放課後に美術室に寄って絵を描くのが日課になっていた俺は、今日も無心でスケッチブックに描いていた。
美術室には誰もいない……もともと活動が盛んな部活でもないし、顧問も熱心な先生ではないし。
でもこの自由さがとても好きだった。
今の俺には物凄く助かる。
あんまり頻繁に寄って帰っていたら、きっとアイツが母さんに聞いて、ここにも来そうだな——。
考えただけでゲンナリする。
「はぁぁ——……俺の憩いの場が……どんどんなくなる」
物凄く大きいため息を吐きながら、ふとグラウンドの方へ視線を移した。
そこにはサッカー部に交じってサッカーをする零時の姿が見える。
何でもできるんだよね……有望な2年生が転入してきたということで、サッカー部から勧誘されているのも知ってる。
サッカー部だけじゃない、バスケットボール部やバレーボール部など運動部から次々と声をかけられているのだ。
身長も180cmはあるし、運動能力も高いんだから入ってほしいだろうな。
小学校の時もアイツの周りには常に人がいて、注目の的だった。
俺も初めて見た時、
『こんなに綺麗な人がこの世にいるんだ』
って見惚れたのを覚えている。
それと同時に自分とは年齢も世界も違うし、関わることはない人間だとも思っていたので、遠くから綺麗なものを眺めているって感覚だったと思う。
そのはずだったのに——。
それは小学五年生の真夏の暑い日、いつも一緒に帰っている友人を小学校の玄関口で待っていた時。
いつものように先輩が、取り巻きなのか友人なのか分からない人たちと出てきたので、上級生だし邪魔にならないように俯きながら後退った。
とにかく暑くて早く友人が来ないかなとソワソワしていると、突然向こうが話しかけてきたのだ。
『君……暑くない? 誰か待ってるの?』
『え……あの……』
俺の顔があまりに赤かったから心配したのかもしれない。
確かに暑さもあったけど、突然見ているだけだった殿上人のような人物に話しかけられて、恥ずかしいやら興奮やらで顔に熱が集まってしまっていたのだ。
それに見ず知らずの人間を心配して声をかけてくれる優しさに、感動して震えていたのもある。
俺の名前を聞いてきたので素直に答えると、目の前の神のような人物は酷く驚いた顔をして、
『せいご……? 男子なんだね』
その表情を見て分かった。
女子だと思われていたんだって。
まぁそんなことはよくあるので、そこまでショックではなかったんだ。
でもそこに先輩の取り巻きたちもいて、その言葉でめちゃくちゃ笑い者にされてしまう。
『零時! おま……そんなハッキリ言うなよ!』
『あははっ! 女子だと思ってたとか!』
『せいちゃんって呼んでやれよ~~』
上級生たちの”いじり”に足が動かなくて、上手く息も吸えなくなる。
とにかくどこかへ行ってほしくて耐えていると、零時が友人に反論した言葉がとどめだった。
『だって可愛いから』
『はははっ! フォローになってね——!』
『やっぱり女子だと思ってたんじゃん!』
まさかの”可愛い”という言葉でさらにいじられる事に……でも正直、何がショックなのか自分でも分からなかった。
女子だと思われていたことなのか、笑い者にされたことなのか。
とにかく居たたまれなくなって、その場から走って帰ったのを覚えている。
全力で走って、走って————友人を置いて帰ってしまったのに気付いたのは、家に着いてからだったけど。
(明日クラスでちゃんと謝らないと……)
でもその後から、俺の存在を見付けるたびにアイツの友人に揶揄われることが増えていく。
マスクをして顔を隠していても見つかったら弄られるので『やめろよ!』って言ったこともあったけど、
『可愛い~~』『女子みたいに先生に泣きつけば?』
と腹立たしい言葉ばかり返ってくる。
だんだん気が滅入ってきて、学校に行くのが憂鬱になっていたと思う。
それに何が一番腹が立ったかと言うと、当の本人は目も合わさなくなったのだ。
俺の存在が面倒になった……?
こちらも極力アイツを見ないようにしたけど……なんで俺がこんな目に遭うわけ?
元はと言えばアイツがあんなことを言うから……!!
『男子なんだね』
『だって可愛いから』
神のように思って見ていた人間が、あっという間に大嫌いな人間に変わっていく。
その内先輩が俺を避け始めてから取り巻きたちと会う機会も減り、やがて卒業していったので、俺の生活は随分平穏になっていったのだった。
幸いクラスの友人に揶揄われることはなかったし、中学校では他学年の階に行ってはいけないという決まりがあったので、俺を揶揄っていた奴らと会うこともほとんどなかった。
もうこれからの人生で先輩に会うことはないだろうと思っていたのに——。
まさか兄弟になるとか…………しかも俺と仲良くなろうとするなんて。
「俺を避けたのは自分のくせに……勝手すぎる……!」
怒りに任せて鉛筆を動かしていた手をふと止める。
そして自分が何を描いていたのかを見返して、驚きのあまり握っていた鉛筆を落としてしまうのだった。
「なんで……」
そこには大嫌いな先輩の絵が何枚も描かれていて、どれも輝くような笑顔をしていた。

