「葵〜聞いてよ〜!」
女学校にて、友達の絢音にそう言われた。私は笑顔で「何?」と聞く。すると、絢音は、
「妖狐の妖が結婚のお誘いをしてきたの〜!だから、このまま結婚するかも?!」
私たちは18歳。そろそろ結婚を考えてもいいのかもしれない。しかし、
「妖と結婚だなんて絶対嫌よ」
私はキッパリとそう言った。現在日本には人間と共に暮らして、さまざまな影響を与えている妖がたくさんいる。妖狐の妖といえば、ビジネス業界では結構有名だ。
「葵はどうしてそんな妖に嫌悪感を持ってるの…?妖に救って貰えば、あんなクソみたいな家からも出られるかもしれないのに…」
絢音はそう言った。確かにそうかもしれない。だけど、妖に助けられたとて、嬉しさは全くないだろう。
「絢音…でも妖に救ってもらうのは全然嬉しくなくてよ」
と言う。絢音はどこか不満そうな顔をしていた。
(ごめん…私は無理なの……)
小さな頃、父が再婚する前のことだった。
家族は私と母と父の3人だった。愛に溢れていた幸せな家庭だったと思う。
そんなある日、十五夜で月見をしていたとき、蜘蛛の妖に襲われた。母は私を庇って亡くなった。父は傍観していただけだった。
そのとき気づいたのだ。
(あぁ……父の愛は偽物だったのね……)
私は瞬時にそう思った。父は母の遺体を見ても、表情ひとつも崩さない。すると、蜘蛛の妖がこちらを狙ってきた。その瞬間、
「大丈夫ですかっ…?」
妖の人が討伐してくれた。
妖に襲われ、妖に助けられる。
そのときから、私は妖が嫌いだ………。
私は過去を思い出す。すると、猛烈な吐き気に襲われた。避けようがない気持ち悪さにどんどん体調が悪くなっていく。私は医務室に行くために、廊下を歩いた。
私がフラフラしていると、目の前に妹が現れた。妹の笹木茉莉だ。いや、私が茉莉の方に来ていたのか。
「お姉様、婚約に関して、お父様から話があるそうよ。学校を今すぐに来るようにですって。私も友達と話したいことがあるのに帰らなきゃいけないなんて…」
茉莉が面倒くさいという表情を浮かべてそう言っている。しかし、それは上部だけの嘘だろう。
(婚約の話かぁ……)
私は思い当たることがある。婚約といえば、幼馴染の神崎藍だろう。藍くんと私か茉莉どちらかが婚約できる。正直に言うと、私は自信たっぷりだ。仮に父が認めなかったとしても、藍くんから来てくれる自信はある。
(早く帰ろ〜!)
私は久しぶりに気分が高揚する。
「葵!どこ行ってたの〜?」
絢音がそう話しかけてきた。私は婚約の話があり、家に帰らなければならないことを説明する。すると、茉莉はうっとりした表情を浮かべて、
「じゃあ、またね〜!」
と言って私を送り出してくれた。教室の外では茉莉が待っている。私は出来るだけ早く家に帰った。
家に帰ると、父に応接間に来るよう言われた。茉莉は私と一緒に自分の部屋に戻り、着替えをするつもりだ。もちろん私もだけど。
「お姉様、その場に合わないようなお洋服を着るおつもりなの?」
茉莉に馬鹿にされる。しかし、そう言われたって私の着れる服は今これぐらいしかない。他は全部新しく来た母親によって奪い取られ、茉莉の手に渡ってしまった。
(はぁ……)
私は今日も一日中茉莉の悪口に耐えていた。私が無視を続けると、茉莉が手をあげてくることも少なくない。
私はため息をひとつついて、着替えを済ませて、応接間に向かった。
部屋の前に立ち、ノックする。横にはくすくすと笑っている茉莉がいる。
「お父様、葵、入ります」
私がそう言うと、茉莉は私の後を静かについてきた。茉莉は部屋に入る際の挨拶はないらしい。姉である私と妹である茉莉の扱いの差が激しい。茉莉は義妹だが。
(面倒くさいなぁ……)
私は茉莉の動きがとにかく面倒臭かった。茉莉だけ特別扱いされている感じがするからだ。私は心を入れ替える。応接間をぐるりと見渡すと、神崎藍がいた。
「座れ」
新しく来た母、父、神崎藍の正面に私と茉莉が座る。すると、父はおもむろに話し始めた。
「今回は婚約について話す。葵も茉莉も18歳になったからだ」
そう言われて、新しく来た母(茉莉の母であるが、私の母ではない)が「喜ばしいことですわ」と口にした。しかし、喜ばしいと思っているのは茉莉の方で、私はどうでもいいだろう。
「神崎さんには婚約していただきたくてきてもらった。2人にとっては幼馴染だからな」
父がそう言うと、藍くんは私をチラリと見た。私は藍くんに笑顔を送る。すると、父がこちらに視線を向けてきた。父の冷たい視線に私は背筋が凍った。すると、茉莉が、
「お姉様、何を笑ってるの?」
とくすくす笑いながら言ってきた。父の言いたかったことを口にしたように。
「え…」
私が絶句していると、母が私をぶってきた。信じられない痛みが頬に走る。
「はしたないですわよ!!」
母は私を睨みつけてそう言った。父は我関せずという表情で、藍くんは何かを迷っているような表情で。
(どうして…誰も助けてくれないの……?)
