校内ビジネスカップルの破局

 一方的にビジネスカップルの解消を告げられて数日。
 風宇(ふう)は教室でも一人ぼっちになってしまった。

 毎朝、マンションのエントランスで待っていてくれた文燈(あやと)はいない。
 風宇と顔を合わせないように、とても早い時間に登校しているようだ。
 学校では、まとまった時間が出来ると図書室に行ってしまう。

 声をかけたくても、すぐにいなくなる文燈。
 もっとも声をかける勇気は今の風宇にはない。

「おい、どうしたんだ、お前ら」

 机に突っ伏して溜息ばかり吐いている風宇を見かねて、畦地(あぜち)が声をかける。

「んー? なにがぁ?」

 風宇はすっかり気が抜けてしまって、畦地に相談しようとも、愚痴を吐こうとも思わなかった。
 そんな気力もない。

「なんだ、痴話喧嘩か?」

「ああ……まあ、そんなとこ?」

 畦地の問いに、風宇は曖昧に答える。
 その雰囲気を察した畦地は、さらに心配そうな顔になっていた。

「大丈夫か?」

「……うん、平気」

 大したことない、と明るく笑って誤魔化せばいい。
 だが、今の風宇にはそれが出来なかった。笑おうとしても、自嘲めいた笑みが漏れるだけ。


 
 そう。オレはバカみたいだ。
 一人でその気になって。気持ちは通じてるなんて夢みたいな事。

 文燈は北海道で何かあったのかもしれない。
 そうとでも考えないと説明がつかない。だって、あんなキスをしたのに。

 でも、文燈にとっては大したことではなかったのでは。ちょっと気持ちが昂ってしまっただけのアヤマチだったのかも。
 それが北海道に行って、時間も距離も離れて、正気に戻ったのかも。

 だったらやっぱり、オレはバカみたいだ。
 キスひとつで浮かれて、恋人みたいな気になって。

 ——最初から、オレ達は「ウソ」の関係だったくせに。



「はあ……」

 ぐるぐると同じ事を考えて溜息を吐く。この数日間、風宇はそればかりだ。
 文燈に避けられて、全てがどうでもよくなってしまった。

葉山(はやま)くーん!」

「……若月(わかつき)かぁ」

 放課後の迷惑天使、若月はご機嫌伺いのように毎日教室を訪れる。
 さすがの若月も、最近の二人の異変には気づいていた。

「あっれえ、まーた広瀬(ひろせ)くんがいない」

「アイツなら、多分図書室だろうよ……」

 気の抜けた風宇の返事に、若月は口を尖らせて憤慨する。

「もおお! しっかりしなよお、どんな盛大なケンカしたのさあ!?」

「……」

 若月の高い声がキンキン響いて不快だった。風宇は無視を決め込んで机に伏す。

「ねえ、葉山くんが悪いの? それとも広瀬くん? 言ってごらん、ジャッジしてあげるから!」

(ひかる)、もう帰るぞ」

 風宇の周りをチョロチョロする若月の腕を、畦地が引いて教室から出そうとする。

「ちょっと引っ張らないでよ、征士(まさし)ぃ!」

 暴れる若月を小脇に抱えて、畦地は教室を出る。
 一人残った風宇に短く言い残して。

「あまり、思い詰めるなよ」

「んー」

 机に伏したまま、風宇は手だけを振った。
 若月の高い声が遠ざかる。畦地の大きな足音とともに。

 誰もいなくなった教室。風宇は立ち上がる気力も湧かなかった。

 帰りたくない。
 一人で、帰りたくない。
 文燈と一緒に……帰りたい。



「ふう……風宇」

 肩を揺すられて目を覚ます。
 寝てしまっていた。教室は夕方のオレンジ色に染まっていた。

「こんなところで寝てたら風邪引くぞ」

 温かい手。文燈だった。

「あ、ああ……」

 風宇は「あやと」と呼べなくて口籠もる。
 久しぶりに正面から見た顔は、風宇が思い浮かべていた優しい顔で。
 胸が、痛くなった。

「俺を、待ってたのか……?」

 遠慮がちに聞く文燈は、少し怖がっているような様子だった。
 待ち伏せだと思われた、と風宇は焦って首を振る。

「ちち、違う! つい居眠りしちゃって……それだけ!」

「居眠りを……?」

 文燈の瞳が揺れる。
 夕暮れに照らされた、橙色に、風宇は嘘がつけなかった。

「か、帰りたく……なくて」

 それだけ言うのが精一杯で。風宇は机の上で拳を握る。
 文燈がどんな風に捉えるのか、以前なら気にならなかったのに、今は怖い。

「ごめんな、風宇」

 握った拳に、文燈の手が重なる。
 それから文燈は風宇の前の席に腰掛けた。

「ちゃんと、説明する」

 心臓が、ギュウっと締まる。
 文燈は今から何を言おうというのか。
 今より残酷な言葉だったら聞きたくない。
 だけど、風宇は自分に真摯に向き合う文燈の瞳から目が逸せなかった。



「北海道の伯父は、獣医をしているんだ。牧場の牛とかを診てる」

 文燈は風宇の拳に手を置いたまま語る。

「少し前に、ちょっと病気してさ。伯父さんの所、後継者がいなくて」

 家族の、込み入った話だった。
 そんなの聞いてしまっていいのだろうか。風宇の心は戸惑うが、文燈は短く区切りながら語り続ける。

「結構前から、伯父さんの養子になって獣医を継いで欲しいって話があって」

「え、でも、お前……官僚になるって」

「うん。北海道にはあまり興味なくて。都会の方が色々便利だし、やりがいもあるなあって思っててさ」

 文燈は少し笑いながら、どこか遠い所を見るように続けた。

「勉強はどっちにも進めるようにやってたんだけど、獣医はあり寄りのナシって感じで。やっぱり断ろうと思ったんだけど」

 遠くから、ここに。文燈の視線は風宇の拳に戻る。

「夏休みに北海道行ったら、なんかすごくて。伯父さんの仕事とかも見たんだけど、圧倒されちゃって」

 風宇の手の甲を摩って、とても愛おしそうに触れているのに。
 文燈の心は、その考えは、とても遠くに行ってしまったようだった。

「給料がいいってだけで官僚目指すより、北海道で獣医目指した方が、なんか生きてるって感じがしたんだ」

 文燈は、一人で「生き方」を見つけた。

「……だからさ」

 そこに、風宇のいる余地は、ない。



「高校を出たら、風宇とはお別れなんだ」

 もうすぐ日が暮れる。
 教室は段々と暗くなる。

 文燈の、秘められていた言葉が。
 風宇の中に、重く沈んでいった。