校内ビジネスカップルの破局

 夏休みになる。
 風宇(ふう)は今年の夏は何かが起こるんじゃないかとワクワクしていた。

 最近、文燈(あやと)とはとてもいい感じになった。
 先日のバズり事件で絆が深まった気がする。いや、深まっている。だって、それを確かめ合うようなキスをしてしまったのだから。

 ビジネスカップルじゃなくて、本物のカップルになっちゃったんじゃない!?

 そんな事を考えると、風宇は照れ笑いが止まらなくなる。
 つい二年前は女子のことで頭がいっぱいだったのに、今は文燈のことでいっぱいだ。

 まだちゃんと言葉にはしていないけれど、きっと通じ合っていると思う。
 受験をきっちり終わらせたらはっきりさせよう。

 風宇はそう決めていた。
 だから受験勉強はいっそう頑張るし、勉強漬けになる夏休みも文燈と一緒にいられたらいい。
 やる気とトキメキで風宇の胸は高鳴っていた。夏が楽しみで仕方ない。

 ところが——


 
「俺、夏休みは北海道なんだ」

「ほえ……?」

 文燈からの意外な言葉に、風宇は鳩に豆鉄砲状態で棒立ちになった。

「伯父さんが北海道に住んでて。受験勉強するなら涼しい場所がいいんじゃないかって」

「そ、そうなんだ……」

 夏休み、文燈と一緒に受験勉強、たまにトキメキ付き。風宇の計画が崩れ落ちる。
 いや、まだ望みはある。風宇は思い切って聞いた。

「えっと、どれくらい……?」

「夏休み、全部」

「ぜんぶ!? 予備校は?」

「オンラインで受けるから大丈夫」

 風宇、敗北。文燈は遠い北海道の地へ。
 そしてオレは真夏の灼熱地獄。一人ぼっちの勉強漬け、決定。

「あ、あう……う」

 まだだ! 諦めるな! 風宇は最後の言葉を期待する。
 そう、「風宇も一緒に北海道行かない?」のお誘いを。文燈が言うんじゃないかと、待った。

 だけど——

「お土産、買ってくるな」

 ズギャーン! 完全に敗北!
 風宇は落胆でお先真っ暗。泣きそうになるのをようやく堪えている。

「ふーう」

 風宇の百面相の理由を知ってか知らずか、文燈は少し甘い声で風宇の頭をポンポンと撫でた。
 それから、風宇にしか見せない優しい顔で笑う。

「向こうに行ったら、メッセージ送るから」

「んん……」

 クソ、顔がいい。自分の気持ちに気づいてしまってからは一層だ。
 風宇は文燈の笑顔には逆らえなくなってしまっている。

「お互い、勉強頑張ろうな」

「……うん」

 そんな風に信頼されたような態度をされると困る。
 行っちゃヤダ、とか、オレも連れてけ、とか言えないじゃないか。

 風宇は肩を落としたまま頷いた。
 文燈は少し困ったように笑っている。

 その罪滅ぼしなのか、帰り道の人通りが少なくなった頃、文燈はマンションに着くまで手を繋いでくれた。



 風宇の夏休みは灰色だった。
 文燈が側にいない。それだけなのに、毎日がつまらない。

 塾の夏期講習と家を往復する日々。
 文燈からのメッセージは思ったよりも来なかった。
 行ったばかりの頃は毎日来ていたのに、段々と減っていった。風宇が送っても、返信が遅い時が増えた。

 その事が、風宇の胸を不安にさせる。得体の知れない恐怖が広がっていく。
 きっと文燈は勉強に集中しているんだろう。そう思う事でなんとか耐えていた。
 代わりに、風宇自身の受験勉強はあまり進んでいない。それも焦る要因になって、ますます怖くなる。


 
 二学期最初の日。
 風宇が落ち込んだままエントランスを出ると、文燈が待っていた。

「風宇。久しぶり」

「文燈っ」

 一月以上ぶりに見た文燈の顔。会いたくてたまらなかった。
 風宇はすぐさま抱きつきたい衝動に駆られる。

「あや、と……?」

 だけどそんな風宇の恋しさを遮るような、悲しい目で文燈は笑っていた。
 ズキ、と心が痛くなる。不安が再び胸に広がる。文燈と会えなかった時のような。

 文燈はそこにいるのに、遠くなってしまったような。

「これ、お土産」

 取り繕ったような笑顔で、文燈はガラス細工がついたストラップを差し出した。
 ラベンダー色をした、涙の形の透明なガラス。澄んだ紫色が、妙に悲しい。

「す、ストラップて、イマドキ!」

 風宇は不安を除きたくて、わざとおどけて言った。
 文燈はそれに乾いた笑いを添える。

「はは、確かに。スマホにはつけらんないよな」

「いや、でも……」

 言い過ぎたかもしれない。欲しくないわけじゃない。
 だけど、これをもらった後、オレ達はオレ達のままでいられるだろうか?
 
「カバンにでも付けてよ」

 文燈は風宇の手に、ガラスのストラップを握らせた。
 その手は、少し冷たかった。

「うん、ありがと……っ、わ」

 受け取った後、文燈に抱き寄せられる。
 文燈はそれから風宇の髪に唇を押し当てた。

「このまま、ずっと……」

 時間が止まったようだった。
 このまま、ずっとこうしていたい。

 きっと同じ事を考えた。だけど風宇は気づいてしまった。
 呟く文燈の唇が、震えているのを。


 
「あのさ、風宇……」

「な、なに?」

 言わないで。
 風宇は思わずそう願った。

 だが、文燈は体を離して、風宇を真っ直ぐ見て言う。
 それは、あの日、「計略」を持ちかけた時と同じ角度。



「もう、いいんじゃないかな……」

「……え?」

 文燈は今、なんて言った?



「皆、自分の受験の事で手一杯だろ。無理に付き合ってる振りしなくていいんじゃないかな」

「む……り、に?」

 確かに最初はそうだったけど。



「卒業までは別れた事を広めなくてもいいだろ? けど、オレ達の偽装交際は解消しよう」

「や、でも……」

 今は無理なんてしてなくて。
 それどころか、オレはもっと文燈と一緒にいたいって。



 言おうと思ってたんだ。
 受験が終わったら言おうと。受験が終わったら言えばいいと、思ってた。



「風宇」

 その声が、頭に響く。
 その姿は、よくわからない。
 今、どこにいるかも、わからなくなっている。

「今までアリガト」

 張り付いた笑顔。
 昔の「広瀬(ひろせ)」のものだった。

「じゃあ、後で教室で」

 クルリと背を向け歩き出す。
 風宇を置いて、遠ざかる。



「文燈……」

 残された風宇は、動けずに。

「なんで……?」

 手の中のガラスが、とても冷たくて。
 指先の体温を奪っていった。