私は前々から思っていた。すると、父が
「神崎さんと婚約する人を発表する」
と言った。私は心の中で期待した。婚約さえできれば、幸せは保証されたようなものだからだ。
「神崎さんと婚約するのは、茉莉だ」
そう言われて私はまた絶句する。涙が溢れそうだった。藍くんは心配そうに私を見ている。
「で…では、私は……?」
私はそう言う。すると、父はゴミを見るような目でこう言った。
「お前には鬼の妖である神楽幽鬼殿のところに嫁いでもらう」
そう言われて私はこの場を逃げ出したくなった。妖と結婚なんて絶対にしたくなかった。母の命を奪ったのもまた、妖だったからだ。
「な…なぜっ……!私が妖を嫌っているのは…知っているはずでしょう…!」
私が声を絞り出しながらそう言うと、母が私の髪の毛を掴んできた。
「お前はいつも愚図なんだよ!何もできないし…茉莉の邪魔をするし…!神崎さんと結婚するのは茉莉なんだからさっさと消えて!」
母がそう叫んだ。すると、茉莉は私の脇腹を蹴り飛ばす。
「げぅ…っ…」
私は一瞬呼吸ができなくなる。激痛が走り、涙が滲む。それからもずっと蹴られ続けた。
「忌々しい…!神楽幽鬼という鬼の軍人のところに嫁げば、殺されるかもしれないのよ…!別にいいでしょう?あなた、存在している意味ないしねっ…!」
母が蹴りながらそう言った茉莉はくすくすと笑っている。茉莉も一緒に蹴っている。
一瞬、視界の端で藍くんが近づいてきている気がした。しかし、それは私の幻覚だった。藍くんは口をきつく閉じて黙っている。
おおかた、父に手を出したら殺すとでも脅されているのだろう。
(藍…くん…)
私は身体中に走る激痛の中、藍くんに手を伸ばそうとした。すると、父が
「お前は明日、出ていってもらう」
と言った。
目が覚めると、私は自分の部屋にいた。部屋といっても物置のような場所だが。そして、外では鳥が鳴いている。
「え…?」
朝だった。もう、嫁ぐ日が来たのだ。起きた時間が遅すぎた。まぁ、妖のところなんていきたくないので、私には関係ないのだが。
上半身を起こすと、体中に激痛が走った。昨日さんざん殴られたからだ。
「ちょっと愚図!!早く支度して!もうすぐ迎えが来るじゃないの!」
その言葉を聞いて私は跳ね起きた。急がないと、また殴られてしまうではないか。
(はぁ…)
本当に妖のところに嫁ぎたくない。本当に本当に。すると、突然扉が開く。そこには茉莉がいた。
「ま、茉莉…」
私が慌てていると、茉莉は嫌味ったらしい笑みを浮かべた。
「妖のところでせいぜい頑張ってきなさいな」
そう言われて私は心臓が大きく脈打つのがわかる。
「神崎藍様は私のものよ」
茉莉が去り際にそう言った。目は酷く冷たく、心臓が凍りそうだった。
私は急いで支度する。
物置から屋敷に行くと、綺麗な着物が飾られていた。どうやら私が着ていくものらしい。すると、茉莉と藍くんが現れた。茉莉は嫌な笑みを浮かべて、藍くんはなんとも言えないような表情で。
「お母様、藍さんと結婚するときはこれより上等なものをお願いしますよ?」
茉莉が私がいる真横でそう言った。その言葉は私に深く突き刺さった。
「さ…さっさと支度しちゃいましょう」
女中が張り切っていた。私はどんどん支度させられていく。姿見に映る自分を見ると、まるで自分ではないような気がしてきた。
(これが…私……)
自分の姿にうっとりする。しかし、これを見せるのは藍くんではなく、神楽幽鬼という鬼で軍人である妖だ。
(最悪…)
私は心が痛んだ。藍くんに見せて、藍くんの笑顔を見たかった。でも、そんな藍くんも今は茉莉のもの。私の幸せはいつまで経ってもやってこない。
「迎えが来ました」
そう言われて私は外に出る。家の門の前に車が一台停められていた。
「こんにちは。神楽幽鬼の使者である冬鬼玲央でございます。神楽幽鬼の秘書兼護衛を務めております。これからは笹木葵様の護衛も務めさせていただきます」
そう言われたが、私は目も合わせずに、「はい…」と言う。目の前にいる人もまた妖だと思うと憎悪の念が湧いてくるからだ。
「では…こちらに…」
冬鬼玲央さんは私に助手席に座るよう促してきたが、私は断り、後ろの席に座らせてもらう。
「今までありがとうございました」
私がそう言うが、家の人は誰も私と目を合わせようとしない。唯一、藍くんがこちらをずっと見つめていた。悲しそうな、寂しそうな、そんな目だった。
「藍…くん……」
私がそう呟いたとき、車は発進した。藍くんの姿を見ると、涙が溢れてくる。
「うぅっ……」
私が涙を拭きながらそんな声を漏らしていると、冬鬼玲央さんがハンカチを差し伸べてきた。
