校内ビジネスカップルの破局

 部屋にアラーム音が響く。
 ああもう、朝なんだ。
 風宇(ふう)はまだ目を閉じながら、瞼の向こうに光を感じていた。

 アラームがうるさい。
 風宇は仕方なく目を開ける。一番最初に、文燈(あやと)の瞳が視界に飛び込んできた。

「おはよ、風宇」

 とても大切な、愛おしいものを見るような目で。
 文燈は風宇の髪を撫でている。

「おまっ、起きて……いつから!?」

 まさか寝顔をずっと観察されていたか。
 風宇は慌てて飛び起き、アラームを止めた。

「ああ、残念。時間切れだ」

 文燈は残念そうに笑って起き上がる。寝癖のついた前髪が、いつもと違う印象でドキッとした。

「お、起きたらさっさと支度してろよな! 寝癖ついてるぞ!」

「うん」

 文燈は風宇にそう言われて、素直に洗面所へと向かっていった。
 風宇のドキドキは収まらない。

 なんか。なんだろ。
 ちょっと。語尾が甘えてない!?

 文燈の雰囲気がまるで「何かした後」みたいで、風宇はますます焦る。
 何もしてない、何もなかった。一緒に寝ただけだ。

 それなのに、まるで「一線越えた」みたいになってない!?
 そこまで考えて風宇の思考は爆発しそうになった。

「落ち着けえ! そうじゃねえだろお!」

 風宇は自分に言いかせながら、制服に着替えて身支度を整える。
 文燈に聞こえる、とかは全く頭から無くなっていた。



 ◇ ◇ ◇



葉山(はやま)、なんだか疲れてないか?」

 東大寺の見学中、班長の畦地(あぜち)が声をかけてきた。
 風宇が心ここに在らず、のような感じでフラフラと歩いているからだ。

「だ、大丈夫だ!」

 風宇は思わずギクリと肩を震わせる。
 昨夜の事がばれないかとハラハラしてしまう。
 文燈に抱きしめられて、頭にたくさんキスされた事は絶対に言えない。

「調子が悪いなら、広瀬(ひろせ)に言って——」

「なっ、なんで、アイツに!?」

 風宇の反応に、畦地はキョトンと目を丸くしていた。

「え、だって付き合ってるだろ」

「あ、まあ、そう……だけど! だいじょぶ、大丈夫だから!」

 そうだ。自分たちは校内公認カップル。
 最近それが当たり前過ぎて忘れてしまう事がある。

 よく考えたら、オレはなんという事をしているんだ。
 アイツが彼氏だなんて……そんな、そんな。
 なんか今更すげえ恥ずかしいっ!

 学校から遠く離れた奈良の空の下。
 風宇は自分の置かれた境遇を、今日初めて思い知った。


 
「あれ、広瀬は?」

 畦地がふと周りを見ると、文燈の姿がなかった。
 一緒にいたはずの班員の男子が雑に報告する。

「あー、なんか、行きたいトコがあるから先に行くって。商店街に行っててくれってさ」

「ええ? あいつが班行動を乱すのかよ。どうする葉山?」

 話を振られた風宇は、微かに嫌な感じがした。
 けれどそれが何なのかよくわからない。
 しっかり者の文燈の事だから、いずれスマートに合流してくるだろうとも思った。

「ああ……まあ、アイツがそう言うならいいんじゃね」

「そうか。じゃあ、先生に聞かれたら口裏合わせてくれよな」

「お、おう」

 他の者ならいざ知らず、文燈がそう言い残したならそのうち帰ってくるだろう。
 班の全員がそう思って、参拝を済ませた後、文燈の指示通りに全員で商店街へ向かう。
 途中で若月が顔を出したけれど、文燈がいないとわかったら驚くほど静かにいなくなっていた。



 ◇ ◇ ◇

 

