ドームの中では、僕らの恋も売り切れません。


「――というわけで、今日一日、これを着てほしい」
  先輩スタッフにそう言われて渡されたのは、球団のマスコットの着ぐるみだった。中に入る予定だった人が体調を崩したらしく、代役が急遽必要になったのだという。
「僕、こういうの初めてなんですけど」
「大丈夫、中で突っ立ってるだけでも様になるから」
  そんな雑な励まし方があるだろうか、と思いながらも、断る空気ではなかったので、僕は大人しく着ぐるみに袖を通した。
  視界は狭く、頭も重い。歩くだけで一苦労だった。
  それでも、通路に出て子どもたちに手を振ると、思っていたよりずっと歓声が上がった。誰も僕の顔を知らないのに、みんな喜んでくれる。それが不思議で、少しだけ楽しくなってきた。
  順調に進んでいたのは、芽衣さんの売り場の近くを通るまでだった。
「――あれ、その中、律でしょ」
  着ぐるみ越しに、はっきりと聞き取れる声だった。僕は思わず足を止めた。
「なんで分かるんですか」
「歩き方。あと、さっき手を振った角度が、いつもの律っぽかった」
  そんな些細な情報で見抜かれるとは思っていなかった。僕は着ぐるみの中で、少しだけ動揺した。
「秘密にしといてください」
「えー、もったいない。写真撮ろうよ」
「やめてください」
  止める間もなく、芽衣さんはスマホを構えていた。仕方なく、僕はマスコットらしいポーズを取ることにした。せめて中身が僕だとばれないように、なるべく大げさに両手を広げてみる。
「――ふふ、なにそのポーズ」
「マスコットっぽさを、意識してみました」
「全然マスコットっぽくない。律っぽい」
  そう言われても、直しようがなかった。
  通りかかった蓮さんが、状況を察して爆笑しながら加わってきた。
「おい、律、そのポーズは何?」
「マスコットです」
「絶対嘘だろ、その動き」
  三人でひとしきり騒いだあと、僕は次の持ち場へ向かうことになった。重い頭を揺らしながら歩く僕の背中に、芽衣さんの声が飛んできた。
「――お疲れさま、律」
  着ぐるみの中で、僕は誰にも見られないのをいいことに、少しだけ笑ってしまった。
  顔も表情も隠れているのに、なぜか芽衣さんにだけは、いつも僕だとばれてしまう。
  それが、悪くない気分だった。