「これ使ってください」
ハンカチを見る。ハンカチに罪はないはずなのに、憎悪の念が出てくる。
「いらないわ…妖のハンカチなんて」
私がそう言うと、冬鬼玲央は無表情になった。私もまた無表情だ。こんなふうに妖の家に嫁ぐことになるなんて思っていなかったのだから。
「着きましたよ」
そう言われて外を見ると、大きなお屋敷があった。私の家の2倍くらいあるかもしれない。
(どんな妖なのよ…こんな家に住んでいるなんて……)
私がそう思いつつ車から降りると、そこには人が立っていた。いや、正確には妖だ。
「こんにちは。俺は神楽幽鬼。一応帝国の軍人だ。何かあればなんでも言ってほしい」
そう言われて私は神楽幽鬼を見る。優しそうな瞳をしているが、根底は一緒だ。
「ふん…じゃあ、最初のお願い。私を学校から辞めさせてちょうだい。あの女学校にはもう行かない」
私がそう言うと、神楽幽鬼はポカンとしていた。
「なんでだ…?」
そう聞かれて、私は、
「妖と結婚しただなんて知られたくないし…それに、私、妖のこと大嫌いなの」
そう言うと、神楽幽鬼は呆然としているようだった。しかし、傷ついているようではなかった。すると、
「素晴らしい!素晴らしい!」
神楽幽鬼が拍手をしながらそう言った。私的には意味がわからない人だなと思った。だって、ほぼほぼ「あなたが嫌いです」と言っているようなもんなのに拍手して笑っているのだもの。
「あなたはなんなんですか…?」
私がそう聞くと、神楽幽鬼はくすくすと笑って、
「俺は鬼だよ」
と言った。私はその発言に顔をしかめる。
(あなたが鬼であることなんてもう知ってるわよ……)
私が心の中で呟くと、神楽幽鬼さんはまた笑った。心を読まれたようだ。私は気分が悪くなり、
「もう…帰らせてください」
と言った。すると、神楽幽鬼は私の顎をクイッと上げて、
「もう家には帰れないんじゃないの?さぁ…俺の部屋においでよ」
私はそう言われた瞬間、一切の間を開けずに彼の頬を叩いた。バチンッという甲高い音がした。その瞬間、神楽幽鬼はバランスを崩して地面に倒れた。そんな彼を私は上から睨みつける。
「…まぁ、そりゃそうか……」
彼は叩かれたほおを撫でながらそう言った。すると、冬鬼玲央さんが横から
「私が部屋に案内しましょう。もちろん、この人とは別の部屋ですから」
そう言われて私はほっとする。でも妖が嫌いなことに変わりはない。いくら優しくされたって、私の心の中に渦巻いている闇は簡単には晴れない。
「待ってくれ…ちょっと話がっ……」
最後の最後に焦ってきたのか神楽幽鬼が手を伸ばしてきた。
「あなたと話すことはありません」
私がそう言うと、冬鬼玲央さんは呆れ顔で私を案内し始めた。私はダメもとで冬鬼玲央さんに、
「あの…私、女学校を退学したいんです」
と言った。すると、冬鬼玲央さんは笑顔で「神楽様に相談してからにしますね」と言われてしまった。
(妖は上下関係がはっきりしている…そんなところも好きじゃないのよね……)
私はそう思った。先ほど神楽幽鬼に心を読まれたのもまた、私の気分を害するものだった。
「お部屋はこちらです。夕食の時間になったらお呼びしますね」
私はそう言われて冬鬼玲央さんにお辞儀をする。すると、冬鬼玲央さんは笑顔で去っていった。部屋に1人取り残された私は用意された部屋を見渡す。
「はぁ…」
無駄に綺麗にされた部屋。ここにいると、居心地が悪くなる。何もしていない私にこんな綺麗な部屋を用意するなんて。
ベッドの上に倒れ込み、私は思考を巡らせる。
(私の結婚相手は神楽幽鬼。あの人は帝国でも屈指の強者。帝国の妖魔討伐部隊の連隊長で最強の軍人と呼ばれている。そして、鬼という人生勝ち組にいる)
私はそう考え、吐き気を感じる。
(他の人から見たら何が不満なのかって感じよね……)
まぁ、私には妖に嫁ぐことが不満だけど、と私は思う。絢音はもうすぐ妖の家に嫁げると喜んでいた。だけど、私は素直に喜べない。それは人間が妖の本性を知らないからだ。
(もう、出て行こう……)
私はそう心に誓った。
「葵様、夕食の時間です」
そう言われて私は部屋を出る。廊下は長い。
「葵!待っていたぞ」
食事を摂る部屋に着くと、神楽幽鬼がいた。ニコニコの笑顔で私に手を振っているが、私は無視して席につく。席にはフルコースの料理が並べられていた。
(これは…誰が作ったものかしら…)
私の家では女中頭が毎日おにぎりを作ってくれていた。ふっくらしたご飯に梅干しや昆布を詰めてくれていた。
「これは…誰が作ったものでしょうか……?」
私がそう聞くと、神楽幽鬼は笑顔で
「私の専属料理人だ!」
