お疲れ。美波は今日も元気だね。常連のおばさんが褒めてたよ。あの子、愛嬌があってかわいいって」
かわいい。
おばさんが褒めてくれただけだと分かっているのに、貴之くんの口から出た「かわいい」にときめいて、何も言えなくなった。
「じゃあね」
このまま、何も言えないうちに帰っちゃいそう。
「待って。……貴之くんの好きな色は?」
一体、何を聞いているんだ。
いくら話すことが浮かばないとはいえ、それはない。
「うーん? そうだな。濃いめの青かな。なんで?」
「何でもない。聞いただけ」
せっかく話せるチャンスだったのに。
全然、話せなかった。
* * *
それから少しずつ、話すことも増えていった。
青が好きだと言っていたから、いつものポニーテールは青いリボンで結ぶようになった。
ゴミ捨て場で会ったとき、
「それ、かわいいじゃん。似合う」
と褒めてくれた。
その一言だけで、私は舞い上がった。
私の高校は、制服のリボンも二色から選べた。
ずっと赤をつけていたけれど、青に変えた。
赤しか持っていなかったから、バイト代で青いチェックのリボンを買った。
貴之くんの「かわいい」が、もっと欲しかったから。
毎日が楽しくて仕方のない、初恋だった。
* * *
しばらくして、唯が貴之くんに振られた。
うれしかった。
喜んじゃダメだと思った。
でも、ものすごくうれしかった。
* * *
夏休みも近づいた頃、私は塚田くんに言った。
「ねえ、みんなでどっか行こうよ」
「美波さ、貴之と行きたいだけだろ。貴之誘えよ」
図星だった。
彩乃ちゃんだって、塚田くんと出かけたいはずだ。
でも、それを私から塚田くんに言うわけにはいかない。
「とにかく、みんなで行きたい。一人じゃ緊張するから一緒に来て!」
「いい加減、貴之に連絡先聞けよ」
「やだ。緊張して聞けない。」
結局、塚田くんが四人のグループLINEを作ってくれた。
* * *
最初に四人で出かけたのは、カラオケだった。
しかもオール。
そこで初めて知った。
貴之くんも、RADWIMPSが好きだった。
彩乃ちゃんと貴之くんは、一気に意気投合した。
二人にしか分からない曲の話。
二人にしか分からないライブの話。
完全に二人の世界だった。
私はずっと、つまらなかった。
二人の会話には、入れなかった。
それに気づいたのは、塚田くんだった。
一度部屋を出よう。と誘ってくれた。
受付に置いてある、ランダムで味が出てくるチュッパチャプスの自販機。
塚田くんが買ってくれた。
出てきたのは、プリン味だった。
「ストロベリーがいい」
「じゃあコンビニに買いに行く?」
「……その間、あいつら二人きりになるけど、いいの?」
「嫌だ」
「じゃあ我慢しろ」
「てか、なんでチュッパチャプスだけなの。他のも欲しい」
「お前、俺がバイク欲しくてバイトしてるの知ってるだろ。我慢しろ」
仕方なく、プリン味のチュッパチャプスを口に入れた。
「あ、プリンうまー」
その日から。
私が一番好きなチュッパチャプスは、プリン味になった。
部屋に戻ると、彩乃ちゃんは眠っていた。
貴之くんの膝を枕にして。
私は、その光景を見て思った。
……もう、好きじゃん。
貴之くんが彩乃ちゃんを見る顔は、私を見るときとは全然違う。
どう見ても、貴之くんは彩乃ちゃんが好きだった。
でも、彩乃ちゃんは塚田くんが好きなはず。
じゃあ、これは何?
よく分からない。
ただ、面白くないことだけは分かった。
* * *
朝になり、私たちはカラオケを出た。
眠い。
一晩中起きていたのだから、当たり前だ。
「俺、彩乃送ってくから。貴之は美波を送れ。じゃあな」
塚田くんはそう言って、彩乃ちゃんと帰っていった。
彩乃ちゃんも、あっさりと塚田くんについていった。
私は二人の後ろ姿を見送った。
やっぱり、彩乃ちゃんは塚田くんが好きなんだ。
じゃあ、昨日の膝枕はなんだったんだろう。
残されたのは、私と貴之くん。
二人きり。
それだけで緊張した。
昨日まで、レジから姿を眺めているだけでうれしかった人が、今は私の隣を歩いている。
そして、私たちは手をつないだ。
どうしてそうなったのか。
どちらから手をつないだのか。
そこまでは、もう覚えていない。
ただ、貴之くんと手をつないで歩いたことだけは、今でも覚えている。
昨日の夜、彩乃ちゃんを膝枕していた貴之くんと。
今は私が、手をつないでいる。
どういうこと?
貴之くんは、彩乃ちゃんが好きなんじゃないの?
