ドームの中では、僕らの恋も売り切れません。

「――ねえ、そのノート、いつも持ち歩いてるやつだよね」
 休みの日、いつもの喫茶店で向かい合っていると、芽衣さんが僕の鞄からはみ出したノートに目を留めた。誕生日にもらった、革のカバーがついたあのノートだった。
「そうです」
「何書いてるの? 前から気になってた」
 聞かれることは想定していたけれど、いざ聞かれると、少し言葉に詰まった。誰かに見せる前提で書いているものではなかったからだ。
「日々思ったこととか、思いついた話の断片とか、そういうのが多いです」
「話の断片って、小説的な?」
「そんな大層なものじゃないです。ただの、メモの延長みたいな」
 謙遜のつもりで言ったけれど、芽衣さんは興味を隠さず、身を乗り出してきた。
「見せてよ」
「――全部は、ちょっと」
「全部じゃなくていい。ちょっとだけ」
 食い下がる芽衣さんに根負けして、僕はノートをめくり、比較的読ませても差し支えのないページを開いて渡した。
 そこに書かれていたのは、短い掌編だった。ドームの照明が落ちたあと、誰もいなくなった客席に、一人だけ残った売り子の女の子が、静かに星を数えるという、たわいもない話だった。
 芽衣さんは、しばらく黙ってそのページを読んでいた。
「――これ、いつ書いたの」
「少し前です。試合が終わったあとの、静かなドームを見て思いついて」
「なんか、いいね。うちの仕事にちょっと似てる」
「意識したわけじゃないんですけど、そう見えるかもしれません」
 芽衣さんはページから顔を上げると、いつもの茶化すような笑い方とは違う、少し柔らかい表情をしていた。
「律、こういうの、ちゃんと続けたほうがいいと思う」
「そう、ですか」
「うん。誰かに読んでもらいたいって、前に言ってたじゃん。これなら、読んでもらえると思う」
 素直な言葉だった。だからこそ、僕の中に、じんわりと染み込んでいくものがあった。
「――ありがとうございます」
「お礼言われることじゃないよ。うちが勝手に読みたいって言っただけだし」
 そう言いながらも、芽衣さんは満足そうにノートを閉じて、僕に返してくれた。
「――でも、全部は見せてくれないんだ」
「見せられるものと、見せられないものがあるので」
「別に、無理に見せてとは言わないよ」
 芽衣さんはあっさりそう言った。踏み込みすぎない、その距離の取り方に、僕はどこか安心する自分がいた。
 見せられる部分だけを、少しずつ見せていく。
 それでも十分だと言ってくれる人がいるということが、思っていたよりずっと、心強かった。