と言った。冬鬼玲央さんは神楽幽鬼の発言に少し汗を流している。
「それは誰なのですか?」
私が聞くと、神楽幽鬼は、
「妖に決まっているだろう?妖の作った飯じゃないと力が回復しない」
そう言われた瞬間、私は席を立っていた。
「私、ご飯はいらないので」
私はそう言って部屋を出ようとした。すると、神楽幽鬼は「ご飯がもったいないだろう?」と言ってきた。私は席に戻る。流石に作っていただいたものを残すわけには行かないという精神が働いたのだ。
「いただきます」
私は手を合わせてスープを一口啜る。その瞬間、猛烈な痛みが体中を襲った。
「っくっ?!けほっけほっ…」
私は息ができなくなってしまった。息をしようと必死にもがいていると、神楽幽鬼が近づいてきた。そして、私の額に手を当てた瞬間、苦しさが治った。
「やっぱり人間にはきついのか…?」
神楽幽鬼は私の額を触りながらそう言った。神楽幽鬼のその言葉を聞いた瞬間、私はカッとなる。
「どういうことですか?!知ってて食べさせたんですか?!」
私がそう言うと、神楽幽鬼はたじろぐ。
「最低!手を退けてください!」
私が手を払うと、彼は「いや…そう言うことじゃ…」と言ったが、私は無視する。勢いよく部屋の扉を開け、強く閉めたのだった。
ご飯を食べなかったことでお腹がぐうぐうなる。時刻は夜10時。
(計画実行の時ね…)
現在は大正。帝都などの栄えたところなら街灯があるだろうが、神楽家の屋敷があるところは山里なので街灯はいないだろう。そして、それは私にとって絶好のチャンス。
「…お世話になりました」
私は自分の部屋の窓から外に出る。着物だと少し動きづらいが、与えられた着物ではなく、ここに来たときの着物を選んだ。理由は特にないが、なんとなくそっちの方がいい気がした。
「はぁっ…」
季節は春で日中はポカポカと暖かい。しかし、夜は結構冷える。私は着物一枚で出てきたことを後悔する。もう少し厚着してくれば良かった。
「あーあ…」
私は森の中を歩きながらため息をひとつつく。すると、あたりがざわめき出した。
「何っ?!」
私は立ち止まり、周囲を見回す。木々が怪しく揺れ動いていて、怖くなる。すると、何かが木の間から姿を見せた。
「ヒヒッヒハハハッ…可愛い女じゃ…」
そこにいたのは蜘蛛の妖だった。私は体中が凍りつく。なぜならその蜘蛛の妖は、私の母を昔殺した妖にそっくりだったからだ。すると、その妖は私を見て、
「お前…もしかして…昔、俺の兄に母を食われたか…?」
と言った。君の悪い笑みを浮かべながらそう言った。その瞬間、私の心の中に恐ろしい憎悪の塊が溢れ出す。
「貴様…なんと言った…?」
私が低く唸るようにそう聞くと、蜘蛛の妖はケラケラと気色悪い笑い方をし始める。その瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。すると、遠くから、「葵ー!」と言う声がした気がした。きっとそれは神楽幽鬼のもの。
(妖は気持ち悪いもの…許せない…許せない…許せない!)
私はカッと目を見開く。
(許さない!妖は絶対に許さない!よくも殺したな…私の母を!!)
私がそう思った瞬間、落雷が私に落ちる。体中に雷のエネルギーを感じる。
「なんだお前…そのエネルギーはっ…?!」
蜘蛛の妖は驚いてそう言っていた。その瞬間、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り返ると、神楽幽鬼だった。
「葵…その黄色の瞳は…その雷の力は…?」
そう聞いてきたが、私は彼の手を振り払って神楽幽鬼を吹き飛ばす。
「あぐっ……」
彼は苦しそうにもがいていた。私はトンッと押しただけだったはずなのに彼は5メートルほど飛んでいった。
(何この力…でも、今はどうでもいい…)
私は目の前にいる蜘蛛の妖に目を向ける。私は蜘蛛の妖に向かって、手をかざす。すると、雷が蜘蛛の妖にあたり、蜘蛛は動けなくなった。すると、神楽幽鬼が近づいてきた。
「葵…?!葵…?!しっかりしろ…?!」
彼が私の両肩に手を置いて、必死に揺さぶった。しかし、私はそれに応えることはできない。
「触らないで!」
私がそう言った瞬間、彼は私に向けて手を翳した。そして、私の意識は闇に飲まれていった。
「起きたか?」
目を覚ますと、そこには神楽幽鬼がいた。私の顔を至近距離で見つめている。
「っ…」
私は目を逸らす。しかし、彼は私の顔を掴んで目を合わせようとする。私は周囲を見る。そこは私の部屋だった。
「なんなの…っ…」
私がビンタしてやろうと手を伸ばすが、彼はそれをはたき落としてしまう。
(は…?)