分からない。
でも、うれしかった。
それだけは、間違いなかった。
まっすぐ帰ればいいのに、私たちは少し遠回りをして帰った。
好きな人と手をつないで歩く朝。
できることなら、もう少しだけ帰りたくなかった。
貴之くんが何を考えていたのかは、分からない。
十六歳の私には、もっと分からなかった。
ただ、この朝があったから。
私は、まだ少しだけ期待してしまった。
もしかしたら。
私にも、可能性があるんじゃないかって。
* * *
家に着いて少しすると、塚田くんから電話がかかってきた。
「どうだった?」
「なにが?」
「貴之と。話せたか?」
「……うん」
「そっか。何話したんだ?」
「内緒。手、つないでくれた」
「は? 何してんだよ、あいつ」
「なんで怒ってるの?」
「そういうのは、付き合ってからするもんだろ」
「えー、いいでしょ。私はうれしかったの。塚田くん、お父さんみたい」
電話の向こうで塚田くんが何かぶつぶつ言っていたけれど、私はそれどころじゃなかった。
貴之くんと手をつないだ。
その事実だけで、しばらくは何でも許せそうな気がしていた。
* * *
カラオケに行ってから、二人はさらに仲良くなった。
バイト前やバイト終わりには、二人で音楽の話をしていた。
彩乃ちゃんと一緒にパンを食べたり、アイスを食べたりすることもなくなった。
彩乃ちゃんがパピコを半分こする相手は、私じゃなくて貴之くんになった。
二人だけの世界。
おすすめの曲を教え合って、リンクを送り合っていることも知っていた。
間違えて、二人のやり取りをグループLINEに送ってきたこともあった。
すぐに消していたけれど。
――消しても、見ちゃってるよ。
ある日、休憩室を覗くと、二人で並んで座っていた。
一つのイヤホンを、片方ずつ耳につけて。
同じ曲を聴いていた。
……やっぱり、好きじゃん。
カラオケの夜に感じたことは、勘違いなんかじゃなかった。
貴之くんが彩乃ちゃんを見る顔は、私を見るときとは全然違う。
あの朝、私と手をつないでくれたのに。
それでもやっぱり、貴之くんが好きなのは彩乃ちゃんだった。
* * *
次に四人で出かけたのは、遊園地だった。
塚田くんには最初、
「遊園地は金額が高いから無理」
と断られた。
でも、母の友人の会社の福利厚生で、乗り放題のパスポートを千円で買うことができた。
それを伝えたら、
「千円なら行く」
あっさり承諾した。
私はもう、気づいていた。
貴之くんが彩乃ちゃんを好きなこと。
それでも、私に振り向いてほしかった。
かわいい洋服を買った。
ハート型の鏡も持っていった。
バイト代三時間分。
私にとっては超高級品の、かわいい鏡だった。
最初に乗った乗り物では、彩乃ちゃんと隣に座った。
メリーゴーランドでは、
「俺は恥ずかしいから、二人で行ってこい」
と言われた。
せっかく四人で遊園地に来たのに。
私はなぜか、ずっと彩乃ちゃんと一緒だった。
お昼になり、四人で座れる席を探した。
ようやく席を見つけて荷物を置くと、
「俺、彩乃と買いに行ってくる」
貴之くんはそう言って、彩乃ちゃんを連れて買い出しに向かった。
また、二人。
私は前髪を直そうと、荷物の中から鏡を取り出した。
割れていた。
「あ、割れた。きっと、そういうことだよね」
塚田くんに言った。
「遊園地っていろんな乗り物乗るんだから、誰のでも割れるよ」
そう言われた。
高かったのになぁ……。
二人が買ってきてくれたホットドッグとオレンジジュースは、なんの味もしなかった。
そのあと、みんなでつぶつぶアイスを食べた。
貴之くんと彩乃ちゃんは、二人で食べさせ合っていた。
私はそれを見ていた。
もう、隠す気もないじゃん。
カラオケで膝枕して。
バイト先では、一つのイヤホンを片方ずつつけて。
遊園地では、二人で買い出しに行って。
今度は、アイスを食べさせ合っている。
それなのに。
あの朝には、私と手をつないだ。
私は、何を期待してここに来たんだろう。
割れた鏡より、そっちのほうがずっと悲しかった。
* * *
私はジェットコースターに乗りたかった。
「私、苦手だから乗れない。三人で行ってきて」
彩乃ちゃんが言った。
「それなら俺が――」
塚田くんが何か言いかけたところで、貴之くんが遮った。
「塚田、美波と行ってこい。俺、彩乃と待ってる」
分かっていた。
それでも傷ついた。
「ごめんな。俺と一緒で」
塚田くんが言う。
「ううん、一人じゃなくてよかった。ありがとう」
精一杯強がって、笑顔を向けた。
ジェットコースターがゆっくりと坂を上っていく。
下にいる貴之くんと彩乃ちゃんが見えた。
私は二人に向かって、笑顔で手を振った。
彩乃ちゃんは笑顔で手を振り返してくれる。
貴之くんはというと、隣の彩乃ちゃんを見つめて楽しそう。
まるで、二人だけで遊園地に来たみたいに、二人の世界に入り込んでいた。
コースターから降りるとき、隣から声がした。
「無理しなくていい」
「帰ろ。こんな状態でパレードなんて見れないだろ」
「……」
「貴之、美波の気持ちに気づいてないわけないんだ。お前、分かりやすすぎる。それなのに、あれはあまりにもよくない。帰るぞ」
塚田くんは、何か理由をつけて四人で帰ろうとしてくれた。
けれど彩乃ちゃんは、パレードを見たいと言った。
夏休み限定で花火も打ち上がるから。
本当に見たかったのかは知らないけれど、貴之くんも見たいと言った。
「美波はどうする?」
塚田くんに聞かれた。
「帰りたい」
私は貴之くんと彩乃ちゃんを残して、塚田くんと二人で帰った。
帰り道。
塚田くんがコンビニでチュッパチャプスを買ってくれた。
ストロベリー味だった。
「はい」
受け取った私は、それを見て言った。
「プリンがよかった」
「お前、この前はストロベリーがいいって言ってただろ?」
「この前はね。今はプリンが一番なの」
* * *
夏も終わりに近づいていた。
あんなにうるさかったセミたちは地面にはいつくばって、じじっと、かろうじて声を出すだけ。
元気がない。
まるで、今の私みたいだった。
* * *
夏休みの終わりごろ、泣いている彩乃ちゃんから、公園に呼び出された。
嫌な予感がした。
私は塚田くんに電話した。
「彩乃ちゃんが泣いてるんだけど、嫌な予感がする。貴之くんって今日バイト?」
「いや、休み」
「あー、そっか」
「そういうことだろうね」
「……うん」
「俺、バイト終わったらバイクでそっち行くから。待ってろ」