 商店街をみんなでうろついて、だいたい一時間が経った。
 文燈が戻ってくる気配はない。

「広瀬のやつ、ドコ行ったんだろう」

 畦地は高い背丈を活かして、終始周りをキョロキョロと見回している。
 風宇は時間が経つにつれて、どんどん不安になっていった。

 本当は楽しく土産を選ぶ時間だったのに。
 まんじゅうも、せんべいも、パッケージが頭に入らず右から左へ流れていく。

 隣に文燈がいないのがこんなにも不安だなんて。
 側にいるのが当たり前になっていた。
 まるで自分の半分を失ったように、落ち着きがない。

「なんかあったのかな」

 畦地の不穏な言葉に、風宇の胸が大きくざわついた。
 まさか文燈に限って、とは思う。だが、本人がいつまでも現れないから不安ばかり大きくなっていく。

「葉山、電話してみてくれ」

「あっ、そうか。そうだな、そう……」

 風宇は慌てて携帯電話を取り出した。手が震えている。
 画面をタップする指がおぼつかない。


 
 どうしよう。
 電話に出なかったらどうしよう。

 文燈の番号が探せない。
 画面を見ているのに、文字が頭に入ってこなかった。

 もしも、事故とかに遭ってたら——
 最悪の想像が頭をよぎる。


 
 早く。どこ。文燈、どこ?
 風宇が泣きそうになった時、息を切らせた聞き慣れた声が近づいてきた。

「ああ、やっと追いついた! ごめんごめん」

「広瀬! どこ行ってたんだよ」

 畦地の声は少し苛立っていた。
 でも、そんな事はどうでも良かった。

「あや……と」

「ごめんね、風宇。一人にさせて」

 一人じゃねえよ、みんないたよ。畦地のつっこみが風宇には遠く聞こえた。


 
「文燈ぉ……」

 やばい。泣きそうだ。泣いてたまるか。
 そんな葛藤の末、風宇の顔は不自然にひしゃげる。

 それを見て、文燈は苦笑していた。

「ごめん、そんな怒んないで」

「ああん!?」

 そうだ、怒って誤魔化してしまえ。
 風宇は即座に怒ってるアピールで、声を荒げる。

「あのさ、さっき東大寺の中の土産屋でさ、天武天皇とか天智天皇の和歌が入ったアクリルスタンド見つけて」

「ハアア!?」

「持統天皇ないですかって聞いたら、売り切れって言われてさ」

「ハ……ア?」

 文燈の説明は珍しくまわりくどかった。
 風宇は何に怒ったらいいのか、すでに見失ってしまっている。

「他の店舗ならあるかもって言われたから、いくつか探し回ってて」

「へえ……ええ?」

 だんだん力が抜けている風宇の目の前に、百人一首の札の絵が描かれたアクリルスタンドが出された。

「五件回ってやっとあった! 持統天皇のアクスタ! 風宇の推し活にいいと思って」

「えええー……」


 
 そんな事のために、団体行動を乱して、オレにこんなに心配させて。
 オレのあんなどうでもいい呟きを、ずっと覚えていたなんて。

「良かったな、風宇。持統天皇だぞ!」

 アホか、そんなに汗だくで嬉しそうに笑って。

「あ、ありがと……」

 文燈の「やりきった」笑顔に、風宇はすっかり怒りも不安も忘れてしまった。
 言葉が出ない。言いたかったのは、多分「ありがとう」ではない。
 だけど、それ以外の言葉が出なかった。

 だから。

「ありがとう、文燈」

 今出てくる、精一杯の言葉を言おう。



 ◇ ◇ ◇



 帰りの新幹線。
 珍しく文燈が隣で熟睡している。
 商店街を走り回ったからだろうと風宇は思った。
 でも、もしかしたら昨夜寝不足だったのかもしれない。

「ったく、しょうがないな……」

 眠る文燈の髪に触れる。
 少し硬い毛が、くすぐったかった。

「ううん……」

 風宇の肩にもたれかかるその顔が、無防備で可愛らしいと思った。
 肩ぐらい貸してやるか。風宇は座席に深く座る。


 
 文燈の左手。
 繋ぎたいな、と思った。思った時にはもう触れていた。


 
 指を絡ませる。もう離れるなよと、祈る。
 繋いだ手から、文燈の体温が巡る。


 
 また一つになれた感覚に、風宇も安心して眠りについた。