苛立ちが高まってきたその瞬間、
「お前、昨日の夜のこと、覚えてないのか?」
と聞かれた。私はもちろん覚えていた。蜘蛛の妖に襲われて…
「あ…れ…?」
私は頭の中の違和感に吐き気がしてくる。昨日会ったことを思い出すことができない。
「どうした…おいっ…?!」
神楽幽鬼が私の両肩を掴んで揺さぶる。
「あ…」
私はハッとする。そして、神楽幽鬼の手を叩く。
「離して。もう思い出せないの。昨日の記憶に関しては諦めてちょうだい」
私がそう言うと、彼は「心配だ」と一言言った。しかし、私は妖を信じることはできない。
「…妖は嫌い」
これは今の私の精一杯の反抗だった。
女学校にて、友達の絢音にそう言われた。私は笑顔で「何?」と聞く。すると、絢音は、
「妖狐の妖が結婚のお誘いをしてきたの〜!だから、このまま結婚するかも?!」
私たちは18歳。そろそろ結婚を考えてもいいのかもしれない。しかし、
「妖と結婚だなんて絶対嫌よ」
私はキッパリとそう言った。現在日本には人間と共に暮らして、さまざまな影響を与えている妖がたくさんいる。妖狐の妖といえば、ビジネス業界では結構有名だ。
「葵はどうしてそんな妖に嫌悪感を持ってるの…?妖に救って貰えば、あんなクソみたいな家からも出られるかもしれないのに…」
絢音はそう言った。確かにそうかもしれない。だけど、妖に助けられたとて、嬉しさは全くないだろう。
「絢音…でも妖に救ってもらうのは全然嬉しくなくてよ」
と言う。絢音はどこか不満そうな顔をしていた。
(ごめん…私は無理なの……)
小さな頃、父が再婚する前のことだった。
家族は私と母と父の3人だった。愛に溢れていた幸せな家庭だったと思う。
そんなある日、十五夜で月見をしていたとき、蜘蛛の妖に襲われた。母は私を庇って亡くなった。父は傍観していただけだった。
そのとき気づいたのだ。
(あぁ……父の愛は偽物だったのね……)
私は瞬時にそう思った。父は母の遺体を見ても、表情ひとつも崩さない。すると、蜘蛛の妖がこちらを狙ってきた。その瞬間、
「大丈夫ですかっ…?」
妖の人が討伐してくれた。
妖に襲われ、妖に助けられる。
そのときから、私は妖が嫌いだ………。
私は過去を思い出す。すると、猛烈な吐き気に襲われた。避けようがない気持ち悪さにどんどん体調が悪くなっていく。私は医務室に行くために、廊下を歩いた。
私がフラフラしていると、目の前に妹が現れた。妹の笹木茉莉だ。いや、私が茉莉の方に来ていたのか。
「お姉様、婚約に関して、お父様から話があるそうよ。学校を今すぐに来るようにですって。私も友達と話したいことがあるのに帰らなきゃいけないなんて…」
茉莉が面倒くさいという表情を浮かべてそう言っている。しかし、それは上部だけの嘘だろう。
(婚約の話かぁ……)
私は思い当たることがある。婚約といえば、幼馴染の神崎藍だろう。藍くんと私か茉莉どちらかが婚約できる。正直に言うと、私は自信たっぷりだ。仮に父が認めなかったとしても、藍くんから来てくれる自信はある。
(早く帰ろ〜!)
私は久しぶりに気分が高揚する。
「葵!どこ行ってたの〜?」
絢音がそう話しかけてきた。私は婚約の話があり、家に帰らなければならないことを説明する。すると、茉莉はうっとりした表情を浮かべて、
「じゃあ、またね〜!」
と言って私を送り出してくれた。教室の外では茉莉が待っている。私は出来るだけ早く家に帰った。
家に帰ると、父に応接間に来るよう言われた。茉莉は私と一緒に自分の部屋に戻り、着替えをするつもりだ。もちろん私もだけど。
「お姉様、その場に合わないようなお洋服を着るおつもりなの?」
茉莉に馬鹿にされる。しかし、そう言われたって私の着れる服は今これぐらいしかない。他は全部新しく来た母親によって奪い取られ、茉莉の手に渡ってしまった。
(はぁ……)
私は今日も一日中茉莉の悪口に耐えていた。私が無視を続けると、茉莉が手をあげてくることも少なくない。
私はため息をひとつついて、着替えを済ませて、応接間に向かった。
部屋の前に立ち、ノックする。横にはくすくすと笑っている茉莉がいる。
「お父様、葵、入ります」
私がそう言うと、茉莉は私の後を静かについてきた。茉莉は部屋に入る際の挨拶はないらしい。姉である私と妹である茉莉の扱いの差が激しい。茉莉は義妹だが。
(面倒くさいなぁ……)
私は茉莉の動きがとにかく面倒臭かった。茉莉だけ特別扱いされている感じがするからだ。私は心を入れ替える。応接間をぐるりと見渡すと、神崎藍がいた。
「座れ」
新しく来た母、父、神崎藍の正面に私と茉莉が座る。すると、父はおもむろに話し始めた。
「今回は婚約について話す。葵も茉莉も18歳になったからだ」
そう言われて、新しく来た母(茉莉の母であるが、私の母ではない)が「喜ばしいことですわ」と口にした。しかし、喜ばしいと思っているのは茉莉の方で、私はどうでもいいだろう。
「神崎さんには婚約していただきたくてきてもらった。2人にとっては幼馴染だからな」
父がそう言うと、藍くんは私をチラリと見た。私は藍くんに笑顔を送る。すると、父がこちらに視線を向けてきた。父の冷たい視線に私は背筋が凍った。すると、茉莉が、
「お姉様、何を笑ってるの?」
とくすくす笑いながら言ってきた。父の言いたかったことを口にしたように。
「え…」
私が絶句していると、母が私をぶってきた。信じられない痛みが頬に走る。
「はしたないですわよ!!」
母は私を睨みつけてそう言った。父は我関せずという表情で、藍くんは何かを迷っているような表情で。
(どうして…誰も助けてくれないの……?)
