『零時……お父さんと仲良くするのよ』
母は最後にそう言い残して家を去っていった。
僕が5歳の時だ。
正直何が起きているのか分からなかったし、両親は仲が良いと思っていたので、なぜ母がいなくなったのかも最初は分かっていなかった。
幸い苗字が田辺から変わることはなかったので、周りの友人から片親であることを揶揄われる事もなく済んだ。
母がいなくなった本当の理由を知ったのは小学3年生の頃——。
父さんが通話口で、
『お前がよそで男を作ったのが原因なのだから、零時は俺が育てる』
と言っていたのが聞こえてしまったのだ。
そうか、母は俺と父さんを捨てたのか、と。
父さんと仲良く、と言って戻らなかった母……もう面影も薄っすらとしか思い出せない。
でも寂しかったのはいなくなった最初だけで、父さんが僕を可愛がってくれたし、母は薄々もう二度と戻って来ないことは気が付いていたから母親を求める気持ちは全くなかった。
それがキッカケなのかは分からないけれど女子が苦手で、言い寄られると嫌悪感が募っていく。
でも見た目だけは良くて割と何でも器用にこなし、頭も良かったから女子に告白されることも多く、それが悩みだったけど誰にも言えなかった。
『告白されるのが嫌だなんて贅沢な悩みだ』
『そんなこと言ってみたい』
なんて言われた事もあって。
僕は人と違うのかな——。
女子より男子の方が好きで、綺麗だと思ってしまう。
そんな自分の考えに混乱していた小学6年生の春、桜の木の下で運命の出会いをした。
美しい長めの猫っ毛が風になびいていて、一人静かにに佇む……少女?……少年?
どっちなんだろう……とにかく綺麗で儚げで、見惚れてしまった。
今にも消えてしまいそうだったので、何度も目を擦り、存在を確認する。
そしてまた見惚れ……その子は僕に全く気付いていないけれど。
僕の目は終始その子に釘付けだった。
その日から僕は、その子の姿を探すようになっていく。
(小学5年生の列に並んでる……クラスは3組だ)
全校集会で集まった時にどこに並んでいるかをチェックした。
名前はまだ分からない……背の順なので男女交じって並んでいるため、男子なのか女子なのかも分からない。
肌の色も真っ白だ。
本当に綺麗——。
この世界は綺麗なものばかりじゃない……ふと母のことを思い出し、そんな自分が酷く汚い感じがしてしまう。
だからだろうか。
あまりにも綺麗で清らかに見えるあの子が気になってしまうのは。
自分が男子の方が綺麗だと思う事に戸惑いもあったので、女子であってほしいという気持ちもあった。
あの女から生まれた汚い自分だけど、せめて性的指向は普通でありたい。
ただそれだけだった。
そして小学6年生の夏、突如ずっと気になっていたあの子と話す機会が訪れたのだった。
学校の玄関口で誰かを待っているその子を見付けてしまう。
(誰を待っているんだろう……その友人になりたい。 そんなことより、暑さで顔が真っ赤だ。 大丈夫かな……心配だし、声かけてみよう)
正直、心配なのは口実に過ぎなかった。
何でもいいから話しかけるキッカケがほしくて、心配を装って声をかけた。
「君……暑くない? 誰か待ってるの?」
心臓が飛び出してしまいそうなほどバクバク言っていた。
これは暑さじゃない。
喜びと高揚感。
そして少しの不安と緊張——。
でも勇気を出したかいもあって、今まで遠くから見ていただけだった人がこちらを向き、僕を見つめている。
大きな目……瞳まで綺麗で吸い込まれそう。
僕の胸は今まで生きてきた中で一番と言っていいほど、喜びに溢れていく。
そしてその子は僕に声をかけられて驚きながらも、戸惑いの声を出した。
「え……あの……」
声まで可愛い……!
もっと声が聞きたい。
もっと話したい。
「君、名前は?」
「あの……えっと……誠吾。 戸柱誠吾、です!」
その名前を聞いて驚きと共にショックが襲ってくる。
ずっと女子であってほしいと願っていたのに……やっぱり君は……僕が惹かれるのは——。
そして思わず言葉に出してしまったのだ。
「せいご……? 男子、なんだね」
口に出した瞬間に後悔した。
その時の彼の表情は、明らかにショックを受けた表情をしていたから。
違うんだ……君が悪いんじゃない。
僕が汚くてズルくて、自分のことしか考えていなかったから。
そう言えば良かったのに、どうフォローしていいか分からず、言葉に詰まってしまう。
でも僕が何も言えずにいると、周りの友人が誠吾を揶揄い始めた。
それを聞いてこれは良くない状況だと思った僕は、思ったままの気持ちを口にした。
「だって可愛いから」
そう。
誠吾は可愛かった。
とても……他の誰よりも可愛くて、綺麗で——。
でも僕のそれが失言だったと気付くのに、あまり時間はかからなかった。
「はははっ! フォローになってね——!」
「やっぱり女子だと思ってたんじゃん!」
周りの言葉に誠吾の表情がどんどん哀しく歪んでいくのを見て、なんて事を言ってしまったんだと思った。
僕のせいで清らかな彼が嫌な思いをしている。
何とかフォローしようとしたけれど、次の瞬間、彼が物凄いスピードで走り去ってしまったので、弁解することも謝ることも出来ず。
翌日から何とか謝ろうと彼に近付くと、その度に僕の友人たちが誠吾を囲み、揶揄い始めたのだった。
僕も必死で止めたけど、
「案外お前も好きなんじゃね?」
「誠吾くんと付き合ってやれよ」
とか言い始め……揶揄われたことよりも、友人の言葉にドキリとしてしまう。
そうか、僕は…………やはり彼が好きなのか。
でももし僕がそんな事を言おうものなら今度こそ誠吾に迷惑がかかり、彼の方が学校に来られなくなってしまうだろう。
恋愛対象が同性かもしれない僕の事情に巻き込みたくない。
嫌われてもいい。
もう彼に近付くのはやめよう。
僕が彼に声をかけに行くから迷惑をかけてしまうのだから——。
案の定僕が誠吾に近付かなくなると、友人達も彼への興味を失くしたようで、揶揄いにいくこともなくなった。
これでいいんだ、これで。
その度に胸が軋むけれど。
もう目で追うこともやめ、自分の中から誠吾の存在を打ち消すように毎日を過ごした。
でも罪悪感と焦燥感は増すばかり——。
やがて小学校卒業と同時に父さんの異動で引っ越すことになり、中学校も別々になったことで物理的に距離ができて、彼のことを考える時間が減っていった。
これでいい。
そう思っていたのに。
まさか親の交際相手の息子同士として再会する日がくるなんて、思ってもいなかった——。