「え? バイク? 買ったの?」
「LINEの画像変わったんだから気づけよ。中古だけど」
「ごめん。分かった。待ってる」
公園に着くと、彩乃ちゃんは号泣していた。
そして、その隣には貴之くんがいた。
私は不思議なくらい冷静だった。
「なにか用?」
「ごめんね、美波。美波の気持ち知ってるのに……」
彩乃ちゃんはさらに泣き崩れた。
代わりに貴之くんが口を開いた。
「俺、彩乃のこと好きって告白したんだ」
「ふーん。知ってるよ。それで?」
彩乃ちゃんが顔を上げた。
「え? なんで? なんで知ってるの?」
「え、見てれば分かるじゃん。気づいてないの? にっぶ」
「やっぱり分かるよな?」
貴之くんが笑った。
私は貴之くんを見た。
「じゃあ、私が貴之くんのこと好きって、貴之くんは知ってる?」
「うん。気づいてる」
「気づいてるのに、見せつけるように彩乃ちゃんと過ごすんだね」
貴之くんは笑って誤魔化した。
何に対しての笑顔なのか、私には分からなかった。
私は彩乃ちゃんを見た。
「それで、彩乃ちゃんはなんで泣いてるの?」
「気づいてなかったとはいえ、美波を傷つけることになるから……」
「今まで傷つけてなかったって認識で合ってる?」
「……」
彩乃ちゃんは、さらに泣き出した。
それを見た貴之くんが、
「泣かないで」
と、彩乃ちゃんの頭を撫でる。
知らない人が見たら、私が悪いみたいな絵面だ。
今まで二人を一番近くで見ていて、すごく傷ついたけどな。
そんなことを言う気力も起きなかった。
「ふーん。それで、付き合うって報告するために呼んだの?」
「俺は付き合いたいと思ってる」
貴之くんが答えた。
「私は、美波を傷つけることはしたくないから……」
「もう傷ついてるから、一緒じゃない?」
二人が黙った。
「私に答えを託さないでほしい」
「ごめんね、美波」
「それ、何に対してのごめんねか分からない」
私は続けた。
「好きなら付き合えばいい。私には関係ない。でも彩乃ちゃん、塚田くんのこと好きって言ってたよね?」
「あれ、嘘なの」
「……え?」
「好きって言ったほうが、一緒に出かけるにしても誘いやすいかなって思ってた。私はどっちのことも好きじゃなかった。ただ、美波が妹みたいにかわいかっただけ」
「そう。嘘なんだ……。で、今は? 貴之くんのことが好きなの?」
「それも……分からない」
私は何も言えなくなった。
分からないなんてこと、ある?
好きでもない男の子と、あんなに顔を寄せて笑い合うものなのかな。
私には、疑問だけが残った。
しばらく、誰も口を開かなかった。
二人は好き同士なんだ。
だから仕方ない。
私はずっと、そうやって自分を納得させようとしていた。
でも。
分からないんだ。
あれだけ一緒にいて。
あれだけ近くにいて。
それでも、自分の気持ちが分からないんだ。
言いたいことはいくつも浮かんだ。
でも、どれも口には出さなかった。
「そっか。それで私になんの用事なの? 告白の報告だけなら、もう分かったから帰るよ」
公園を出ようとすると、彩乃ちゃんに腕をつかまれた。
泣いたまま、何も言わない彩乃ちゃん。
ねえ、泣きたいのは私なんだけどな。
* * *
「じゃあ、私が答えを出すね」
一度、息を吸った。
「私は二人とも大嫌い」
そして、
「全部を私のせいにしないで? 二人で答えを出せないこと、私のせいにしないで」
二人が何かを言う前に、私は背を向けた。
「じゃあ、バイバイ」
正確には、彩乃ちゃんが嫌いになった。
大好きな初恋の人を、そんな簡単に嫌いになんてなれない。
美波の味方だよ。
美波の恋を応援する。
そう言ってくれていた人が、一番の敵になるとは思わなかった。
ショックだった。
しばらく、自分自身が言った「大嫌い」という言葉が、心の中をこだましていた。
* * *
私は、そのままバイト先のスーパーへ向かった。
塚田くんはまだ働いていた。
終わるのを待った。
その時間が、すごく長く感じた。
そして、仕事を終えて出てきた塚田くんの顔を見た瞬間。
初めて泣いた。
塚田くんは何も言わず、私にチュッパチャプスを差し出した。
今度は、プリン味だった。
買ったばかりの中古のバイク。
私はその後ろに乗せてもらって、土手へ行った。
* * *
「なんて言われた?」
「妹みたいにかわいかったから。傷つけたくなかったって」
塚田くんが飲んでいたコーラを吹き出した。
「ねえ、汚い」
「ごめんって。でもさ、なんだよ、傷つけたくないって。二人して思いっきり傷つけてたじゃん。それで?」
「貴之くんのことが好きか分からないし、美波を傷つけたくないからって」
「いや、あれで自分の気持ちが分からないって? 都合良すぎるだろ」
「私もそう思った」
「ってか、お前もなんであれ見てまだ頑張ろうって思ってたわけ?」
「だって、彩乃ちゃん、最初は塚田くんが好きって言ってたんだもん」
「俺のこと好きなんてありえない。見てりゃ分かるだろ。最初からそれ、嘘だったんだろ」
「……私は信じてたの」
「お前、本当にそういうところあるよな」
「でもね、私も言い返した」
「なんて?」
「私、二人とも嫌いって」
「うん」
塚田くんは笑った。
「よく頑張ったな」
しばらく他愛もない話をした。
もうすぐ始まる二学期のこと。
冬休みになったら、どこへ行くか。
「ねえ」
「ん?」
「あの二人がお兄ちゃん、お姉ちゃんなら、私は塚田くんがお兄ちゃんがいい」
「……俺も美波のこと、妹みたいに思ってるよ」
塚田くんが立ち上がった。
「帰るか。俺、腹減ったわ」
「うん」
「ラーメン行くか。失恋したんだから、ダイエット終わりだろ?」
私は笑った。
* * *
次の日から、私の制服のリボンは赤のチェック柄に戻った。
もともと、赤のほうがかわいいと思っていた。
こっちのほうが、私らしい。
お母さんには、
「せっかく買ったのに」
なんて小言を言われたけれど、気にしない。
私がアルバイトをして、もらったお給料で買ったんだから、私の勝手でしょ。
もう、青いリボンはいらない。
* * *
公園の一件のあと、貴之くんは彩乃ちゃんを家まで送るようになった。
まだ二人は付き合っていない。
それでも、それをバイトのたびに見るのはつらかった。
しかも、シフトがかぶる日は毎回だ。
社員の大人たちは、
「あの二人、付き合い始めたの?」
と、なぜか私に聞いてくる。
知らない。
本人たちに聞けばいいのに。
みんな、誰が見てもバレバレだった私の気持ち、知ってるよね?
