校内ビジネスカップルの破局

 いつもより二時間も前に起きた。さすがに眠い。
 それでも風宇(ふう)は二度寝の誘惑には勝った。
 いや、今日は負けたら絶対ダメだ。修学旅行なのだから。

「おはよ、風宇」

 マンションのエントランスを出ると、いつものように文燈(あやと)が待っていた。
 この光景がいつから「いつものよう」になったのか、もはや思い出せない。

「……おす」

 少し肌寒く、朝の空気は澄んでいる。眠気も薄れて、文燈の顔をくっきりと認識した。
 いつもとは違うカバンで佇む姿に、少し緊張する。

「行こう」

「うん」

 これから向かうのは、学校ではない。新幹線に乗る駅だ。
 いつもと違う登校ルート、いつもと違う景色に、風宇の胸は緊張とともに高鳴り始めていた。



 ◇ ◇ ◇



 二泊三日の修学旅行は、京都に着いた日は講演会だった。著名人の大学教授が、京都の歴史を講義する。
 新幹線の中で騒いでいたため、居眠りする生徒も多かった。風宇も少し眠くなり、隣の文燈の肩に何度かもたれかかってしまう。
 その度に文燈が優しく頭を撫でるので、ドキドキが勝って飛び起きた。

 京都の旅館では班ごとの部屋割り。
 男子だけの雑魚寝は楽しい。何故か隣のクラスの若月(わかつき)が遊びに来て、「浴衣のアヤフウ」を写真に収めて満足そうにしていた。

 次の日は大型バスで京都観光。風宇と文燈は隣の席で、バスを降りても一緒に見学をした。
 通り一遍の観光コースだが、けっこう楽しい。それは、隣に文燈がいたからかもしれない。
 非日常なのに、文燈が隣にいる日常がある。その不思議な感覚が、風宇には楽しかった。

 バスは京都を離れて、奈良へと向かう。
 着いたのは二日目の宿。小綺麗なビジネスホテルだった。

「つ、ツインルーム!?」

 風宇は気づいていなかった事実に狼狽える。
 それを見て、文燈は少し呆れたように溜息を吐いた。

「ビジネスホテルなんだ、当たり前だろ。しおりをちゃんと読め」

「……今日も旅館だと思ってた」

 班の中では風宇だけが素っ頓狂に驚いている。班長の畦地(あぜち)は淡々と部屋割りを発表した。

「俺達の班は、201、202、203だ。201が広瀬(ひろせ)葉山(はやま)——」

「おおい! なに勝手に決めてんだよお!」

 文燈と二人で同じ部屋。風宇は思いっきり焦った。
 確かに同じ部屋で過ごすなら文燈が一番良いが、風宇にとっては突然すぎる。

「? だって事前にそう決めておいたろ」

 畦地は風宇の狼狽に、不思議そうに首を傾げている。
 前から決まってた? 風宇にはそんな記憶はなかった。

「あ、そうか」

 文燈が突然閃いたような顔で手を打つ。

「風宇、お前、いつだったか腹の調子が悪かったろ」

「え、そうだったっけ?」

 風宇は数日前の記憶を辿る。だが、はっきりとは思い浮かばなかった。

「ほら、話し合いの途中でトイレに行って、三十分くらいウ……」

「ワー! ワー! いいっ、思い出した!!」

 唐突に恥ずかしい過去を思い出す。
 風宇が真っ赤になっていると、淡々とした畦地が改めて説明した。

「そうか、その時だったな。ホテルの部屋割りを決めたんだ。広瀬がそれでいいって言ったから……」

「それならそうと、教えてくれよお!」

 風宇は地団駄踏んで抗議するが、当の文燈は少し悪戯っぽく片目を瞑って言う。

「ごめん、忘れてた」

 テヘペロ、じゃねえ! 風宇はそう突っ込みたかったが、騒ぐと怒られるので我慢した。

「まあ、とりあえず各自部屋で夕食まで待機してくれ」

 畦地の号令で、風宇と文燈は割り当てられたツインルームへと入る。
 文燈が鍵を受け取って部屋のドアを開ける時、風宇はこの修学旅行で一番緊張した。
 ドキドキという心臓の音が、文燈にも聞こえやしないかと気が気ではなかった。



「風宇、ベッドはどっちがいい?」

「ぴえっ」

 ど緊張のまま部屋に入り、二人っきりになってピークに達した心臓の音が、口から出たような声を出してしまった。
 風宇はなんだかよくわからないまま、右側のベッドにドスンと腰掛ける。

「お、オレ、こっちぃ……!」

「うん。わかった」

 文燈はいつも通りのスマートな仕草で左側のベッドへ行く。風宇のような緊張感は感じられなかった。
 意識しているのは自分だけかも、と風宇はますます焦る。

 不意に、ピンポンとドアのチャイムが鳴った。

「うひい!」

 風宇が驚きすぎて前後不覚になっているので、文燈がドアに向かう。

「……はい。ああ、なんだ、畦地か」

「班長として、見回りに来た」

「ああ、ごくろうさん」

 そんな会話とともに、畦地が部屋に入ってくる。その後ろには小柄な人影が。

「僕もいるよー!」

「ワカツキぃい!」

 天真爛漫に飛び跳ねる。その様子は能天気で、風宇は急にイライラを募らせた。
 昨日も旅館で好き勝手に振る舞い、風宇と文燈の写真を撮りまくっていた。今日も懲りずにやって来た若月に、風宇は辟易していた。

「……畦地、職権濫用が過ぎるぞ」

 さすがの文燈も畦地を嗜める。
 しかし、畦地はケロッとしていた。

(ひかる)が来たいと言ったから。班長の俺と入れば問題ないだろ」

「……答えになってないぞ」

 珍しく文燈は目を丸くしていた。
 畦地は若月の言いなりで、ほぼ家来なんだと風宇は思い知る。

「ヤバーイ! ここが二人の愛の巣なんだねえ」

 若月は興味津々で部屋中をキョロキョロしている。それから、風宇と文燈のカバンが置かれたベッド付近を撮影した。

「おおい、勝手に撮るなぁ!」

 私物品が散乱している様子をSNSに投稿されてはたまらない。風宇は慌てて若月を止める。
 しかし、興奮気味の若月には通じなかった。

「ねねね、あのベッドで二人のツーショット撮らせてよお!」

「アホぬかせ!」

 誰がそんないかにもな写真を撮らせるか。風宇が真っ赤になって断ると、若月は残念そうにしていた。

「ちぇー。あっ、そうだ。二人はホテルの噂知ってる?」

「え?」

 希望通りの写真が撮れなかった腹いせなのか、若月はニヤリと悪く笑っていた。

「ここねえ、有名な心霊ホテルなんだよお」

「えええ……?」



 お化け、怖い。
 人よりも格段に怖がりの風宇は、今度は心臓が冷たくなるのを感じていた。