「ここって……」
「覚えてる? 小学校の修学旅行で来た水族館!」
「覚えてるけど……なんでここ?」
「まぁまぁ。 とにかく入ろう!」
腕を引かれて受付を済ませて館内に入ると、薄暗い中にライトアップされた水槽で泳ぐ生物たちが目の前に広がり、色んな思考が吹っ飛んでいく。
「うわぁ…………っ」
何度か来ているものの、ここに来る度に幻想的な世界に感動してしまうのだった。
スケッチブックかタブレットでも持ってくれば良かった……無性に絵が描きたくなってきてうずうずしてくる。
「今、絵が描きたいって思ったでしょ?」
「なんで……」
「美術部で描いてる絵を見たら、こういうのも描きたいんじゃないかなって。 写実的なのが好きそうだったから」
「そうなんだ! リアルに描くのが好きで……風景とかも好きだけど、生き物も描きたかったんだよね」
「やっぱり。 でも今日は楽しむのが優先だから、写真におさめて帰ろう?」
「…………そうだね!」
零時の言葉が純粋に嬉しくて、声が弾んだ。
あまり絵のことを人に話したことはない。
理解されないことの方が多いし、きっとこういうところに来ても絵のことを考えていたら呆れられたりするから。
こんな風に話せる人がいるのは嬉しい。
何度か来たことのある水族館だけど、一緒にいる人が違うだけでこんなに楽しめるのかっていうくらい、その日は満喫したのだった。
最後のブースはペンギンで、近くに小さなオープンカフェもあったので、そこでソフトクリームを頼んで二人で食べることにした。
「んま~~~」
あまりにも濃厚で思わず声が漏れてしまう。
水族館にしかないなんて勿体ないくらいだなぁ。
「甘いものも好きなんだね」
「うん。 みんなの前では恥ずかしくて言えないけどね」
それこそ女子みたいって言われてしまいそうで、小学校時代は必死に隠していたものだ。
今はそんなに気にする必要はないんだろうけど……やっぱりあの頃の名残が抜けないから、極力近しい人にしか知られたくない。
「僕の前では気にすることないよ」
「…………へへっ」
零時が俺を否定しないことは分かっていたけど、改めて言われると嬉しくなる。
本当の自分を出せるというのは幸せなことだ。
兄になったのが零時でよかった——。
顔合わせの時はこの世の終わりだと思ったものだけど。
「そういや、零時はなんでここに来たかったの?」
入口でははぐらかされてしまったことをここで聞いてみることにした。
すると目の前の兄は少し照れながら、言葉を一つ一つ丁寧に選びながら話してくれたのだった。
「ここは僕らも修学旅行で来たところなんだけど……君と同じ学年だったら一緒に回れたかもしれないのになって思って」
「そ、そっか…………」
穏やかな顔でペンギンを眺める零時の横顔をチラリと窺うように覗き見た。
この人はなんでこんなに自分の気持ちを正直に言えるんだろう……小学校の時に一緒に見て回りたいと思ってくれていたってことだよね……?
どうして俺はその言葉にこんなに喜んでいるんだ。
「一緒に回ってみてどうだった?」
なんとなく答えが分かっているような、でも違っていたら嫌だなと思いながら聞いてみるけど、予想の斜め上をいく言葉が返ってくる。
「最高に決まってるよ! またどこか出かけよう! あ、父さんたちに写真送ってない!」
「ふははっ! 忙しいやつ」
「2ショ撮って送ろう~~」
館内が薄暗くてあまり俺たちの写りは良くなかったけど、写真を見た両親たちはすぐにRINEを送ってきたのは言うまでもない。
向こうも温泉宿で楽しんでいるらしく、圭吾も写った写真を送ってきて、家族の幸せそうな姿に自分まで幸せな気持ちになる。
「あ、食べ終わったからゴミ捨ててくる」
「ゴミ捨て場はあっちだよ」
ソフトクリームを食べ終えたので紙ゴミを捨てようと、零時に言われた場所に向かって行く。
サッと捨てて戻っていくと、すでに女性に囲まれた零時の姿がそこにあった。
綺麗な兄——。
あんなにイケメンで陽キャなんだからモテるのも当たり前だし、そんな人が兄なんて喜ぶべきことで自慢できることだ。
なのに。
今、全然喜べない。
零時の周りには昔から人が集まる……彼も距離感ゼロだしこんなの日常茶飯事だとは思っていたけれど。
女性たちも初対面でベタベタ触りすぎだし。
なんで零時も触らせてるんだ……見れば見るほどムカムカしてくる。
ハッ……! ていうか、そんなことを考えるなんて……!
ブラコンか!!!
前はあんなに苦手で大嫌いだったのに……今は嫌う理由がない。
嫌う理由がなくなったら好きになるのか?
好きか嫌いかで言えば好きだけど……自分の気持ちがよく分からない。
でもこんなに可愛がられて優しくされて、甘やかされて気遣われて。
好きにならないでいる方が難しい。
自分が単純過ぎて。
でもあくまで兄弟としてだ。
そうじゃなきゃ……小学校の時より苦しい想いをすることになる。
そんなのは嫌だ。
兄弟なら、誰に遠慮する必要もない。
兄弟なら、ずっと隣にいられる。
兄弟なら、兄弟だから——。
「遅くなってごめん、零時」
そっと兄の服の裾を掴むと、すぐに気付いた零時がこちらに振り向いた。
「誠吾! 良かった~~遅いから迷っちゃったのかと思った」
「少し迷った」
「ごめん、一緒に行けばよかったね!」
本当はウソだけど。
俺が迷ったっていうのを聞いて、零時は目を白黒させている。
今彼の中は俺でいっぱいなのかと思うと、途端に優越感がやってきて掴んだ服の裾を強く握りしめた。
「いじけてるの? ごめんね」
「いじけてにゃい……ない!!」
「あははっ」
咄嗟に反論したけど噛んでしまい、大変恥ずかしい思いをしてしまう。
零時を囲んでいた女性たちは「弟くんなんだ」「可愛いー」とか言ってるのが聞こえてきて、うんざりしてくる。
この人たちは何でまだいるんだろう……そんなに彼をナンパしたいのかとイライラが増してきてしまう。
そこへ零時がそんな雰囲気を一刀両断する言葉を放った。
「今、可愛い弟とデートなんだ。 邪魔しないでね」
目の前の女性たちが凍り付いているのが分かる。
なんっっでこの人はこう、恥ずかし気もなくそういうことを!!
「……っ零時!!」
「んー? 本当のことでしょ?」
「バカ兄貴! アホ兄貴! 帰るぞ!!」
「はーい」
こっちは恥ずかしくて死にそうで怒ってるのに、なんで嬉しそうなんだ?!!
やっぱりこの人は油断できない!!
そしてその言葉に喜んでいる自分にも……訳が分からん!
とにかく気まずいので零時の腕を引っ張り、そそくさと水族館を後にしたのだった。