デリカシーがない。
それなのに、
「青春ねえ」
なんて、楽しそうに言う。
面倒だ。
「ねえ、私、あんなのずっと見てなきゃいけない?」
塚田くんに愚痴をこぼした。
「俺さ、ガソリンスタンドでバイトしたいって言ったじゃん。面接受かったんだ」
「何、いきなり。じゃあ、私一人であれ見るの?」
塚田くんは少し考えてから言った。
「一緒に辞めるか」
「……辞める」
それから、そのとき入っていたシフトを最後に、私と塚田くんはスーパーを辞めた。
* * *
塚田くんは、念願のガソリンスタンドで働き始めた。
私は、しばらくアルバイトをする気にはなれなかった。
普通に学校に通って、放課後に遊びに行ったり、塚田くんの働くガソリンスタンドに差し入れのチュッパチャプスを持っていったり。
アルバイトをしていない、ごくごく普通の高校生活を送っていた。
バイトを辞めてから、授業中に居眠りすることもなくなった。
テストの成績も、ちょっとだけ回復した。
* * *
それから半年ほど経った頃。
彩乃ちゃんからLINEが届いた。
貴之くんと付き合い始めたという報告だった。
私は返事をしなかった。
既読無視をして、彩乃ちゃんをブロックした。
そこで、私と彩乃ちゃんの関係は終わった。
* * *
そのあと、唯と地元のマクドナルドへ行った。
「アイツ最低だよ。付き合わなくてよかったじゃん」
唯は怒っていた。
「彩乃がダメだったら美波と付き合おうと思ってたんだって。だから、わざと気を持たせるようにしてたらしいよ。本当に最低」
それが本当なのかは、私には分からない。
ただ、唯がすごく怒っていることだけは分かった。
「そういえば、彩乃はさ、定時制高校へ編入したんだよ」
彩乃ちゃんは、もともと学校の単位がギリギリだった。
貴之くんと付き合うようになってから、さらに朝起きられなくなったらしい。
「あの男といたら、きっと美波も人生狂ったよ」
唯はそう言った。
かつて私の好きな人に、
「早いもの勝ちでしょ」
と言って近づいた唯。
あの頃の私は、この子とこんなふうにマクドナルドで話す日が来るなんて思っていなかった。
ましてや、大人になっても付き合いが続くなんて。
十六歳の私には、分からないことばかりだった。
誰を好きになるのが正解なのか。
友達の好きな人を好きになったら、諦めるのが正解なのか。
傷つけないためについた嘘は、正解なのか。
諦めてもらうためなら、傷つけてもいいのか。
そして、誰かに「どうしたらいい?」と聞かれたとき、その人の人生の答えまで出してあげるのが正解なのか。
今でも、全部の答えは分からない。
ただ、一つだけ。
あの公園で私が出した答えだけは、間違っていなかったと思っている。
自分たちの答えを、私に託さないで。
私の初恋は、そこで終わった。
酸っぱい初恋。
それでも、プリン味のおかげで、少しくらいは甘酸っぱい思い出になったんだろうか。
今でも私は、チュッパチャプスはプリン味が一番好きだ。
私、美波は高校生になって、初めてのアルバイトを始めた。
理由は、とてもとても単純だった。
大好きなアイドルグループのコンサートに行きたい。
ただ、それだけ。
アルバイト先は、自宅から徒歩三分のところにあるスーパー。
学校から帰って、夕方五時から夜九時まで。週に三回、レジ係として働く。
夜の時間帯は、責任者以外、ほとんどが学生だった。
初めて自分で働いて、初めて自分でお金を稼ぐ。
それだけで私はわくわくしていた。
最初に仕事を教えてくれたのは、一つ年上の彩乃ちゃん。
彩乃ちゃんは、私の教育係だった。
レジの操作から仕事の流れまで、一つずつ教えてくれた。
彩乃ちゃんはRADWIMPSが大好きだった。
私はKing & Princeが大好きだった。
好きな音楽は違ったけれど、コンサートに行きたい。CDが欲しい。グッズを買いたい。
そのためにアルバイトをしている。
そんな共通点もあって、私たちはすぐに仲良くなった。
帰り道には、よく音楽の話をした。
仕事が終われば、半額になったパンを一緒に食べた。暑い日はパピコを半分こした。
給料日には、ちょっと贅沢をしてハーゲンダッツを食べた。
彩乃ちゃんは、一つしか年が違わないのに、頼れるお姉ちゃんみたいな人だった。
* * *
バイトにも慣れてきた、ある日の出来事。
私は、レジから出たゴミを捨てに行った。
ゴミ捨て場には、かご車の上にゴミ袋が高く積み上げられていた。
一つずつ載せるのが面倒だった私は、手に持っていたゴミ袋を、
「えいっ」
と、上に向かって投げた。
次の瞬間。
積み上がっていたゴミ袋が崩れてきた。
「あっ」
どさどさと崩れてくるゴミたち。
落ちたゴミ袋を一緒に拾ってくれた人がいた。
その人は、私には届かない高さまで、ひょいっとゴミ袋を持ち上げた。
背が高い。
そして、かっこいい。
ゴミまみれの状態で、私は人生初めての恋をした。
それが、貴之くんだった。
レジに戻った私は、すぐに彩乃ちゃんに報告した。
「ねえ、さっき、かっこいい人が助けてくれた!」
「え、誰? 青果の坊主の子?」
それは塚田くんだ。
「違う! いつもペットボトル補充してる人!」
「え? 誰?」
話に入ってきたのは、唯だった。
そこで、貴之くんの存在が唯にも知られた。
それまでの私は、テレビの中のアイドルにしか興味がなかった。
