校内ビジネスカップルの破局

 下校時刻を知らせるチャイムが鳴り響いた。
 今日、今この時間に鳴ったのは、おそらく放送委員のサービスだろう。後で先生に怒られそうだな、と風宇(ふう)は窓からの景色を茫然と見つめながら思う。

 校門付近では、生徒が数十人固まって、盛大におしゃべりをしながら騒がしく歩き始めていた。
 まるで登校時のような賑わいだ。生徒一人一人の顔を識別することは容易ではないだろう。

「どうする、広瀬(ひろせ)

 生徒達の動きを窓から観察している文燈(あやと)畦地(あぜち)が聞く。
 文燈は顎に手を置いて少し考えていた。

「そうだな、あの人の群れに紛れて帰ろうかとも思ったけど、カメラマンとすれ違ったら危険だ。やはり裏口からこっそり出るのがいい気がする」

 冷静にそう言う文燈に、畦地は頷きながら答えた。

「それがいい。先に裏口から出られるように守衛さんを説得しておいてやる」

 その提案に、文燈は驚きとともに畦地を見て笑った。

「……ありがとう」

(ひかる)のやった事だからな。帰るタイミングは任せる」

 そう言うと、畦地は早足で教室を出ていった。

「風宇……」

 二人だけ残った教室で、外から喧騒が響いても、中は不思議と静かだった。
 文燈の瞳は少し困ったような、けれど優しい光を帯びている。

「怖い?」

 そんな風にいたわりの表情で聞くから、風宇は素直に頷いてしまう。

「ちょっとだけ」

 その不安を包み込むように、文燈は微笑んで左手を差し出した。

「じゃあ、手を繋ごう」

「え……」

 この手を取って、何が起こるのか。不安の中から、風宇の胸には微かな期待が生まれる。

「さあ」

 頼もしい笑みを浮かべる文燈。風宇はその顔がとても格好良いと思って胸が高鳴る。
 不安も期待も吹き飛んで、ただ文燈に触れたいと思った。気がついたらその手を握っていた。

「大丈夫。絶対に離さない」

「ん……」

 力強く握り返した文燈の体温が伝わった。とても、温かい。
 胸の高鳴りと同時に、繋がった手も熱くなる。

「よし、帰ろう!」

 文燈は風宇の手を握ったまま駆け出した。
 教室を出る。階段を降りる。裏口に向かって走る。

 今日だけは、たとえ教師に咎められても、文燈についていきたい。
 風宇の気持ちはそれだけで、走る。

 校舎の奥の通用口を出ると、畦地が裏門前で手を振っていた。
 文燈は少し走るスピードを上げる。

 風が、風宇の髪の毛を撫でた。
 それは文燈からもらったグリーンシトラスの香りを振り撒く。

葉山(はやま)

 裏門を通り過ぎる瞬間、畦地が笑う。

「また明日な」

「うん、バイバイ!」

 友人に手を振って、風宇は文燈だけを見つめて学校を出た。



 走る。
 走る。
 握る手には汗が滲む。

 それでも走る。
 文燈の手は、きつく握って風宇を離さなかった。

 下校のルートはいつもと逆回り。
 正門から商店街を通るいつもの道ではなく、河川敷に沿って駅へと向かった。

「はあ……もう、いいかな?」

 夕方までにはまだ時間がある。ランナーなども走っておらず、河川敷の人通りは少ない。
 文燈は走るのをやめて、早歩きからゆっくりと速度を落とした。

「はあー……」

 風宇も少し乱れた息を整えようと、深く息を吐く。手はまだ繋がったまま。

「お疲れ、風宇」

「うん、文燈もな」

 二人で見合わせて微笑み合う。
 なんだかとても照れくさいと感じた。
 手を繋いで、逃避行みたいな事をしてしまった。

 もう必要ないかなと思って、風宇が繋いだ手を緩めようとすると、文燈はまたぎゅっと強く握ってくる。

「ねえ、風宇」

「ん、ん?」

 その仕草に戸惑っていると、文燈は少し熱っぽい視線で風宇を見ていた。

「修学旅行の帰り、風宇から手を握ってくれたのはなんで?」

「えっ……?」

 改めて問われると困る。
 あの時、明確な理由なんてなかった。
 文燈の行方がわからなくて、帰って来てくれたからとても安心して。それから、自分のために土産物を探し回ってくれたいたのが嬉しくて。


 
 オレのために疲れてて。
 オレに寄りかかって眠る顔が無防備で。
 とても、愛おしい。

 離したくない。
 繋がっていたい。
 そう思った。


 
「えっと……あの……」

 そこまで考えて、風宇は一気に体が熱くなる。
 顔が火照る。指先がジンジンと痛い。熱が、体中を駆け巡る。

「文燈が……その……」

 この気持ちを言葉にしてもいいのだろうか。
 オレ達は「ウソ」で付き合っているのに。

 その嘘を、言葉(ホントウ)にしてもいいのだろうか。


 
「風宇」

 文燈の右手、風宇の頬に触れる。
 繋いだ左手、強い力がこもっている。

「ねえ、キスして……いい?」

「あ……」

 甘く問われて顔を上げる。
 文燈の濡れた瞳が、風宇を見つめていた。

 すごく綺麗。
 オレが映って、揺らめいてる。

「キス、したい……」

 文燈の顔が近づいてくる。
 うん。オレも、キスしたい。

 返事の代わりに、目を閉じた。
 文燈の唇を迎える。



「ん……」

 重なる熱が、とてもくすぐったい。
 重なっている手も、とても熱くて。

 唇を食みながら、指先を絡めて。
 互いを求めて、ひとつになる。

 同じ熱を、共有する。
 重なった心が、満たされていく。

「あや、と……」

 その名を呼ぶと、腰を引き寄せられた。
 文燈に強く求められて、風宇は自分の存在価値を知る。

 大切だと。
 欲しい。繋がりたいと。文燈の唇が示している。

 ああ、オレも。
 文燈が欲しいと。思っている。



 夕暮れ、川沿い、桜の木の太い幹。
 その陰に隠れて、風宇と文燈は唇を合わせ続ける。
 
 視界が、薄暗くなっても。
 お互いの温もりを求め合っていた。