私は前々から思っていた。すると、父が
「神崎さんと婚約する人を発表する」
と言った。私は心の中で期待した。婚約さえできれば、幸せは保証されたようなものだからだ。
「神崎さんと婚約するのは、茉莉だ」
そう言われて私はまた絶句する。涙が溢れそうだった。藍くんは心配そうに私を見ている。
「で…では、私は……?」
私はそう言う。すると、父はゴミを見るような目でこう言った。
「お前には鬼の妖である神楽幽鬼殿のところに嫁いでもらう」
そう言われて私はこの場を逃げ出したくなった。妖と結婚なんて絶対にしたくなかった。母の命を奪ったのもまた、妖だったからだ。
「な…なぜっ……!私が妖を嫌っているのは…知っているはずでしょう…!」
私が声を絞り出しながらそう言うと、母が私の髪の毛を掴んできた。
「お前はいつも愚図なんだよ!何もできないし…茉莉の邪魔をするし…!神崎さんと結婚するのは茉莉なんだからさっさと消えて!」
母がそう叫んだ。すると、茉莉は私の脇腹を蹴り飛ばす。
「げぅ…っ…」
私は一瞬呼吸ができなくなる。激痛が走り、涙が滲む。それからもずっと蹴られ続けた。
「忌々しい…!神楽幽鬼という鬼の軍人のところに嫁げば、殺されるかもしれないのよ…!別にいいでしょう?あなた、存在している意味ないしねっ…!」
母が蹴りながらそう言った茉莉はくすくすと笑っている。茉莉も一緒に蹴っている。
一瞬、視界の端で藍くんが近づいてきている気がした。しかし、それは私の幻覚だった。藍くんは口をきつく閉じて黙っている。
おおかた、父に手を出したら殺すとでも脅されているのだろう。
(藍…くん…)
私は身体中に走る激痛の中、藍くんに手を伸ばそうとした。すると、父が
「お前は明日、出ていってもらう」
と言った。
目が覚めると、私は自分の部屋にいた。部屋といっても物置のような場所だが。そして、外では鳥が鳴いている。
「え…?」
朝だった。もう、嫁ぐ日が来たのだ。起きた時間が遅すぎた。まぁ、妖のところなんていきたくないので、私には関係ないのだが。
上半身を起こすと、体中に激痛が走った。昨日さんざん殴られたからだ。
「ちょっと愚図!!早く支度して!もうすぐ迎えが来るじゃないの!」
その言葉を聞いて私は跳ね起きた。急がないと、また殴られてしまうではないか。
(はぁ…)
本当に妖のところに嫁ぎたくない。本当に本当に。すると、突然扉が開く。そこには茉莉がいた。
「ま、茉莉…」
私が慌てていると、茉莉は嫌味ったらしい笑みを浮かべた。
「妖のところでせいぜい頑張ってきなさいな」
そう言われて私は心臓が大きく脈打つのがわかる。
「神崎藍様は私のものよ」
茉莉が去り際にそう言った。目は酷く冷たく、心臓が凍りそうだった。
私は急いで支度する。
物置から屋敷に行くと、綺麗な着物が飾られていた。どうやら私が着ていくものらしい。すると、茉莉と藍くんが現れた。茉莉は嫌な笑みを浮かべて、藍くんはなんとも言えないような表情で。
「お母様、藍さんと結婚するときはこれより上等なものをお願いしますよ?」
茉莉が私がいる真横でそう言った。その言葉は私に深く突き刺さった。
「さ…さっさと支度しちゃいましょう」
女中が張り切っていた。私はどんどん支度させられていく。姿見に映る自分を見ると、まるで自分ではないような気がしてきた。
(これが…私……)
自分の姿にうっとりする。しかし、これを見せるのは藍くんではなく、神楽幽鬼という鬼で軍人である妖だ。
(最悪…)
私は心が痛んだ。藍くんに見せて、藍くんの笑顔を見たかった。でも、そんな藍くんも今は茉莉のもの。私の幸せはいつまで経ってもやってこない。
「迎えが来ました」
そう言われて私は外に出る。家の門の前に車が一台停められていた。
「こんにちは。神楽幽鬼の使者である冬鬼玲央でございます。神楽幽鬼の秘書兼護衛を務めております。これからは笹木葵様の護衛も務めさせていただきます」
そう言われたが、私は目も合わせずに、「はい…」と言う。目の前にいる人もまた妖だと思うと憎悪の念が湧いてくるからだ。
「では…こちらに…」
冬鬼玲央さんは私に助手席に座るよう促してきたが、私は断り、後ろの席に座らせてもらう。
「今までありがとうございました」
私がそう言うが、家の人は誰も私と目を合わせようとしない。唯一、藍くんがこちらをずっと見つめていた。悲しそうな、寂しそうな、そんな目だった。
「藍…くん……」
私がそう呟いたとき、車は発進した。藍くんの姿を見ると、涙が溢れてくる。
「うぅっ……」
私が涙を拭きながらそんな声を漏らしていると、冬鬼玲央さんがハンカチを差し伸べてきた。
「これ使ってください」
ハンカチを見る。ハンカチに罪はないはずなのに、憎悪の念が出てくる。
「いらないわ…妖のハンカチなんて」