身近な男の子を好きになるなんて、初めてだった。
でも、自覚するまでに時間なんてかからなかった。
私は、貴之くんが好き。
それから、バイトがもっと楽しくなった。
お金をもらえるからじゃない。
貴之くんに会えるから。
今までなら面倒だったゴミ捨てにも、自分から行くようになった。
レジに入るときも、
「ねえ、そっち代わってよ。」
と、ドリンクコーナーが見える位置を譲ってもらった。
貴之くんがペットボトルを補充している姿を、レジから眺めるためだった。
* * *
そんな日がしばらく続いた、ある日のバイト帰りのこと。
唯が、私にスマホの画面を見せてきた。
そこには、貴之くんとのやり取りがあった。
連絡先を聞いたのだという。
私が貴之くんを好きだと、唯は知っている。
「それはよくないんじゃない? 美波の気持ち知ってるでしょ?」
彩乃ちゃんが注意してくれた。
けれど唯は、
「早いもの勝ちでしょ」
そう言って立ち去った。
その様子をたまたま見ていた塚田くんが、私に声をかけた。
「気にすることない。あいつ、しつこくて困ってるって言ってたから」
その言葉に救われた。
「じゃあ、お疲れ」
塚田くんと別れたあと、彩乃ちゃんは、
「塚田くん、本当にかっこいいよね。あんな彼氏ほしいな」
と言っていた。
彩乃ちゃんは、塚田くんに恋をした。
――と、そのときの私は思っていた。
* * *
バイトの日が楽しみだった。
授業中も、今日は貴之くんいるかな、と考える。
シフト表を見て、貴之くんの名前があるだけでうれしかった。
話せなくてもいい。
レジから姿が見えれば、それだけでよかった。
ゴミ捨て場で会えた日は、少し得をした気分になった。
「お疲れ」
と声をかけてもらえただけで、その日の帰り道はずっと機嫌がよかった。
恋をすると毎日がこんなに楽しくなるんだ。
本気でそう思っていた。
* * *
彩乃ちゃんも塚田くんもシフトに入っていない、ある日のこと。
帰りに、偶然貴之くんに会った。
「お疲れ。美波は今日も元気だね。常連のおばさんが褒めてたよ。あの子、愛嬌があってかわいいって」
かわいい。
おばさんが褒めてくれただけだと分かっているのに、貴之くんの口から出た「かわいい」にときめいて、何も言えなくなった。
「じゃあね」
このまま、何も言えないうちに帰っちゃいそう。
「待って。……貴之くんの好きな色は?」
一体、何を聞いているんだ。
いくら話すことが浮かばないとはいえ、それはない。
「うーん? そうだな。濃いめの青かな。なんで?」
「何でもない。聞いただけ」
せっかく話せるチャンスだったのに。
全然、話せなかった。
* * *
それから少しずつ、話すことも増えていった。
青が好きだと言っていたから、いつものポニーテールは青いリボンで結ぶようになった。
ゴミ捨て場で会ったとき、
「それ、かわいいじゃん。似合う」
と褒めてくれた。
その一言だけで、私は舞い上がった。
私の高校は、制服のリボンも二色から選べた。
ずっと赤をつけていたけれど、青に変えた。
赤しか持っていなかったから、バイト代で青いチェックのリボンを買った。
貴之くんの「かわいい」が、もっと欲しかったから。
毎日が楽しくて仕方のない、初恋だった。
* * *
しばらくして、唯が貴之くんに振られた。
うれしかった。
喜んじゃダメだと思った。
でも、ものすごくうれしかった。
* * *
夏休みも近づいた頃、私は塚田くんに言った。
「ねえ、みんなでどっか行こうよ」
「美波さ、貴之と行きたいだけだろ。貴之誘えよ」
図星だった。
彩乃ちゃんだって、塚田くんと出かけたいはずだ。
でも、それを私から塚田くんに言うわけにはいかない。
「とにかく、みんなで行きたい。一人じゃ緊張するから一緒に来て!」
「いい加減、貴之に連絡先聞けよ」
「やだ。緊張して聞けない。」
結局、塚田くんが四人のグループLINEを作ってくれた。
* * *
最初に四人で出かけたのは、カラオケだった。
しかもオール。
そこで初めて知った。
貴之くんも、RADWIMPSが好きだった。
彩乃ちゃんと貴之くんは、一気に意気投合した。
二人にしか分からない曲の話。
二人にしか分からないライブの話。
完全に二人の世界だった。
私はずっと、つまらなかった。
二人の会話には、入れなかった。
それに気づいたのは、塚田くんだった。
一度部屋を出よう。と誘ってくれた。
受付に置いてある、ランダムで味が出てくるチュッパチャプスの自販機。
塚田くんが買ってくれた。
出てきたのは、プリン味だった。
「ストロベリーがいい」
「じゃあコンビニに買いに行く?」
「……その間、あいつら二人きりになるけど、いいの?」
「嫌だ」
「じゃあ我慢しろ」
「てか、なんでチュッパチャプスだけなの。他のも欲しい」
「お前、俺がバイク欲しくてバイトしてるの知ってるだろ。我慢しろ」
仕方なく、プリン味のチュッパチャプスを口に入れた。
「あ、プリンうまー」
その日から。
私が一番好きなチュッパチャプスは、プリン味になった。
部屋に戻ると、彩乃ちゃんは眠っていた。
貴之くんの膝を枕にして。
私は、その光景を見て思った。
……もう、好きじゃん。
貴之くんが彩乃ちゃんを見る顔は、私を見るときとは全然違う。
どう見ても、貴之くんは彩乃ちゃんが好きだった。
でも、彩乃ちゃんは塚田くんが好きなはず。
じゃあ、これは何?
