満員に近い観客数が見込まれるその日、僕は朝から慌ただしく駆け回っていた。
案内、誘導、忘れ物対応。息をつく暇もないまま試合が始まり、気づけば三回の攻撃まで進んでいた。
たまたま巡回で三塁側の階段に差し掛かったとき、僕は初めて、芽衣さんの仕事をきちんと目にすることになった。
背負っているのは、想像していたよりずっと大きなタンクだった。中身の入った状態だと、かなりの重さがあるはずだ。それを背負ったまま、芽衣さんは急な階段を、何度も上り下りしていた。
「――冷たいビールいかがですかー!」
声は明るく、足取りも軽やかに見える。けれど、階段の途中で一瞬だけ、彼女が小さく息を整える瞬間があった。それは、いつもの元気な様子からは想像できない、ほんの一瞬の綻びだった。
呼び止められて注文を受けるたび、重いタンクを傾け、紙コップに注ぎ、お釣りを渡す。その一連の動作を、笑顔を絶やさずに、何十回、何百回と繰り返していく。
僕は自分の仕事の忙しさに、少し驕っていたのかもしれないと思った。
休憩時間、裏の通路で座り込んでいる芽衣さんを見つけた。
「――大丈夫ですか」
「あ、律。うん、平気平気」
そう言いながらも、肩を軽く揉んでいる仕草に、隠しきれない疲れがにじんでいた。
「重そうですね、あれ」
「まあ、慣れてはいるけど、今日は特に混んでるから」
「毎回、あれだけ運んでるんですか」
「試合中はずっと。休憩挟みながらだけどね」
平然と語る芽衣さんの言葉が、僕にはひどく軽く聞こえた。実際には、決して軽くない仕事のはずなのに。
「――そんな顔しないでよ」
「どんな顔ですか」
「なんか、深刻そうな顔」
「深刻というか、今まで、ちゃんと分かってなかったなと思って」
「別に、律に分かってもらうためにやってる仕事じゃないし」
芽衣さんは笑いながらそう言ったけれど、その言葉には、少しの強がりが混じっているように聞こえた。
「――今度から、階段側の見回り、僕が優先的に回ります」
「そんなの、律の仕事じゃないでしょ」
「僕の仕事は、お客さんの安全を見ることなので。芽衣さんが階段で転ばないか見るのも、それに含まれます」
こじつけだと分かっていたけれど、芽衣さんは特に反論せず、少しだけ目を伏せて笑った。
「――ありがと」
小さな一言だったけれど、それだけで、重かった何かが少し軽くなった気がした。
休憩を終え、また重いタンクを背負って立ち上がる芽衣さんの後ろ姿を、僕はしばらく見送っていた。
その重さを、僕はこれから、少しずつでも分かっていきたいと思った。