私がそう言うと、冬鬼玲央は無表情になった。私もまた無表情だ。こんなふうに妖の家に嫁ぐことになるなんて思っていなかったのだから。
「着きましたよ」
そう言われて外を見ると、大きなお屋敷があった。私の家の2倍くらいあるかもしれない。
(どんな妖なのよ…こんな家に住んでいるなんて……)
私がそう思いつつ車から降りると、そこには人が立っていた。いや、正確には妖だ。
「こんにちは。俺は神楽幽鬼。一応帝国の軍人だ。何かあればなんでも言ってほしい」
そう言われて私は神楽幽鬼を見る。優しそうな瞳をしているが、根底は一緒だ。
「ふん…じゃあ、最初のお願い。私を学校から辞めさせてちょうだい。あの女学校にはもう行かない」
私がそう言うと、神楽幽鬼はポカンとしていた。
「なんでだ…?」
そう聞かれて、私は、
「妖と結婚しただなんて知られたくないし…それに、私、妖のこと大嫌いなの」
そう言うと、神楽幽鬼は呆然としているようだった。しかし、傷ついているようではなかった。すると、
「素晴らしい!素晴らしい!」
神楽幽鬼が拍手をしながらそう言った。私的には意味がわからない人だなと思った。だって、ほぼほぼ「あなたが嫌いです」と言っているようなもんなのに拍手して笑っているのだもの。
「あなたはなんなんですか…?」
私がそう聞くと、神楽幽鬼はくすくすと笑って、
「俺は鬼だよ」
と言った。私はその発言に顔をしかめる。
(あなたが鬼であることなんてもう知ってるわよ……)
私が心の中で呟くと、神楽幽鬼さんはまた笑った。心を読まれたようだ。私は気分が悪くなり、
「もう…帰らせてください」
と言った。すると、神楽幽鬼は私の顎をクイッと上げて、
「もう家には帰れないんじゃないの?さぁ…俺の部屋においでよ」
私はそう言われた瞬間、一切の間を開けずに彼の頬を叩いた。バチンッという甲高い音がした。その瞬間、神楽幽鬼はバランスを崩して地面に倒れた。そんな彼を私は上から睨みつける。
「…まぁ、そりゃそうか……」
彼は叩かれたほおを撫でながらそう言った。すると、冬鬼玲央さんが横から
「私が部屋に案内しましょう。もちろん、この人とは別の部屋ですから」
そう言われて私はほっとする。でも妖が嫌いなことに変わりはない。いくら優しくされたって、私の心の中に渦巻いている闇は簡単には晴れない。
「待ってくれ…ちょっと話がっ……」
最後の最後に焦ってきたのか神楽幽鬼が手を伸ばしてきた。
「あなたと話すことはありません」
私がそう言うと、冬鬼玲央さんは呆れ顔で私を案内し始めた。私はダメもとで冬鬼玲央さんに、
「あの…私、女学校を退学したいんです」
と言った。すると、冬鬼玲央さんは笑顔で「神楽様に相談してからにしますね」と言われてしまった。
(妖は上下関係がはっきりしている…そんなところも好きじゃないのよね……)
私はそう思った。先ほど神楽幽鬼に心を読まれたのもまた、私の気分を害するものだった。
「お部屋はこちらです。夕食の時間になったらお呼びしますね」
私はそう言われて冬鬼玲央さんにお辞儀をする。すると、冬鬼玲央さんは笑顔で去っていった。部屋に1人取り残された私は用意された部屋を見渡す。
「はぁ…」
無駄に綺麗にされた部屋。ここにいると、居心地が悪くなる。何もしていない私にこんな綺麗な部屋を用意するなんて。
ベッドの上に倒れ込み、私は思考を巡らせる。
(私の結婚相手は神楽幽鬼。あの人は帝国でも屈指の強者。帝国の妖魔討伐部隊の連隊長で最強の軍人と呼ばれている。そして、鬼という人生勝ち組にいる)
私はそう考え、吐き気を感じる。
(他の人から見たら何が不満なのかって感じよね……)
まぁ、私には妖に嫁ぐことが不満だけど、と私は思う。絢音はもうすぐ妖の家に嫁げると喜んでいた。だけど、私は素直に喜べない。それは人間が妖の本性を知らないからだ。
(もう、出て行こう……)
私はそう心に誓った。
「葵様、夕食の時間です」
そう言われて私は部屋を出る。廊下は長い。
「葵!待っていたぞ」
食事を摂る部屋に着くと、神楽幽鬼がいた。ニコニコの笑顔で私に手を振っているが、私は無視して席につく。席にはフルコースの料理が並べられていた。
(これは…誰が作ったものかしら…)
私の家では女中頭が毎日おにぎりを作ってくれていた。ふっくらしたご飯に梅干しや昆布を詰めてくれていた。
「これは…誰が作ったものでしょうか……?」
私がそう聞くと、神楽幽鬼は笑顔で
「私の専属料理人だ!」
と言った。冬鬼玲央さんは神楽幽鬼の発言に少し汗を流している。
「それは誰なのですか?」
私が聞くと、神楽幽鬼は、
「妖に決まっているだろう?妖の作った飯じゃないと力が回復しない」
そう言われた瞬間、私は席を立っていた。
「私、ご飯はいらないので」
私はそう言って部屋を出ようとした。すると、神楽幽鬼は「ご飯がもったいないだろう?」と言ってきた。私は席に戻る。流石に作っていただいたものを残すわけには行かないという精神が働いたのだ。