よく分からない。
ただ、面白くないことだけは分かった。
* * *
朝になり、私たちはカラオケを出た。
眠い。
一晩中起きていたのだから、当たり前だ。
「俺、彩乃送ってくから。貴之は美波を送れ。じゃあな」
塚田くんはそう言って、彩乃ちゃんと帰っていった。
彩乃ちゃんも、あっさりと塚田くんについていった。
私は二人の後ろ姿を見送った。
やっぱり、彩乃ちゃんは塚田くんが好きなんだ。
じゃあ、昨日の膝枕はなんだったんだろう。
残されたのは、私と貴之くん。
二人きり。
それだけで緊張した。
昨日まで、レジから姿を眺めているだけでうれしかった人が、今は私の隣を歩いている。
そして、私たちは手をつないだ。
どうしてそうなったのか。
どちらから手をつないだのか。
そこまでは、もう覚えていない。
ただ、貴之くんと手をつないで歩いたことだけは、今でも覚えている。
昨日の夜、彩乃ちゃんを膝枕していた貴之くんと。
今は私が、手をつないでいる。
どういうこと?
貴之くんは、彩乃ちゃんが好きなんじゃないの?
分からない。
でも、うれしかった。
それだけは、間違いなかった。
まっすぐ帰ればいいのに、私たちは少し遠回りをして帰った。
好きな人と手をつないで歩く朝。
できることなら、もう少しだけ帰りたくなかった。
貴之くんが何を考えていたのかは、分からない。
十六歳の私には、もっと分からなかった。
ただ、この朝があったから。
私は、まだ少しだけ期待してしまった。
もしかしたら。
私にも、可能性があるんじゃないかって。
* * *
家に着いて少しすると、塚田くんから電話がかかってきた。
「どうだった?」
「なにが?」
「貴之と。話せたか?」
「……うん」
「そっか。何話したんだ?」
「内緒。手、つないでくれた」
「は? 何してんだよ、あいつ」
「なんで怒ってるの?」
「そういうのは、付き合ってからするもんだろ」
「えー、いいでしょ。私はうれしかったの。塚田くん、お父さんみたい」
電話の向こうで塚田くんが何かぶつぶつ言っていたけれど、私はそれどころじゃなかった。
貴之くんと手をつないだ。
その事実だけで、しばらくは何でも許せそうな気がしていた。
* * *
カラオケに行ってから、二人はさらに仲良くなった。
バイト前やバイト終わりには、二人で音楽の話をしていた。
彩乃ちゃんと一緒にパンを食べたり、アイスを食べたりすることもなくなった。
彩乃ちゃんがパピコを半分こする相手は、私じゃなくて貴之くんになった。
二人だけの世界。
おすすめの曲を教え合って、リンクを送り合っていることも知っていた。
間違えて、二人のやり取りをグループLINEに送ってきたこともあった。
すぐに消していたけれど。
――消しても、見ちゃってるよ。
ある日、休憩室を覗くと、二人で並んで座っていた。
一つのイヤホンを、片方ずつ耳につけて。
同じ曲を聴いていた。
……やっぱり、好きじゃん。
カラオケの夜に感じたことは、勘違いなんかじゃなかった。
貴之くんが彩乃ちゃんを見る顔は、私を見るときとは全然違う。
あの朝、私と手をつないでくれたのに。
それでもやっぱり、貴之くんが好きなのは彩乃ちゃんだった。
* * *
次に四人で出かけたのは、遊園地だった。
塚田くんには最初、
「遊園地は金額が高いから無理」
と断られた。
でも、母の友人の会社の福利厚生で、乗り放題のパスポートを千円で買うことができた。
それを伝えたら、
「千円なら行く」
あっさり承諾した。
私はもう、気づいていた。
貴之くんが彩乃ちゃんを好きなこと。
それでも、私に振り向いてほしかった。
かわいい洋服を買った。
ハート型の鏡も持っていった。
バイト代三時間分。
私にとっては超高級品の、かわいい鏡だった。
最初に乗った乗り物では、彩乃ちゃんと隣に座った。
メリーゴーランドでは、
「俺は恥ずかしいから、二人で行ってこい」
と言われた。
せっかく四人で遊園地に来たのに。
私はなぜか、ずっと彩乃ちゃんと一緒だった。
お昼になり、四人で座れる席を探した。
ようやく席を見つけて荷物を置くと、
「俺、彩乃と買いに行ってくる」
貴之くんはそう言って、彩乃ちゃんを連れて買い出しに向かった。
また、二人。
私は前髪を直そうと、荷物の中から鏡を取り出した。
割れていた。
「あ、割れた。きっと、そういうことだよね」
塚田くんに言った。
「遊園地っていろんな乗り物乗るんだから、誰のでも割れるよ」
そう言われた。
高かったのになぁ……。
二人が買ってきてくれたホットドッグとオレンジジュースは、なんの味もしなかった。
そのあと、みんなでつぶつぶアイスを食べた。
貴之くんと彩乃ちゃんは、二人で食べさせ合っていた。
私はそれを見ていた。
もう、隠す気もないじゃん。
カラオケで膝枕して。
バイト先では、一つのイヤホンを片方ずつつけて。
遊園地では、二人で買い出しに行って。
今度は、アイスを食べさせ合っている。
それなのに。
