ヲタクをしていてよかったと思うのが、一人で出かけるのに長けていることだ。
坂井千尋 33歳。かつての推し活に感謝の想いを馳せる夜20時。
杜の都仙台は都会と地方の良さがないまぜになった心地よさがある。
千尋は小さな、しかし数十年の歴史を持つ出版社に勤めている。
出版社に勤めている――そう聞いて思い浮かべる仕事はまず編集であろう。
千尋自身、出版社に勤める前はそれ以外によく知らなかった。
漫画や小説、ドラマでも登場する人物達は皆、編集に携わる者ばかりだ。
それは千尋以外も同様で、仕事が出版社に決まったと知った知人は皆、「へぇ、編集部? 大変そうだね。でも、楽しそう!」と予想通りの返事をした。
いやいや、実際には大変なもので――と言おうとした千尋だが、そのまえに重大な誤解を訂正した。
千尋が就職したのは出版社だ。これは正しい情報である。
けれど、配属されたのは編集部ではない。
出版社の営業部に坂井千尋は配属されたのだ。
そもそも、出版社の仕事は当然編集だけではない。
広報や事務、最近ではデジタル方面での需要も高いだろう。
営業の仕事は書店などに書籍の売り込みや販促を勧めていくものとなる。
今回の仙台への出張もその一環で、千尋は何軒もの書店を巡り、販売する書籍を売り込んできたのだ。
「足が、足が痛い……」
ヒールを履かなくてよくなったこの時代だが、歩き回れば足も痛む。
ふくらはぎなど、パンパンに張っているのだが、ぼやきながらも仙台駅のエスカレーターに乗る。
仙台駅は駅ビルと一体型になっており、数多くの飲食店はもちろん郵便局まであり、なかなかに便利なのだ。
当然、駅ビルには書店もあり、千尋は本日最後の仕事を終え、胃袋を満たすために痛む足で上階へと向かう。
「鮨にするか、牛タンにするか、それが問題だよね。牛タン、お寿司、どっちがいいかなー」
仙台と言えば牛タン、誰もが良く知る名物である。
最近は、都内でも食べられる場所が増えたが、やはり観光地に来たならばそこの名産を食べるのも捨てがたい。
一方で仙台は港があり、朝市もある。名産といえば、海産物も見逃せないのだ。
こんな悩みを抱えるのは何も千尋の食い意地が張っているからではない。
仙台駅3階、ここに来た観光客や千尋のような出張で訪れた会社員は頭を悩ませることになる。
そう、ここは牛タン・鮨通りなのだから。