「いただきます」
私は手を合わせてスープを一口啜る。その瞬間、猛烈な痛みが体中を襲った。
「っくっ?!けほっけほっ…」
私は息ができなくなってしまった。息をしようと必死にもがいていると、神楽幽鬼が近づいてきた。そして、私の額に手を当てた瞬間、苦しさが治った。
「やっぱり人間にはきついのか…?」
神楽幽鬼は私の額を触りながらそう言った。神楽幽鬼のその言葉を聞いた瞬間、私はカッとなる。
「どういうことですか?!知ってて食べさせたんですか?!」
私がそう言うと、神楽幽鬼はたじろぐ。
「最低!手を退けてください!」
私が手を払うと、彼は「いや…そう言うことじゃ…」と言ったが、私は無視する。勢いよく部屋の扉を開け、強く閉めたのだった。
ご飯を食べなかったことでお腹がぐうぐうなる。時刻は夜10時。
(計画実行の時ね…)
現在は大正。帝都などの栄えたところなら街灯があるだろうが、神楽家の屋敷があるところは山里なので街灯はいないだろう。そして、それは私にとって絶好のチャンス。
「…お世話になりました」
私は自分の部屋の窓から外に出る。着物だと少し動きづらいが、与えられた着物ではなく、ここに来たときの着物を選んだ。理由は特にないが、なんとなくそっちの方がいい気がした。
「はぁっ…」
季節は春で日中はポカポカと暖かい。しかし、夜は結構冷える。私は着物一枚で出てきたことを後悔する。もう少し厚着してくれば良かった。
「あーあ…」
私は森の中を歩きながらため息をひとつつく。すると、あたりがざわめき出した。
「何っ?!」
私は立ち止まり、周囲を見回す。木々が怪しく揺れ動いていて、怖くなる。すると、何かが木の間から姿を見せた。
「ヒヒッヒハハハッ…可愛い女じゃ…」
そこにいたのは蜘蛛の妖だった。私は体中が凍りつく。なぜならその蜘蛛の妖は、私の母を昔殺した妖にそっくりだったからだ。すると、その妖は私を見て、
「お前…もしかして…昔、俺の兄に母を食われたか…?」
と言った。君の悪い笑みを浮かべながらそう言った。その瞬間、私の心の中に恐ろしい憎悪の塊が溢れ出す。
「貴様…なんと言った…?」
私が低く唸るようにそう聞くと、蜘蛛の妖はケラケラと気色悪い笑い方をし始める。その瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。すると、遠くから、「葵ー!」と言う声がした気がした。きっとそれは神楽幽鬼のもの。
(妖は気持ち悪いもの…許せない…許せない…許せない!)
私はカッと目を見開く。
(許さない!妖は絶対に許さない!よくも殺したな…私の母を!!)
私がそう思った瞬間、落雷が私に落ちる。体中に雷のエネルギーを感じる。
「なんだお前…そのエネルギーはっ…?!」
蜘蛛の妖は驚いてそう言っていた。その瞬間、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り返ると、神楽幽鬼だった。
「葵…その黄色の瞳は…その雷の力は…?」
そう聞いてきたが、私は彼の手を振り払って神楽幽鬼を吹き飛ばす。
「あぐっ……」
彼は苦しそうにもがいていた。私はトンッと押しただけだったはずなのに彼は5メートルほど飛んでいった。
(何この力…でも、今はどうでもいい…)
私は目の前にいる蜘蛛の妖に目を向ける。私は蜘蛛の妖に向かって、手をかざす。すると、雷が蜘蛛の妖にあたり、蜘蛛は動けなくなった。すると、神楽幽鬼が近づいてきた。
「葵…?!葵…?!しっかりしろ…?!」
彼が私の両肩に手を置いて、必死に揺さぶった。しかし、私はそれに応えることはできない。
「触らないで!」
私がそう言った瞬間、彼は私に向けて手を翳した。そして、私の意識は闇に飲まれていった。
「起きたか?」
目を覚ますと、そこには神楽幽鬼がいた。私の顔を至近距離で見つめている。
「っ…」
私は目を逸らす。しかし、彼は私の顔を掴んで目を合わせようとする。私は周囲を見る。そこは私の部屋だった。
「なんなの…っ…」
私がビンタしてやろうと手を伸ばすが、彼はそれをはたき落としてしまう。
(は…?)
苛立ちが高まってきたその瞬間、
「お前、昨日の夜のこと、覚えてないのか?」
と聞かれた。私はもちろん覚えていた。蜘蛛の妖に襲われて…
「あ…れ…?」
私は頭の中の違和感に吐き気がしてくる。昨日会ったことを思い出すことができない。
「どうした…おいっ…?!」
神楽幽鬼が私の両肩を掴んで揺さぶる。
「あ…」
私はハッとする。そして、神楽幽鬼の手を叩く。
「離して。もう思い出せないの。昨日の記憶に関しては諦めてちょうだい」
私がそう言うと、彼は「心配だ」と一言言った。しかし、私は妖を信じることはできない。
「…妖は嫌い」
これは今の私の精一杯の反抗だった。