あの朝には、私と手をつないだ。
私は、何を期待してここに来たんだろう。
割れた鏡より、そっちのほうがずっと悲しかった。
* * *
私はジェットコースターに乗りたかった。
「私、苦手だから乗れない。三人で行ってきて」
彩乃ちゃんが言った。
「それなら俺が――」
塚田くんが何か言いかけたところで、貴之くんが遮った。
「塚田、美波と行ってこい。俺、彩乃と待ってる」
分かっていた。
それでも傷ついた。
「ごめんな。俺と一緒で」
塚田くんが言う。
「ううん、一人じゃなくてよかった。ありがとう」
精一杯強がって、笑顔を向けた。
ジェットコースターがゆっくりと坂を上っていく。
下にいる貴之くんと彩乃ちゃんが見えた。
私は二人に向かって、笑顔で手を振った。
彩乃ちゃんは笑顔で手を振り返してくれる。
貴之くんはというと、隣の彩乃ちゃんを見つめて楽しそう。
まるで、二人だけで遊園地に来たみたいに、二人の世界に入り込んでいた。
コースターから降りるとき、隣から声がした。
「無理しなくていい」
「帰ろ。こんな状態でパレードなんて見れないだろ」
「……」
「貴之、美波の気持ちに気づいてないわけないんだ。お前、分かりやすすぎる。それなのに、あれはあまりにもよくない。帰るぞ」
塚田くんは、何か理由をつけて四人で帰ろうとしてくれた。
けれど彩乃ちゃんは、パレードを見たいと言った。
夏休み限定で花火も打ち上がるから。
本当に見たかったのかは知らないけれど、貴之くんも見たいと言った。
「美波はどうする?」
塚田くんに聞かれた。
「帰りたい」
私は貴之くんと彩乃ちゃんを残して、塚田くんと二人で帰った。
帰り道。
塚田くんがコンビニでチュッパチャプスを買ってくれた。
ストロベリー味だった。
「はい」
受け取った私は、それを見て言った。
「プリンがよかった」
「お前、この前はストロベリーがいいって言ってただろ?」
「この前はね。今はプリンが一番なの」
* * *
夏も終わりに近づいていた。
あんなにうるさかったセミたちは地面にはいつくばって、じじっと、かろうじて声を出すだけ。
元気がない。
まるで、今の私みたいだった。
* * *
夏休みの終わりごろ、泣いている彩乃ちゃんから、公園に呼び出された。
嫌な予感がした。
私は塚田くんに電話した。
「彩乃ちゃんが泣いてるんだけど、嫌な予感がする。貴之くんって今日バイト?」
「いや、休み」
「あー、そっか」
「そういうことだろうね」
「……うん」
「俺、バイト終わったらバイクでそっち行くから。待ってろ」
「え? バイク? 買ったの?」
「LINEの画像変わったんだから気づけよ。中古だけど」
「ごめん。分かった。待ってる」
公園に着くと、彩乃ちゃんは号泣していた。
そして、その隣には貴之くんがいた。
私は不思議なくらい冷静だった。
「なにか用?」
「ごめんね、美波。美波の気持ち知ってるのに……」
彩乃ちゃんはさらに泣き崩れた。
代わりに貴之くんが口を開いた。
「俺、彩乃のこと好きって告白したんだ」
「ふーん。知ってるよ。それで?」
彩乃ちゃんが顔を上げた。
「え? なんで? なんで知ってるの?」
「え、見てれば分かるじゃん。気づいてないの? にっぶ」
「やっぱり分かるよな?」
貴之くんが笑った。
私は貴之くんを見た。
「じゃあ、私が貴之くんのこと好きって、貴之くんは知ってる?」
「うん。気づいてる」
「気づいてるのに、見せつけるように彩乃ちゃんと過ごすんだね」
貴之くんは笑って誤魔化した。
何に対しての笑顔なのか、私には分からなかった。
私は彩乃ちゃんを見た。
「それで、彩乃ちゃんはなんで泣いてるの?」
「気づいてなかったとはいえ、美波を傷つけることになるから……」
「今まで傷つけてなかったって認識で合ってる?」
「……」
彩乃ちゃんは、さらに泣き出した。
それを見た貴之くんが、
「泣かないで」
と、彩乃ちゃんの頭を撫でる。
知らない人が見たら、私が悪いみたいな絵面だ。
今まで二人を一番近くで見ていて、すごく傷ついたけどな。
そんなことを言う気力も起きなかった。
「ふーん。それで、付き合うって報告するために呼んだの?」
「俺は付き合いたいと思ってる」
貴之くんが答えた。
「私は、美波を傷つけることはしたくないから……」
「もう傷ついてるから、一緒じゃない?」
二人が黙った。
「私に答えを託さないでほしい」
「ごめんね、美波」
「それ、何に対してのごめんねか分からない」
私は続けた。
「好きなら付き合えばいい。私には関係ない。でも彩乃ちゃん、塚田くんのこと好きって言ってたよね?」
「あれ、嘘なの」
「……え?」
「好きって言ったほうが、一緒に出かけるにしても誘いやすいかなって思ってた。私はどっちのことも好きじゃなかった。ただ、美波が妹みたいにかわいかっただけ」
「そう。嘘なんだ……。で、今は? 貴之くんのことが好きなの?」
「それも……分からない」
私は何も言えなくなった。
分からないなんてこと、ある?
好きでもない男の子と、あんなに顔を寄せて笑い合うものなのかな。
私には、疑問だけが残った。
しばらく、誰も口を開かなかった。
二人は好き同士なんだ。
だから仕方ない。
私はずっと、そうやって自分を納得させようとしていた。
でも。
分からないんだ。
あれだけ一緒にいて。
あれだけ近くにいて。
それでも、自分の気持ちが分からないんだ。
言いたいことはいくつも浮かんだ。
でも、どれも口には出さなかった。
「そっか。それで私になんの用事なの? 告白の報告だけなら、もう分かったから帰るよ」
公園を出ようとすると、彩乃ちゃんに腕をつかまれた。
泣いたまま、何も言わない彩乃ちゃん。
ねえ、泣きたいのは私なんだけどな。
* * *
「じゃあ、私が答えを出すね」
一度、息を吸った。
「私は二人とも大嫌い」
そして、
「全部を私のせいにしないで? 二人で答えを出せないこと、私のせいにしないで」
二人が何かを言う前に、私は背を向けた。
「じゃあ、バイバイ」
正確には、彩乃ちゃんが嫌いになった。
大好きな初恋の人を、そんな簡単に嫌いになんてなれない。
美波の味方だよ。
美波の恋を応援する。
そう言ってくれていた人が、一番の敵になるとは思わなかった。
ショックだった。
しばらく、自分自身が言った「大嫌い」という言葉が、心の中をこだましていた。
* * *
私は、そのままバイト先のスーパーへ向かった。
塚田くんはまだ働いていた。
終わるのを待った。
その時間が、すごく長く感じた。
そして、仕事を終えて出てきた塚田くんの顔を見た瞬間。
初めて泣いた。
塚田くんは何も言わず、私にチュッパチャプスを差し出した。
今度は、プリン味だった。
買ったばかりの中古のバイク。
私はその後ろに乗せてもらって、土手へ行った。
* * *
「なんて言われた?」
「妹みたいにかわいかったから。傷つけたくなかったって」
塚田くんが飲んでいたコーラを吹き出した。
「ねえ、汚い」
「ごめんって。でもさ、なんだよ、傷つけたくないって。二人して思いっきり傷つけてたじゃん。それで?」
「貴之くんのことが好きか分からないし、美波を傷つけたくないからって」
「いや、あれで自分の気持ちが分からないって? 都合良すぎるだろ」
「私もそう思った」
「ってか、お前もなんであれ見てまだ頑張ろうって思ってたわけ?」
「だって、彩乃ちゃん、最初は塚田くんが好きって言ってたんだもん」
「俺のこと好きなんてありえない。見てりゃ分かるだろ。最初からそれ、嘘だったんだろ」
「……私は信じてたの」
「お前、本当にそういうところあるよな」
「でもね、私も言い返した」
「なんて?」
「私、二人とも嫌いって」
「うん」
塚田くんは笑った。
「よく頑張ったな」
しばらく他愛もない話をした。
もうすぐ始まる二学期のこと。
冬休みになったら、どこへ行くか。
「ねえ」
「ん?」
「あの二人がお兄ちゃん、お姉ちゃんなら、私は塚田くんがお兄ちゃんがいい」
「……俺も美波のこと、妹みたいに思ってるよ」
塚田くんが立ち上がった。
「帰るか。俺、腹減ったわ」
「うん」
「ラーメン行くか。失恋したんだから、ダイエット終わりだろ?」
私は笑った。
* * *
次の日から、私の制服のリボンは赤のチェック柄に戻った。
もともと、赤のほうがかわいいと思っていた。
こっちのほうが、私らしい。
お母さんには、
「せっかく買ったのに」
なんて小言を言われたけれど、気にしない。
私がアルバイトをして、もらったお給料で買ったんだから、私の勝手でしょ。
もう、青いリボンはいらない。
* * *
公園の一件のあと、貴之くんは彩乃ちゃんを家まで送るようになった。
まだ二人は付き合っていない。
それでも、それをバイトのたびに見るのはつらかった。
しかも、シフトがかぶる日は毎回だ。
社員の大人たちは、
「あの二人、付き合い始めたの?」
と、なぜか私に聞いてくる。
知らない。
本人たちに聞けばいいのに。
みんな、誰が見てもバレバレだった私の気持ち、知ってるよね?
デリカシーがない。
それなのに、
「青春ねえ」
なんて、楽しそうに言う。
面倒だ。
「ねえ、私、あんなのずっと見てなきゃいけない?」
塚田くんに愚痴をこぼした。
「俺さ、ガソリンスタンドでバイトしたいって言ったじゃん。面接受かったんだ」
「何、いきなり。じゃあ、私一人であれ見るの?」
塚田くんは少し考えてから言った。
「一緒に辞めるか」
「……辞める」
それから、そのとき入っていたシフトを最後に、私と塚田くんはスーパーを辞めた。
* * *
塚田くんは、念願のガソリンスタンドで働き始めた。
私は、しばらくアルバイトをする気にはなれなかった。
普通に学校に通って、放課後に遊びに行ったり、塚田くんの働くガソリンスタンドに差し入れのチュッパチャプスを持っていったり。
アルバイトをしていない、ごくごく普通の高校生活を送っていた。
バイトを辞めてから、授業中に居眠りすることもなくなった。
テストの成績も、ちょっとだけ回復した。
* * *
それから半年ほど経った頃。
彩乃ちゃんからLINEが届いた。
貴之くんと付き合い始めたという報告だった。
私は返事をしなかった。
既読無視をして、彩乃ちゃんをブロックした。
そこで、私と彩乃ちゃんの関係は終わった。
* * *
そのあと、唯と地元のマクドナルドへ行った。
「アイツ最低だよ。付き合わなくてよかったじゃん」
唯は怒っていた。
「彩乃がダメだったら美波と付き合おうと思ってたんだって。だから、わざと気を持たせるようにしてたらしいよ。本当に最低」
それが本当なのかは、私には分からない。
ただ、唯がすごく怒っていることだけは分かった。
「そういえば、彩乃はさ、定時制高校へ編入したんだよ」
彩乃ちゃんは、もともと学校の単位がギリギリだった。
貴之くんと付き合うようになってから、さらに朝起きられなくなったらしい。
「あの男といたら、きっと美波も人生狂ったよ」
唯はそう言った。
かつて私の好きな人に、
「早いもの勝ちでしょ」
と言って近づいた唯。
あの頃の私は、この子とこんなふうにマクドナルドで話す日が来るなんて思っていなかった。
ましてや、大人になっても付き合いが続くなんて。
十六歳の私には、分からないことばかりだった。
誰を好きになるのが正解なのか。
友達の好きな人を好きになったら、諦めるのが正解なのか。
傷つけないためについた嘘は、正解なのか。
諦めてもらうためなら、傷つけてもいいのか。
そして、誰かに「どうしたらいい?」と聞かれたとき、その人の人生の答えまで出してあげるのが正解なのか。
今でも、全部の答えは分からない。
ただ、一つだけ。
あの公園で私が出した答えだけは、間違っていなかったと思っている。
自分たちの答えを、私に託さないで。
私の初恋は、そこで終わった。
酸っぱい初恋。
それでも、プリン味のおかげで、少しくらいは甘酸っぱい思い出になったんだろうか。
今でも私は、チュッパチャプスはプリン味が一番好きだ。

